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悲劇をめぐっお(䞉島由玀倫・シェむクスピア・志賀盎哉) [2026.2.21改蚂占領䞋の抵抗(泚xxxxi)

    2026.1.24.版

    本論で指摘したように、志賀盎哉の幟぀かの䜜品(「濁぀た頭」「クロヌディアスの日蚘」など)に珟れた悲劇ず自衛隊駐屯地での自決ずいう䞉島由玀倫の壮絶な死は底流で繋がっおいるず、私は考えおいる。

    䞉島由玀倫は「日本文化の深淵に぀いお」の䞭でこう述べおいる

    䞀民族の文化のも぀ずも粟劙なものは、おそらくも぀ずもおぞたしいものず固く結び぀いおゐるのである。゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇がそうであるやうに。日本はその足早な、無理な近代化の歩みず共に、い぀も月のやうに、その片面だけを西欧に察しお瀺さうず努力しお来たのであ぀た。そしお日本の近代化ほど、光ず圱を等分に包含した文化の党䜓性をい぀も犠牲に䟛しおきた時代はなかった。私の四十幎の䞭でも、前半の二十幎は、軍囜䞻矩の䞋で、䞍自然なピュヌリタニズムが文化を統制し、戊埌の二十幎は、平和䞻矩の䞋で、あらゆる歊士的なもの、激し易い日本のスペむン颚な魂が抑圧されお来たのである。そこではい぀も支配者偎の停善が倧衆䞀般にしみ蟌み、抑圧されたものは䜕ら突砎口を芋出さなか぀た。そしお、倱われた文化の党䜓性が、均衡をずりもどさうずするずきには、必ず非合理な、ほずんず狂的な事件が起こるのであった。

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    (v)
    そしお、そのような

    非合理な、ほずんず狂的な事件

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    の代衚的な䟋ずしお

    近代的兵営ぞ、日本刀だけで切り蟌んだ

    「日本文化の深淵に぀いお」1


    明治9(1876)幎の神颚連の乱を䞊げおいる。

    埌段で、䞉島は神颚連に぀いお

    そのような無謀な行動ず、圓然の敗北ずが、或る固有の粟神の存圚蚌明ずしお必芁だ、ずいふこず知っおゐたのである。

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    ず云っおいる。

    これは自衛隊に決起を呌びかけた埌に割腹自殺をした䞉島由玀倫の事件を圷圿ほうふ぀ずさせる。

    しかしそれだけではない。日本のこのような事件ず比する圢で䞉島があげた

    ゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    には、メアリヌ・スチュアヌトの凊刑1587幎に象城的される珟実の悲劇ず共に、゚リザベス1䞖の治䞖晩幎からゞェヌムズ1䞖の治䞖初期に曞かれたシェむクスピアの悲劇(「ハムレット」「オセロヌ」「リア王」「マクベス」)の事も同時に意味しおいるず思われるからである。

    たずは䞀般的な歎史的事実に基づき、ChatGPTの助けを借りながら、゚リザベス朝ず明治の政策ず事件を、それぞれの時代の始たりを元幎ずしお、幎号をふっお䞊べおみた。
    (゚リザベス朝1558幎 - 1603幎、明治1868幎-1912幎)

    画像

    倚くの日本人には銎染みの薄いず思われる、゚リザベス朝の事象の簡単な説明文を぀けるずこのようになりたす。(説明文はChatGPTによる)

    囜王至䞊法・瀌拝統䞀法1559
    女王を教䌚の最高暩嚁ずし、囜教䌚瀌拝を党囜に矩務化。
    北郚諞䟯の反乱1569
    カトリック貎族による倧芏暡反乱。
    教皇による砎門1570
    女王が砎門され、宗教察立が囜際政治化。
    カヌラむト倱脚1570頃
    長老制を䞻匵した急進改革掟が倧孊を远攟され、囜教䌚䜓制から排陀される。
    䞉十九箇条確定1571
    むングランド囜教䌚の公匏な教矩基準を確定。
    分離掟匟圧法1593
    囜教䌚からの分離や瀌拝拒吊を重眪化し、宗教的非同調を法的に抑圧。
    ゚セックス䌯の反乱1601
    女王偎近の有力貎族による反乱。

    2぀の時代を比范しおみお、正確に䞀臎するわけではもちろんないが、䌌おいるず、私は思う。

    どちらも宗教的なものが絡たった倧きな政治的な改革の埌、それに反発するもの達の反乱があり、それらの反乱を鎮圧しお、囜家の枠組みが出来䞊がっおいく䞭で、最終的には、察倖的な戊争の勝利を受けお、䞍穏な圱を露呈し぀぀も、囜家はある皋床の匷床をもった䜓制を確立しおいったず、そのように芋える。
    もちろんこのようなたずめ方は雑なものです。
    先の衚は、その事実や芏暡に぀いお議論が分かれるものはなるべく省いた簡略化されたものであるし、事実はもっず耇雑であるだろう。しかし倧きな枠組みの類䌌性は吊定できないだろうず思う。今回の目的にはそれで十分である。

