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Photo byadjmt_8318

勉強はできても他のことができない

    勉強はできても他のことができない。

     自分自身についてそう思ったことはあるだろうか。

     思い返せば、私はそこそこ勉強のできる子どもだった。数学は苦手だったが、それを補えるくらいにはほかの教科ができた。


     浪人はしたものの、六年制の理系学部に進学し、留年せずに卒業した。成績は上位四分の一ほどで、国家試験にも合格した。ここまでは困難はあっても、なんとかやってこられた。


     ところが、卒業して働き始めると、勉強ができるだけでは足りなかった。


     知識をもとに状況を判断すること。人と関わり、必要なことを伝え、上司や同僚が何を求めているのかを察して動くこと。

     それが、うまくできなかった。


     仕事もうまくいかず、心を壊し、一年も経たないうちに退職した。


     そのとき気づいた。社会で必要なのは、試験に受かる力だけではないということだ。人の立場を考え、相手が何を必要としているかを想像し、それに応じて振る舞う力も必要であると。


     私はそれがとても苦手だ。


     この場面で何をすれば相手が助かるのか。どこまで言えばよくて、どこで黙ればいいのか。そういうことを考えるが、人よりも上手くできない。


     それなのに、なぜか私は、人を思いやることを求められる仕事をしている。どうしてこの職業を選んだのだろう。


     働くというのは、思っていた以上に高度な作業だ。


     周囲の様子を見る。相手の立場を考える。自分の機嫌を一定に保つ。注意を素直に受け止める。嫌味を言われてもひとまず飲み込む。何かあっても、明日も同じ職場で働けるように振る舞う。仕事のできない先輩のことも、それなりに敬う。


     たぶん、これも一種の技術なのだろう。


     同級生たちは、そうしたことを自然に身につけていったらしい。


     講義を受け、実習をし、論文を書き、余暇でアルバイトをする。その過程で、人と関わりながら、試験には出ない能力を学んでいたのかもしれない。


     それもまた、勉強だったのだろう。


     私も同じように過ごしてきたはずなのに、どうも身についていない。


     なんだ。私は、勉強すらできていないじゃないか。


     もう一度、子どもの頃からやり直したら、少しはうまくやれるかなぁ。

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