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バターの約束

    母の手術が無事終わった。まだICUの最中なので完全に安心はできないが、良くも悪くも辛い記憶はすぐ忘れてしまう性分なので鮮明なうちに書き残しておきたい。

    産まれる前から母親は心臓病を患っていた。出産はリスクが高く1人だけと断言された元に産まれたラッキーガールがこの私である。手術はいつか受ける必要があるものの様子見の状態が続いていた。幼少期から多少は覚悟していたが、なんとなく来ないような気がしていた
    「いつか」が遂に来てしまった感覚だった。
    入院の翌日に手術、数日ICUで様子を見た後、一般病棟で歩行の練習をするスケジュールだった。日程が定まってからは本人で無いと言え、とにかく安心材料が欲しかったのでインターネットを日々徘徊し執刀医の経歴や文献から体験談や手記に至るまで読み漁った。大学時代、いつか絶対役に立つと論文の読み方を丁寧に教えてくれた教授には頭が上がらない。低侵襲という、表現が正しいか微妙だが比較的歴史の浅い手術のため、持ち前のネットサーフィン術を活かしても情報はかなり限られていた。特に体験談は乏しかったためあくまで周囲の人間にはなるが今回の執筆に至る。

    手術日が連休明けの日だったので、休暇を取るか心底悩んだが、前日までは実家で母親と過ごし、当日は東京に戻って出社することを選んだ。本人が遺書を書く気はないし、金の在処も伝える気はないと断言していたので、私もいつも通りの日常を過ごすことを選んだ。上司には念のため伝えておくか悩んだが、予防線を張っておくようで気が進まず、結局誰にも話さずにその日を迎えた。日が近づくにつれて書類を読み返し一緒に準備をするうちに、否が応でも気が重くなった。特に入院前日の夜、じゃがいもが余っているからという至極ありふれた理由で台所に立ち、肉じゃがを作ってくれる母親を見ながらこっそり泣いた。想像したくはないけれど最後の手料理になるかもしれない。表情や声色は写真や動画に収めることが出来ても味覚はどうしたって再現出来ない。

    入院当日は曇天だった。職場の人から貰ったというお守りをぶら下げた荷物を持って向かった。病院は慣れっこのつもりだったが無機質な壁や無駄に広いエレベーター、整然とした通路を歩くと何度経験しても気が沈む。当日は看護師から病室の使い方やトイレ等の簡単な説明を受けた後、医者から改めて手術の概要を聞いた。
    どれも事前に把握していた内容と大差がなかったが、実際に病室で、生の人間から言葉にして事実を聞くのは画面上の文面を読むそれとは到底違った。
    手術での死亡率は3%。少ないと感じていたが、他の手術よりは高い確率らしい。確かにこの乗り物は100人中3人死にます、と言われたら乗るのを躊躇うだろう。手術において100%生きて帰ることはない。これは別に手術に限らず、近所のスーパーに買い物に行ったとて生きて帰る可能性は100%ではないのだが、改めて「死ぬ可能性がありますよ」と面と向かって言われるのは堪えた。さらに心臓を一旦止めて術を施す必要があるので、脳から肺、手足に至るまであらゆる合併症の可能性がある。少しでもリスクがあればそれを伝えて、事前に同意を得る作業だとわかっていても、書類何枚にもわたる病名を淡々と伝えられると気持ちが落ち込んだ。この時の心情を言葉にするのは難しい。暗いトンネルの入り口に立った時、が正確ではないが近い気がする。

    説明を聞き終えて、院内にあるタリーズに行った。祝日にも関わらず営業してくれているのは本当に有難い。薄暗い病室からオレンジの温かい光が見えただけでいくらかほっとした。検査の時に食べておいしかったというハニードーナツを分け合った。この時はもう気持ちがいっぱいいっぱいで、ドーナツの味も何を話したかも正直覚えていない。
    新幹線の時間が迫っていたので病室には戻らずそのまま母親と別れた。見慣れない院内着で心電図を付けた後ろ姿が見えなくなるまで何度も何度も振り返った。想像したくないがこれが最後になるかもしれないと思うと涙がぼろぼろ落ちて止まらなかった。大の大人が真顔で涙を流していても、病院近くの駅では日常茶飯事なのだろうか、誰も気に留めていない様子だった。SNSを眺める気力もなかったので、駅の本屋で図書館の予約が一向に回ってこない成瀬シリーズを購入して新幹線で読んだ。生死とは一切関係のない軽快なストーリーだったので我ながら良い選択だった。