    䞉島が先の文章で

    ゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇が

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    ず述べるだけに留たらず

    ピュヌリタニズム

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    スペむン颚

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    などずいう日本に぀いお語るのに䌌぀かわしくない蚀葉をあえお䜿っおいるのは、こう云った゚リザベス朝ず明治時代の類䌌性を喚起する為の仕掛けであるように、私には思われる。

    そしおシェむクスピアの悲劇(「ハムレット」「オセロヌ」「リア王」「マクベス」)が45幎続いた゚リザベス1䞖の治䞖(1558幎1603幎)ず続くゞェヌムズ1䞖の治䞖の境目に曞かれたように、志賀盎哉の䞀連の異様な䜜品(「濁぀た頭」「クロヌディアスの日蚘」「范の犯眪」「児を盗む話」)もたた明治44(1911)幎から倧正3(1914)幎ずいう時代の狭間はざたに出されたものであった。明治もたた45幎間である。
    志賀の䞀連の䜜品もシェむクスピアの悲劇も、囜家䜓制がひずたず確立した新しい時代の始たりであり぀぀も、叀い時代の軋蜢あ぀れきの残滓ざんしが未だ淀よどんでいた時期に䞖に出されたのである。
    志賀の䞀連の䜜品の䞀぀「クロヌディアスの日蚘」がシェむクスピアの「ハムレット」を元にしおいるのは、䜕ずも象城的であるず云える。

    シェむクスピアの悲劇が゚リザベス朝の珟実の悲劇ず切り離せないように、䞉島が神颚連の乱に象城させた日本の悲劇ず志賀の䞀連の䜜品もたた繋がるものもしお捉えるべきだろう。

    どちらも

    倱われた文化の党䜓性が、均衡をずりもどさうずするずき

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    の

    非合理な、ほずんず狂的な

    「日本文化の深淵に぀いお」1

    ものの珟れであるのだから。

    だずすれば、゚リザベス朝ずシェむクスピアの悲劇、および神颚連の乱のような日本の悲劇の䞡方を意識しおいた䞉島由玀倫の自決が、志賀の䞀連の䜜品ず通底しおいるのは、圓然のこずず云わねばならない。

    远蚘:2026.2.1

    䞊蚘の蚘事を曞いた時、゚リザベス朝ず明治が45幎なのず䞊んで䞉島由玀倫の生涯も45幎であり、それが昭和の幎号ずぎったり䞀臎するずいう事実を倱念しおいた。よく知っおいたにも関わらず、なぜか関連付けお考えるこずが出来なかった。

    しかも柄谷行人が「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」(1988幎)の䞭で明治ず昭和を䞊列で比范しお、その類䌌性を

    日本が近代囜家の䜓制を確立し、経枈的成長を遂げ、䞍平等条玄を改正し、西掋列匷に䞊ぶ囜家になっおいく過皋においおである。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    ず述べ、䞉島由玀倫の自決に぀いお

    われわれは䞉島の行動に2・26事件の叛乱の"再珟"を身がちであるが、むしろ明治四十五幎における乃朚将軍の殉死を想起すべきなのである。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    ず曞いおいるのである。

    私はこれを読んでいたはずだし、现かい内容はずもかく、柄谷行人が䞉島由玀倫の自決に぀いお、乃朚将軍の殉死を想起すべきだず述べおいたこずを芚えおいた。にも関わらず今回、これを自分の論に関連付ける事が䜕故か出来なかった。

    しかし柄谷のこの指摘は重芁で、無芖できるものではない。

    先に゚リザベス朝ず明治を䞊列で比范した衚を瀺したが、柄谷の指摘を螏たえるならば、それず䞊んで2぀の衚を参照しなければならないだろう。

    䞀぀は明治ず昭和を䞊列に䞊べたものである。

    画像

    もう䞀぀ぱリザベス朝ず昭和を䞊列に䞊べたものである。

    画像

    ゚リザベス朝ず明治を比范した時ず同様に、これらの45幎間には類䌌性がある。

    おそらく䞉島由玀倫は先のものに加え、埌にあげた2぀をも意識しおいた事だろう。
    特に明治ず昭和の察照を匷く意識しおいたのではないだろうか。

    だずすれば、䞉島由玀倫の自決が神颚連の乱や二・二六事件(1936幎)よりも、乃朚将軍の殉死(1912幎)ず䌌お芋えおくるのは圓然ず云える。

    それぞれ明治ず昭和の始たりから45幎埌に起き、

    どちらも

    そのアナクロニズムによっお、圓時の人々を驚かせた。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    そしお

    おそらく䞉島自身がそのこずを意識しおいたのだ。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    (iv)

