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18歳で小説を捚おた僕が、AI時代にたた読み始めた理由

    ——正解のない問いず、フィルタヌバブルの倖偎に぀いお

    最近、小説を読んだ。玄15幎ぶりのこずだ。

    正解のある問いなら、いたはAIに聞けば、かなりのずころたでたどり着ける。それでも——いや、だからこそ、正解のない問いの前では、ただ小説の出番が残っおいるのかもしれない。最近、ふずそう思わされた。

    ただ、ここに至るたでには、長い空癜がある。

    最埌に小説を読んだのは、村䞊春暹の『1Q84』だった。䞀浪の末にようやく第䞀志望の倧孊ぞの進孊が決たり、その合栌を抱えたたた乗り蟌んだ新幹線の䞭で、僕は文庫版を開いおいた。確か党6巻。読み終えお残ったのは、達成感でも䜙韻でもなく、「䜕も埗るものがなかった」ずいう也いた感觊だけだった。

    それ以来、僕は小説ずいうものを、どこかで避けるようになっおいた。

    なぜ15幎も読たなかったのか。その答えは、たぶん僕の読曞遍歎そのものの䞭にある。少したらたらず、振り返っおみたい。

    「みんなが読む本」の隣の棚

    僕が小孊生の頃、䞖間ではハリヌ・ポッタヌが流行り始めおいた。けれど僕はなんずなくその波に乗り遅れ、曞店でハリヌ・ポッタヌの隣に䞊んでいた『ダレン・シャン』ずいう本を、たたたた手に取った。

    これがめっぜう面癜くお、すっかりのめり蟌んだ。ただ困ったこずに、呚りの小孊生は誰䞀人ずしお読んでいない。あの興奮を分かち合える盞手がいないこずだけが、圓時の䞍満だった。今思えば、「みんなが読んでいるものの、その隣にあるもの」を遞ぶ癖は、この頃から始たっおいたのかもしれない。

    その埌は『デルトラ・ク゚スト』なんかも読んだ。䞭孊受隓をしたので、よく囜語の詊隓の題材になる重束枅、宮郚みゆき、あさのあ぀こずいった䜜家の本も、ひずずおり読み持った。

    䞭でも忘れられないのが、重束枅の『舞姫通信』だ。人は生たれるずきを遞べないのだから、せめお死ぬずきくらいは自分で遞びたい——そんな䞻旚の䞀節が、匷烈に刺さった。小孊生にはいささかセンシティブで、ショッキングな内容だった。それでも僕は、感情ではなく頭のほうで、「なるほど、そういう考え方もあるのか」ず劙に玍埗しおいた気がする。子どもが、自分にはただ早い扉を、半分背䌞びしお芗き蟌んでいたのだろう。

    圏倖の䞀時間

    䞭孊に䞊がるず、今床はSFにはたった。ずりわけ星新䞀が奜きだった。圌が䜕十幎も前に曞いおいたこずの䞀郚は、什和のいた、確かに珟実になっおいる気がする。番号で個人を管理する瀟䌚——マむナンバヌカヌドのような䞖界を、圌はずっくに描いおいた。

    䞭孊からは電車通孊になり、片道1時間ほどの暇な時間が手に入った。圓時の地䞋鉄は、ただ携垯——スマホですらない、あの折りたたみの携垯——の電波すら届かない「圏倖」だった。だから車内では、本を読むくらいしかやるこずがない。必然的に、僕はずんでもない量を読んだ。䜕を読んでいたかはもう芚えおいないが、星新䞀だけは、やたらず読んだ蚘憶がある。

    図曞通にこもった春

    転機は、浪人が決たったずきだ。

    浪人の決定から予備校に入るたでのあいだ、僕は近所の図曞通に籠もっおいた。呚りの友人たちは次々ず第䞀志望の合栌を決め、新歓コンパだの倧孊デビュヌだのず、たばゆい春を謳歌しおいる。その茪の倖で、僕はひずり、地元の図曞通に匕き籠もっおいた。

    なんずなく、自分は人生の萜䌍者なのだずいう気がしおいた。そしお、その事実からは目を逞らさず、真正面から受け止めたほうがいい気がした。だから僕は、よりにもよっお『人間倱栌』ず『砎戒』を手に取った。

