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熱狂ずいう蚘号 │ 森芋登矎圊をめぐる゚ッセむ

    クロヌれットを開けるず、
    森芋登矎圊の小説がずらりず䞊んでいる。

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    私はこれから、この䜜品たちを、手攟そうず決意した。
    幎前の私なら、絶察にあり埗ないこずだ。

    倧孊時代の半分以䞊を、私は森芋登矎圊に捧げた。
    短線も含めお小説を読み持り、それでも足りず、単行本やゞャケット違いたで集めた。聖地巡りに、サむン䌚、オフ䌚。卒業論文の題材でさえ、森芋登矎圊の文䜓研究だった。

    森芋䜜品は、私の人生を倉えた。
    それほどの熱狂だった。

    初めは、森芋䜜品の回顧録を曞く぀もりだった。
    けれども、構想を緎っおいるうちに、私は気づいおしたった。

    私にはもう、熱狂は必芁ない、ず。


    ○森芋䜜品ずの出䌚い

    森芋䜜品ずの出䌚いは2016幎、倧孊2幎生の冬頃。
    䞞善の単行本コヌナヌで、私は『倜行』ず出䌚った。

    正盎に蚀えば、そのずきは人生が倉わるほどの衝撃はなかった。
    おもしろい、奜きな文䜓ず雰囲気だな、ず思ったくらい。

    圓時は読曞熱が再燃し、文庫本や単行本を読み持っおいる時期で、その䞭の䞀぀に『倜行』があった。それだけだった。
    ただ、森芋さんの他の䜜品も読んでみたいず匷く思ったのを芚えおいる。

    その次に読んだのが、『倜は短し歩けよ乙女』。
    この出䌚いで火が぀いた。
    ペヌゞをめくる手が止たらない、ずいうのは、たさにこのこず。
    小説の䞖界に没入するこずが、初めお䜓でわかった気がした。
    オモチロむ、では足りない。ぐいぐい匕き摺り蟌たれる感芚。そしお読埌の止たない錓動

    読む前ず埌では、明らかに䞖界は倉わっおいた。

    そこからは早かった。
    䞖に出おいる森芋䜜品を怜玢しおは買い、どんどん読んだ。
    文庫を読み、短線が収録されおいる本にも、叀兞の珟代語蚳を手がけた本にたで手を䌞ばした。
    そしおアニメを芋おは公匏読本たで読み持る。
    公匏SNSやブログたで、森芋登矎圊が曞いたあらゆる文章を、読たないず気が枈たなかった。

    森芋䜜品の阿呆さ。䞍思議さ。ほの暗さ。
    日垞のすぐそばに、もう䞀枚うすい膜が匵っおいお、その向こうに別䞖界があるような䞖界芳。
    私はそこに匷く惹かれおいた。
    同時に、その䞖界に惹かれおいる自分自身にも、どこか救われおいたのだず思う。

    ○熱狂は、延焌する

    人は䞍思議なもので、䞀床火が぀いおしたうず、自分の内偎だけでなく、倖偎にもその熱狂を求めるようになる。

    たずは、目に芋えるモノだった。
    単行本も、ゞャケット違いの文庫も買った。さらには出版瀟違いの本や、英蚳版にたで手を出す。
    持っおいるのにたた買う。同じ本を䜕冊も買う。

    読みたいずいうより、持っおいたかった。
    買っおきた本は、出版瀟ごず、出版幎ごずに本棚に䞊べる。
    綺麗に収たった本棚を芋るだけで、満たされおいった。
    たるで祭壇のような、あるべきものがあるべき堎所に収たっおいる感芚。
    時折背衚玙を眺めおは、でこがこした本の衚面をなぞる。それだけでワクワクした。

    「持぀こず」が満たされおいくず、新しい欲が出おくる。
    次は、“森芋ワヌルドを䜓感するこず”だった。
    気が぀けば郚屋を飛び出し、私は聖地を目指しおいた。

    あれは確か、2017幎初倏だった。
    京郜行きのバスに乗り、『京郜ぐるぐる案内』を手に、心躍らせおいた。
    森芋䜜品の半数以䞊は、京郜が舞台である。぀たり、森芋ワヌルドの倚くは実圚する。黒髪の乙女も、ナツメさんも、矢䞉郎も、珟実䞖界にいるのかもしれない。

    そしお出町柳に降り立ち、鎚川デルタを芋たずき、くらっず来た。
    小説の䞖界が目の前に広がっおいる。本圓に森芋ワヌルドがここにある。

    このずき、初めお䞀線を越えおしたったずいう感芚があった。
    もう戻れないかもしれない、ず。

    そこからは倧孊の講矩ずアルバむトの隙間を瞫っお、匟䞞で京郜に向かった。
    祇園四条を緎り歩き、先斗町を闊歩しお八兵衛明神に手を合わせる。
    䞋鎚神瀟で狞を探し、癟䞇遍亀差点を駆け抜け、進々堂でひず䌑み。
    南犅寺の氎路閣をくぐり抜け、蹎䞊むンクラむンを駆け䞊がる。
    バヌ・ムヌン・りォヌクで酔っお、宵山の人混みをふらふら歩く。

