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「オヤジと映画と犬」見学したいという子役は見えない 第一部 完


     声をかけられ、男は驚いた。
     「南原か、久しぶりだな」
     驚いた、一ヶ月、いや、それ以上、顔を見ていなかった。
     具合でも悪かったのかと少し心配したぐらいだ。
     「最近、顔を全然、見なかったから、どうした」
     「スマホも繋がらなかったでしょう」
     南原は篠田よりは若い、電源を切っていたと笑った。
     「スマホが繋がっていると余計な情報が入ってくる。海外に行ってたんです」
     それならスマホは必要ではないかと篠田は驚いた。
     「食事とかホテルは先に決めてました。普段、自分が、どんなに甘えていたか改めて身にしみました」
     「そうか、元気そうで安心した」
     「篠田さん、今、ドラマの撮影をしているんですよね」
     篠田の表情が変わった。
     「見学させてくれませんか」
     予想もしない言葉だ。
     「子役が出ていますよね」
     頷く篠田に南原は言葉を続けた。
     「十五の女の子です。今度、出る舞台、いや、映画だったかな。参考になるかもしれないと」
     「参考だと」
     「相手役が日本人の男性、彼女はフランス人です」
     「見学ぐらい構わないが。それだけか。もしかして、ドラマに出してくれとか」
     南原は笑った。
     「監督がかなりクセのある人らしくて」
     篠田は興味が湧いた。
     「犯罪者の部下、難しい役みたいですね」
     篠田は頭の中では別のことを考えていた。
     十五歳の少女が、恋愛でも青春でもなく、犯罪者の部下を演じる。
     しかも、日本人の男を相手にする、日本の現場を見たいと言っている。
     「篠田さん、その子」
     南原もの言葉が止まった。
     「生まれつき、見えない」
     篠田は、すぐには言葉がでない。
     「会話の間のとり方、台詞のタイミング、日本人の大人とやりとり、どう見える、受け止められる。肌で知りたいと」
     「日本語は、できるのか」
     「最低限の会話は、ただ、監督が勉強するなと釘をさしたそうです」
     どういうことだ、篠田は言葉が出ない。
     「会話で通じるシーンや場面を撮りたいんじゃないと」
     篠田は言葉を失った。
     南原は続けた。
     「相手が何を言っているのか、理解できない。その男に近づいていいのか、危険なのか、嘘をついているのかを判断する。そういう場面があるそうです」
     篠田は理解し始めた。
     日本語を覚えさせないのは、不親切だからではない。
     演技を楽にするためでもない。
     台詞の意味に頼れない。相手の表情も見えない。言葉で確認することもできない。その状態で、声の揺れ、沈黙の長さ、足音、近づいてくる気配だけを拾わせる。
     十五歳の少女に、それを求めるのか。
     日本の現場ならどうだろう。
     「実は敵対するグループとの絡みがあります。警察相手で、部下に自分より年上の少年が出ますが」
     南原は言葉を一度切った。
     「聞こえない、見えない、生まれつき」
     おい、それで、どうやって、篠田はいいかけた。
     だが、南原の表情は冗談を言っている顔ではない。
     どうやって演技するのか、言いかけて飲み込んだ。
     自分が、少年、いや、少女のことも、役者として見ていないことになる。
     相手を見てもいないのに、決めつけている。
     これは良くない。
     「監督も周りも、障害がある人間なんて目で見ていません」
    返事ができない。
     「彼女、野々原という役者が目標らしいんです」
     野々原、思い出そうとした瞬間、はっとした。
     「化物か、何故」
     南原は驚いたようだ。
     「海外ではそう呼ばれているみたいですね。少年ですが。彼は光石が目標らしいです」
     篠田は言葉を飲み込んだ。
     怪物に化物、二人の名前が出たことに驚いた。
     「二人とも、子供の頃から舞台に立っていたみたいです。ただ、決定的なのは光石と野々原の舞台を見たからだと」
     舞台を観た?どういうことだ。
    「海外では、障害があっても舞台に触れられるサポートがあるみたいです。チャリティや特別な案内がつく舞台公演です」
     「特別な案内?」
     「舞台上で何が起きているかを、音声や触覚、事前説明で伝える。人によって方法は違うみたいですが」
     舞台を観る。
     自分は、その言葉を狭く考えていたのかもしれない。
     客席に座り、目で役者を見る、耳で台詞を聞く。
     照明を見て、表情を見て、間を感じる。
    それが観劇だと思っていた。
     だが、目で見るだけが観ることなのか。
     耳で聞くだけが感じることなのか。

