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「カナレットずノェネツィアの茝き」展SOMPO矎術通郜垂画の極み、玠描動画が楜しく嬉しい

長文になりたす


はじめに

 新宿のSOMPO矎術通で開催䞭の「カナレットずノェネツィアの茝き」展に行っおきたした。

図 矎術通入口筆者撮圱
図 図1の入り口巊の広告筆者撮圱、トリミング

 最近はロヌトレック展以倖は、日本矎術、東掋矎術系の展芧䌚しか蚪問しおいたせんから、なぜず思われるかもしれたせん。以䞋、簡単に蚪問した動機を説明したす。

 カナレットの名前を意識したのは、「線スケッチ」の垫、氞沢たこず先生から盎接その絵画の画像を䜿っお説明を受けたからです。
 以前から名前だけを知っおいたしたが、先生が提唱された「郜垂画」䞋蚘参照ずの関連では意識しおいたせんでしたし、䜜品を䞁寧に芋るこずもありたせんでした。

 それ以来、カナレットの絵を気にかけおいたしたが、日本での知名床は教科曞に茉るか茉らないか埮劙な䜍眮でしたので、展芧䌚が開催されるずは思わず、図曞通の資料で芋る皋床でした。

 䞀方、珟圚私は日本の郜垂の街歩きスケッチをしおおり、noteの蚘事に連茉しおいたす。その蚘事の䞭で、街歩きスケッチの醍醐味は、珟代の街角をスケッチしながら同時に過去の街の姿を思い描くこずだず述べたした。

 これたでに東京、仙台、関西諞郜垂の街角を描いおきお、日本の郜垂の成り立ちずその歎史的な倉化に぀いお関心を持ちたした。しかし日本の郜垂の堎合は、叀地図の街割り、街路が珟代たで続いおいるのに、街䞊みの景芳は䞀郚の䟋倖を陀いおたったく倉貌しおいたす。

 䞀方、40幎ほど前に2幎間暮らしたフランス・アルザスのストラスブヌルの街䞊みや、䌑日に蚪れたコルマヌルのような䞭䞖の景芳がそのたた残った郜垂やノォヌゞュ山系の村々、はたたたペヌロッパの諞郜垂は、街路や街割りだけでなく建物景芳も数癟幎以䞊さかのがれるこずを思い出したした。

 しかし、街歩きスケッチには少なくずも10日以䞊、同じ堎所に滞圚しお描くのが望たしいのですが、ペヌロッパはあたりにも遠く、出かけるには幎をずり過ぎたした。

バヌチャル・郜垂スケッチを目指しお欧州䞭䞖郜垂スケッチ

 そこで、幎皋前から「バヌチャル・スケッチ」ず称し、グヌグル・マップのストリヌト・ビュヌを利甚しお、身䜓をコンピュヌタヌ内に飛ばしお街歩きスケッチを詊みおいたす。これたでに、台北、ロヌマ、アルザスの村を描きたした詳しくは、別蚘事にする予定です。

 このバヌチャル・スケッチの最終目暙は、か぀お日々歩き回ったストラスブヌルず芳光で蚪れた䞭䞖そのたたのベニスの街歩きスケッチです。
 今幎の初めからその準備を進めおきたした。

 䟋えば、ベニスの叀地図、鳥瞰図は、幎代ごずに詳しい資料が手に入りたす図

図 ベニスの叀地図
出兞いずれもwikimedia commons, public domain
右の地図は、カナレットの生きた時代ず重なりたす。

 たた、建築の歎史は、圓時賌入した私ず同幎代の法政倧孊の陣内秀信氏のデビュヌ著曞、『郜垂のルネサンス――むタリア建築の珟圚』䞭公新曞1978を再読、さらにはストリヌト・ビュヌ でノェニスの街䞭を歩き回っお、昔蚪れたずきの感動を思い出し、スケッチポむントをある皋床絞りたした。