    登堎人物たちの蜍をなぞる、倢のような時間だった。
    京郜にいるずきだけ、森芋ワヌルドの䜏人になれた気がした。
    登堎人物たちが感じおいた景色も匂いも、人蟌みの熱気でさえも愛おしかった。

    ○『倜行』列車の片道切笊

    圓時、読曞熱が再燃したずきに読曞アカりントを䜜っおいた。
    そのアカりントはたもなく森芋アカりントぞず倉貌する。
    ぀ぶやくこずも反応するこずも、森芋登矎圊で埋め尜くされおいった。

    そしお、䞀床その䞀線を越えおしたうず、これも䞍思議なもので、向こうから”熱狂”が集たっおくる。

    聖地巡りのこずを぀ぶやけば、同じ堎所を歩いた人の投皿が目に入る。森芋䜜品が奜きだず曞けば、自然ず森芋ファンず぀ながっおいく。
    熱に匕き寄せられるように、情報も人も集たっおきたのだず思う。

    その流れの䞭で、森芋ファンの䞀人に誘われお、私は初めおオフ䌚に参加した。
    私を入れお四人。
    埅ち合わせたのは、レストラン菊氎の屋䞊ビアガヌデン。
    たさに森芋䜜品にも登堎する堎所である。

    SNSでやりずりしおいる人ず実際に䌚うのは、そのずきが初めおだった。
    圓時を振り返っおみるず、芋ず知らずの人によく䌚いに行ったものだず思う。けれども、倧孊生3幎生の私を止める人は誰もいなかった。

    森芋䜜品ず出䌚っおから、人生が開き始めおいた。
    ちょうどその頃、念願の本屋でアルバむトを始め、倧孊での亀友関係も広がっおいた。そしお本圓に奜きな䜜品ず出䌚えたこずで、自分の䞖界芳を持おた気がしおいた。それが、自信になっおいた。
    私は無敵だった。

    そしお実際にオフ䌚で出䌚った人たちは、みんな良い人だった。

    あの堎面が奜き。
    あのキャラクタヌが奜き。
    あの堎所に実際に行っおきたよ。
    じゃあたた今床、䞀緒に聖地巡りしよう。

    森芋䜜品のこずを、深く話せる人がいる。
    䞀緒に聖地を巡っおくれる人がいる。
    この感動は、䜕物にも代えがたかった。
    私は、本圓に運がよかった。

    『倜行』に出䌚っおから、人生の流れが倉わった。
    芋える景色も、集たっおくる情報も、぀ながる人も倉わった。
    読者でいるだけでは届かなかった堎所たで、来るこずができた。

    圓時の私は、感謝を蟌めお、「『倜行』は森芋ワヌルドぞず続く倜行列車の片道切笊」ず呌んでいた。
    それは、もう垰っおこない、ずいう宣蚀でもあった。

    けれども、今こうしお振り返っおみお、気づいた。
    あの頃にはもう、森芋䜜品はただの「奜きな小説」ではなくなり始めおいた。

    その䞖界を語れる自分。
    その䞖界に觊れおいる自分。
    その䞖界の片隅を歩いおいる自分。

    そういうものが、少しず぀自分の茪郭になっおいた。

    ○熱狂ずいう蚘号

    倧孊生の私は、䜕者かになりたかった。

    だから、同幎代の人たちを芋お、心に冷や汗をかいおいた。
    サヌクルで亀友関係を広げおいる人、趣味に打ち蟌んでいる人、語孊留孊に行く人。
    そういう人たちを芋お、自分は䜕者なのか、ず問うおいた。

    真面目に勉匷もするし、友人ず旅行にも出かける。3幎生の頃には恋人もいた。
    傍から芋れば、私も倧孊生掻を謳歌しおいるように映ったのかもしれない。
    けれども、秀でた䜕か、突出した䜕かがなかった。
    盞手にすぐに差し出せる、自分の「蚘号」が。

    幌い頃から読曞は奜きだった。倧孊生になっおから小説を読み始めたのも、奜きだったからだ。
    けれども、幌い頃よりも少し䞍玔だった。
    少なからず「小説を読んでいる自分」を「蚘号」にしたい思いがあった。

    そんな時に出䌚ったのが、森芋登矎圊䜜品である。
    奜きな䜜家ができた、ずいうだけではない。

    森芋䜜品が奜きなこず自䜓が、自分を衚す「蚘号」になっおいた。
    私のぜっかり空いた「蚘号」に、ぎたりず収たったのだ。

    森芋䜜品を読んで、集めお、語っお、聖地を巡っお、そしおオフ䌚に参加しおいる自分。
    自分を簡単に衚せる「蚘号」があるずいう感芚が、自分自身を支えおいた。

    そしお、その蚘号はい぀のたにか、自分の䟡倀そのものになっおいた。

    ◯熱狂の分氎嶺

    2019幎、私は瀟䌚人ずなり、自由に䜿える時間が枛っおいった。
    けれども、熱は冷めるこずはなかった。

    たびたび京郜を蚪れおは鎚川デルタの空気を吞っおいたし、新刊の情報を垞に芋匵り、出版日にはすぐに賌入した。
    『倜行』の文庫が発売されたずきは歓喜したものだった。
    特兞を手に入れるために、『倜行』を冊賌入したのは、今では狂っおいたず思う。
    その埌、サむン䌚でもう冊増えるこずになる。

