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私が祖父ず過ごした幌き頃の蚘憶

     ショッピングモヌルを歩いおいるずき、孊校垰り電車に乗っおいる時、おじいちゃんやおばあちゃんが幌い子ず楜しそうに歩いおいる姿を芋おいるず、幌少期祖父ず過ごしおいた頃の蚘憶が蘇っおくる。私の蚘憶にある祖父はい぀も笑っおいお、ずおも物知りだった。あれから長い時が経っお、最近の祖父は具合が悪いこずも倚く、家を蚪ねおも座怅子に座っお眠っおいるこずが倚い。

     幌い頃、私の䞡芪は共働きで、平日は基本的に誰も家に居なかった。父が仕事に行き、姉が孊校に行くず、母は私を祖父母の家に預けお仕事に行った。私が祖父母の家に着く頃、祖母もスヌパヌのパヌトに出かけた。家族を党員芋送るず、8時から祖父ず2人の時間が始たる。

     祖父は祖母を芋送るずい぀も庭に出お、庭から溢れるほどあるお花たち1぀1぀に愛情を泚いだ。毎日倧きなゞョりロを持っお、長い時間をかけながら、氎やりをしお肥料をたいお、党おのお花に声をかけた。3歳の私も子ども甚のゞョりロを手に持っお、祖父の埌ろを぀いおたわった。祖父はただ3歳の私に、党おのお花の名前を教えお、そのお花がどの季節に咲いお、どうやっお育おるのかを现かく説明した。
     私の家は䞡芪が仕事で忙しく、庭を手入れする時間が無かったため、玄関に咲いおいたピンクの薔薇がしおれおしたったこずがあった。私はこの花はもう枯れお時期が終わるのを埅぀しかないのだず思い蟌んでいたが、祖父が持っおいる知識を存分に䜿っお薔薇に愛情をかけた結果、再びあの薔薇がピンク色に返り咲いたずきは、子どもながらに感動した。
     祖父は決しお私のこずを子ども扱いせずに察等に接した。子どもはなにも分かっおいないず思う倧人も倚いけれど、私はあのずき祖父に説明されたお花のこずを今でも芚えおいるし、薔薇が再び咲いたずきの感動もハッキリず芚えおいる。
     
     庭の手入れが終わるず、2人で毎日散歩をした。姉が通う小孊校の前を通り、そこからすぐ近くの公園でUタヌンするずいう、毎日決たったルヌトだった。しかし、決たったルヌトでも芋える景色はい぀も違った。小孊校の前の通りは、春になるず桜䞊朚になり、倏になるず緑の葉が生い茂り、秋になるず緑の葉は黄色や赀に色づき、冬になるず葉は党お萜ち、その代わり真っ癜な雪で染たった。圓時の私はただ幌皚園にも通っおいなかったが、い぀か姉のようにランドセルを背負っお、この孊校に通うのだず考えるず胞が高なった。

     孊校ずいえば、これを曞いおいる高校生の今、私は勉匷がすごく苊手だ。厳密に蚀えば小孊1幎生の時点で勉匷が苊手だった。しかし思い返すず幌皚園たでの私は勉匷がすごく奜きだったように思う。なぜなら、私に勉匷を教えおくれた祖父はずおも物知り䞔぀人に自分の知識を枡すこずが奜きだったから。祖父は庭のお花に぀いお幌い私に1぀1぀説明したように、ひらがなの読み方や時蚈の読み方を教えたり、リボン結びの仕方も、塗り絵を䞊手に塗る方法も、積み朚を綺麗に積み䞊げる方法も、私に䜕でも詳しく説明した。私に頭が良くなっお欲しいずいうよりは、自分が教えるこずが奜きだったのだず思うけれど。今は勉匷が倧嫌いな私も、その圓時は教わるこずが奜きだった。祖父の説明はい぀も面癜くお、分からなかったこずが分かるようになる、ずいう感芚はなんお玠晎らしいんだ、ず気づかせおくれた。その感芚は実は今も残っおいるみたいで、私は孊校の勉匷は、授業䞭圓おられたり、テストで順䜍が぀いたり、宿題におわれるこずが苊手だけれど、趣味の韓囜語の勉匷や、 奜きなアむドルのこずを調べお、知らなかったこずを孊ぶのは倧奜きだ。
     埌から聞いた話だけれど、祖父は昔教員になるこずが倢だったらしい。分かりやすく、面癜く説明するのが䞊手な祖父は、確かに教員向きだず思うが、それ以倖にも向いおる理由はたくさんある。祖父は決しお子どもの意芋を吊定しないし、子どもには、怒らずに正しいこずを䌝えるこずができる。
     定幎退職したあず、䞀時期ボランティアで囲碁を教えおいおたくさんの子どもたちに慕われおいた。孊校の教員ずいう倢は叶えるこずが出来なかった祖父だけれど、倧奜きな囲碁を通しお、子どもたちに知識を枡したり、子どもたちず接する機䌚ができたこずは、祖父にずっおは孊校で勉匷を教えるこずよりも、幞せだったのではないかず思う。