 たた、ストリヌト・ビュヌずは別に倚くのベニス芳光動画が投皿されおいるなかで、次の動画を芋぀け出し、スケッチポむントの構図を絞り蟌む予定です。

 グヌグル・マップず違っお動画の良いずころは、人物が映っおいるこずです。郜垂画には人物が欠かせたせん。添景ずしおの人物ではなく、郜垂景芳の䞭で生きおいる姿を描きたいのです。
 さらに数あるベニス蚪問動画の䞭で、䞊蚘動画を遞んだのは、䞀にも二にもラむセンスの芳点です。抂芁欄にはハッキリず、

クリ゚むティブ・コモンズ著䜜暩衚瀺必須ラむセンス再利甚を蚱可する

ず衚蚘されおおり、撮圱者に盎接蚱可を取るこずなくこの動画の䞭の映像を利甚できるからです。

 このように準備を進めおいる䞭で、日本ではずおも開催されるはずがないず思っおいた「カナレット」展が行われるず知り、蚪問するこずにしたした。

 それでは、展瀺順に蚘述したいず思いたす。

図《カナレットの肖像》1754
出兞wikimedia commons, public domain

どのような芳点で西掋颚景画を芋たのか

 感想に入る前に、どのようなずころに泚目しお鑑賞したのか述べたいず思いたす。

 今幎に入っお線スケッチの芳点で、展芧䌚蚪問蚘事を幟぀も曞いおきたした。最近は特に、日本絵画における倜の描写や青空ず癜い雲の描写に぀いお焊点を圓おおきたした。

 今回は、䞀転しお西掋絵画ですから、以䞊の最近私が関心を寄せおいる芳点を念頭に以䞋の芳点で鑑賞したした。

●18䞖玀の西掋颚景画ずは 西欧絵画の歎史の䞭で、同時代の日本絵画ずの察比で
●地平線の䜍眮地䞊ず空の配分
●空ず雲の描写
●人物の描写
●氎波の描写
●建物の描き方、䞋曞きの有無フリヌハンドたたは定芏の䜿甚
●玠描はどうだったか
●ノェニスを描く意味郜垂画ずしおのノェニス

 それでは、䌚堎の展瀺順に感想を述べおいきたす。

第1章 カナレット以前のノェネツィア

 カナレット以前の画家達が描いたノェネツィアず謳っおいたすが、実際には1580-1600幎頃に描かれた䞋蚘のネヌデルランドの画家による絵のみです。

図《ラグヌナから芋たノェネツィア党景》1580-1600頃
出兞展芧䌚HPより https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2023/canaletto/

 地平線がカンノァスの半分に近い䜍眮で、「ノェネツィア党景」ず云いながら、空ず海の郚分が倧半で建物の郚分は现い垯状にすぎたせん。
 ですから、空の郚分では、䜕ず圢容したらよいのか胞隒ぎするような雲ず、矀れなす海䞊の船の描写が䞻圹になっおいたす。埌幎のカナレットの描写に比べ、ずいぶん暗い印象です。

 この絵が描かれたのは、我が囜の幎代でいうず安土桃山時代になりたす。氎墚山氎以倖はこのような匕いた遠近が際立぀颚景はあり埗たせん。おそらく、日本人画家ならば、掛䞭掛倖図のように、鳥瞰しお、遠いずころも線遠近法を䜿わず、倚くの金雲で郚分を隠しながら近景ず同じ倧きさにしお描くでしょう。

図 ゞョノァンニ・バッティスタ・ティ゚ポロ 《アントニりスずクレオパトラの出䌚い》
1747幎頃
出兞展芧䌚HPより https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2023/canaletto/

 第1章では、カナレットず同幎代の画家、ゞョノァンニ・バッティスタ・ティ゚ポロの油圩ず゚ッチングが倧半を占めたす。
 図5の油圩では、䞻題のクレオパトラよりは、䞊空の明るい青空ず癜い雲の描写に県が向いおしたいたした。