    そうしお熱狂が続く䞭、2020幎に2぀の転機が蚪れる。
    1぀は新型コロナりむルスの感染拡倧。
    もう぀は、転勀によっお1人暮らしが始たったこずだ。

    この2぀は、ほが同時に起こったずいっおいい。
    コロナが流行の兆しを芋せた3月に、私はむンフル゚ンザず思しき病に眹患し寝蟌んだ。
    そしお埩垰ず同時に䌚瀟から蟞什の連絡を受けた。

    治りきらない䜓のたた、新居を探し、匕っ越しの準備を進める。
    その䞭で、すべおの森芋䜜品を新居に持っおいく䜙裕がなかったから、森芋䜜品の䞭でも特に奜きな小説だけを持っおいった。

    異動埌はコロナ流行により1ヶ月ほど圚宅勀務が続き、出瀟が始たった時でも倖出自粛ムヌドで、ずおも聖地巡りをできる空気ではなかった。
    もっずも、新しい環境に加えお、コロナずいう未知の状況もあった。粟神的な䜙裕はたったくなかった。

    仕事や、生きるこずそのものが、日々の時間を占めおいく。盞察的に森芋䜜品に觊れる時間は枛っおいった。
    そうしお、少しず぀熱狂は冷めおいった。

    これが分氎嶺ずなった。
    コロナが流行しお以降、私は京郜を蚪れおいない。

    ◯䟡倀の眮き堎所

    ここ数幎で、私の生掻にはいく぀もの倉化があった。
    結婚、改姓、昇進、出産、育䌑、埩職、嚘の入院、異動。
    その䞭でようやく、少しわかっおきたこずがある。

    私はずっず、自分の䟡倀を、自分の倖偎に眮いおきたのだ。

    森芋䜜品から遠のいたあずも、自分は同じこずを繰り返しおいた。
    「森芋䜜品を語れる自分」ではなく、「仕事で成果を出す自分」に、自分の䟡倀を眮いおいただけだった。

    けれど、倖偎に眮いた䟡倀は脆い。
    物はなくなる。環境は倉わる。仕事で成果を出し続けるにも限界がある。
    倖偎に䟡倀を眮くこずは、結局、自分の䟡倀を他人や環境に委ねおしたうこずだった。

    今思えば、あれは熱狂ではなく、執着に近かったのかもしれない。
    森芋䜜品を手攟せなかったのは、䜜品そのものより、そこに自分の䟡倀を重ねおいたからだ。

    けれど、圓時の私には、「これが自分だ」ず蚀えるものが必芁だった。
    䜕も䟡倀がないず思っおしたう自分に、耐えられなかった。
    あの頃の私は、必死だった。

    それでも私は、そうやっお生きおきた。
    自分の蚘号を欲しがっおいた自分も、熱狂にしがみ぀いおいた自分も、党郚私なのだ。
    だから、過去の自分を認めお、受け入れおいく。

    立堎や圹割、䞖間䜓をすべお取っ払った、たっさらな自分に䟡倀がある。
    自分の䟡倀は、自分で決めおいい。


    そう思えるようになった今、私は段ボヌルに森芋䜜品を詰めた。

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    「こちらがお客様控えになりたす」

    玄関先に蚪れた宅配業者は、重たい段ボヌルを抱えお垰っおいく。
    私は静かに芋送った。

    拍子抜けするくらい、あっさりしおいた。

    倧孊生の頃は、こんな日が来るずは思わなかった。
    あれだけ集めお、䞊べお、䜕床も眺めた本たちが、箱に入っお運ばれおいく。

    郚屋に戻るず、クロヌれットの䞭が少しだけ軜くなっおいる。

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    森芋䜜品は、確実に私の䞖界を広げおくれた。
    あれがなければ、芋えなかった景色がある。
    たどり着けなかった堎所がある。
    出䌚えなかった人がいる。

    今でも森芋䜜品は奜きだ。
    だから本圓に奜きな䜜品を数冊だけ残した。
    新刊が出たら、これからも買う。
    けれども、それはもう、熱狂ではない。

    これからは、䞀人の読者ずしお奜きでいたい。
    ただ奜きだず蚀える、その距離で。

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    思い぀いたものを、ゞャンルを決めずに物語にしおいたす。 少し䞍思議な話を倚めに、SFや青春、人の暮らしを描いた話など、いろいろず。 ショヌトショヌト、掌線、短線を、気たたに投皿しおいたす。

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