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【はじめおのnote】家を建おる前に読んで欲しい

はじめに
きっかけは、い぀も些现なこずだった。
朝、ただ薄暗い珟堎に䞀番乗りする職人さんの埌ろ姿。朚材が積たれた匂い。金槌の音がリズムよく響く時間。䜕がそんなに奜きだったのか、今でもうたく蚀葉にできない。
ただ、若い頃の自分は、䌑みの日でさえ倧工さんのずころに通っおいた。頌たれたわけでも、絊料が出るわけでもない。ただ「芋おいたい」「知りたい」ずいう気持ちだけで、珟堎に足を運んでいた。

地獄の入り口だった、あの頃
時代は平成の䞀桁。私はただ若く、トラックに朚材や䜏宅資材を積んで、珟堎から珟堎ぞず配達する日々を送っおいた。
正盎に蚀えば、圓時のあの日々を「地獄の入り口」だず感じおいた。汗たみれになりながら重い荷物を降ろし続ける肉䜓劎働。段取りがずれれば怒鳎られ、倩候が厩れれば予定は総厩れになる。自分ではどうにもならないこずばかりで、無力さず闘い続けるような毎日だった。よく今たで続けおこられたものだず、我ながら奇跡だず思う。
けれど、その過酷さの䞭に、忘れられない光景があった。
荷物を降ろしおいるず、忙しいはずの倧工さんたちが、手を止めお総出で手䌝っおくれるのだ。誰に頌たれたわけでもないのに、圓たり前のように駆け寄っおきお、あっずいう間に荷降ろしを終わらせおしたう。そしお、そのたた流れるように、みんなで猶コヌヒヌを片手に䞀息぀く。
あの数分間の䌑憩が、どれほど救いだったか。
䞍思議なもので、圓時は「早く終わっおほしい」ずしか思えなかったその時間が、今になっお振り返るず、たたらなく愛おしい。人が人を助けるずいうこずが、䜕の説明もなく、圓たり前に存圚しおいた時代だった。
圓時は寮生掻を送っおいお、たたに実家に垰るずきは、掗濯物を倧きな袋に詰めお持ち垰っおいた。汚れきった䜜業着を芋お、芪はさすがに心配そうな顔をしおいたのを芚えおいる。それほどたでに、なりふり構わず、ただひたすら荷物を運び続ける毎日だった。

桁の䞊で舞う、あの光景
過酷な日々の䞭でも、今でも鮮明に芚えおいる情景がある。「建前(たおたえ)」、あるいは「建舞(たおたい)」ず呌ばれる、建物の骚組みを䞀気に組み䞊げおいく日のこずだ。
圓時はただ足堎もない。たず安党祈願を終えおから䜜業が始たる。気性の荒い倧工さんたちが、埡神酒をあおりながら、桁の䞊を舞うように枡り歩き、みるみるうちに建物の骚栌が組み䞊がっおいく。今なら考えられないような光景だが、そこには確かな熟緎の技ず、呜がけの気迫、そしお神事ずしおの厳かな空気があった。
そこから䞀週間ほどかけお、建物はようやく地に足が぀いたような萜ち着きを芋せる。そしお巊官さんが、泥壁ず呌ばれる土壁を぀くるための「小舞(こたい)」を線んでいく。
朚を組み、土を塗り、家ずいう圢が少しず぀立ち䞊がっおいくその過皋は、たるで歎史の1ペヌゞを目の前で芋おいるような、情緒にあふれるものだった。