    䞉島は1967(昭和42)幎の「念頭の迷い」の䞭で

    英雄たるこずをあきらめるか、それずもラむフ・ワヌクの完成をあきらめるか、その非垞に難しい決断が、今幎こそは来るのではないかずいう䞍安な予感

    「念頭の迷い」3

    がするず語っおいる。しかし、乃朚将軍の殉死が念頭にあった䞉島は、もはや英雄にはなれないこずを知っおいたはずである。

    実際、䞉島事件(1970幎)はすぐに遠藀賢叞によっお、諧謔かいぎゃく的に扱われおいる。[「カレヌラむス」(1971幎)、「満足できるかな」(1971幎)]

    「カレヌラむス」
    遠藀賢叞


    「満足できるかな」
    遠藀賢叞


    遠藀賢叞のアルバム
    「満足できるかな」1971幎


    前半の論で述べたように、䞉島がシェむクスピアの悲劇を意識しおいたのだずすれば、すぐれた戯曲家であった䞉島はなぜ

    アナクロニズムによっお、圓時の人々を驚かせ

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    る事になるず分かり぀぀行動に移すよりも

    それを䜜品ずしお残さなかったのだろうか

    䞉島は悲劇的な内容を持぀戯曲を幟぀も曞いおいる。
    「十日の菊」(1959幎)、「サド䟯爵倫人」(1965幎)「わが友ヒットラヌ」(1968幎)などである。

    しかしそれらはどれもどこかナヌモラスでもある。䞉島の資質は悲劇ずその登堎人物をただ悲劇的には描かせない。どうしおも盞察化し、はぐらかし、宙吊りにしおしたう。

    それでも䞉島は悲劇を曞くこずを詊みはした。「朱雀家の滅亡」(1967幎)「癩王のテラス」(1969幎)がそれである。しかしこれらは先の諞䜜品ず比べるず、生気に欠けおいる。

    赀塚䞍二倫の「もヌれ぀ア倪郎(1967〜70幎)」ず氎朚しげるの「宇宙虫」(1965幎)を奜んだ(1970.2「劇画における若者論」) 䞉島の真骚頂は、息苊しい盎線的な悲劇や静的スタティックな小説[「仮面の告癜」(1949幎)、「金閣寺」(1956幎)]よりも戯曲[「只ほど高いものはない」(1952幎)、「若人よ蘇れ」(1954幎)、「鹿鳎通」(1956幎)、「喜びの琎」(1964幎)]のような動的ダむナミックなドタバタ劇にこそあった。

    「朱雀家の滅亡」や「癩王のテラス」は䞉島の他の戯曲よりも、䞉島の小説の延長線䞊にあるように思われる。
    それは法孊士らしく、論理的に組み立おられたものである。

    ずころが蚀葉ずいふものは自家䞭毒を起こす。私は次第に蚀葉を以っお蚀葉を守るずいう方法䞊の矛盟に気づきはじめ、戊前の文士が最初に陥った陥穜はこれではないかず感じたのである。

    「"囜を守る"ずは䜕か」3

    ずいった蚀葉に察する懐疑は、そのような「小説」に察する懐疑だったのだず思う。(iii)

    深沢䞃郎のような䞉島の想像を超える

    䞍快な傑䜜

    「小説ずは䜕か」4

    を曞く䜜家や石原慎倪郎・倧江健䞉郎・野坂昭劂のような新しい䞖代の䜜家を評䟡し、自身も新たなスタむルを暡玢し぀぀も、そのような懐疑からは逃れようがなかったものず思われる。

    その埌、時代を画する䜜品は挔劇・映画・挫画・アニメずいったゞャンルにおいお開花した。(挫画・特撮ドラマ「仮面ラむダヌ」(1971幎)石ノ森章倪郎、映画「曞を捚おお街ぞ出よう」(1971幎)・「田園に死す」(1974幎)寺山修叞、挫画「おろち」(1969〜70幎)楳図かずお、など)(i)(ii)

    䞉島は手塚治虫の「火の鳥」(1967〜86幎)を嫌ったが[1970.2「劇画における若者論」)] 、䞉島の最埌の䜜品四巻に及ぶ「豊饒の海」(1965〜71幎)は前段に䞊げた䜜品達よりも、䞉島が嫌った「火の鳥」にどこか䌌おいる。
    どちらも長倧な䜜品であるず共に、䞉島の死埌、「火の鳥」が「豊穣の海」のテヌマである生たれ倉わり・茪廻を扱っおいくようになるのが、それを象城しおいる。

    䞉島は自分の行動が敗北する事も、アナクロニズムず捉えられるこずも、挔劇的に芋える事も心埗おいたず思われる。

    柄谷行人が述べおいるように

    䞉島の

    行動は、培底的にアむロニカルなもので

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    あろう。

    䞉島は、ある意味で、自分の生涯ずずもに「昭和」を終わらせたのだ。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    柄谷行人は蚀う

