ハヅキの冒険 最終話「ハヅキの冒険」
「な……何⁉」
三月ウサギは驚愕し、顔色を変えた。
彼の視線の先で葉月は死に物狂いで己の身体に巻きついた茨の縛りから逃れようとしている。
(諦めない‼ 何があっても‼ 今のわたしはお母さんの使い魔……なら、こんな茨にも負けない力を持ってるはず……‼)
みしみしと音を立てて茨が悲鳴を上げる。──もう少し。
「――――――ッ‼」
声なき声を上げて全身の力を振り絞り、葉月は抗う。
「……わたしの、邪魔を、するなあああッ‼」
その言葉が通じたかのように。
巨大な茨が葉月の怪力によって引きちぎれた。
「ギャアアアア‼」
薔薇があまりの痛みにかん高い悲鳴を上げる。
「やった‼」
「何ィ⁉」
喜びに破顔する葉月、それを見ていた三月ウサギは信じられないといったように声を上げた。
「うさぎさん、今助ける‼」
自由の身になった葉月は真っ直ぐに捕らわれたシロウサギのもとへ向かう。
「させるか‼」
帽子屋が巨大なフォークを構えて葉月の前へ立ちふさがろうと駆け出す。
そんな彼の真横に、大きな大きなニヤニヤ笑う口──鋭い牙だらけの口──が音もなく現れた。
「⁉」
帽子屋は気付いたが、何しろ突然の事で、対処が間に合わない。
ニヤニヤ笑う大きな口が彼にかぶりつこうとした時、三月ウサギが瞬時に“人型”から“二足歩行をする人間の成人男性ほどの大きさをしたウサギ”に変身してその脚力を以て彼に向かって飛びついた。
三月ウサギは帽子屋を抱え、素早く跳躍してニヤニヤ笑う大きな口の攻撃を回避する。
彼はそのまま大きく距離を取ってから怒り心頭で相手に振り向き、怒鳴った。
「一体どういうつもりだ、チェシャ猫‼」
その名を呼ばれた瞬間、猫は口だけではなく、その全身を現わす。
鮮やかな色合いの巨大な猫がそこでニヤニヤ笑っている。
「にゃん」
その鳴き声はいかにも愛らしく、牙をむく怪物とは思えないほどだった。
葉月はシロウサギのもとへたどり着き、彼の傷だらけの体を見て目を細める。──ひどい。
「うさぎさん! 起きて‼」
そばで声をかければ、彼はすぐに目を覚ました。
ぼうっとしてうつろな目つきだったが、葉月の顔を見てはっと意識を覚醒させる。
「ぼ、僕は……‼」
「薔薇の茨に捕まってるんだ。今助けるよ」
「ハヅキ……」
シロウサギは傷だらけの血まみれの顔で、にこりと笑った。
「いいえ、大丈夫ですよ。ちょっと離れていてください」
「え?」
予想外の言葉に葉月が目を丸くする暇もなく、一瞬でシロウサギは人間の青年の姿に変身した。
ウサギ形態の時よりも身体が細くなった為に、彼は易々と茨の縛りをすり抜けた。
「⁉」
亜麻色の短髪に、チェック柄のジャケットを着こなす青年が突然目の前に現れて葉月はぽかんと口を開けてしまった。
「え……えええええええ⁉」
「言ったでしょう? ウサギは特殊な種族だと」
驚く葉月ににこやかに笑いかけながらシロウサギはウサギ形態だった時と何ら変わらぬ身のこなしで宙にひしめく巨大な茨のひとつに跳び乗る。
葉月はすっかり固まってしまったが、
「許さない……」
薔薇の発した殺気に、すぐ我に返った。
「さっきはよくもやってくれたわね……二人とも今度こそ殺してあげるわ‼」
巨大な茨が何本もうなりを上げて二人のもとへ迫り来る。
葉月とシロウサギは自分の乗っている茨の上をそれぞれ別方向へ駆け出して襲いかかってくる茨の攻撃を避けた。
だが攻撃はそれだけで終わりではない。次から次へと茨が二人をその巨体で叩きつぶそうと迫って来る。
葉月は走りながら離れた所にいるシロウサギに向けて大声を上げた。
「うさぎさん! 君は先に女王に会いに行って‼」
「‼ し、しかし……‼」
シロウサギもまた走りながら葉月を見る。その表情には迷いがあった。
そんな彼に葉月は告げる。