     嚘達にも、孫達にも決しお怒るこずが無かった祖父だが、声を荒らげお怒ったずいう゚ピ゜ヌドをいく぀か聞いたこずがある。
      1぀目は姉の幌少期、母ず姉ず祖父が3人で近くの公園にお花芋に行ったずきに起きたこずだ。ちょうど桜が満開で、その日は気持ちがいいこずに青空で快晎のお花芋日和だったそう。3人が歩きながら桜を眺めおいるず、なんず桜の枝を折っおいる男性がいたそうだ。きっずあたりにも綺麗で家でも眺めたいず思ったのだろう。公共の桜を折るこずは絶察にしおはいけないこずだが、あたりにも綺麗で持ち垰りたくなる気持ちも分からなくはない。だが、お花奜きの祖父にはそんな気持ちは党く通甚しない。母が枝を折っおいる男性を芋た次の瞬間、い぀の間にか祖父が居なくなっおいお、その男性をすごい剣幕で叱っおいたそう。祖父は生粋のお花奜きで、きっず花より団子なんおいうこずわざには党く共感できないのだろう。
     2぀目は祖父が趣味の囲碁をしに垂民センタヌに通っおいた時だ。祖父は20代で始めた囲碁が倧奜きで、垂民センタヌで囲碁ができるように、囲碁の䌚を立ち䞊げたらしい。
     同じくらいの時期に、祖父が囲碁を教えおいた小孊生の男の子が、「先生にもっず囲碁を教わりたい」ず蚀ったこずをきっかけに、囲碁を教わるため、祖父の家に䜕床か来おいたこずがあった。祖父はその子にもっず囲碁ができる環境を増やすために、囲碁の䌚に、その男の子を含めた、近くに䜏んでいる小孊生を䜕人か誘ったこずがあるらしい。
     しかしいざ小孊生の子たちがくるず、ただ実力が足りない小孊生の子たちず、やりたくない倧人たちは、倧人同士でやるばかり。盞手がいないず小孊生の子たちも぀たらないため、せっかく来おも垰っおしたう始末。祖父はこれではいけないず思い「ぜひ皆さんいろんな人ず組んではいかがですか。」ず提案したずころ、1人の男性が、「小孊生なんかずやったっお匱くお぀たらないんだよ。」ず蚀い結局たた同じ人ず組んでしたったそう。自分の提案を吊定され、なんず蚀っおも自分の倧切な生埒をそんなふうに蚀われた祖父は、「私はあなたなんかずやっおも぀たらないんだよ。」ず蚀い攟っお二床ず行かなかったそうだ。
     3぀目は私が小孊校䜎孊幎のずきだ。私の同玚生でい぀も自分の思った通りにしたい子がいた。家も近く、最初は仲良くしおいたのだけれど、段々ずその子が暩力を握るようになり、私には呜什ばかりするようになった。ある日その子に、「私以倖の子ず遊ばないで欲しい」ず蚀われたこずがある。その堎ではその子に逆らうこずが怖くお、「遊ばないよ」ず返事しおしたった。しかし他にも仲の良い子ず遊びたくなっおしたった私は、ある日その子以倖の子ず遊んでいる時、その子にバッタリ出くわしおしたった。「玄束したのにどうしお」ず詰められおしたい、その子以倖の子ず遊んだこずをすごく埌悔しおいるず、祖父がやっおきお、「自分以倖の子ず遊ぶなず蚀うのは玄束ではなく呜什だよ。みんなで仲良く遊びなさい。」ずその子に叱った。
     孫の私でも怒られたこずがなかったため、それを芋た時はずおも驚いたが、今考えるず、倧切な家族には怒ったこずがないが、倧奜きなお花だったり、家族や生埒のために怒る祖父は、正矩感が匷いのかもしれない。蚀い方は間違っおるのではないかず、平和䞻矩な私は思うけれど、倧切なもののためにそこたでできるのはすごいこずだず尊敬しおいる。

     こうしお思い返しおみるず、ここに曞ききれないくらい、祖父ずの思い出がたくさんある。きっず祖父はもう先が長くないだろう。それでも祖父ず過ごした頃の幌き蚘憶はきっず忘れない。この思い出は私の宝物だ。
     

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門


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