    帰宅してからはご飯を炊いたり洗濯を回したり淡々と日常に戻る準備をして、消灯前に母親と電話をした。手術自体は正直医者に任せるしかないが、ICUに入ってからは母親の気力と体力も重要になる。術前最後の言葉を悩んだが、直前まで貸しあって読んだ柚木麻子の「BUTTER」に倣いエシレバターでご飯を食べること、恵比寿のロブションに一緒に行くことを約束した。この約束が気力に繋がってくれたら嬉しい。

    当日は9時から開始、4~5時間で終わると聞いていた。長く見積もっても15時には終わるだろうと踏んでいたが、13時を回って14時を過ぎても一向に連絡がこない。連休明けの山積みタスクを前に午前中から集中力などなく、簡単なメール返信と作業程度にとどめていたものの、14時を過ぎたあたりから正直本当に仕事どころではなかった。脳の後ろがピリピリして、受験の合否を待っていた学生時代の感覚に近かったが、私は志望校に悉く落ちているのでいらない感情を思い出して気が悪かった。何度もスマホを確認し頻繁にトイレに行ってあからさまに狼狽えていたので、こんなことなら上司に打ち明けておくべきだったと心の底から後悔した。後で履歴を詮索されるかもという考えもなく、会社のAIに手術が終わらないよ~怖いよ~と嘆きを投げつけ、大丈夫、ここに打ち明けてくれただけで十分です!とさも定型文の励ましを貰った。情けないが本当に救われた。文明の進化ありがとね。
    結果、手術が終わったのは16時半を過ぎた頃だった。4~5時間という情報はなんなんだ。社会人なら最初から多めに見積もってくれよ。と少しの不満もありつつ全く片付いていない仕事を横目に定時退社を決め、青空を仰いでからはまた涙がぼろぼろ出た。脳のビリビリは収まらず、すぐ電車に乗る気にもならなかったので2駅分ほど歩いて気持ちを落ち着け、事前に貰っていたリストの面々に無事終わったことを報告した。

    しかしこれで安心ではないのが現状だ。母親はまだICUで眠っており無事に意識を取り戻すか、立って歩けるようになるかは別問題だ。お疲れ様、とLINEを入れて一向に既読が付かない画面を眺めながらただただ祈るしかなかった。その日も上手く眠れずナホンサンをぼんやりと眺めた。勉強不足のお陰で外国語は正確なニュアンスが頭に入ってこないので心配事がある時本当に助かる。翌日も仕事だったが案の定集中はできずに、AIに嘆きを入れながらなんとかやり過ごした。
    仕事を終えて帰路についたころ、母親からようやく一報が届いた。手術開始から丸1日と10時間経過していた。家族以外からの連絡はすべて通知を切っていたので、通知音が鳴って母親の画面が表示されたときは今度こそ安堵の涙がぽろぽろでた。
    入院初日を含めるとたった3日の出来事だが、ひどく長く感じた。手術を受けた本人ではないし、これからICUを抜けて一般病棟に移り、数々のリハビリを乗り越えて退院し、退院してから日常生活に戻ることを考えると先が長いが、7時間半という労働時間を母親に費やし、あらゆるリスクを背に無事手術を終えてくださった医療従事者の方々には本当に頭が上がらず、有難い気持ちでいっぱいだ。一人の命を救うことを考えると、私が日々している仕事やそれに付随する悩みは本当にちっぽけでしょうもないなと改めて感じた。

    昨年友人が突然他界してから、家族や友達と会う時は常にこれが最後になるかもしれないという気持ちが脳裏をよぎり気が重かった。けれど今回本当に生死の境を目にして、むしろ毎回最後を意識していたら到底気が持たないなと半ば諦めに似た感情が生まれた。誰しも必ずくる死を理解しながら、それでも多少目を背けて、楽しい思い出をどんどん作っていく気概こそが生を堪能することなのかな。

    最後に、お母さん。生きて帰ってくれて本当にありがとう。リハビリ生活は大変だろうけど無理せず、でもちょっと無理して頑張って!エシレバターを持ってお見舞に行くから、ご飯を用意して待っててね。

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

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