「大丈夫‼ 君よりわたしの方が強い! わたしならこの薔薇の足止めができる! だから君は行って‼」
「……ッ、」
「女王に謝るんでしょ⁉」
「──‼」
彼女の言葉がシロウサギを揺り動かした。
シロウサギは方向転換して大きく跳び上がる。向かうは城の方角。
「ハヅキ! 恩に着ます‼」
「おう!」
彼の後ろ姿を見送って、葉月は満足そうに返事をする。
「そうはさせるもんですか‼」
薔薇がシロウサギを止めるべく彼に向かって茨を奔らせる。
しかしその行動を予測していた葉月は手中に現わした風見で力任せに茨を叩き落とした。
「な……っ」
遠く小さくなっていくシロウサギの後ろ姿。
彼を守るように薔薇の前に立ちふさがる葉月は不敵に笑った。
「させないよ?」
薔薇の茨に覆われた城。
シロウサギは壁に巻きついた茨と茨の隙間から見えた窓に向かって勢いよく蹴り入れた。
ガラスが砕け散るかん高い音が響き、窓の破片が舞い散る中を彼は飛び込み、城の中への侵入に成功する。
城の中の構造は分かっている。シロウサギは迷いなく廊下を走り進んだ。
城内を守る兵士が一人もいない。恐らく外を薔薇の茨で覆っている為内側の守りは必要ないと判断したのだろう。
(女王……僕は貴女に伝えたい事があるんだ)
玉座の間へ続く荘厳な扉を半ば体当たりする勢いで押し開き、シロウサギは叫んだ。
「女王様‼」
玉座には一人の少女が座っている。
くるりとした碧い瞳がやって来た男を驚いたように見つめる。
「シオン?」
まるで本物かどうか確かめるかのように、不安そうな声がその場に響いた。
「そうです、“シロウサギ”のシオンです。女王様、僕は貴女に──」
「出てって‼」
彼女は金切り声で叫んだ。シロウサギが本物だと分かり、顔が強張っている。
「この国から出てってよ‼ 貴方なんかいらないんだから‼」
その言葉はシロウサギの心をひたすらに刺すようだった。むき出しの敵意が声に宿っているのが分かる。
途端、シロウサギの背後にトランプの兵隊達が集団で現れる。女王が召喚したのだ。
彼等は一様に叫ぶ。「シロウサギを排除せよ‼」「シロウサギを排除せよ‼」
「かかれ‼」
その声を皮切りに、一斉にトランプの兵隊達がシロウサギに向かって襲いかかった。
彼等を静かに見返していたシロウサギは、すうと息を吸う。
そして“歌”を歌い始めた。
《からからから くるくるくる》
《手札の兵よ 女王の騎士よ 深い眠りにつきたまえ》
《次に目覚めたその時に》
《優しい心と出会えるように》
三月ウサギの歌が意思なき命に意思を与えるのに対し、シロウサギの歌には意思ある物から意思を奪う力がある。
なるべくなら使いたくなかったが──苦渋の決断で彼は己の力を行使する。
深いバリトンの歌声が玉座の間に響き渡り、トランプの兵隊達はぴたりと動きを止め、直後にただの意思なきトランプとなって床に舞い落ちた。
それを見届けてからシロウサギは玉座へと向き直る。
「女王様、僕の話を──」
「嫌‼ 嫌よ‼ だって貴方はわたしがいらないんでしょ⁉ 嫌いなんでしょ、わたしの事が‼」
女王はその可憐な顔を苦痛に歪めて言葉を吐き出す。
「だったらわたしだっていらない‼ 貴方なんていらな」
「女王様‼」
シロウサギは彼女の声を遮るように大きな声を出した。女王はびくっと震えて、おびえたように押し黙る。
そんな彼女に、シロウサギは言う。
「違うんです、僕は貴女がいつか力を使い果たして消えてしまうんじゃないかって、ずっと不安で、……怖くて……‼」
その言葉を聞いた女王が息を呑んだ。
彼女をひたと見つめながら、シロウサギは自分の気持ちを伝える。
「貴女は女王を辞めていい。けどそれはこの国にいらないって意味じゃない。僕は貴女に普通の女の子として、ずっとそばにいて欲しい」
シロウサギのシオンは、必死の思いで言葉を紡ぐ。ずっとずっと想っていた事を。
