
退屈な彼女の謎解きメシ ~回転ずし殺人事件~
【あらすじ】
警察本部受付で退屈を持て余していた受付の職員が、窓際の中年ヒマ警官(元凄腕刑事だが未解決事件だらけ)に捜査能力を見出され、飯につられて極秘再捜査に協力!勤務時間外に事件を解決していく推理サスペンスコメディ。
事件は、三年前市内回転寿司店で発生したフグ毒による暴力団員死亡事件。『全国のチェーン店で大量に出された寿司の中で一貫だけ毒が混入している不自然さ』と『不特定多数の客が任意にネタをとる回転寿司店での計画殺人は不可能』とされ迷宮入りしていた。
#1
「誰が真犯人か分かるか?」
窃盗事件の容疑者三人が目の前を連行されていくのを横目に、くたびれた中年警官が退屈しのぎに聞いてきた。
千葉県警察本部の正面受付。市川晶子はカウンター越しに表情も変えず即答した。
「真中の人」
「あてずっぽう言いやがって」
男は興味を失ったのかベンチに戻っていった。
三十分後、「最初から自白しろ」と刑事にこづかれながら、先ほどの真中の男が手錠をつけられ通りすぎる。
それを見た男はさっと立ち上がり近づいてきた。
「なぜ分かった」
「靴、表情、目線、髪のフケ」
「俺の読みと全く一緒だ、たいした観察力だな」
「フツーよ、ここに座ってたら毎日沢山の犯罪者の顔見ますから」
一瞬だけニヤリとして、晶子はいつもの無表情に戻った。
男の名は舟橋保男、五十八歳。防犯課次長という肩書はあるが、定年間際の窓際管理職だ。市原署、木更津署、県警本部組織犯罪対策課とデカ現場一筋で来た刑事だったが、はじめての管理職が今の閑職だった。よく受付横の自動販売機にコーヒーを買いに来ては、晶子と言葉を交わすようになっていた。
晶子は千葉県職員試験を受け事務職として採用され、県庁勤務半年の後、欠員が出たとかで隣の県警本部に配置換えされた。もう四年になる。職業意識が希薄なまま、実家と往復する九時から五時。まぁ退屈な人生、退屈な毎日――そのはずだった。
晶子には昔から『勘と観察力』だけは人並み外れていた。実家が商売をしていた為、両親に構ってもらえない日中、子供の頃から一日三時間サスペンス再放送を見続けた結果、プロットに精通し、俳優は渋好みとなった。小学校に上がる頃には大人達の心の裏を探るようになっていた。高校では友人の恋の悩みに「他に女がいる、やめとけ」と即答して絶交されたり、男の下心を言い当てて失恋したり……そんな不幸が重なり、寂しい学生時代を送った。
やがて晶子はその能力を封印し、静かに余生を送ろうと決めた。ひたすら自己主張の少ない毎日に自らを没入させていった。だが決めたところで、類い希な能力は勝手に動き出す。受付から見る事件関係者の顔、しぐさ、持ち物――そこから心情や背景が大体わかってしまう。ただ今まで、その能力を活かす機会は訪れなかっただけだ。
次の日の昼休み、県警本部六階の食堂でピザパンを食べていた晶子に、舟橋が手招きをした。
「なんですか?」
「いや、実はこのあいだの君の洞察力を間近に見て感心してね、ひとつ相談があるんだ……ちょっとこの記事見てくれないか?」
舟橋は新聞のコピーを差し出した。
「覚えてるかなぁ、三年前のこの事件」
「この記事、舟橋さんと何か関係あるんですか」
「これは俺の現役最後の未解決事件だ」
千葉市内の回転寿司屋〈すしボウイ千葉東店〉で、平成二十六年二月三日午後六時五十分。同市稲毛区に住む神崎 聡四十五歳が同僚二人と食事中に突然苦しみ出し店内で倒れた。異常に気づいたフロア担当の店員が救急通報した。
「土曜日の夜七時前後だ、あの辺はえらい渋滞でね、病院までの搬送に時間がかかった。着いた時には既に神崎氏は息を引き取った後だった。救急からの通報を受けた稲毛署と俺たち県警捜査一課は現場に急行し、ただちに店を営業停止させ、店員、客、調理人を確保し捜査を始めたんだ」
「死因は何だったんですか? 」晶子は聞いた。
「毒だったよ」
「毒って何の?」
「その後の司法解剖で被害者の胃の内容物が検査され、フグ毒である『テトロドトキシン』が検出された」
晶子の中で退屈の虫が騒ぎ出した、まだ昼休みは充分残っている。
「そこのお寿司屋さんではフグを出していたんですか?」
「そうだ、この回転寿司チェーンは毎週イベントで変わりダネを出すことが売りで、事件の起きたその週は『高級魚特集』としてフグの握りを百円で出していたんだ」
「ということは、他にも大勢被害者が……」
「いや、死んだのは一人だけだ」
「じゃあ、その日フグを食べた人は被害者一人しかいなかったってことですか? 張り切って一番乗りして、念願のフグ握りを食べたとんに死亡ですか……ついてない話ですね」
「いや、それがそんな単純な話じゃなくてな。フグ握りはその日すでに昼から出されていた。百円ということもあって、被害者が食べる前に百人以上が同じフグ握りを食べていたという。その時に席にいた他の客も全員調べたんだが中毒の兆候すら出ていない。すでに帰った客もその後追跡調査したんだがみんな元気だった」
「被害者が食べたフグだけ毒が残っていたということですか? 」
「俺たちは当時厨房にいた調理師も全員を聴取し、一方で店内と冷蔵庫にあった食材を残らず押収し科警研で成分解析にかけた。しかし、そこからフグ毒は一切検出されなかった。関係する地域に協力を依頼し同じ工場で作られたネタの配送先や店舗もその後検査したんだが、そこからも一切毒は検出されなかったんだ」
事件の概要を聞けば聞くほど不思議な事件に晶子は思えた。
「全国に出回っている大量のフグ食材の中でたった一貫だけ毒入りだったというのも考えにくい話ですよね。何者かが意図的に『毒フグ』を回転寿司に混ぜて流し、それを被害者が食べることを見越した犯行という方がまだ可能性がありそうですね」
「俺もそれは考えたんだが……事件のあった回転寿司屋は週末ということもあり家族づれを中心に大繁盛の超満員だったそうだ。被害者ら三人組の座ったテーブルのある『寿司レーン』も当時は満席。寿司は廻っているから誰が取るかわからない」
「あっ! 分かりました回転寿司だから廻っている寿司に目が行きがちですが、個別の注文もできますよね? それじゃないですか? 」
