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親を見捨ててもいい?精神科医が考える「距離を取る基準」

    精神科医 益田裕介


    親を見捨てるなんて間違っているのではないか。家族なのだから、自分がもっと耐えなければいけないのではないか。

    そう自分を責め、心身をすり減らしている方は少なくありません。

    10代や20代の若い当事者が、精神疾患を抱える親のケアに追われて自身もうつ状態に陥ってしまうヤングケアラーの問題。
    あるいは50代になってもなお、80代の親との関係性や介護問題に苦しめられ、遠方から新幹線で通い詰めながら疲弊していくケースなど、臨床の現場では世代を問わず「親との適切な距離感」に深く悩む場面に数多く遭遇します。

    今回は、精神科医療の視点から「親を見捨てて良い基準」とはどこにあるのか、なぜ私たちは親への情を切ることができないのか、そして臨床現場でどのような問いかけを通して理想化を解き、距離をとるサポートを行っているかについてお話しします。






    ◾️「見捨てて良い」と判断する臨床的・法的基準


    患者さんが複雑性PTSDをはじめとするトラウマに苦しまれている場合でも、「本当に見捨てて良いのだろうか」「自分が悪いのではないか」と躊躇されることは非常に多いものです。

    臨床家がこうした相談を受けた際、まず確認する大きな基準がふたつ存在します。

    • 現在進行形で害を与えられているか

      今まさに相手からの攻撃や不当な介入によって、あなたの生活や精神が脅かされている状態であれば、ためらうことなく距離を置き、関係を遮断(見捨てる)して問題ありません。

    • 相手が変わる可能性(見込み)があるか

      たとえば双極性障害の躁状態や、統合失調症の発症初期といった一過性の症状によって問題が生じており、適切な入院治療などを経て回復が見込める場合であれば、様子を見る猶予が生まれます。
      しかし、自閉スペクトラム症や注意欠如・多動症などの発達障害の特性、あるいはパーソナリティ症に起因する問題である場合、半年などの短期間で本人の性質が劇的に変わる見込みは極めて低いと言えます。

    「現在進行形で危害があり、かつ改善の見込みがない」のであれば、それは臨床的に「見捨てて良い状態」であると言えます。

    また、法的な側面における「扶養義務」についても正しく理解しておくことが重要です。
    配偶者や未成熟子に対しては強い生活保持義務が発生しますが、成人した親子間や兄弟姉妹間における扶養義務(生活扶助義務)は決して強いものではありません。

    義務を果たさなければならない場合であっても、求められるのは自分の生活を壊さない範囲での「金銭的援助」のみであり、自ら身を削って介護や身体的ケアを行う法律上の義務は存在しません(同居していない場合)。
    遠方に住む親の認知症が進行し、孤独死に至ったとしても、ただちに扶養義務違反として罪に問われるわけではないのです。

    行政の手続きを活用し、生活保護の申請や福祉サービスへ繋ぎ、こちらの現住所を伏せた状態で対応を任せるアプローチは法的に一切問題ありません。
    過去にネグレクトや虐待の事実があれば、行政側もそうした事情を考慮して対応してくれます。



    ◾️ なぜ「分かっていても」気持ちを割り切れないのか


    頭では「距離を置くべきだ」と理解できていても、感情の面で割り切ることは決して容易ではありません。

    そもそも、最初から割り切れないのが当然なのです。時間をかけてじっくり通院を継続しながら、精神医学の知識を学び、主治医と一緒に考えを整理していくプロセスそのものが精神科治療であると言えます。

    当事者の方からよく挙げられる悩みに「なぜ親は精神疾患や精神医学を理解してくれないのか」というものがあります。

    しかし、うつ病についての表面的な理解ならまだしも、発達障害やトラウマ、パーソナリティ症といった複雑な構造を、上の世代の親が正しく理解することは極めて困難です。

    専門知識のない人間が直感的に理解できるほど、精神医学は単純なものではありません。
    身近な家族にいくら論理的に説明しても「温泉に入れば治る」と思い込んでいたような例もあるように、親世代の認識とは概ねそのようなものだと捉えておくのが現実的です。