「僕は貴女が大好きなんです。女王──いや、アリス‼」
玉座に座っていた少女の頬を一筋の涙が伝った。
“女王”──アリスはシロウサギの名を呼んで玉座から飛び降りた。
シロウサギはそんな彼女の体を抱き止める。
「ごめんなさい……‼ ごめ、ごめんなさい、わたし……ッ‼」
アリスは泣きながら彼に謝り続ける。
「ううん、僕が悪かったんだ。君を傷付けてしまって、ごめん」
彼女を抱きしめながら、シロウサギもまた謝る。
かけられる優しい言葉に、アリスは涙が止まらなくなって、シロウサギの腕の中で声を上げて泣いた。
──“女王”の力の影響を受けていた不思議の国の住人達は、その時はたと目が覚めたかのように顔つきを変えた。
ぽろぽろとこぼれる己の涙に、帽子屋が息を呑む。
巨大なフォークを手放して、力なく地に膝をついた。
「陛下が泣いている……私は一体……今まで何を?」
そんな自分の主の様子を見ていた三月ウサギは、ほうとため息を吐いた。
(女王の暴走が止んだのか……シロウサギ……)
後方で巨人が勢いよく倒れたかのようなすさまじい音が響く。三月ウサギが振り返ればあの異邦人の少女が自分が目覚めさせた薔薇と互いに猛攻を繰り広げていた。
(ただ、女王の力の影響を受けない僕が意思を与えたあの薔薇もまた、女王の力の影響を受けない。僕にはもう、あの薔薇は止められない)
異邦人の少女は遠目にも傷だらけで、これ以上戦う力など残っているのか疑問だったが、その双眸には未だに負けん気のような強さが宿っていた。
三月ウサギは思う。
(どうする、異邦人の子どもよ)
「薔薇さん、女王はうさぎさんを許してくれたみたいだよ」
不思議の国を覆っていた強い力から怒りの感情が消えた事を感じ取った葉月は薔薇に向けてそう言った。
「もうそろそろ、やめない?」
そう聞いた。これ以上は不要な戦いだと。
だが薔薇は、
「──はあ?」
と低い声で言った。
巨大な花冠の部分をぬうっと葉月に近付けて、
「そんな事私にはカンケーないのよ‼ まずあんたを殺す‼ 次にシロウサギを殺す‼」
荒れ狂う豪風のように声を荒げる。
「そして女王を殺すの」
最後の言葉はうっとりとした声音になった。
それを聞いた葉月は表情が完全に抜け落ちた顔になったが、そんな事など気にせず薔薇は活き活きと語り続ける。
「そして私がこの国の女王になるの‼ オーホッホッホ‼」
「……そっか」
かん高い笑い声を森中に響かせる薔薇に、異邦人の少女はうつむいてぼそりと言った。
「じゃあ仕方ないね」
彼女は己が武器である風見を静かに構える。
それは今までの正眼の構えとは異なる構えだった。右手では低い位置に構え、左手では高い位置に構える。自然、彼女の体の向きもそれに応じて左足を前に置いて右足を後ろへ下げた状態で薔薇に対して斜めに向き合う事になる。
「……何?」
少女のまとう空気が明らかに変わった事に薔薇もようやく気付いた。
風見の先端から超音波のようなかすかな音が響き出し、それに伴って魔力がその一点に集まっていく。
「何⁉ 何するつもり⁉」
薔薇は一気に湧き上がった恐怖のあまり叫び、同時に巨大な茨を一気に十本少女のもとへ奔らせた。彼女が何かする前に叩き潰す為に。
しかし葉月の方が早かった。
「鎌風」
そう呟いて一気に風見を大きく振り抜けば、その先端に集まっていた膨大な魔力が真っ直ぐに飛んでいく。
それはかまいたちの形をしていた。
迫り来る十本の茨を一瞬で全て斬り落とし、それでもなおその風は止まらない。
無音のまま薔薇の花冠の部分をぶつりと鎌のように斬り落とした。
「え、」
それが薔薇の最期の言葉。
彼女は自分の身に何が起きたのか分からないまま、命を落とした。──否、奪われた。
色鮮やかな薔薇の花冠はぱさりとあっけなく地面に落ちる。
森中にひしめいていた巨大な蛇の如き茨の数々も力を失い、しおれていく。