「いや、その時のフロア担当の店員の証言によると死んだ神崎氏たちのテーブルからは直接の注文はなく、ずっと廻っている寿司だけを食べていたそうだ。捜査報告には『たまたま一切れだけ紛れ込んだ毒フグを誤って握って寿司職人が回転レーンに載せてしまい、たまたまそれを食べた被害者が亡くなった』としか書きようがなかった。結局、回転寿司チェーンの担当者とフグ加工業者の管理責任となり、加工部門の部長と食材を見抜けなかった〈すしボウイ〉千葉東店店長が業務上過失致死の容疑で逮捕起訴された。店舗は閉鎖され、従業員は解雇、ちりちりばらばらになっていった」
「そういうことなんですね。じゃあ、そろそろ受付に戻らないといけないので失礼します」
「ちょっと、ちょっと、お願いだから最後まで聞いてよ。仕事は何時に終わる? 」
「まぁ、だいたい毎日五時ですけど」
「仕事終わったらモノレールの駅の側にあるファミレスで待ってるから絶対来てよ。恥を忍んで初めて話す俺の未解決事件なんだから途中でやめられないよ」
「急に情けない声ださないで下さい。じゃあご飯おごってくれるならいいですよ」
仕事を終えた晶子が千葉市民自慢の無駄に未来的なモノレール駅のすぐ隣にあるファミレス〈あさいゼリア〉に行くと、待ちかねていた様子の舟橋がいた。
「で、どこまで話たっけ」
「その前に約束のごはん頼んでいいですか?」
晶子はメニューの中から迷わず「アンガスビーフ丼ご飯少な目 千五百円」を注文した。
「話は確か回転寿司屋での中毒死が業務上過失の事故扱いになったってところでした」
「そうだ、その死んだ神崎という男、実は千葉市内を縄張りとする暴力団の構成員で県警の組対が以前から覚醒剤取引でマークしていた野郎なんだ。その容疑を固めている最中の事故死だろ、送検した後になって県警内で組対が暴力団同士のトラブルによる対立勢力の口封じ説を強く言い出したんだ」 「それ早く言ってください。善良な寿司好き会社員をイメージしてました」 「それでさぁ県警本部長が怒ってさぁ、捜査のやり直しを指令。『シャリの一粒一粒まで洗って容疑者をあぶりだせ』という理不尽な八つ当たりプレッシャーがドーンと刑事部に来たんだよ。この時は俺も辛かったよ」
「定年間際のおっさんが弱音はかないでください」
「いやもちろん、俺も当時はまだプライドあったからネバーギブアップで張り切ったさ」
「結局どうだったんですか、回転寿司屋さんの関係者の中に怪しい人物はいたんですか?」
「それが俺達の執念の捜査で一人だけ見つかったんだよ。被害者と対立する暴力団の下部組織だった元暴走族の男がアルバイトにいた」
「良かったじゃないですね、犯人その人でいいじゃないですか」
「俺もその時は『良かったー』って思ったさ。そいつを別件で捜査課に引っ張って昼夜問わず徹底的にやりこんだんだけどさ、死んだ男とは面識どころか接点が見つからない、暴走族の集会には一度行っただけで『自分は怖くて逃げた』って腰抜けなこと言い張るわけよ。期限ギリギリまで拘留したけど、結局何も出なかったわけさ」
「舟橋さん、あなた相当ダメな刑事でしたね」
「そういうなよ。それもこれも担当検事が頭固くてさ『無作為に客がとる回転寿司で計画殺人は不可能』と言いやがるんだよ、結局釈放するしかなくて、捜査の専従班も解散だよ……覚えとけ本当に検事はクズばかりだよ」 「いや、普通にまっとうな意見かと思いますが」
「検事なんて自分はカウンターの寿司屋にばかり行って、回転寿司のこと良く知らないくせに、頭でばっかり考えやがってよ……」
「グチを言って同情してほしいだけなら私帰りますよ」
晶子はすでにアンガスビーフは食べ終わっていた。
「いやいよ、そういう訳じゃなくて、人生の後半戦を迎えるにあたって心残りなこの事件の真相をはっきりさせたいと思ってな、それで君にプロの捜査官では気づかない、一般人ならではの素朴なひらめきを聞きたくなったんだ」
「何が素朴なひらめきですか、あっ! そういえば一つだけ確かに方法ありますね」
「なにっ教えて、教えて」
「それが可能なのは、被害者のテーブルが寿司レーンの一番先頭の場合です。死んだ神崎はテーブルの先頭で『今や遅し』と待っている。これなら調理場の中にいた犯人は狙いを定めて、神崎が座った途端に寿司を流せば毒殺することが出来ますよ」
「あぁーそういうことか、期待した割には残念なアイデアだな」
「そんなこと言うなら、もう協力しませんよ」
「でもそれは残念ながら違うんだよ。神崎達が座っていた四人がけのテーブルは寿司レーンの一番最後の席だったんだよ」
「それじゃ毒入りのフグを出したら、途中のお客さんが食べる可能性めちゃくちゃあるわけですね。客には子供もいたわけだから……これは非情な無差別寿司殺人というわけですか」
「まぁな、でも子供はわさび入りの寿司は食わないだろうけどな」
「あれっ舟橋さん知らないんですか? 最近のメジャー系回転寿司チェーンは全部さび抜きですよ」
「えっ、じゃあ子供も中毒死する可能性あったかもしれないの? 老若男女誰が毒ネタ食べるか分らない死のロシアンルーレットだったのこれじゃ無差別殺人事件そのものじゃないか!」
「さっきそれ私が言ったんですが……その可能性は無いでしょうね。まず寿司職人で殺人鬼という人が万が一いたとしても、その人がたまたま流れ流れて千葉市郊外の回転寿司屋で真面目に働いていて、気まぐれで毒入りの寿司を握って、たまたま食べた暴力団員が死んだ……という可能性は限りなくゼロですよ。無差別すぎます。こだわり寿司職人のきまぐれ殺人ですよ、これじゃ」
「まぁそうだよな。俺も真っ先に疑われる寿司職人が手の込んだ殺人をしても職を失うだけで全く意味ないと後で気付いたんだよ」
「舟橋さん、先に良く考えてから逮捕しましょうよ。そもそも暴力団員を殺す動機と方法を回転寿司屋内部だけで成立させようとする県警の読み自体に無理ありますね」
「そうだよね、一課長の出した問題が間違っていたら、俺達現場の刑事は答えなんか出る訳ないよね。正解なし、出口なしだよ。市川よ、なんか他にも方法がないか良く考えてくんないか?」
「結局丸投げか! 現場一筋の叩き上げの誇りはないんですか?」
「俺も現場にいた頃はかっこよかったんだよ……それがさぁ一旦レールを外れると、潰しの効かないただのおっさんなわけだよ。あぁー失敗したなぁ俺の人生。何とかこの現役最後の迷宮入り事件を解決して名誉挽回したいんだよ。頼むよ市川、他に殺しの方法思いつかない?」
情けない表情で舟橋は晶子に頭を下げた。
「こういう袋小路に入った時って『木を見て森を見ず現象』なのかもしれませんよ」