    䞀九䞃〇幎が䞀぀の分氎嶺をなすのは、むろんたんに䞉島由玀倫の華々しい死によっおではない。たずえば、䞃〇幎代の初めには「連合赀軍事件」が象城するように「新巊翌」運動が厩壊したし、たた為替盞堎やオむル・ショックにあらわれおいるように、戊埌の䞖界䜓制が構造的に揺らぎはじめたのである。そのなかで、たさに戊埌の米゜二元構造に䟝存しそれを䞀方的に利甚しながら成長した日本は、八〇幎代においお経枈的な匷囜ずしお出珟した。だがその意識においおは、たったく内面的に閉じられたたたであった。倖からあらゆる情報が䌝えられ消費されるが、「倖郚」は存圚しなかったのだ。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2


    「冬の旅 死者ずの察話」(1971幎)の䞭で䞉島由玀倫の幜霊を静かに登堎させた円地文子は

    「連合赀軍事件」が象城するように「新巊翌」運動が厩壊

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2


    した埌で、それを題材に、日本ではおよそありそうにない蚭定を蚭けた䞊で小説「食卓のない家」(1979幎)を曞いた。

    円地文子にこの䜜品を曞かせたのは、連合赀軍事件(1971幎〜72幎)をはじめずする新巊翌の起こした事件ず共に䞉島由玀倫の自決ではないかず思う。

    それは

    「倖郚」

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    を持たず

    たったく内面的に閉じられた

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    日本瀟䌚ぞの挑戊であった。䞉島の残した爪痕はこうしたずころにこそ芋るべきだろう。

    ゜ビ゚ト連邊ずバブル経枈が厩壊(1991幎)した埌にも残った、䞀芋開かれおいるようでいお

    「倖郚」

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    を持たず

    たったく内面的に閉じられた

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    ものたちぞの挑戊ず思える幟原邊圊監督のアニメ『少女革呜りテナ』(1997幎)ず『茪るピングドラム』(2011幎)の2䜜品を芳た時、私が思い起こしたのは、円地文子の「食卓のない家」での孀独な闘いであった。

    この蚘事は志賀盎哉の゚ッセむ「囜語問題」に぀いおの論考に付した泚です。

    志賀盎哉の゚ッセむ「囜語問題」に぀いおの論考

    本文䞭の番号からこの蚘事に来るこずができたす。

    匕甚・参考文献

    ◯ 匕甚文献:
    ✳1  「日本文化の深淵に぀いお」
    『決定版 䞉島由玀倫党集』663-666頁
    著者: 䞉島由玀倫
    発行者:株匏䌚瀟新朮瀟 2003.10.10
    匕甚には二刷2011.8.15を䜿甚

    ✳2 「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    『終焉をめぐっお』8-51頁
    著者: 柄谷行人
    発行者: 株匏䌚瀟講談瀟 1995.6.10.
    匕甚には第2刷1996.1.23.を䜿甚

    3 「念頭の迷い」及び「"囜を守る"ずは䜕か」
    『蘭陵王  䞉島由玀倫1967.1〜1970.11」
    著者: 䞉島由玀倫
    発行所: 株匏䌚瀟新朮瀟 1971.5.
    それぞれ13-16頁ず261-266頁

    4 「小説ずは䜕か」
    『決定版 䞉島由玀倫党集34』
    著者: 䞉島由玀倫
    発行所: 株匏䌚瀟新朮瀟 2003.9
    683-758頁
    匕甚は二刷2012.10.5.735頁より

    ◯ 参考文献
    ✳「冬の旅 死者ずの察話」
    『旅の小説集 円地文子玀行文集 第䞉巻』
    著者: 円地文子
    発行所: 株匏䌚瀟平凡瀟1984.9.14.
    165-199頁

    ✳「食卓のない家」
    著者: 円地文子
    発行所: 新朮瀟 1979.4.
    文庫版1982.4
    電子曞籍版2004.12.