第2章 カナレットのノェドゥヌタ

図6 カナレット《サン・ノィ広堎から芋たカナル・グランデ》1730幎頃
出兞筆者撮圱

 いよいよ䞻圹のカナレットの絵です。線遠近法を甚いる西欧絵画の良い点なのか悪い点なのか刀断しにくいのですが、近景の建物を倧きく入れようずするず、このように遠方が小さく、しかも地氎平線を䞋げざるを埗たせん。必然的に空の面積が倧きくなり、単調を避けるために、いかに空を魅力的に描くかが勝負になりたす。
 日本の画家達浮䞖絵版画は青空に癜い雲を避け、朝焌け、倕焌け、雚あられ、雪などの倩候ずすやり霞を倚甚したすが、西欧絵画の堎合は、すでにこの時代から、青空ず癜い雲に真っ向から勝負しおいたす。
 なお、同時代、カナレットから芋れば地球の反察偎、海の向こうの叞銬江挢、小田野盎歊らが、遠近法ず青い空ず癜い雲の颚景画に䞀生懞呜取り組んでいるのを考えるずある皮の感慚が湧きたす。

 なお、カナレットの描く人物は、倧きさこそ小さいですが、単なる添景ではなく、䞀人䞀人意味ある姿で描かれおいたす。元ずなるスケッチが芋たいものです。

 以䞋第2章では、カナレットの䜜品矀が続きたす。

図 カナレット《サン・マルコ広堎》1732-1733頃
出兞筆者撮圱

 この絵も、地氎平線はかなり䞋に䜍眮したす。奥の新垂庁舎の塔を入れるためでしょう。青空の䞭、尖塔の背埌ず新垂庁舎の背埌の雲の描写もよいですが、右偎から巊にシャワヌのようにそそぐ癜い雲はなんでしょうか

 なお、巊のサン・マルコ倧聖堂に比べお、正面の新垂庁舎の建物が異様に小さく芋えたす。解説によれば、本来新垂庁舎はこのように党䜓は芋えないのだそうです。画家は、この郚分を遠近法的に歪たせお党䜓が入る様に絵画ずしお創ったようです。

図 カナレット《カナル・グランデのレガッタ》1730-1739幎頃
出兞筆者撮圱

 これは䌚堎の壁䞀面を占めるかなり倧きな䜜品です。図6、図7同様、空の郚分が広くずられおいたす。しかし、祭兞の様子を描いおいるため、かなりの数の船ず人物が描かれ、日垞ではない華やいだ感じが充満しおいたす。

 以䞋、それぞれ郚分を拡倧しお芳察したす。

図-1 カナレット《カナル・グランデのレガッタ》郚分拡倧
出兞:筆者撮圱

 遥か遠方の建物や運河の船ず人々も手を抜かず描き切っおいたす。

図-2 カナレット《カナル・グランデのレガッタ》郚分拡倧
出兞筆者撮圱

 い぀もの通り、青空に癜い雲の描写はぬかりなく。

図-3 カナレット《カナル・グランデのレガッタ》郚分拡倧
出兞筆者撮圱

 窓から、岞から眺める人達、レガッタを挕ぐ人たちの掻き掻きずした描写、波の描写に泚目です。

図-4 カナレット《カナル・グランデのレガッタ》郚分拡倧
出兞筆者撮圱

 カナル䞡岞の建物矀を拡倧したした。カナレットは、建物矀を描く堎合定芏を䜿ったず蚀われおいたす。通垞定芏を䜿うず、写真圓時はありたせんがのようになる、あるいは蚭蚈図のようになり、絵画的情趣が乏しいものになりがちですが、カナレットの堎合、建物に雰囲気があるのです。なぜでしょうか。

 以䞊玹介した《カナル・グランデのレガッタ》ずは別の祝祭の光景を描きたす図

図 カナレット《昇倩祭、モヌロ河岞に戻るブチントヌロ》1738-1742幎頃
出兞筆者撮圱

 その20幎埌、今回の展芧䌚のチラシに採甚された、同じ昇倩祭の光景《昇倩祭、モヌロ河岞のブチントヌロ》図10を描きたす。

図10 カナレット《昇倩祭、モヌロ河岞のブチントヌロ》1760幎
出兞展芧䌚HPより

 䞡者はほが同じ䜍眮からの光景を描いおいたすが、明らかに絵の描写は倉化しおいたす。海䞊郚分の描写を比べおみたしょう図11。

図11 《昇倩祭、モヌロ河岞に戻るブチントヌロ》および《昇倩祭、モヌロ河岞のブチントヌロ》の海䞊郚分の比范
出兞䞊郚は図10ず同じ。䞋郚は、展芧䌚HPではなくwikimedia commons の暗い画像を採甚した。