「どういうこと?」
「寿司にこだわりすぎると『見えてこない真実』があるかも知れないって事です」
「で、どういうこと?」
「ちょっとは考えましょうよ。フグ毒だからって『フグの握り寿司』が原因とは限らないじゃないですか? 例えばですね。寿司屋には寿司以外にも口に入るものあるじゃないですか、お茶とか、生姜とかワサビとかありますよね。回転寿司屋さんだとそれぞれのテーブルに置いてませんか?」
「おお、確かにあるな。湯呑みだけあって客が自分でお茶とか入れるシステムだろ。あの瞬間が俺は一番わびしいんだよ。客なんだからお茶くらい店員に出してもらいたいよ」
「そういうことはどうでもいい。例えば、湯呑みに毒を塗っておくとか、ワサビの壺を交換するふりして『毒入り』のものとすりかえれば、すし自体に毒を入れなくても『フグ毒』を口にいれさせることできますよ」
「そうか! そうだな、神崎のテーブルに近づいて怪しい動作した人がいないか調べればいいんだな。なるほど……って残念、それ初動捜査で確認済みなんだよ。店員も神崎と一緒にいた舎弟も証言しているが、途中で『湯呑』や『ワサビ』のとりかえや注文は一切はしていないっていうんだよ」
「じゃあ、テーブルに置いてある醤油に最初から毒が入っていて、実は一緒に行った仲間もグルで二人は醤油のいらない鰻とかアナゴとかタマゴばかりを食べてたとか」
「あぁ、それも無いよ。席は空いたところから並んでいる順番の案内になるから、神崎ら三人の座った席は偶然でしかない。二十席全てに座る可能性あるからね、そういうトリックは無理なんだよ残念」
「舟橋さん、さっきから全然考えないで、後出しで私の推理の想像力を次々台無しにするような事言わないでください」
「ごめん、ごめん。ごめんついでにさらに一応言っておくと、よくテレビのサスペンスでフグ毒とトリカブト毒を混ぜるやつ『自然毒同士の拮抗作用による遅延トリック』みたいな事、当時考えついた刑事がいたんだけど、解剖の結果フグ毒以外の毒は胃から検出されなかったことも参考までに言っておく」「わざわざ可能性の先回り否定ありがとうございます。これだけ考えて思いつかないんだから、やっぱり無理ですよ。舟橋さん、ごはんどうもごちそう様でした。それでは連ドラをリアルタイムで見たいんで私は失礼します」
晶子は何か言いたそうな舟橋を置いて席をたった。
#2
金曜日の朝、警察本部の正面受付で今日も晶子の日常が始まった。
おばあさんがキョロキョロしながら受付にやってくる。
「運転免許でなんか呼び出しがあったんだけ」
「書き換え講習ですね、右手奥の四番窓口で用紙貰って書き込んでください」
すかさず答える晶子。彼女は正面玄関からこのおばあさんが入ってきた瞬間から「免許書き換え!」と確信していた。警察と事件に関わる関係者を四年間毎日、見続けた彼女にとってこんなことは朝メシ前どころか、起きる前の無意識状態の範疇だった。
今度は白髪交じりの冴えないおっさんが近付いてきた。
「すいません、ちょっと事件の糸口が絡まっちゃって見えてこないんですが?」
元刑事で現在、絶賛定年間際中の窓際警察官・舟橋保男だった。
「昨日じゅうぶん相談に乗ってあげたはずですが」
受付業務中の晶子は無表情に答える。
「あのあと、もう一回あの事件初めから思い返してたんだが、やっぱり偶然の『フグ毒事故』って結末には俺的にも納得出来なくて、眠れなくなってさ一晩中考えちゃったよ」
「眠れないのは歳のせいじゃないんですか? 日中の運動量増やしたらどうですか? 今日は金曜日で忙しいんです、舟橋さんみたいにヒマじゃないんですよ」
「そんなぁ受付の仕事は退屈だって前に言ってたじゃないか」
「ここでそんな事言わないでください、とにかく今は忙しいんです。あっ、いらっしゃいませ。パチンコ台の検査申請はここじゃないですよ」
晶子が時折来る訪問客を手際よくあしらう間もヒマを持て余している舟橋は帰らない。
「舟橋さん、昨日も言いましたがもう手詰まりじゃないですか、あきらめた方がいいですよ。それとも他に何か新しい当時の情報でも見つかったんですか?」
晶子は舟橋に突きつけた最後通告のつもりだったが 「どんな情報が必要? なんでも持って来るから言って!」と舟橋はまったく気が付かない驚異の中年鈍感力の持ち主だった。
「何でも持ってくるって気軽に言って大丈夫ですか……」
「いいんだって、どうせほっといたら冤罪事件になる案件なんだから、ねっ!」
「ねっ、じゃないですよ。とにかく今は忙しい時なので後でメール入れますので見ておいてください。とにかくまず仕事に戻って下さい」
ようやく舟橋は納得して受付を離れ中央階段を上がっていった。
席に戻った舟橋には『防犯課次長』というよくわからない肩書はついているが書類に判を押すくらいしか実際の仕事はない。そんなわずかな午前中の舟橋の仕事も終わり、昼休みまでボーっとしているとパソコンにメールが届いた。
「差出人 市川晶子 件名 ヒマそうな警察官へ」
「俺はヒマじゃねえよ」
メールに突っ込むほど舟橋はヒマを持て余していた。
メールの本文を見ると。
舟橋さんへのオーダー
1、被害者が中毒症状を出した時点で、事件当時同じ寿司レーンの席にいたお客さん全員の名前と性別と年齢と職業を調べて下さい。
2、さらに被害者が着席して中毒症状を出すまでの間に、この席の寿司レーンで流した寿司の種類と順番を調べて下さい。
3、さらに、さらに各テーブルでレーンから取った寿司ネタの種類と数を皿の回収システムの履歴から調べて下さい。
以上 なるはやでお願いします。 受付 市川晶子
「うわーっ、こんなこと調べてどうすんだ。この女寿司屋でも開業するつもりか」
舟橋が大げさなリアクションをとっていると、さらにメールが到着。
「差出人 市川晶子 件名 追伸 すべて事件解決に必要な情報です」
「こんなに沢山、今の俺に調べられるかなぁ」
「舟橋次長課長、内線二番でお電話です」
防犯課の職員が舟橋につなぐ。
「俺は課次長だからな! はい舟橋です」
「リクエストした情報が全て揃わないと、この事件の謎は絶対解けませんからね」
「あっ、お前市川だな。ちょっとこれは無理だぞ」
「だったら諦めて下さい。私はもともと関係ないんですから」
「わかったわかったよ、出来るだけ調べてみるから。時間くれる? 刑事部を死ぬ気で働かせるから」
「人任せにしないで、自分も汗をながしてこそ人生がひらけるんじゃないですか?」