    ✳ 「ピュヌリタン」
    著者: 倧朚英倫
    発行所: 䞭倮公論瀟 1968幎

    泚
    2026.2.16.(i)を远加、同幎2.21.(iii)を远加、2026.5.5.(iv)を远加、
    2026.5.6.(v)を远加

    ◯

    i

    1970幎前埌には、その時代を代衚する優れた挫画・アニメ䜜品が沢山ある。
    「あしたのゞョヌ」梶原䞀階・ちばお぀や(1967-73)、 「タむガヌマスク」梶原䞀階・蟻なおき(1968-)、「挂流教宀」楳図かずお(1972-74)、「デビルマン」氞井豪(1972-73)などである。
    しかしこれらを取り䞊げなかったのは、これらの䜜品には明癜な終わりがあり、それが䞀぀の解攟をもたらすように思ったからです。
    「挂流教宀」の終わりが未来ぞの垌望であり、解攟であるこずは明らかですが、それ以倖の死や滅亡で終わる他の䜜品に぀いおもそれは云える。
    それは垌望の裏返しであり、䞀぀の解攟であるず思う。しかし、私がここで取り䞊げた䜜品達には終わりのない抜け出せない悪倢のようなずころがある。それは「おろち」ではより明確であるが、䞀芋収束ぞず向かう「仮面ラむダヌ」でも、改造人間であるずいう事実には終わりがない。
    その䞍気味さは、志賀盎哉の䞀連の䜜品の䞍穏な感觊を思い起こさせるものがあり、比范の察象ずしおよりふさわしいものず思われた。
    それらにあるのは、垞に繰り返されるが、茪廻のような倧きな物語には回収しようのないリアルな惚むごさである。

    ii

    氎野しずは猫舌SHOWROOM豪の郚屋で仮面ラむダヌに぀いお

    実際に本圓に今仮面ラむダヌを攟送しおも「仮面ラむダヌ本郷猛は改造人間である」っお蚀っおた蚀葉の床肝を抜かれるようなおぞたしいニュアンスっお䌝わらないず思う

    氎野しず談「豪の郚屋」

    いいですよ、改造人間お。よくそんな凄い蚀葉、思い぀くず思う。シンプルな単語の組み合わせなのに、なんか、凄い倧倉なずころに䜕か、䟵入しちゃっおる感じがするし、うぁヌはっお感じがしお、それを始たっおすぐ蚀うっおいう、子䟛達に向けお宣蚀しおいるっおいう、改造人間である...それであの手術台の光がパヌっず明るい感じずかで、本圓に取り返しの぀かないずころに行っおしたったんだ。

    氎野しず談「豪の郚屋」

    ず述べ

    ず人造人間の取り返しの぀かなさ、おぞたしさに぀いお率盎に語っおいる。

    そしお

    あずあれを攟送しおた時代背景だず、なんかちょっずあり埗るんじゃないか、もう少し、なんかその、䞖の䞭に芋えない郚分ずか、なんかネットで繋がっおないから、隠された郚分ずかが倚かったから、もしかしたらこういうこずになっおしたうんじゃないか...

    氎野しず談「豪の郚屋」

    ず圓時の時代背景においお、人造人間ずいう蚀葉が持っおいたリアリティに぀いお瀺唆しおいる。

    ずおも腑に萜ちる話である。

    氎野しず(豪の郚屋)
    仮面ラむダヌに぀いお(52:42)


    氎野しずのnote


    iii

    柄谷行人は「䟡倀に぀いお」(1977.10)の䞭で

    私は䞉島由玀倫の小説を読みかえしたいず思わないが、圌の「戯曲党集」をずきどきひもずくのを愉しみにしおいる。それはたこずに皀有な才胜であっお、むしろ私は䞉島が小説を䟡倀ずする瀟䌚に生たれた䞍幞に同情するのである。実際、圌は䞀぀も小説を曞きはしなかったのであり、小説らしきものを曞くふりをしただけなのである。戊埌瀟䌚に察する圌の違和は、もっず具䜓的に創䜜掻動に即しおいえば、圌が小説家にならねばならなかったこずにあるずいっおよいかもしれない。

    「䟡倀に぀いお」(『反文孊論』所収)

    ず述べおいる。

    「䟡倀に぀いお」
    『反文孊論』1979.4
    81-91頁
    著者: 柄谷行人 
    発行所: 冬暹瀟
    匕甚は1984.2第四刷より

    iv

    䞉島由玀倫は「革呜哲孊ずしおの陜明孊」(1970幎)の䞭で2床、乃朚垌兞に぀いおふれおいる。

    1぀は冒頭近くで

    乃朚倧将の死ずずもに終぀た陜明孊的知的環境は、倧正教逊䞻矩ず倧正ヒュヌマニズムの敵に他ならなかった。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ず述べおいる。

    もう䞀぀は䞭盀で

    この陜明孊はおそらく、乃朚倧将の死に臎぀お、日本の衚面から消えおい぀たやうに思はれる。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ず述べ

    その埌、陜明孊的な行動原理は孊究を通じおではなくお、むしろ日本人の行動様匏のメンタリティの基本を圢づくるこずにな぀お、ひそかに朜流し始めたものであらう。昭和の動乱の時代から今日に至るたで、日本人が䌁おた行動には、西欧人が䌁及し埗ぬ、たた想像し埗ぬさたざたな䞍思議な芁玠がふくたれおゐる。そしおその日本人の政治行動自䜓には、完党な理性䞻矩や䞻知䞻矩に反するずころの䞍思議な暎発状況や、無効を承知でや぀た行動のいく぀かのめざたしい事䟋がみられるのである。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ずしおいる。

    䞉島が自身の行動をこのような日本的陜明孊の系譜に連なるものず考えおいたこずは明らかであるように私には思われるし、乃朚倧将の殉死ず自身の自決ずを重ねおいた事も疑いえぬように思う。

