
第三十話|静観
6月9日 現在時刻 14:08
研究室。
窓から差し込む午後の日差しが、白い机を照らしていた。
教授は学生たちの解析結果へ目を通している。
「じゃあ、B。」
教授が資料を置いた。
「この結果、どう考える?」
Bはモニターへ目を向けた。
一秒も経たなかった。
B「サンプル数四百八十二件です。」
B「有意差があります。」
B「現時点では、仮説Bを支持するのが妥当だと思います。」
教授は頷いた。
「理由は?」
B「他の可能性もあります。」
B「ですが、現時点では考慮する必要はないと思います。」
迷いのない返答だった。
教授は一瞬だけ目を見開いた。
「……その通り。」
「今日は調子がいいな。」
教授は静かに笑う。
研究室の空気が少し和らぐ。
E「すげぇ。」
「早ぇ……。」
誰かが小さく呟く。
Bは照れることもなく、
B「ありがとうございます。」
とだけ答えた。
Aは思わずBを見た。
照れると思っていた。
◇
休憩時間。
研究室には雑談が戻っていた。
E「最近のB、本当にすごいよな。」
D「前ならもっと悩んでから答えてたような……。」
少しだけ首を傾げる。
それでも。
誰もその違和感を口にはしなかった。
E「教授より考えるの早いんじゃね?」
笑いが起こる。
Bも笑った。
B「そんなことないよ。」
柔らかい笑顔だった。
以前よりも自然で。
以前よりも穏やかな笑顔だった。
誰もが。
良い変化だと思っていた。
Aだけが。
そう思えなかった。
教授の問いを思い返す。
「理由は?」
以前のBなら。
『あるとは思います。』
『でも……。』
『まだ分からないです。』
そう言って。
頭を掻きながら笑う男だった。
慎重だった。
迷っていた。
だからこそ。
人間らしかった。
今のBは違う。
正しい。
速い。
無駄がない。
何も間違っていない。
だからこそ。
胸の奥が落ち着かなかった。
ふと。
昼休みの言葉が蘇る。
「充実してるのが悪いことか?」
悪いことじゃない……。
そう。
悪いことじゃない。
それなのに。
AはBから目を逸らせなかった。
◇
【LOGIC CORE】
対象者-B
思考最適化 完了
判断速度 向上
整合性 99.82%
異常なし
◇
窓の外では。
学生たちが笑っていた。
風が木々を揺らす。
太陽は眩しい。
大学は。
いつも通りだった。
Bも笑っていた。
以前よりも。
ずっと幸せそうに。
Aだけが。
その笑顔を見つめたまま、
何も言えなかった。