「……」
舟橋は電話を切ると意を決して立ち上がり同フロアにある刑事部へ向かった。
#3
刑事部へ行くとそこは同じフロアだとは思えない程、殺伐とした悪い空気がよどんでいた。舟橋自身も少し前まではこの場所にここにいたはずだが、少しの間離れていただけで別世界のように思える。人間楽な生活にはすぐ慣れてしまうのか、それとも刑事が異常な毎日だったのか。
舟橋が探していたのは昔の部下で、現在は花の捜査一課長となった男だ。ちょうど席に戻ったところらしい。明らかに歓迎されていないムードの中、思い切って三年前の「回転寿司殺人事件」の再捜査を願い出た。
「今更この事件をどうするつもりですか?」
一課長は舟橋を見ようともせずデスクのパソコンを忙しそうに打ちながら冷たく言った。
「こういうことは刑事部としては正直大変迷惑なんです。事件は決着しているんです。今さらそれを覆したら当時捜査に関わった全ての警察官の顔を潰すことになります」
今まで上司の意見に折れ続けた結果が、今の燃え尽きた舟橋の人生だ。今度ばかりは引くわけにいかない、まぁこれ以上落ちようもない、ここは言うべきときだ。
「そんな事は分っている。世の中の人すべてが忘れても、事件のことを刑事があきらめたら世の中終わりだと思わないか?」
舟橋の目をしばらく見た一課長は、急に昔の人懐っこい後輩の顔に戻った。
「変わらないですね舟橋さん。確かにそれ正論です、その通りだと思います。誰も得しないことをあえてやる! さすがです刑事の鑑です。まぁ今更どうなるわけでもないでしょうけど、再捜査をするからにはひとり刑事部から助手をつけますので、一緒に気の済むまで謎の解明に邁進してください」 一課長はいきなり内線をかけると相手に事情を手短に伝えた。
「今から一係へ行ってください。そこにいる刑事部の新人、その男と一緒に捜査する。それが再捜査の条件です」
「別に手伝ってくれるならありがたいが、その男なんか事情あんだろう? 何だ?」
舟橋は監視の可能性を警戒した。刑事現場が長いだけに叩けばホコリの出る身だ。
「いえ、別に監視という意味ではありませんよ。そいつは最近一課に来た新人なので、刑事経験豊富な舟橋さんに刑事のイロハを叩き込んでもらいたいと思っただけです」
「本当にそれだけか?」
「そんな気にする程のことじゃないんですが……」
そういうと一課長は引き出しからプロフィールらしき書類を出して言った。
「その男は知事の親戚で、強力な推薦があって刑事部にねじ込まれた。転職の準キャリアだ。刑事経験どころか交番経験もない。自分勝手な行動が多く、話好きで秘密保持の意識が薄いって言うくらいです」
「……」
指示された一係の部屋に舟橋が行くと入り口に細身のスーツで人待ち顔の男がいた。刑事というより真面目そうなホストといった感じだ。浮いた感じは間違いない、さっき聞いた男だ。
「あつ、舟橋さんですね! 私、宇田川警部補です。『千葉県警伝説の刑事』とまさか一緒にお仕事が出来るとは感動してます。生涯に手がけた事件一千件、刑務所送り百人って本当ですか? 話聞かせて欲しいなぁ」
「確かにその話少々誇張はあるが、ほぼ事実だ。でも今はそんな話をしている時ではない。宇田川君に集めてもらいたい資料はこれだ」
舟橋は市川のメールをプリントアウトしたものをそのまま宇田川に突き付けた。
「なるほど、さすがは伝説の捜査主任、挨拶抜きの猪突猛進の方針ですね」 見た目によらず意外と宇田川の仕事は早かった。県警内あっちこっちに携帯やメールで取り寄せ依頼をかけながら、自らパソコンを操作して、三時過ぎには本庁内にある過去資料の中から市川がオーダーしたものを集めた。その中には当時事件の指揮をとっていたはずの舟橋が知らない資料も多くあり、改めて自らの雑な捜査の痕跡を目の当たりにした。
オーダーされた資料の中で一番難しかったのが『客のとった寿司履歴』だったが、それも宇田川が嫌がる寿司チェーンの担当者を商工会議所にいる親戚の名前を出して見事抱き込みに成功し手に入れた。
舟橋の『刑事のドタ勘』では数週間かかると思えた資料が、その日の夜には大方そろった。時代の変遷を感じないわけにいかない。
夜分にデスクに戻った舟橋はダメ元で市川に署内メールを送った。
「件名 資料そろったよ! どうすればいい? 」
昨日市川の言っていた『自分の汗を流してこそ開ける未来』という言葉を思い返しながら手に入れた資料を見直した。その中でも『客の取った寿司のリスト』が何の手がかりになるのかは、さっぱりわからなかった。
「さすが渋いですね、絵になります」
午前中から資料作りを付き合ってくれた刑事部の宇田川がまだ残っていた。
「宇田川くん今日はお疲れ様だったね。もう帰っていいよ」 と舟橋はねぎらうが 「いえいえ、千葉県警の神様が捜査勘をフル動員している瞬間に立ち会えるだけ幸せです。このままお供させてください」と何するわけでもなくそばに付きまとう。
その時、舟橋のパソコンにメールの返信が来た。
「送信元 市川晶子 件名 個人のアドレスにデータ送って下さい」
「あの宇田川くん、悪いけどちょっと教えてこの資料データで送るのはどうすんだ?」
帰れと言った宇田川に声をかけた。
「カメラならすぐ撮って送れますが、スキャンします? この資料どうするんですか? 家に送るんですか? ファイル相当大きくなるので舟橋さんの携帯じゃ見れませんよ」
「いや俺じゃなくて、ある人に捜査協力をお願いしているんだ。いや警察関係の人だから機密漏えいとかじゃないからな、心配はいらないよ」
宇田川は疑うような目をしたがすぐに意味不明の笑みに変わった。
「われわれ以外に極秘捜査チームのメンバーがいるってことですね。早速この紙の資料をスキャンしてその謎の捜査官『ミスターX』に送らせていただきます」
喜々として作業に入る宇田川。
「いやミスターXとかそういうんじゃないんだけど……」
深夜の県警本部二階の防犯課。舟橋は一日の疲れがどっと押し寄せてくるのを感じた。
翌朝土曜の昼下がりに市川晶子から舟橋の携帯に電話があった。
「良く一日で集まりましたね。でも、これって警察の外に持ち出したらダメな方の資料ですよね。個人データ満載ですよ」
京成線沿線にある酒屋の自宅二階で晶子は朝ごはんのパンを食べながら床に高性能ノートパソコンを置いて資料を見て言った 「そうだっけ? 気づかなかったなぁ。それより短期間にこの資料を揃えた俺の底力を感じないか?」