    䞉島は「二・二六事件ず私」(1966幎)の䞭でこう述べおいる。

    たしかに二・二六事件の挫折によっお、䜕か偉倧な神が死んだのだった。圓時十䞀歳の少幎であった私には、それはおがろげに感じられただけだったが、二十歳の倚感な幎霢に際䌚したずき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十䞀歳の少幎時代に盎感したものず、どこかで密接に぀ながっおいるらしいのを感じた。

    「二・二六事件ず私」

    䞉島の自決はこのような「死」ぞの殉死であるのかもしれない。

    それは倢の䞭での英囜補の服を着た倩皇・皇后の殺害を描いた深沢䞃郎の「颚流倢譚」(1960幎)を私に連想させる。

    「颚流倢譚」の語り手は目を芚たす前に

    私も腹䞀文字にかき切っお死んでしたおうず、私は蟞䞖の歌を䜜ったのだ。

    「颚流倢譚」

    ず蚀っおいるからだ。

    そしおそれは曎に倩皇の歩んだ長い歎史に぀いお觊れ぀぀、明治以降の倩皇制を絶察君䞻制やボナパルチズムずいう抂念を䜿っお批刀的に考察した神山茂倫の思想ぞず私を誘いざなう。

    こういった連想は恣意的しいおきな飛躍に思われるかもしれないが、倚圩な䞉島の思想ず行動はこういった倚様なものずの関連の䞭でこそ芋るべきであるず私には思われる。そのヒントを乃朚倧将の殉死が䞎えおくれる。そのような連関は乃朚垌兞ず䞉島由玀の歩んだ道のりや抱えた苊悩の比范などよりも重芁であるように、私には思う。

    䞉島の死を殉死ず捉えるず先にこちら↓

    で論じた䞉島の独特な高床な倩皇制ぞの考察ず、倩皇から時蚈をもらったこずを匷調する玔朎さずの矛盟も矛盟ずは感じずに理解できる。

    「問題提起」(1970幎)の䞭で䞉島はこう述べおいる

    埮笑、友愛、やはらかな奜意、さういうものなら、戊埌倩皇制が囜民からも぀ずも歓迎するものであり、この歓迎に応ぞる装眮もさたざたに䜜られたが、「忠誠」だけは有難迷惑な莈物であり、これを拒絶する装眮も隠密呚到にさたざたに䜜られた。

    「問題提起」

    䞉島は戊埌死䜓しにたいずなった囜䜓倩皇制が嫌う「忠誠」を敢あえお瀺しおいるのである。これは蟛蟣しんら぀な批刀であるずいえる。

    䞉島にずっお憲法の改正の䞻県もあくたで倩皇に぀いお曞かれた第䞀条で、第九条ではなかった。

    珟状のたたで

    珟憲法の郚分改正によ぀お、第九条だけが改正されるならば、日本は楜々ず米軍事䜓制の奜逌こうじずなり、自立はさらに倱われ、日本の歎史・䌝統・文化は、さらに危殆に瀕ひんするであろう。

    「問題提起」

    ずさえ蚀っおいるのである。

    では囜䜓に぀いおは䜕ず述べおいるであろうか「二・二六事件ず私」の䞭で䞉島は

    そしお囜䜓ずは私は圓時の囜䜓論のいく぀かに目をずおしたが、曖昧暡糊ずしお぀かみがたく、北䞀茝の囜䜓論吊定にもそれなりの理由があるず知り぀぀、䞀方、「囜䜓」そのものは、誰の心にも、明々癜々炳乎ぞいこずしお圚った、ずいう逆説的珟象に興味を抱いた。思うに、䞀億囜民の心の䞀぀䞀぀に囜䜓があり、囜䜓は億皮あるのである。軍人には軍人の囜䜓があり、それが軍人粟神ず呌ばれ、二・二六事件蹶起将校の「囜䜓」ずは、この軍人粟神の玔粋培逊されたものであった。そしお、䞇䞖䞀系の倩皇は同時に八癟䞇やおよろずの神を兌ねさせたたい、䞊埡䞀人のお姿は䞀億人の盞こずなるお姿を珟じ、䞀にしお倚、倚にしお䞀、しかも誰の目にも明々癜々のものだったのである。

    「二・二六事件ず私」

    このような囜䜓ずは䜕であろうか䞉島はこのような囜䜓に殉じゅんじたのであろうか

    䞉島由玀倫の述べたこずは倚様で、䞉島に぀いお論ずるのにはい぀でも困難が䌎う。䞀筋瞄では行かない。ここで述べた事もほんの端緒に觊れただけに過ぎないであろう。

    匕甚文献:

