
勉強はできても他のことができない
勉強はできても他のことができない。
自分自身についてそう思ったことはあるだろうか。
思い返せば、私はそこそこ勉強のできる子どもだった。数学は苦手だったが、それを補えるくらいにはほかの教科ができた。
浪人はしたものの、六年制の理系学部に進学し、留年せずに卒業した。成績は上位四分の一ほどで、国家試験にも合格した。ここまでは困難はあっても、なんとかやってこられた。
ところが、卒業して働き始めると、勉強ができるだけでは足りなかった。
知識をもとに状況を判断すること。人と関わり、必要なことを伝え、上司や同僚が何を求めているのかを察して動くこと。
それが、うまくできなかった。
仕事もうまくいかず、心を壊し、一年も経たないうちに退職した。
そのとき気づいた。社会で必要なのは、試験に受かる力だけではないということだ。人の立場を考え、相手が何を必要としているかを想像し、それに応じて振る舞う力も必要であると。
私はそれがとても苦手だ。
この場面で何をすれば相手が助かるのか。どこまで言えばよくて、どこで黙ればいいのか。そういうことを考えるが、人よりも上手くできない。
それなのに、なぜか私は、人を思いやることを求められる仕事をしている。どうしてこの職業を選んだのだろう。
働くというのは、思っていた以上に高度な作業だ。
周囲の様子を見る。相手の立場を考える。自分の機嫌を一定に保つ。注意を素直に受け止める。嫌味を言われてもひとまず飲み込む。何かあっても、明日も同じ職場で働けるように振る舞う。仕事のできない先輩のことも、それなりに敬う。
たぶん、これも一種の技術なのだろう。
同級生たちは、そうしたことを自然に身につけていったらしい。
講義を受け、実習をし、論文を書き、余暇でアルバイトをする。その過程で、人と関わりながら、試験には出ない能力を学んでいたのかもしれない。
それもまた、勉強だったのだろう。
私も同じように過ごしてきたはずなのに、どうも身についていない。
なんだ。私は、勉強すらできていないじゃないか。
もう一度、子どもの頃からやり直したら、少しはうまくやれるかなぁ。