
怪物にならなかった僕らへ ー呪術廻戦「魔虚羅」と適応障害の記憶ー
※本記事には、漫画『呪術廻戦』の物語終盤に関する重大なネタバレが含まれます。未読の方はご注意ください。
久しぶりに何もしないと決めた休日に、思い出すように呪術廻戦の漫画を読んでいました。
伏黒恵の術式「十種影法術」(口に出したくなる良い語呂ですよね)。
その究極とも呼べる式神「魔虚羅」。
魔虚羅の能力は、「あらゆる事象への適応」です。
どんな武器・能力でも、その身に受けてしまえばその力では傷一つ負わせることもできなくなる、最強の式神。
呪いの王である両面宿儺が伏黒恵に興味を抱くのも頷けるほど、極めて汎用性の高い能力です。
この魔虚羅と宿儺の戦いは、漫画・アニメ両面において大好きな戦闘シーンの一つです。
…いつも台本の話をしているのに、突然こんな話をして混乱されている方もいるかもしれません。
ですが、これもやっぱり関係なくはないんです。
僕は以前、適応障害になったことがあります。
当時は精神的な疾患に対する周囲・社会の理解も未熟で、医師からは「この職場にあなたは適応できないので、休職しても意味ないですよ」と突き放されるように言われたのを憶えています。
当時、僕はどうすればいいのかまったく分かりませんでした。
自分が耐えるしかないと言う結論になる他なく、無理やりその後も働き続けました。
ただ身体は正直なもので、すぐに限界が来ました。
それをきっかけに、人とは大きく異なる人生を歩むことになりました。
物語を作るようになった今では、その過去も「良いネタ」でしかありません。そういったことを経験できてよかったと、今は思っています。
話が行ったり来たりになってしまいますが、魔虚羅について。
もし人が魔虚羅のようにあらゆる事象に適応していけるとしたら。それは素晴らしい世界でしょうか。
僕はそうは思いません。
事象に適応できると言うことは、あらゆる困難を乗り越えることができる。
良いように捉えることができます。
ただ、もし仮に人がそんな能力を手に入れようとして、それを実現した頃には。
僕らは魔虚羅のような「怪物」になっているのだと思います。
作者の芥見先生が意図したかは分かりませんが、魔虚羅は十種影法術の中で唯一「人の形」をしています。そしておそらく言葉を理解し、少なからず感情もある。
人間があらゆる事象に適応できるようになったら、こんな怪物に成り果ててしまう。
そんな警告のようにも、僕は受け取りました。
最強は、孤独になるものです。
全て一人で適応できるのであれば、他人に力を借りる必要もない。
最強は孤独であることを、作中でも示唆しているシーンがあります。
現代最強の呪術師、五条悟。
彼もまた、その強さゆえの孤独を知る人間でした。
生き物としての次元が違う強さを持つ彼の孤独は、周囲にどれだけ仲間がいようと消し去ることは出来なかった筈です。
そして、その最強=怪物を引き継ごうとした呪術師がいました。
現代の異能、乙骨憂太。
両面宿儺との戦闘におけるプランの一つに、五条悟の肉体を彼が受け継ぐという話がありました。
五条先生が怪物になることを、周囲は押し付けてきた。誰かが怪物にならなければならない。
僕がその怪物を引き継ぐ。
そんな乙骨憂太の強い覚悟に、周囲の人間は深く理解を示してはいませんでした。ただ僕は、その覚悟を見て胸が熱くなりました。
自ら孤独を選ぶことができるのは、本当に強い人間です。
一時的に「五条悟」になった乙骨でしたが、最終的に自分の肉体に戻ることになりました。
それはきっと、五条先生からのメッセージだったようにも思います。
「君は怪物にならなくて良い。みんなといなさい」
そう笑って言ってくれる気がします。
長くなってしまいました。
とにかく、僕らは魔虚羅のように全て適応できるようになる必要はない。
自分が輝ける場所を掴み、足りないところは人に補ってもらう。
それが一番なのだと思います。
僕にできることは、文章を書くこと、演出のサポートをすることです。
出来ることを、やり抜いていきます。
Wind Nest Works