    また、子ども側がうつ病や発達障害、トラウマを抱えている場合、その親自身もまた発達障害の傾向(片付けられずネグレクト状態に陥るなど)や、B群(自己愛性、境界性、反社会性など)のパーソナリティ症を抱えているケースが少なくありません。

    これらの特性には波があり、ストレスがかかった時にだけ強い攻撃性や過干渉、操作的な言動が表面化することがあります。

    「良い時の親」と「悪い時の親」のギャップに晒されることで、子ども側は「どちらが本当の親なのだろう」と困惑しますが、その不安定さや変動性も含めた全体像こそが「その人」の本質です。

    さらに、外では礼儀正しく仕事をこなしていても、家庭内ではゴミ屋敷を作っていたり深刻な問題行動を起こしていたりと、家庭内の実態が外部から見えにくい点も問題を複雑化させています。



    ◾️ 親の「理想化」を解くための問いかけ


    子どもは無意識のうちに「親」という存在を過度に理想化し、特別な存在として捉えてしまいがちです。
    診察室では、この過度な理想化を解くために次のような問いかけを行うことがあります。

    「もしその親が、あなたの学校のクラスメイトや会社の同僚・上司だったとしたら、どう付き合いますか?」

    このように問いかけると、多くの患者さんは「絶対に友達にはなりたくない」「嫌なやつだから関わらないように距離を置く」と回答されます。

    「親」という特別なフィルターを一度取り払い、一人の人間として客観的に観察したとき、そこには「近所の普通のおじさん・おばさん」となんら変わらない個人が存在しているに過ぎません。

    職場に苦手な人がいたときに程々の距離感でやり過ごすのと同様に、親に対しても無理に深く関わらず、適切な距離を取ることが合理的な選択となります。



    ◾️ 思春期の葛藤、共依存、そして「損切り」という課題


    健康な親子関係においては、思春期の反抗期を通じて子どもが親に怒りを向け、憎しみを感じるプロセスが自然に生じます。

    子どもは成長の過程で社会の理不尽さや壁に突き当たりますが、社会そのものを直接憎むことは難しいため、社会の象徴やメタファーとして親を立て、そこへ怒りやエネルギーをぶつけることで自立を果たしていくからです。

    しかし、不適切な環境下ではこのプロセスが正常に機能せず、以下のような不全な人間関係に陥ることがあります。

    屈服と共依存の形成
    親に屈服することで許しを得ようとし、親もまた子どもを手元に置くことで、閉塞した家族関係の中だけで不完全な安心感を得ようとする「共依存」の構造です。

    「孤立」への恐怖による執着
    「一人きりになるくらいなら、歪んだ関係であっても繋がっていた方がましだ」という心理から、DVや悪質な人間関係から抜け出せない状態と同様の執着が生じます。

    過去の被害に対する執着
    「これまで受けた虐待の謝罪をしてほしい」「いつか改心して愛情を注いでほしい」という強い未練や恨みから、損切りができなくなってしまうケースです。


    悲しい現実ではありますが、過去に受けた傷や不当な扱いに対する「補償」や「改心」を相手から得ることはほぼ不可能です。
    関わりを続けることで、さらなるエネルギーや時間を奪われ続けるリスクの方が遥かに高いと言えます。

    これまでの関係を「非常に高い授業料だった」と捉え直し、冷酷に思えるかもしれませんが、自分自身の人生と安全を守るために「損切り」を行う視点が極めて重要となります。

    世の中には子供のために資産を残し、育児を全面的に支えてくれる親が存在する一方で、子どもの足を引っ張り続ける親が存在するのも紛れもない現実であり、そこに生じる格差は非常に残酷なものです。

    精神科を受診したからといって、親を一瞬で改心させるような魔法の解決策が存在するわけではありません。
    相手の能力や人格、限界を客観的に評価し、必要であれば裁判や警察、行政などの公的な枠組みも視野に入れながら、冷静に対処していくことです。




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