「どうせ誰か手伝わせたんでしょ」
「いや大半は俺ひとりでやった。ところでこんなに苦労させたんだから資料見て何か新しい事件のヒント見つかった?」
「そうですね、まだ確証ないですが何となくなら」
「何となくじゃこまるんだよ。俺の公務員生活が浮くも沈むもこの一戦にかかってるんだ」
「勝手に沈んで下さい、私は刑事じゃないですから」
「そんなこと言わないで、今こそ千葉の叡智を総動員してこの冤罪事件の真相をだな……」
「ハイハイ分りましたよ、資料見ていてちょっとおかしな点が見つかりましたから週明けにご説明しますね」
「そんな悠長なこと言ってられないんだ。一課長に世の中の為に再捜査するってタンカ切ったんだから。今晩時間ない?」
「中学生じゃないんだから、土曜の昼に急に聞かれて夜空いてるわけないでしょ」
「いやほんのちょっとでいいから、俺たちも手詰まりでさ……」
「俺たち? まぁいいですけどそしたら京成ソガ駅前の喫茶〈メダカコーヒー〉に来てください三十分だけなら時間作ります、かわりにランチおごって下さいね」
晶子が指定したソガ駅近くの〈グルメ喫茶メダカコーヒー〉に、舟橋は待ちあわせの時間より三十分も早く店に入った。
先に現れたのは宇田川だった。県警にある資料のコピーを持ってくるようあらかじめ指示していたのだ。資料収集の手際の良さを目の当たりにしたとき舟橋は「もしかしてこの男は、バカなふりした切れ者の監察官なのか?」とも思ったが、現れた宇田川を見てもただの好奇心旺盛な無邪気な普通の多動性の若者にしか見えない。
「実はなぁこれから会う協力者は警察官じゃないんだ。お前も見た事あるかもしれない女性なんだ」
「女捜査官ですか……やりますね舟橋さん。僕もどっかですれ違った事あるってことですね、何処だろう? 警察学校かなぁ? なおさら僕にもこの事件の力にならせて下さい。桃太郎も猿とキジと犬が揃って鬼退治できたんですから、僕をキジだと思って仲間に加えて下さい 」
この男は何を言っても自分のいいようにしか考えない性質があるらしい。
俺は『過去の名誉挽回』、市川は『ヒマつぶしとご飯』、宇田川は『好奇心』。捜査の目的はなんでもいい。とにかく時間切れする前にこの事件をなんとかすればいい話だ。
指定された午後三時過ぎに晶子は喫茶店に現れた。
「先に約束通りランチ注文していいですか? すいませんこのハンバーグパスタランチ下さい。アイスティー先にお願いします。舟橋さんは食べないんですか、ここのハンバーグおいしいですよ?」
手際良く注文するところを見ると常連のようだ。
「忙しいところ、急に呼び出して悪かったね」
宇田川がいるのでいつもの露骨な下手に出られず取り繕った会話になる。 「そうだ、こちらにいるのが……」
「知ってますよ、刑事部の宇田川さんですよね、半年前に配属された方ですよね」
驚いた宇田川は小声で舟橋にささやく。
「さすがは特命捜査官、すでに僕の情報もキャッチされていますね」 「いや、そうじゃなくてな……」
「宇田川さんは上司に怒られた後に、良く一階の休憩所に来てますよね」 「何でそんなことまで……次長この女性捜査官の情報ソースは凄いですね」 「お前この人のこと気づかないのかなぁ、刑事なのに勘が鈍いね。まぁいいや」
二人の意味のない会話を無視して晶子は運ばれてきたアイスティーを一口飲んだ。
「で、話って何ですか?」
「そうだった、俺には事件捜査の為になぜ客が取った寿司リストまで調べないといけないのか全然分んないんだよ」
特別面白くもなさそうな表情で晶子は答えた。
「発想の転換ですよ」
「どういうことだ?」
「いままでは犯人を見つけようと思うあまり、犯人側のことばかり考えてたじゃないですか?」
「普通そうだろう、現場から犯人の証拠を見つけだし、容疑者の矛盾をつき、真実を明らかにするのが刑事の仕事だからな」
「それが捜査を手詰まりにした最大の原因です。舟橋さんだっていま刑事じゃなくただの定年前の公務員ですよね、もっと自由に発想しないと再就職先見つからないですよ」
これだけ言われると舟橋は沈黙するしかない。 そんな晶子を感心したような顔で見つめる宇田川。
「僕も全く同意見です。捜査会議に出ても発言の機会が無くて『なんかこの組織違うなぁ』と思っていたところなんですよ。IT系の友達の話聞くと会議はスタバのケータリング取りながらiPad 使って自由に意見を言い合うブレストスタイルらしいですよ」
「そういう話でもないんですが……舟橋さんあんまり変わった人連れてこないでくださいね」晶子は呆れたようにつぶやく。
「いやぁ、今回再捜査するにあたって肝心の捜査権を持った人間がいないので俺を慕う警部補の宇田川くんに協力してもらっているんだ。なっ?」
「そうです、僕達は仲間ですよ」
「誤解があるみたいなんで宇田川さんにお伝えしておきますが、私は素人です。ただの県庁職員ですよ、仲間じゃないですから。もし飽きたり忙しくなったりしたらすぐに放棄しますので、そこんところあらかじめご了解下さい」
「もちろん了解です。裏の組織を詮索したりは一切しません」
「本当に分ってんのかなぁ」 晶子は疑いの目で宇田川を見た。
この二人に直接会話させるとマズイと感じた舟橋が割って入る。
「それで昨日渡した資料から何か分かったか?」
「そうですね、まず犯人がどういう場合なら相手の食事をコントロールできるかを考えてみたんです」
「何だよそれ」
舟橋には言ってる意味がさっぱりわからない。
「ダイエットとかの話ですか?」
宇田川はさらに分かってなさそうだった。
「ヤクザのダイエットのことなんか考えるわけないでしょう。全然違いますよ『どうすれば予め決められた寿司ネタを回転寿司のレーンから被害者に取らせることができるのか?』という話です」
「ますます分からん」
「同感です」
完全ノーアイデアの警察官二人を前にして晶子は続けた。
「いいですか分り易く説明しますね。舟橋さん『二十を言ったらダメゲーム』をご存じですか?」
「いや、聞いたことない。宇田川くんは?」
「全く知らないです。新しいラノベのタイトルですか?」
「えー私もう帰っていいですか」
晶子は理解力の低い警察官二人を置いて帰りたくなった。
「あぁ、そんなこと言わないで、食後のデザートでも頼まないか?」
舟橋はメニューを晶子に勧めて露骨に媚びる。
