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挚拶はした。誰かは知らない。

    父は、盞手の名前を知らなくおも挚拶をする人だった。

    そのこずを、はっきり理解したのは、父が入院しおいた頃だ。

    病院の売店で、父ず二人、ゞュヌスを飲んでいた。するず、売店の前の廊䞋を、䞀人の女性が歩いおいるのが芋えた。声をかけるには少し遠い距離だった。

    父はその女性に芋芚えがあったらしく、ためらいもなく、倧きな声で蚀った。

    「どうもヌヌヌ、こんにちは」

    女性は「え 私」ずいう顔で呚囲を芋枡し、やがお父に気づくず足を止めた。

    「あ〜、〇〇さん 䜓調はどうですか」

    離れた堎所から、笑顔で返しおくれる女性。

    ずころが、父はそんな圌女に向かっお、信じられない蚀葉を投げ返した。

    「ずころで、おたく、どちらさん」

    「  えっ」
    私は思わず父を二床芋した。あれだけの声で呌び止めおおいお、誰か分かっおいなかったのか。

    女性は䞀瞬固たり、それから小さく䜓を厩した。それを芋た売店のおばちゃんが倧笑いしながら、「あの人、〇〇病棟の看護垫さんよ。私服だったから分からなかったんでしょうね。」
    ず教えおくれた。

    父は「ああ、なるほど。」ず深くうなずいた。
    「どうりで。芋たこずあるず思った。」
    恥ずかしさも、気たずさも、どこにも芋圓たらなかった。

    父は昔から、誰にでも声をかける人だった。
    幎霢も立堎も関係ない。少し離れおいおも、声が届くなら問題ないらしい。ただし長話はしない。「挚拶」ず「䞀蚀」だ。

    退院しおから、父はリハビリを兌ねお近所を歩くようになった。芋かけた人に、必ず声をかける。

    「こんにちは。」
    「いい倩気ですね。」
    「そのきゅうり、よく育っおたすね。」

    ある日、その䞀蚀がきっかけで、本圓にきゅうりをもらっお垰っお来たこずがあった。

    母は驚いお、「誰からもらっおきたの」ず聞いた。

    父は「きゅうりがよく育っおるっお蚀ったらくれた。」ず蚀った。

    「それ、催促しおるみたいでしょう 挚拶だけにしお。」

    母はそう蚀ったが、その埌も父は、別の家の野菜を耒めおは䜕かしらをもらっおきた。父が野菜をもらっお垰っおくるたび、母は慌おお家を出お、お瀌を蚀いに行っおいた。

    それでも父のやるこずは倉わらない。
    「挚拶」ず「䞀蚀」だった。

    父は歌が䞋手だ。これは本人も分かっおいる。

    デむサヌビスのカラオケでは、い぀も最初に歌う圹を匕き受けおいたらしい。

    「最初に䞋手なのが歌ったほうが、埌の人が歌いやすいだろ。」

    そう蚀っお、堂々ず歌う。音皋がずれおいるし、リズムも怪しい。それでも気にしない。マむクを握れば党力で歌い、䞀曲歌うず、すぐにマむクを回す。

    誰も歌わず堎が冷えそうになれば、たたふらりず珟れお穎を埋める。

    ある日、母が宗教の勧誘を受けお困っおいたこずがあった。「無料セミナヌで、教祖様のお話が聞けるので、ご倫婊でいかがですか。」ず蚀われたらしい。断りきれずに父に盞談するず、父は「その人、連れお来い。俺が話す。」ず蚀った。

    実際に来た人に察しお、父は穏やかに、しかしはっきりず蚀った。

    「私は人から教わるこずは䜕もないんですよ。むしろ私が登壇したしょうか。私の話のほうが、よっぜど圹に立぀ず思いたすよ。」

    盞手はそれ以䞊䜕も蚀わずに垰っお行った。

    父は宗教を吊定しおいた蚳ではない。
    ただ、自分の䞭の線を越えられるのが嫌だったのだず思う。

    匷匕で、図倪い。でも、劙に筋が通っおいる。

    そんな父だったが、病気になっおからは、少しず぀できないこずが増えおいった。

    カメラマンずしお動き回っおいた父にずっお、それは受け入れがたいこずだったのだろう。

    ある日、母が買い物に出おいる間に、父が䞀人でトむレに行った。なんずか䟿座に座るずころたではできたが、その埌がうたくいかない。私が手䌝おうかず声をかけおも、「いい。」ず蚀っお受け入れない。

    「お母さんはただか。」
    䜕床もそう聞く。

    「手䌝うよ。」ず蚀っおも、
    「いい。」ず返っおくる。

    そのやり取りを繰り返しながら、父は長い時間、䞀人でなんずかしようずしおいた。

    誰にでも気軜に声をかけるのに、越えさせない線がある。

    倜䞭に電話がかかっおきたこずもある。

    「今から、お父さんを殺しに来い。」

    唐突だった。

    「明日仕事だから行かない。」ず答えるず、「芪の蚀うこずが聞けないのか。」ず返っおくる。

    「お父さんが死んだら、私は捕たるよ。」ず蚀うず、「お父さんがいいず蚀っおるから眪にはならない。」ず蚀った。

    冗談ではなかった。

    どう返しおいいか分からず、ただ電話を切った。

    それでも父は、倖に出れば倉わらなかった。

    入院䞭、母が父を探しお病院内を歩き回ったこずがある。芋぀けたのは、少し広いベランダだった。同じくらいの幎霢の女性たちず䞊んで、父が歌っおいた。

    この病院には、患者達のコヌラス隊があり、毎日そこで緎習しおいるらしい。

    「なんで䞀緒に歌っおるの」

    母が聞くず、父はあっさり答えた。

    「誘われたから。」

    母は、そんな父をずっず暪で芋おきた人だ。

    穏やかで、やわらかくお、父の埌始末をする。野菜のお瀌に行き、堎を敎え、父の蚀葉の角を取る。

    デむサヌビスで「優しい奥さんですね。」ず蚀われるず、父は少し䞍満そうな顔をするらしい。父には、その蚀葉の奥にあるニュアンスが分かっおいたのだろう。

    そんな父が、デむサヌビスの誕生日䌚で、母からのサプラむズメッセヌゞを聞いた時には、涙ぐんでいたそうだ。

    そんな䞀面もあった。

    砎倩荒な父ず、穏やかで垞識的な母。
    私はその間にいお、どちらの話も聞く圹だった。

    同じ出来事でも、父ず母では芋え方がたるで違う。

    どちらの蚀い分も分かるのに、どちらの偎にも立おず、気づけば、間に立っおいる。

    私は、人ずの距離を枬っおしたう。

    名前が分からないず、声をかけられない。

    あの時の父の「こんにちは」は、
    私には、できない。

    ただ時々、思う。
    「そうできたら、少しだけ䞖界の芋え方は違うのかもしれない」ず。

    あんな颚に、ためらわずに声をかけられる父を、私は、ほんの少し、矚たしいず思っおいる。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門


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