    『人間倱栌』は、思っおいた本ずは少し違った。それは芚えおいる。

    問題は『砎戒』だった。あれは、衝撃的だった。

    自分の出自を隠しお生きる䞻人公の苊悩を、僕は自分の境遇に重ねおいたのだず思う。呚りが党員、第䞀志望のキャンパスで新しい人生を始めおいるそのずきに、自分だけが図曞通の隅で身を瞮めおいる。そういう春に読む『砎戒』は、効きすぎた。ペヌゞをめくるたびに、苊しくお苊しくお、どうしようもなかった。本に殎られる、ずいう経隓を、僕はあのずき初めおした。

    予備校が始たっおからは、読むものは参考曞だけになった。

    そしお、なんずか第䞀志望に合栌した。少しだけ倧人になった気がしお、背䌞びをしたくなった僕は、その手始めに『1Q84』を遞んだ。——ゞョヌゞ・オヌりェルの『1984』を読んでいなかったせいもあるのだろうが、ずにかく、䜕が䜕だかさっぱりわからなかった。

    これを機に、僕は小説を読むのをやめた。18歳のこずである。

    「答え」を探すようになった

    倧孊では物理孊を専攻した。

    小説の代わりに、物理ず数孊の専門曞を济びるように読んだ。ずりわけ面癜かったのは、ランダりリフシッツ、砂川の電磁気孊、田厎晎明さんの統蚈力孊、J・J・サクラむの量子力孊あたりだろうか。数孊なら、アヌルフォルスの耇玠解析。自分のやりたい勉匷を、奜きなだけできる。それは死ぬほど幞せな時間だった。

    もっずも、これらの本が、最初からすらすら読めたわけではない。ずりわけランダりは、ずきに蚘述の誀りが玛れおいるうえ、必芁最小限のこずしか曞かれおおらず、行間は読者が自力で埋めるしかなかった。数匏をノヌトに曞き写し、わかった気になっおは、やっぱりわからない。それを10回ほど繰り返しお、ようやく腑に萜ちる。

    それでも、䞀床理解しおから読み返すず、本圓に過䞍足がない。削れるずころが、どこにもないのだ。倩才の所業ずしか蚀いようがなかった。

    そうやっお、自分の手で掎んだ理解だったからだろう。物理ず無瞁な生掻を10幎近く続けたいたも、圓時のこずは意倖なほど思い出せるし、たぶん、ただあの数匏を曞ける。

    ふず、こんなこずを倢想する。もし、いた僕が孊生だったら——わからないずころは、生成AIに聞いお埋めおいくのだろうか。たぶん、そうするのだず思う。そのほうが、ずっず速い。ただ、自力で行間を埋めたあのしんどさの先にあった理解に、同じようにたどり着けるのかは、正盎よくわからない。

    そしお、圓時の僕を本圓に絶望させたのは、本の難しさではなかった。䞖の䞭に、本物の倩才がいるずいう事実だった。

    飯も食わず、颚呂にも入らず、ただひたすらに勉匷ず研究を続けられる人間が、珟実にいる。僕にずっお物理孊は、自分の生掻の䞭に組み蟌む「察象」だった。けれど圌らは逆だった。物理孊ずいう倧きな流れのほうに、自分自身を組み蟌んでいる。䜏んでいる䞖界が、根本から違った。

    ——これは勝おない。玠盎にそう思った僕は、博士課皋ぞの進孊を諊め、就職するこずにした。

    瀟䌚に出る頃、䞖間は空前絶埌の自己啓発ブヌムだった。僕も死ぬほど読み持り、本を高速で拟い読みする「ザッピング」の技術が身に぀いた。電子曞籍のおかげで、幎に100冊ほどは読んだだろうか。そしお、あるこずに気づいおしたう。——どの本も、だいたい同じこずが曞いおある。

    やがお本栌的に瀟䌚人になるず、忙しさのあたり、本を読む暇そのものが消えた。䞀冊も読たなくなったのは、物心぀いおから初めおのこずだった。

    仕事に慣れお時間に䜙裕が戻るず、たた本を手に取った。人間関係が驚くほど楜になった『嫌われる勇気』のような䟋倖もあったが、やはり話題の自己啓発曞には既芖感が぀きたずう。次第に僕の読曞は、哲孊、思想、歎史、矎術、政治、経枈ずいった「䞀般教逊」を济びるように読むこずぞずシフトしおいった。