「一応説明しますが『二十を言ったらダメゲーム』というのは、一から順番に数字を数えていき、二十を言った方が負けというゲームです。普通は小学生ぐらいの時に遊ぶゲームなんですが、お二人とも友達いなかったんじゃないですか? 」
「順番に二十まで言うだけでどこが面白いのか、今の子は分らんな」
舟橋は全くピンとこない様子だった。
「当然ですがこのゲームにはルールがあります。一度に一つ以上三つ以下の数字を言っていきます。それで二十を言った方が負けになります。やって見ます?」
「やってみようか」と舟橋それに続いて宇田川も「やりたい! やりたい」と追従する。
「じゃあ行きますよ、私から、はい一、二、三」
「俺は四、五、六」
「僕はあえて七」
「いいですよ一つでも。続けます九、十、十一」
「じれったいから俺また三つ言うよ十二、十三、十四どうだ!」
「僕はあえて十五、十六」
「はい私は十七、十八、十九」
「二十って……何だよ俺の負けじゃないか。もう一回やろ」
舟橋は本当にこのゲームをしたことないようだ。
「簡単に負けましたね、ちゃんと二人とも考えてやりました? 今度は私と舟橋さん二人でやりましょう。これは本来ふたりでやるゲームなんです」 「じゃあ今度は俺からいいか? 一、二、三」
「四、五、六どうぞ」
「じゃあもう一度三つ! 七、八、九」
「十、十一、十二です」
「十三、十四、十五どうだ」
「何がどうだかわかりませんが十六! だんだん減って来ましたよ」
「そうだな、十七」
「十八、十九 どうぞ」
「で、二十って何だよ、また負けだよ」
「思ったとおり刑事は学習しない人種ですね」
晶子は侮蔑するような目を二人に向けた。
「このゲームには必勝法があるんですよ。相手に二十を言わせるためにはどうしたらいいでしょうか? 宇田川さん」
「わかりません」宇田川は考えない男のようだ。
「十九を確実に自分が言えればいいんですよ」
二人は「なーんだ」という顔をして。
「そんなこと分ってるよ」、「当たり前の話ですね」と調子づく。
「じゃ十九を言うにはどうすればいいか分りますか?」
「十八を相手に言わせればいいんだろう」
「まぁそうなんですが、面倒なので途中端折って説明しますよ。十九を言う為にはその前に自分が十五を言っておくことが大事なんです」
「どうして」
「それは相手が最大三つのどの数字を言っても次の人が十九が言えるからです。ちょっとは考えて下さい」
「例えば私が十五というと」
「十六、十七と俺が言う」
「そしたら私が十八、十九」
「二十、しまった!もう一回」
「何回やっても一緒です」
幼稚園児に説明している気持で晶子は続けた。
「十五を言うためには、さらにその前の十一を押さえておきたいですよね。十一の前は七、その前は三です、四つ跳びに自分の数字を持って相手を追い込む。最初は私にもお二人にも勝つチャンスは平等にあったのに、上手く相手を追い込んだ方が勝てる仕組みになっているんです」
「なるほど、今度実家に帰った時に家族でやってみます」と宇田川は喜ぶ。 「別にゲームを教えたかった訳ではないですからね……」
「このゲームのことは分ったけど、回転寿司殺人事件とどう関係あんだよ」 「私が言いたいのは、『被害者が毒の入った回転寿司を取る』ということがパッと見は偶然のようでいて、実はひとつひとつ細かく分けて考えていくと確実に取らせる方法があるのかもしれないってことなんです」
「なんとすごい発想ですね」と宇田川は感心する。
「お前本当に分ってんのか? それと今回の資料とどう関係あるんだ?」 「二人でこの『客が取った寿司リスト』を調べてくれたんですよね、少しは自分達で見ましたか?」
「ちゃんと見たよなぁ?」
「見ましたよ! ねぇ」
「本当によく資料を検証していれば、テーブルに座っている人数と食べている寿司の数のバランスがおかしいと気づくはずです」
警察官ふたりは大口をあけて天然のバカ面を見せた。
「先に進めます。この座席表とお客さんの聞き取り情報を見て下さい」
喫茶店のテーブルに晶子は資料を広げだした。
「週末の回転寿司屋さんとして家族連れが多かったことは分りますが、このテーブルの寿司の数が不自然なんです」
「なんで? 回転寿司に自然も不自然もあるのか?」
「流れてくる寿司ネタをとるだけでしょ?」
「あーもういちいち面倒くさいですね。こことここ! この二テーブル、着席四人と五人なのに午後六時十五分に『マグロの寿司』八皿と『タイの寿司』八皿一気になくなってますよ」
「あーっ確かに」宇田川が素直に驚く。
「この時間のネタの記録を見ると、ほぼこの二つのテーブルがマグロとタイを独占していることが分ります」
「それはどういうことですか捜査官Xさん?」
「まぁ、それだけで容疑はかけられないだろう」
「それだけじゃないんです、さらにその前の時間帯も見て下さい。こっちは『ヒラメと茹で海老』をあわせて十皿、『フグ寿司』四皿もとってます」 「相撲取りの家族連れが座ってるみたいじゃないか?」
「ちょっと多すぎますよね? 『客が取った寿司リスト』をこの時に流している『寿司ネタ』から引くとどうなりますか舟橋さん?」
舟橋は『回転寿司レーンネタリスト』と『客が取った寿司ネタリスト』を時間別で照らし合わせ、持っていた競馬用の赤ボールペンで消し始めた。
「こっこれは! なんと残っているネタは……宇田川くん読み上げたまえ」 「はい、『うなぎ』、『一本穴子握り』、『イクラ軍艦』、『こってりアサリ軍艦』、『ハンバーグ握り』、『豚カルビ握り』そして『プリン』、『カップケーキ』、『シュークリーム』、『ワラビ餅』ってなりますね」
「なんだね、今の回転寿司はこんなもの流れているのか? 普通の寿司はウナギとアナゴとイクラぐらいじゃないか」
舟橋はそのネタの残り方の不自然さより「プリン」が流れている事に驚いたようだ。 「プリンくらい珍しくないですよ、ショートケーキやパフェなんかもありますよ」 「ぐえ、すし飯と合わねぇ」と舟橋は顔をしかめる。 「一緒に食べる訳ないでしょ。今はファミレスよりも回転寿司の方が子供の客多いそうですから。甘いものが多くなるのは自然です」
「そうなのか、恐ろしい時代になったもんだ」
「話を続けますね、もう一度午後六時と被害者が中毒症状を示す十分前の午後六時三十分のさっきの大食い席の『フグ寿司』の記録を見て下さい」
被害者の前に座っている大食い客のテーブル二席合わせて「フグ握り」が六時六皿、六時十五分十皿と記録されてる。