     床を踏む音。
     空気の動き。
     観客が息を呑む気配。
     隣にいる人間の肩が強張る瞬間。
     舞台の上で誰かが立ち上がった時に、劇場全体がわずかに変わる感覚。
     だから舞台を感じる、観ることができるのかと篠田は思った。
     このとき、南原の表情に気づいた。 
     「聞いてもいいか、おまえ、二人の演技を観たのか?」
     南原は、すぐには返事をしない。
     だが、わかってしまった。
     「若い役者って、どうしても自分が出る。見てほしい。どう映るか気になる。うまく見えたい。でも、あの二人は違う」
     南原は続けた。
     「見えないのに、相手を探しているように見えない」
     「それは演出か」
     「それはあると思います。でも、演出だけではないと思います」
     南原の声が低くなった。
     「芝居なのか、演じているのか。曖昧に見えてしまう」
     戸惑っているような声だ。
     だが、役者にとって一番厄介な褒め言葉ではないかと篠田は思った。
     「少年の方は」
     篠田が促すと、南原の表情がさらに変わった。
     「彼は、もっと変です。相手が動く前に反応しているように見えるんです」
     「動く前に?」
     「気配、床の振動、空気かもしれません」
     南原は怖いと呟いた。
     「彼には見えていないはずなのに」
     それは障害の有無で説明できるものではない。
     舞台に立つ人間の圧だと思った。
     「……光石と野々原を目標にするだけはある、ということか」
     篠田が言うと、南原は首を横に振った。
     「逆かもしれません。あの二人を観たから、そうなったんじゃないかと」
     南原は静かに言った。
     「目や耳だけじゃなくて、身体で観た、だから」
     篠田は言葉が出ない。
     光石の芝居は、台詞だけではない。
     野々原の芝居も、表情だけではない。
     存在の重さ、間の深さ、目が見えなくても、耳が聞こえなくても、感じ取れるものがあるのかもしれない。
     
    その日、スタジオの隅に椅子が置かれた。
     子役だけではない、他の役者たちも不思議そうな顔で見ている。
     篠田は見学という子説明だけで詳しい説明はしなかった。
     南原が特別に配慮は必要ないといったからだ。
     外国人の少女が椅子に座ると付き添いできた男性は、その場を離れた。
     良いのかと篠田は思わず声をかけた。
     すると、男は首を振った。
     「撮影が始まれば彼女は集中する。私は邪魔だ」
     男の言葉に篠田は頷いた。
     もしかして、彼女が見えない部分、補助などをするのかと思った。
     予想もしない言葉だ。
     「彼女を、障害のある人間として見ないでください」
     
     撮影が始まる、いつもと同じはずだった。
     照明が入り、カメラが回る。
     助監督の声が飛び、役者たちが立ち位置につく。
     何度も繰り返してきた現場の空気だ。
     だが、その日は少し違った。
     スタジオの隅に座る少女の存在を、誰もが意識していた。
     子役だけではない。
     若い俳優も、ベテランも、スタッフでさえ、どこかで気にしている。

     誰も露骨には見ない。
     だが、自分の出番が終わると、視線が一瞬だけそちらへ流れる。
    薄いサングラスをかけているので少女の表情は読めない、見えない。
     だが、篠田は気になった。
     篠田は、南原の言葉を思い出した。
     ――集中している時が、怖いんです。
     ――頭の中で台詞の間、相手の呼吸。そういうものを観て感じているんだと思います。
     日本語は最低限の会話しかわからない。
     台詞の意味を理解しているわけではない。
     南原は、さらに妙なことを言った。
     ――あのシーンで、その台詞は違う気がする、と監督に。
     言葉がわからないのに、台詞が違うと感じる。
     そんなことがあるのか。
     台詞を聞いているのではない、場面を聞いている。
     声の抑揚、周りの気配を感じているのか。
     その違和感を観ている、聞いている?
     
     「カット」
     篠田が声をかけると、現場の空気が一度ほどけた。
     若い役者が息を吐く。
     子役の一人が、緊張を隠すように笑った。
     その瞬間、少女の顔がわずかに動いた。

     撮影が終わると、付き添いの男が少女に近づいた。
     少女の前で足を止め、声をかける。
     薄いサングラスをかけているため、表情は読めない。
     ただ、顔をわずかに上げて、男の声を聞いている。
     男は一度、こちらを見た。
     篠田は何か言われるのだとわかった。
     

     撮影が終わり、少女が帰って言った後、篠田は一人で考え込んでいた。
     「篠田さん」
     声を書けられて、はっとした。
     「南原か、どうした」
     「いや、気になって、彼女どうでした」
     それを聞くのかと思いながらも篠田はぽつりと一言。
     怖かったと呟いた。
     「ただ静かに聞いているだけに見えた」
     南原の表情が変わった。
     「何か言われたんですか」
     「台詞の返しが早すぎると思った。間が早いきがする、日本では普通かと」
     篠田は息を吐いた。
     「相手の言葉が終わる、その前に自分の台詞を用意しているように聞こえたらしい。間だ。台詞のやりとり、かけあい」
     篠田は南原を見た。
     「驚かないんだな」
     「いや、ただ、何か感じることはあるかもと思いました」
     南原は少し考えた。
     「台本を丸暗記しているからでしょうね」
    「台詞を覚えるのは悪いことじゃない」
     篠田は自分に言い聞かせるように言った。
     「覚えてこない方が問題だ。だが、それだけなら」
     言葉が出ない、いや、違うと思った。
     「俺は台詞を覚えてこいとは言った。だが、それだけでは」
     南原は答えない、篠田もだ、答えを求めていない。
     「覚えすぎているのかもしれません」
     南原は静かに言った。
     「覚えているから、相手の言葉を聞くより先に、自分の言葉が見えているんでしょう」
     「直さないと、癖になる」
     言いながら、遅いのかもしれないと篠田は思った。
     だが、完全にではない。
     それを許してきた現場、自分にも責任がある。
     南原は無言だ、それがが篠田にはありがたかった。
     下手に慰められたら、余計に腹が立っていたからだ。

    #創作大賞2026 #エンタメ原作部門

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