
ぬいぐるみの人
「願い事を書いてみませんか」
いつも通っているコワーキングスペースへ入ると、受付のカウンターに、星の飾りが付いたカラフルな短冊が用意されていた。
置かれている背丈ほどの笹飾りには、折り紙で作られた飾りの間に、短冊がいくつか下がっていた。
資格試験の合格を目指す人。孫を楽しみに待っている人。ちいかわになりたい人もいた。
✤
今日も中を見渡すと、いつもの後ろ姿ばかりだった。
カウンター席もある。でもほとんどの人は、間仕切りのついた半個室のような席に座っている。
自由席でありながら、毎日訪れている人はそれぞれに好みの席がなんとなく決まっている。
意外とみんな、毎日同じ服を着ている。
サッカーのユニフォームの人。おしゃれな帽子の人。
顔より服で、いつもの人だとわかる。
✤
コワーキングスペースほど、何も起こらない場所はないかもしれない。
毎日顔を合わせるのに、会話はない。通路や出入口で、譲り合って会釈する程度で、挨拶すらしない。
ここを訪れる人は、だいたいひとりだ。
知り合い同士やカップルで利用する光景を、たまに見かけることはある。でもどちらかというと、ひとりで仕事や勉強に取り組んでいる。
ある日、ドリンクコーナーへ行くと、利用者同士、ふたりで立ち話をしている光景を見かけた。
どちらも毎日見かける人だった。
「そうか。この人たち喋るんだ。笑うんだ」と、わたしは思った。
それは、休み時間に教室の隅で静かに本を読んでいた同級生の声を、初めて聞いたような不思議さで、少しエモーショナルでもあったと思う。
✤
シンクでガシガシと音を立て、本気の歯磨きをする人。めんつゆの一升瓶を目の前に置いて、お昼を黙々と食べている人。
この場所での、そんな些細な行動は、ただでさえ薄い輪郭から個性として漏れ出し、その人をあぶり出す。
わたしも、いつもの席に座る。
でも、誰とも話さずに過ごしていると、わたしがただの風景になってしまう気がした。
ノートパソコンを開き、いつものぬいぐるみをリュックから取り出す。
そっとテーブルに置くと、わたしは「ぬいぐるみの人」になった。