「何だ、この客他にこんなに食べていたのか?」
胃炎持ちの舟橋は寿司の大食いを想像するだけで胃液が逆流するような気がした。
「一体どんな人達が座ってたんだろう」と宇田川は相変わらず答え待ち。 「こちらが座席表ですね。ちゃんと見て下さい」
晶子はA三サイズの店内見取り図と手書きメモされた表を出した。
回転寿司レーンは奥の厨房を出ると細長いU字を描いて流れ、また厨房に戻ってくる。厨房内で四人の職人が機械から出て来るシャリに寿司ネタを載せる仕組みになっていた。
客席のレーンには、左右に四テーブルづつ計八テーブルが内房線の対面席のように並んでいる。 テーブルにそれぞれの人数、年齢、性別と職業が書かれていた。
(右)四人、三人、四人、三人 (左)四人、五人、四人、三人。
四人がけのテーブルだが、子供がいる場合五人がけになっているようだ。 表によると被害者のひとつ前の大食い座席にいたのは、二十二才男、二十五才男、六十四歳女、七十四歳女と書かれている。職業は、建築関係となっていた。
表を見た舟橋は意外そうに言った。
「ちょっと年とり過ぎじゃないか、相撲取りの一家じゃねえな」
「高齢女性二人は戦力外でむしろハンデですね」と宇田川としてはまともな事を言った。
「ここで、さっきの回転寿司レーンのネタ一覧を見て下さい。舟橋さん、この日は何のキャンペーンでしたっけ?」
「フグだよフグ。フグの毒で死んだんだよ」
「そうです。このリストを見ると高級食材である『フグ握り』は毎時〇〇分と三十分に流されているようです」
「そうだな、客寄せの目玉ってとこだな」
「すでに六時〇〇分の時点で流された『フグ握り』八貫×二セット流しの十六貫は各テーブルで一貫以上取っています。被害者がテーブル前についたときにはすでに無くなっていました」
「お前、寿司屋用語がすっかり板について来てるぞ」
「さすが捜査官Xさん」
「いちいち会話に無意味な相槌が入ると進行に時間がかかるので私語控えて下さい、先を急ぎますよ、それで六時三十分に流した『フグ握り』のその後を見ると……」 晶子は次の時間帯に各客席で消費された寿司リストを見せながら。
「前回六時の時点ですでに食べているので、前半席のレーンでは取っていないテーブルもありますが、この大食い二家族がまたそれぞれ七枚と三枚とっています。これはどういう事でしょうか? ハイ舟橋さんしゃべっていいですよ」
「その前までの数を合わせるとつまり『フグ握り』十六皿全てここで消えてるということだなぁ」
「恐るべき高級食材への飢餓感ですね」
「自己主張は控えめでもきっちりアクアラインを引っ張った千葉県民の貪欲なパワーを感じるな」 舟橋と宇田川の話はどんどん反れていく。
「そんな県民性とかどうでも良いんです! 良く考えて下さいこれがどういうことか! 全ての『フグ握り』は被害者のテーブルにたどり着く前に無くなっていたんですよ」
「んっ? どういう事かな?」
「つまり被害者は、ここの回転寿司屋のフグを食べて死んだんではないという事です」
「ちょっと待て、それだと今までやって来た千葉県警の汗と涙の捜査はどうなるんだ?」
「さぁ、どうなるんでしょうか?」 晶子もさすがに面倒くさくなった。 「それと最初にやった『二十を言ったら負けゲーム』とどう関係あるんですか?」 宇田川も素朴に聞いてくる。
「それをここで説明するのは難しいんです。私の仮説を証明するには実験しないといけないので……」
「実験って何すんだ?」
「それはですね……」
晶子は今から言うことが実際に可能なのかどうかは、まだ分からなかった。
#4
翌日曜日の朝九時に東西線浦安駅を降りた晶子は先についていた舟橋を見つけた。
昨日グルメ喫茶で説明した晶子の推理を実証する為には、事件が起こった回転寿司屋と同じ条件での実験が必要だった。舟橋は「そんなこと無理に決まっている」と却下しかかったが、宇田川は携帯電話をその場でかけて、どんな手を使ったのか「日曜の明日朝九時から十一時までの二時間だけ浦安店なら可能」と即座に了解をとってしまった。
「なつかしいなぁ、昔ここからバスに乗ってディズニーランド行ったなぁ」 普段と違う場所に来ただけでこんなにはしゃぐ晶子を見て舟橋は、(離婚してなきゃこういう日常もあったのかもしれない) と自分の家庭を思い出して切なくなった。
「ディズニーランドのそばに来るだけでちょっと気分上がりますね。宇田川さんまだ来てないんですかね」
迷わず妻について行った娘を思い返しながら舟橋は思った。
(市川よ!お前は間違っている。ここは同じ浦安でも「夢の街ディズニー」舞浜とは逆のどっちかというと「アサリ汁の香り」がする旧市街だ)
やがて駅の改札とは別の場所から宇田川が手を振りながら走ってきた。 「ごめんごめん、だいぶ前に着いてたんだけどコインパーキング探して遅くなった。朝出かけるときにふとマゼラッティのエンジンの鼓動を感じたくなりましてつい車で来てしまいました」
「さりげなく金持ちアピールしやがって、帰り乗せてけよ」
三人は舟橋の案内で浦安駅の南口から歩き始めた。
まだ午前中だが既に交通量のある国道沿いに目的の「すしボウイ浦安店」はあった。
「お前が回転寿司屋を貸し切ってほしいっていうので苦労して開けてもらったんだぞ」
「交渉したのは宇田川さんだって私知ってますよ、年取ると男もだんだんと承認欲求強くなるって『嫌われる勇気 中年オヤジ編』に書いてありましたよ』」
「なんだ、その嫌われる何とかって……」
「まぁいいですから、あっ真紀たちも、もう着いてますね?」
晶子は駐車場に止めてある軽自動車に近づいて行った。
「僕たち以外にも誰か来るんですかね?」
「聞いてないけどな」
「本日の実験には人数が必要ですので特別にお客さんをお呼びしています。私の同僚の野田真紀とその彼氏です」
紹介された真紀の彼氏は舟橋に近づき直立不動の姿勢をとった。
「お疲れ様です。習志野第一空挺団レンジャー部隊伍長・氷川武蔵です」 「そういうのはいいから、氷川さんね。そちらは受付の野田さんだったね。じゃあ店行くよ」
舟橋は回転寿司屋の扉をくぐると店長と検証の段取りの打ち合わせを始めた。といっても昨日の夜、晶子が作ったマニュアル見せているだけだが。
もう一人の刑事宇田川は回転寿司に来るのが初めてのようで、寿司の回るベルトコンベアを見て喜んでいる。
店内では真紀と自衛官氷川がボックス席でイチャイチャし始めた。