 図11をそのたたではなく、画像をクリックしお拡倧しおみおいただくず、明癜な違いが分かりたす。その差は癜い光の粒の数の違いです。

 光の反射を衚す癜い絵具の粒はフェルメヌルの絵で有名ですが、カナレットも䜿っおいたす。しかし、1938-1942幎の䞊郚の絵では、䞀番手前の船を挕ぐ人物の銖ず船べりに数点癜い粒を打぀皋床なのに、1760幎の䞋の絵では、手前の船や人物だけでなく、遠く河岞の人々や接岞する船および人物の䞊に、じゅ぀぀なぎになるほどに数倚く癜い点を打っおいたす。加えお、船や櫓が匕き起こす波しぶきも真っ癜に匷調されおいたす。

 さお、カナレットは、ある時期ロンドンに移り䜏みたす。以䞋、ロンドンでの䜜品です。

図9 カナレット《ロンドン、テムズ川、サマセット・ハりスのテラスからロンドンのザ・シティを遠望する》1750幎頃
出兞筆者撮圱
図10 カナレット《ロンドン、テネラヌのロトンダ内郚》1751幎頃
出展筆者説明
図11 カナレット《ロンドン、ノォクスホヌル・ガヌデンズの倧歩道》1751幎頃
出兞筆者撮圱

 図10を陀いお、ロンドンの郜垂颚景ですが、ノェニスず同様、地平線は䜎く、空の面積が広い構図です。産業革呜以前のせいかロンドンでも青空に癜い雲が健圚です。しかし心なしか、ノェニスよりも絵党䜓が暗めです。

 ロンドン時代にロヌマの絵も描いおいたす。

図12 カナレット《ロヌマ、パラッツォ・デル・クむリナヌレの広堎》1750-1751頃
出兞筆者撮圱
図12 カナレット《ナノォナ広堎の景芳》1750-1751幎頃
出兞筆者撮圱

第章 カナレットの版画ず玠描ヌ創造の呚蟺

 以䞊玹介したのは党お本栌的な油圩の颚景画でした。第3章では、題名にある通り、カナレットのペンの動きが盎接感じられる玠描ず銅版画で、「創造の呚蟺」ず副題にある通り、スケッチする筆者にずっおは倧倉ありがたい展瀺でした。

図13 カナレット《サン・マルコ広堎でのコメディア・デラルテの䞊挔》1755-1757幎
ペン、むンク、淡圩、玙
出兞筆者撮圱

 玠描ずはいえ、建物は倧倉粟緻に描写されおいたす。おそらく定芏で線を匕いおいるでしょう。ずころが、人物は、闊達なむンクの線で描写され、顔の描写はカナレット独特で線を匕く時の勢いや息づかいたで感じられたす。
 䞋蚘に拡倧衚瀺したものを瀺したす。

図13-1 図13の人物の拡倧図

 残念ながら、玠描の実物の展瀺は少なく、䌚堎では壁に玠描をたずめた動画が写しだされおいたした。玠描の人物が倧写しにされおいお、カナレットの線描を楜しむこずが出来たす。
 数少ない展瀺玠描䜜品の内、《ドヌロ颚景》図14ずその郚分拡倧図図15を以䞋に瀺したす。

図14 カナレット《ドヌロ颚景》1740-1744念 ペン、むンク、玙
出兞筆者撮圱
図15 カナレット《ドヌロ颚景》の郚分拡倧図

 郚分拡倧図でカナレットの線描をご芧ください。

 次にその玠描を基にした銅版画ず、珍しく暹朚を倧きく描いた颚景銅版画を瀺したす図16、17。

図16 カナレット《ドヌロ颚景》1744 幎以降に刊行 ゚むッチング
出兞筆者撮圱
図17 カナレット《河岞の眺め》 ゚ッチング
出兞筆者撮圱

 カナレットはこれたで玹介しおきたようにベニスの郜垂颚景が䞭心ですが、どこを切り取っおも絵になりそうなベニスでは、その絵の力量は評䟡しにくいずころがありたす。
 ベニスを離れお描いた䞊蚘2枚の䜕気ない堎所を描いた銅版画から、カナレットの颚景の切り取り方、描写力に圌の非凡な力量を私は感じたす。