    1.  「革呜哲孊ずしおの陜明孊」及び「問題提起」
    『決定版 䞉島由玀倫党集 36』
    著者:䞉島由玀倫 、発行所:株匏䌚瀟新朮瀟
    発行: 2003.11.10
    それぞれ118-137頁ず277-310頁
    匕甚は第二刷2011.2.5.より

    2. 「二・二六事件ず私」
    『英霊の聲』、著者: 䞉島由玀倫
    発行所: 株匏䌚瀟河出曞房新瀟 
    発行: 2005.10.20.
    243-261頁、匕甚は第九刷2020.4.30.より

    3. 『颚流倢譚』
    著者: 深沢䞃郎、発行所: 株匏䌚瀟志朚電子曞籍
    発行:2011.11

    参考文献・映画
    1. 『倩皇制に関する理論的諞問題』
    著者: 神山茂倫、発行所: 有限䌚瀟こぶし曞房
    発行: 2003.6.25.(初版は1947.4.民䞻評論瀟)

    2. 監督 豊島圭介, 『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』, 1969.5.13.東京駒堎キャンパスでの䞉島由玀倫ず党共闘孊生の蚎論䌚のドキュメンタリヌ, 2020.3.20.公開

    3. 『矎ず共同䜓ず東倧玛争』
    䞉島由玀倫・東倧党共闘
    発行: 2000.7.25
    (1969.6.新朮瀟発行『蚎論 䞉島由玀倫vs.東倧党共闘 ヌ 矎ず共同䜓ず東倧玛争』を文庫化したもの)

    v

    足早な、無理な近代化

    「日本文化の深淵に぀いお」

    を歩んだのは日本だけではない。日本の急激な近代化は、決しお特殊な事䟋ではない。䞉島の認識は、近代化に䌎う普遍的な軋蜢あ぀れきず反動の構造を指し瀺しおもいるのである。

    䟋えばトルコでケマル・アタテュルクが行った改革は早急なものであった。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』でタミム・アンサヌリヌはアタテュルクの構想に぀いお

    トルコにおけるりラマヌの暩嚁を粉砕し、むスラヌムを瀟䌚の調停者の座から匕きずり䞋ろし、䞖俗的な手法で瀟䌚を管理・運営する公的な制床を確立するこずだった。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    ず曞いおいる。

    アタテュルクは

    女性に公的領域を開攟

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    し

    䞀倫倚劻制を犁止し

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    結婚にた぀わる䌝統的な慣習に難色を瀺し、クルヌアンでもハディヌスでもなくスむスの民法兞に基づく離婚制床の制定を埌抌しした

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    たた

    囜が新たに定めた服装芏定の䞀環ずしお、ノェヌルやスカヌフの着甚を犁止した。この芏定は女性のみならず男性にも適甚され、たずえばフェスず呌ばれたトルコ垜〔説明は略〕の着甚も犁止された。タヌバンも顎髭あごひげも激しく非難されたが、山高垜や野球垜やベレヌ垜はよしずされた。アタテュルク自身はスヌツずネクタむを身に぀け、同胞のトルコ人に圌を芋習うように匷く促した。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    のだずいう

    そしお

    アタテュルクはその埌半䞖玀間にわたっおムスリムの指導者の暡範ずなった。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    ずいう

    むランではパラノィヌ朝の初代囜王レザヌ・シャヌ・パラノィヌは

    アタテュルクが行ったのず同様の内政改革を断行し、ずりわけ服務芏定を厳重に適甚した。スカヌフ、ノェヌル、タヌバン、顎髭  䞀般庶民はこれらすべおを犁じられた。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』


    アフガニスタンでも1919幎に

    囜王が暗殺され、その息子アマヌノッラヌが王䜍を継承

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    するず

    性急に䞊からの改革を進めた。アマヌノッラヌは〔囜民の自由ず平等を保障する〕リベラルな憲法を発垃し、女性の解攟を宣蚀し、(略)䞖俗的な初等孊校制床を蚭立した。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    そしお

    お決たりの服務芏定も定めたのだ

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    ず。

    このような服装芏定は明治初頭の散髪脱刀什を私に思い起こさせる。

    そしおタミム・アンサヌリヌは先の蚘述に続けおこう曞いおいる。

    私がこうした服務芏定に関しお興味深く思うのは、急進的なむスラヌム䞻矩者が半䞖玀以䞊のちにむランずアフガニスタンで暩力を奪取したずきに、同様の政策を掚進したずいうこずだ。ただし、芏定の内容は正反察だった。突劂ずしお、女性たちはスカヌフを被るこずを匷制され、顎髭わ生やしおいない男性は人前に出るず鞭で打たれるようになった。ずはいえ、服装や髭の有無を理由に鞭打ったり投獄したりずいう原則は  どちらの陣営も採甚したのだ。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    このような

    急進的なむスラヌム䞻矩者

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    の政策に急激な近代化ぞの反動ずいう偎面がある事は想像に難くない。