そんな薔薇を見届けた葉月の眼差しはただ、虚ろだった。
しばらく葉月はぼうっと薔薇の亡骸を見つめていたが、その気配にはっと我に返った。
“この国でいちばん強い力を持つ者”の気配。葉月はその姿を一目見て瞠目する。
アリスとシロウサギは城の扉を開けて二人並んで出てきた所だった。
帽子屋はアリスを見て「陛下!」と安堵に顔を輝かせる。その隣にいる三月ウサギもほっとしたように微笑んでいる。
「ごめんなさい……皆を巻き込んでしまって……」
アリスは申し訳なさそうにうつむいてそう言った。
葉月はその姿を遠目に見て、
「……違う。光じゃない」
と悲しそうな顔で呟いた。
そんな事はつゆ知らず、シロウサギはアリスに明るく語りかける。
「アリス、今回僕がここまで来れたのは助けてくれた人がいたからなんだ!」
「まあ……」
「紹介するよ! ハヅキ!」
シロウサギは城の周囲を見渡す。
そこにあるのは巨大な薔薇の亡骸ばかりで、異邦人の少女の姿は跡形もなかった。
「……ハヅキ……?」
「おーいハヅキー?」とシロウサギが自分を呼ぶ声がする。
だけどもう彼には女王がいる。自分はもう要らない。
だからその声に応える事もない。
葉月は城から離れたとある大きな樹の枝の上に座って、隣にいるチェシャ猫を見上げた。
「さっきは助けてくれてありがとう、猫さん」
「にゃん」
チェシャ猫は満足そうに笑った。
「アリスがシロウサギに会いたそうだったからね」
そう言って彼はゆうらりとふわふわのしっぽを揺らす。
「そういうキミは何故女王に会いたかったんだい? シロウサギを助けてまで」
その問いに葉月は迷わなかった。
「わたしの弟が強い力を持っているから」
彼女はそう言ってこの世界のどこか嘘っぽい空を仰ぐ。
「別の世界に行く事で、弟は姿かたちが変わってるかもしれないんだ。女性になってるかもしれないし、お年寄りになってるかもしれない。あるいは、人間ではないのかもしれない」
「だからキミは“強い力を持った女王”に会いに来たのだね」
「そう。でも……あの女王は、違った」
そこで葉月はちょっと黙って、じっとチェシャ猫を見つめた。
「?」
チェシャ猫はニヤニヤ顔のまま不思議そうな目をした。
葉月はそんな彼に言う。
「君も、強い力を持っているね。女王の力の影響を受けない程の。──女王以上の力を」
その言葉に、チェシャ猫はちょっと首を傾げる。
「ワタシはキミの弟ではないよ」
「うん、知ってる」
葉月はあははと明るく笑った。
「あの子じゃなくて、君が王様になれば良かったんじゃない?」
「それでも良かったけど、アリスがここにいたそうだったからね」
「……なるほど? “ここにいられる理由”をあの子にあげたのね」
「そうさ」
チェシャ猫はにんまりと笑みを深くした。
「……でも、その理由も、もう必要ないみたいだ」
「そうだね」
二人は遠目に見えるシロウサギとアリスを視界に映す。
葉月を探してきょろきょろしているシロウサギの事を、アリスは微笑んで見つめている。
「……よかったね、うさぎさん」
葉月はそう言って微笑んだ。
「さて、わたしはもう行かなくちゃ」
「そうか」
枝の上にすっくと立ち上がった少女を、チェシャ猫はあたたかい目で見つめる。
「旅人よ、ありがとう。さらばだ」
「うん。さようなら」
葉月はチェシャ猫に別れを告げて、すぐさま宙へと高く跳び上がった。
光は不思議の国にはいなかったから、また次の世界へと彼を捜しに行くのだ。
彼女の冒険はこれからも続いていく。大切な家族に謝るために。
もしかしたら彼は帰りたくないと言うのかもしれない。その時はその時だ。
自分はただ、彼に謝りたい。例え許してもらえなくても。
そして、元気にしているか分かれば、自分はそれでいい。
その為にこれからも命をかけて旅を続けるのだ。
彼とまた会える、その時まで。
おわり