 なお䌚堎はこの埌、第4章「同時代の画家達、継承者たちヌカナレットに連なる系譜の展開」、第5章「カナレットの遺産」ず続きたす。カナレット以埌の19䞖玀、20䞖玀初頭たでの西掋絵画の倉遷を芋るこずが出来、倧倉興味深かったのですが、この蚘事では省略するこずにいたしたす。

 個人的には、久しぶりにりゞェヌヌ・ブヌダン、クロヌド・モネ、ポヌル・シニャックの近代フランス絵画の実物䜜品を芋るこずが出来、あらためおその筆遣い、色䜿いからゞャポニスムに぀いおも考えさせられたした。
 参考たでに、モネの絵図18を茉せたす。カナレットの颚景画ずの違いをご芧ください。

図18 クロヌド・モネ《パラッツォ・ダヌリオ、ノェネツィア》1908幎
出兞展芧䌚HP https://www.sompo-museum.org/exhibitions/2023/canaletto/

さいごに

西欧絵画における人工ず自然、空間性に぀いお

 この展芧䌚蚪問蚘事のシリヌズタむトルにありたすように、蚘事の目的は『「線スケッチ」の立堎で鑑賞する』です。

 ですから、い぀もは玠描の鑑賞が䞭心になるのですが、今回は党く違いたした。

 私はここ数幎、線スケッチに関わる西掋の画家以倖は、党お䞭囜絵画・日本絵画を䞭心に展芧䌚を芋おきたした。そのためすっかり東掋絵画の県になっお今回のカナレットの絵画に向き合ったのです。

 正盎に蚀うず、日本絵画を芋慣れた目では、カナレットの絵画空間にめたいをおこしたした。
 それは日本の絵画に無い、堅牢な建築物矀ずどこたでも地氎平線の奥たで続く遥かなる眺望、そしお巊、右、䞊郚の䞉次元奥たで広がる空の空間、すなわち画面の隅々たで描かれた広倧な空間構築性のためです。

 実は䌚堎ではその理由が分からず、この蚘事を描いおいお気が付きたした。

はたしお建築矎、人工矎だけなのか

 特筆したいのはベニスを描いたカナレットの絵には暹朚がたったく描かれおいないこずです。
 ベニスは、浅瀬に膚倧な数の杭を打ちその䞊に建物が建おられた、海䞊の完党な人工郜垂です。ですから暹朚が生える䜙地はなく、建築矎=郜垂矎=人工矎ずするならば、ベニスの郜垂画は究極の人工矎、郜垂矎の絵ず云えるでしょう。

 その芳点で、圌の絵の䞭の自然を探すず、「空ず雲」ず「海面ず波」のみになりたす。そしおあえお人間を”動物”ずしおみなすず、描かれた人間も自然の䞀郚に入りたす。
 すなわち、圌の絵の䞭で、人間が制埡できない自然物は空ず雲、海ず海面の波、そしお動物ずしおの人間の䞉぀になりたす。

 ずころで、よく蚀われおいるように西掋人は自然に察しお人間を䞊䜍に眮いおいる、すなわち自然は人間が制埡できる察象物に過ぎないずいう思想でカナレットの絵を眺めるず、「それにしおは、完党な人工物である建築物よりも、自然物である空ず雲、海ず波、人間の比率があたりに倧きくありたせんか」ず西掋人に問いかけたくもなりたす。

 その問いは面癜いずいうか、皮肉だずずられるのか分かりたせんが、そう問われた西掋人は圓惑するしかないかもしれたせん。
 なぜならベニスの街を描く際に、近くの建物を倧きく、そしお颚景党䜓を西欧絵画の基本である透芖図法で描く限り、必ずや空や手前の海の面積が倧きく成らざるを埗ないからです。

 しかし、だからこそ画家は空ず雲、海ず波、人間たちの描写を手を抜かず、隅々たで描いおいるのだずも蚀えたす。
 そのために、私が芋る限り、人工物建築の冷たさは消えお、空ず雲、海ず波、人間の動きがあるために、芳る者に自然がもたらす安堵、癒しから来る暖かみを感じさせ、建築矎だけではないカナレットの颚景画の矎を生み出しおいるずはいえないでしょうか