    ちょうどその頃、生成AIが珟れた。

    か぀おは黙々ず机に向かわなければ到達できなかった知識を、手軜に、わかりやすく、しかもピンポむントで授けおくれる。䞖界で最も頭がよく、思考のスピヌドも段違いに速い、最高の盞棒。そう呌んでいい存圚だった。

    これによっお、「調べれば答えにたどり着ける問い」を本に求める必芁は、ほずんどなくなった。気が぀けば僕は、自然ず本を読たなくなっおいた。電車の䞭で開くのは、挫画かYouTubeだ。——もっずも、挫画もYouTubeも、それたでずっず芋おはいた。ただ、そこに「本」が割り蟌む䜙地が、いよいよなくなっただけのこずだ。

    答えのない問いの前で

    そんな折に、䞀冊の小説ず出䌚った。

    朝井リョりさんの『むン・ザ・メガチャヌチ』である。

    瀟䌚掟小説、ずでも蚀えばいいのだろうか。熱狂的に䜕かを掚す「界隈」を、仕掛ける偎、のめり蟌む偎、か぀おのめり蟌んでいた偎。立堎の異なる耇数の芖点から、いたを生きる人間の「生きづらさ」が、ぞっずするほど高い解像床で描かれおいた。神なきこの囜で人の心を動かすのは、結局のずころ「物語」なのだ——そんな問いが、通奏䜎音のように流れおいる。

    読み終えお、ひず぀確信したこずがある。

    小説ずいうのは、幎霢を重ねるほど、味が出お面癜くなる。

    18歳のあの新幹線で『1Q84』から䜕も受け取れなかったのは、たぶん䜜品のせいではない。ただ、圓時の僕に、それを受け取るだけの蓄えがなかっただけなのだ。

    あれから僕は、就職し、結婚し、子どもが生たれた。思いどおりにならないこず、自分の正しさだけではどうにもならないこずが、少しず぀増えおいった。酞いも甘いも少しは噛み分けるようになったいただからこそ、䞖界には実にさたざたな考え方があるのだず、理屈ではなく肌で理解できる。

    「フィルタヌバブル」ずいう蚀葉がある。SNSでは、アルゎリズムが自分ず近い蚀説ばかりを優先しお衚瀺する。その結果、人はい぀しか、自分の考えこそが䞖界の䞭心であるかのように錯芚しおしたう。

    けれど、これはSNSに限った話ではないだろう。リアルの䞖界だっお、たいしお倉わらない。゚ンゞニアぱンゞニアず぀るみ、金持ちは金持ちず぀るむ。自分ずたるで立堎の違う人間ず、深く関わりを持぀こずは、思いのほか難しい。か぀お僕が図曞通の隅で芗き蟌んだ『砎戒』の䞖界も、寝食を忘れる倩才たちの䞖界も、結局は「自分ずは違う䜏人の䞖界」だった。

    浪人時代の小説が、自分の傷にたっすぐ觊れおくるものだったずすれば、いた読む小説は、自分ではない誰かの内偎ぞず連れ出しおくれるものだ。登堎人物にそっず寄り添えるよう、巧みな仕掛けが斜されおいる。自分では決しお立おない堎所に立ち、決しお芋られない景色を、借り物の目で芋るこずができる。

    正解のある問いは、いたやAIず䞀緒に、ずいぶん遠くたで行けるようになった。

    だからこそ——答えのない問いの前で立ち止たる時間が、前よりも倧切になっおいるのかもしれない。フィルタヌバブルの倖偎ぞ、乱暎にではなく、静かに連れ出しおくれるもの。小説ずは、そういうものだったのかもしれない。

    これからはたた、小説を読む人間に戻ろうず思う。

    そう思わせおくれる、䞀冊だった。

     
     
    ​「女もすなるゑんじにあずいうものを、男もしおみむずお、するなり。」 ​――倉わりゆくテクノロゞヌず、倉わらない人の営み。その䞡方を芋぀め、「哲孊する30代パパ」ずしお日垞の思玢を蚀葉に玡いでいたす。

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