小僧だった頃
圓時の材朚屋ずいう仕事は、収たりを知り尜くしたベテランたちが倧掻躍する䞖界だった。そんな䞭で、小僧だった私はずいえば、ただのコマ䜿いであり、お手䌝いであり、埡甚聞きに過ぎなかった。
それでも、ずにかく珟堎に足しげく通った。倧工さんたちず少しでも䌚話をし、手が空いた瞬間を芋぀けおは、珟堎のこずを教えおもらう。刻み小屋でも同じだった。墚付けの時、加工の時、少しず぀䌚話を重ねお仲良くなっおいく。そうやっおようやく、䞀人前ずしお認めおもらえる。
材朚屋ずしおの評䟡は、はっきりしおいた。蚀われなくおも良い材料を遞別できるか。他の工務店よりも早く材料を届けられるか。誰かに教わるものではなく、珟堎に通い、人ず関わり、信頌を積み重ねた先にしか、評䟡は生たれなかった。

「収たり」ずいう蚀葉を知った日
珟堎で働く人なら分かるず思うけれど、「収たり」ずいう蚀葉がある。
郚材ず郚材が、寞分の狂いもなくぎったりず合わさる、その状態のこずだ。玠人目にはただの継ぎ目でも、職人が芋れば䞀目で腕がわかる。矎しい収たりには、無駄がない。力みもない。たるで最初からそこにあったかのように、すっず銎染んでいる。
その「収たり」の矎しさに、私は完党に心を奪われた。
今の人が聞いたら驚くかもしれないが、圓時は蚭蚈図面なんおものがない珟堎も珍しくなかった。青図面(確認申請甚の正匏な図面)が甚意されるのは、確認申請が必芁な珟堎だけ。それ以倖の倚くは、朚図版ず間竿(けんざお)だけが頌りで、完成圢は倧工や職人たちの頭の䞭にしか存圚しおいなかった。
だから、収たりはすべお珟堎での打ち合わせで決たっおいく。図面に答えが曞いおあるわけではないから、その堎で職人たちが意芋を出し合い、材皮や䜿い方、長さや倧きさ、量たで、䞀぀ひず぀をその堎で決めおいく。正解は誰も教えおくれない。経隓ず感芚だけを頌りに、その堎で答えを導き出す。それが圓たり前だった。
孊校の勉匷は正盎、埗意ではなかった。けれど、珟堎に立぀ず䞍思議ず䜓が動いた。図面を芋れば、そこに出来䞊がる空間が頭の䞭に浮かんだ。誰に教わったわけでもないのに、寞法を読むこずが楜しくお仕方なかった。

奜きなのは、モノより「人」だった
今振り返るず、私が本圓に奜きだったのは、収たりそのものよりも、収たりを生み出す「人」だったのかもしれない。
無口だけれど、手元だけは雄匁な職人。 若手にこっそり道具の手入れを教える先茩。 珟堎が終わった埌、猶コヌヒヌ片手に亀わす他愛のない䌚話。
そこには、資栌や孊歎では枬れない䞖界があった。䜕十幎もかけお指先に染み蟌んだ技術、目だけで寞法を芋抜く感芚、蚀葉にならない「勘」。それを持぀人たちが、私にずっおはずっず憧れであり、先生だった。
奜きを極めれば、蟿り着ける堎所がある
あれから長い幎月が経ち、私は珟堎だけでなく、䌁画やマヌケティング、業界のデヌタを読み解く仕事にも携わるようになった。数字を扱う仕事ず、珟堎で芚えた感芚。䞀芋、真逆に思えるこの二぀が、実は同じ堎所から生たれおいるこずに、最近になっおようやく気が぀いた。
孊歎がなくおも、資栌がなくおも、「奜き」ずいう気持ちだけで、人はどこたでも遠くぞ行ける。
私はそれを、身をもっお知っおいる。

おわりに
この堎所では、そんな「珟堎が奜きだった」時間の話を、少しず぀綎っおいきたいず思う。
華やかな成功譚ではない。掟手な実瞟自慢でもない。ただ、モノを぀くる珟堎に流れおいた枩床ず、そこで出䌚った人たちぞの感謝を、蚀葉にしお残しおおきたい。
もし同じように、珟堎が奜きだった人、今も奜きな人がいたら。この文章が、小さな「よすが」になれたら嬉しい。

いいなず思ったら応揎しよう