はたしお西欧人だけが「空間恐怖」なのか なぜ日本は地平線を高く䞊げお空を狭く描こうずするのか

 以䞊のように芋おくるず、逆に日本の絵画のこずも振り返りたくなりたす。

 特に、空の描写に぀いお焊点を圓おるず、䞊で述べた様に、カナレットは空を無駄なものずしお芋おはいたせん。青空ず雲を魅力的に描いおいたす。

 䞀方、カナレットず同時代の日本はどうでしょうか 叞銬江挢や秋田蘭画の画家達が青空ず癜い雲を描き始めた頃です。しかし圓時の䞀般の人々にずっおは、そのような絵を県にする機䌚は無く、おそらくやたず絵や氎墚画の䌝統の、近景を描くだけで数十m先は霞や霧にしお隠す花鳥図、金碧障屏画など遠景を描く時は、地平線を最䞊郚に䞊げ、䞭景からすやり霞、金雲で隠す吹抜屋台や掛䞭掛倖図の鳥瞰構図、氎墚山氎のかすみず山頂䞊郚の空癜郚分 などの絵しか知らなかったず思いたす。

 私は最近の蚘事で、19䞖玀の葛食北斎や歌川囜芳、歌川広重の颚景画浮䞖絵版画になっお、ようやく近景はもちろん、䞭景で芆い぀くすように描かれたすやり霞や雲がなくなり、そしお地平線が䞊郚にある埓来の鳥瞰構図だけでなく、地平線が画面の䞭ほどに蚭定し、地平線近くの遠くの山々や森が雲で隠されるこずなくすべおクリアに描かれすやり霞が描かれる堎合もありたすが、しかも青空ず癜い雲を堂々ず描かれるこずが始たったこずを指摘したした。

 しかも北斎、囜芳、広重は、近景、䞭景、遠景にあるモティヌフの配眮に察し西掋の遠近法を必芁に応じお䜿いこなしおいるのです。

 かくしお、私は垞々思っおいた疑問「江戞時代の日本の絵画はあたたあるのに、なぜ北斎や広重の浮䞖絵版画だけがゞャポニスムずしお西欧絵画に特別な圱響を䞎えたのか」に察する答えずしお、「北斎、広重の颚景画だけが、西欧の遠近法を甚い、䜙癜やすやり霞、雲による隠ぺいのない颚景画を描いたので、すでに西掋人に受け入れられる玠地があった」ずいう仮説を最近述べたした。

 このように、絵画の歎史の文脈で考えおくるず、定説のよう頻繁に蚀われる「西掋人は䜙癜を理解せず、党おの画面を埋め尜くさずにはいられない「空間恐怖」を持぀」ずいう説に察するある疑問が湧いおきたした。

 それは、西掋人のみが「空間恐怖」を持぀のか 日本人は本圓に持たないのかずいう疑問です。

 先に私の蚀いたいこずを述べたす。すなわち、

 日本人こそ心理的には西掋人ずは別の意味の「空間恐怖」、厳密には「空空気が充満したに察する恐怖」を持っおいたのではないか

 です。

 あれほど、倩井を抜いお郚屋䞀面を䞊から描写したり吹抜屋台、地平線をあげお地䞊郚分ばかり描写する構図鳥瞰を芋るず、日本人は叀来から空を描く恐怖があったのではないかずしか思えたせん。

 なお北斎、広重では鳥瞰構図だけではなく、西掋的に地平線を降ろした絵を描くようになりたしたが、面癜いこずに明治以降倧正以前の「日本画」では、霞や霧で隠すか、遠景を描く堎合たたしおも地平線を画面の最䞊郚に䜍眮する絵が䞻流になっおしたいたした。

 よほど「空」が嫌いに違いありたせん。

 以䞊カナレットの絵を、私が最近関心を寄せおいる芳点で感想を述べたしたが、もっず絵画史的にきちんずした鑑賞をしたい方は、SOMPO矎術通の孊芞員の方ず、矎術評論家の千足䌞行氏が出挔しおいるカナレット展特集の䞋蚘二぀の動画をご芧ください。

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