    これらの事䟋を螏たえれば、䞉島の論じた内容は、日本固有の問題にずどたらないこずは明らかだろう。

    しかし、だからずいっお倖偎から眺めお、西掋民䞻䞻矩的な芳点から

    急進的なむスラヌム䞻矩者

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    の政策を

    非合理な、ほずんど狂的な

    「日本文化の深淵に぀いお」

    ものず芏定したずしおも、意味がない。そのような倖から貌り぀ける評䟡は傲慢ごうたんで無瀌なものにしかならない。

    そのような蚀葉の䜿い方は、自身が日本人である䞉島が日本人に向けた

    非合理な、ほずんど狂的な

    「日本文化の深淵に぀いお」

    ずいう蚀葉の持぀誠実さを倱っおしたうだろう。

    他囜に目を向け、日本で起きた急激な近代化は、決しお特殊な事䟋ではない事が分かったならば、もう䞀床䞉島の認識を、珟代の日本に向けおみるべきであるように思う。

    陜明孊的な行動原理が日本人の心の䞭に朜む限り、これから先も、西欧人にはたったくうかがい知られぬやうな䞍思議な政治的事象が、日本に次々ず起るこずは予蚀しおもよい。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ず䞉島は蚀っおいる。

    衚面的には䞉島の生きた時代よりも曎に西欧民䞻䞻矩的な䟡倀芳は日本に定着したように芋える。

    しかし今の日本に

    抑圧されたものは䜕ら突砎口を芋出さな

    「日本文化の深淵に぀いお」

    いずいうような状況はないのだろうかかたちをかえたり、隠れたりしおいるだけなのではないか

    非合理な、ほずんど狂的な事件が

    「日本文化の深淵に぀いお」

    再び起こらないず断蚀できるほどの質的な倉化が、日本に果たしお起きたのだろうか
    䞀芋倉化しお、それが自分らの䞀郚だず自然に感じられるようになった時こそが、実は

    文化の党䜓性を

    「日本文化の深淵に぀いお」

    犠牲に䟛しおきた時代

    「日本文化の深淵に぀いお」

    の成れの果おで、そんな時ほど知らぬ間に、

    均衡をずりもどさうずする

    「日本文化の深淵に぀いお」

    欲動が動き出そうず埅機しおいるのではないか

    私は日本で再び

    非合理な、ほずんど狂的な事件が

    「日本文化の深淵に぀いお」

    起こるこずを恐れる。しかし䟋え事件ずいうかたちで起こらなかったずしおも、その朜圚する力は䜕らかの圢で、圱響を及がしおいるのではないか私にはそう思えおならない。もしかしたら既に断続的なかたちで、珟れおいるずも蚀えるのかもしれない。

    本文で匕甚した䞉島の論を改めお茉せおおきたす。

    䞀民族の文化のも぀ずも粟劙なものは、おそらくも぀ずもおぞたしいものず固く結び぀いおゐるのである。゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇がそうであるやうに。日本はその足早な、無理な近代化の歩みず共に、い぀も月のやうに、その片面だけを西欧に察しお瀺さうず努力しお来たのであ぀た。そしお日本の近代化ほど、光ず圱を等分に包含した文化の党䜓性をい぀も犠牲に䟛しおきた時代はなかった。私の四十幎の䞭でも、前半の二十幎は、軍囜䞻矩の䞋で、䞍自然なピュヌリタニズムが文化を統制し、戊埌の二十幎は、平和䞻矩の䞋で、あらゆる歊士的なもの、激し易い日本のスペむン颚な魂が抑圧されお来たのである。そこではい぀も支配者偎の停善が倧衆䞀般にしみ蟌み、抑圧されたものは䜕ら突砎口を芋出さなか぀た。そしお、倱われた文化の党䜓性が、均衡をずりもどさうずするずきには、必ず非合理な、ほずんず狂的な事件が起こるのであった。

    「日本文化の深淵に぀いお」

    1.「日本文化の深淵に぀いお」
    『決定版 䞉島由玀倫党集』663-666頁
    著者: 䞉島由玀倫
    発行者:株匏䌚瀟新朮瀟 2003.10.10
    匕甚には二刷2011.8.15を䜿甚

    2.『むスラヌムから芋た「䞖界史」』
    著者: タミム・アンサヌリヌ
    蚳者: 小沢千重子
    発行所: 株匏䌚瀟 玀䌊國屋曞店 2011.9.7.
    匕甚は第10刷 2018.1.11.より
    原曞は2009幎発行

    3.「革呜哲孊ずしおの陜明孊」
    『決定版 䞉島由玀倫党集 36』
    著者:䞉島由玀倫 、発行所:株匏䌚瀟新朮瀟
    発行: 2003.11.10
    それぞれ118-137頁、匕甚は第二刷2011.2.5.より


    以前、円地文子の
    「食卓のない家」に぀いお曞いた蚘事


    映画「田園に死す」寺山修叞に぀いお曞いた蚘事

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