同僚の真紀は晶子より四才年下の二十三歳だが、極端なマッチョ好きで、今まで付き合った男は警察官と自衛官だけという特殊な恋愛経験を持っている。知っているだけでも、輸送、戦車、高射砲、野戦とほぼ陸上自衛隊を制覇して来た。
「皆さん聞いてください、今日の実験の仕方を説明します。このお店少し規模は小さいですが座席の並びは事件のあった千葉東店と同じです。回転寿司レーンの周りに四人がけのテーブルがこのように左右合計八テーブル並んでいます」
晶子は捜査の為貸し切りになった店内を小走りに指差しながら回った。 「では座席順を説明します。宇田川さんはレーンの一番前のボックス席です。座る位置はお寿司が取りやすければどこでもいいです」
「やった! 僕先頭だ。初めてなんだよ回転寿司! 何かワクワクするよ」 「そうですか、よかったですね。その次は真紀、二つ空けて・・・・・」
「えーっ彼とはバラバラなの?」 真紀は自衛官氷川と離れ離れになったのが気に食わないのかヤンキー面を見せる。
「後で好きなお寿司を貰ってあげるから言うこと聞いてね。舟橋さんは反対側の列のここで、一つ空けて私はラス前のテーブルです」
「自分は、どこに座ればいいんでしょうか!」 と自衛官氷川が命令待機待ちの状態で聞いてくる。
「レンジャーさんは最後の席です。被害者の神崎たちが座っていたテーブルです。重要な役割なのでよろしくお願いします」
「了解しました」
それぞれが晶子の言ったボックス席の位置についた。
「皆さん心の準備はオッケーですか? 板さんもスタンバイ出来てますか?」
晶子は店長から借りたインカム付きのトランシーバーで厨房と連絡をとれる。
「準備オッケーです」 客のいない静かな店内では厨房からの声はシーバーじゃなくても聞こえる。
「さぁ実験を始めます。板さん最初のレーンスタンバイお願いします。客役の皆さんはテーブルの上に封筒を置いてありますので中身を見て下さい」 それぞれテーブルの上に置かれた封筒から紙を取り出した。
「紙に書かれているのはお寿司を取る順番です。必ず書いてあるだけの数を取って下さい」
「質問です。自分の席には何も置いていないのですが、これはどうすればよろしいのでしょうか?」 自衛官氷川が立ち上がって質問をする。
「あっそうだった、レンジャーはとにかく食べたいものが流れてきたら、かたっぱしから食べて下さい。あなた自身が実験そのものですから」
「了解しました。徹底的に寿司レーンを殲滅いたします」
晶子は再びシーバーを持って厨房に指示する。
「では最初の一サイクル目、寿司レーンを廻してください。最初は、夕方六時時点の寿司レーンを再現します。この時点ではまだ被害者は着席していません。まだテーブル準備中です、他の七テーブルは埋まってます。今日は問題のフグは入荷していないので、代わりにタイに付箋で『フグ』と書いておきます」
「えーっフグないの、楽しみにしていたのに」 と真紀が不平を言う。
「僕の紙に書かれているのは、何これ、たまご二個に、マグロ三個、イクラ一個、豚カルビ二個、イワシ一個、ハマチ一個、フグ六皿。多くない?」 「宇田川さんと舟橋さんの現役警察官二人の席は隣のテーブル分を兼ねてますから子供もいれて七、八人分になりますね、全部食べる必要ないですから」
「よし、わかった来い」テーブルで身構える宇田川。
レーンから早速寿司軍団が流れてくる。宇田川と舟橋は大慌てで何とか役目を果たした。
「おいしいね玉子」真紀は取ったネタを次々と食べている。
その中で一人、被害者席の自衛官氷川だけは立ちっぱなし。
「自分だけ待機で、食べられないと思うと何かくやしいですね」
「そう感じますよね。次の時間帯から被害者の三人組が加わります。レンジャーも寿司争奪戦に加わって下さい。午後六時十五分の寿司レーンを再現します。この回は残念ながらフグなしです」
「残念じゃないよ、フグって言ってもタイだろ」
舟橋は言わずもがなの事を聞く。
「皆さんはお客さんの気持ちになって寿司取って下さいね。では板さん第二陣スタートしてください」
先ほどのようにレーンのスタート部分から列になって次々お寿司が登場してくる。間違ってとらないように、それぞれ真剣な表情で手元の紙をにらみながら指示通り寿司を取っていく。
「シュークリームにわらび餅って何この席」
「真紀の席は小学生がいるから、仕上げに甘いものとってるのよ」
ここにきて舟橋が担当する『問題の大食い家族』が座っていたテーブルで『マグロ四皿』、『タイ五皿』が一気に消えレーンが寂しくなる。晶子が担当する家族席も『マグロ四皿』、『タイ三皿』、『プリン一皿』をレーン交通止めのようにして素早くテーブルへ運ぶ。
「そんなにとるんですか?」 目の前の二つのテーブルで人気ネタが一気に消え去ったことを見た自衛官氷川は寂しそうな声を上げる。
「レンジャーは本能のおもむくままに何か適当に食べたいもの取っていいからね」
「押忍、高そうなもの狙います」
自衛官氷川は残っている色から色皿中心に『ウナギ二皿』、『イクラ軍艦』、『アナゴ一本握り』を取って本気で食べだした。
「なるほどー、皿の色によって値段が変わるんですね」 回転寿司初心者の宇田川は何も知らない。
「こちらのお店は百円、二百円、三百円の三種類があります。今は皿に埋め込まれているチップでお客さんに何が人気あるのかをコンピュターで管理して、無駄をなくすようになっているみたいです、お会計もスピードアップしますし」
「いわゆるITだな」 と舟橋が知ったようなことを言う。
「ここで、レーンの減り方を厨房でモニターしていた店長から一気に追加の指示が出ています。『今日の敵は良く食う客だ』ということですね。追加のお寿司が流れてきますので、被害者役のレンジャーさん頑張って食べて下さいね。舟橋さんが演じる家族はここで残っていた目玉食材一挙取りの暴挙に出ますよ」 「わかってるよ、『ヒラメ』と『茹で海老』をそれぞれ五皿だな、全部百円で高めの食材狙ってるなこの大食い一家」
「そうですね、私の席でも前の席に負けじと、また『タイ』と残った『マグロ』を一気に水揚げしてます」
レーンは一気にスカスカになった。
「レンジャーどんな気分?」
「寿司食べたいっす」
自衛官氷川は、しょうがなくまた残っていた『ウナギ』『アサリ』『豚カルビ』などこってり系を取って食べている。
「そうなるよね」
「周りの連中が次々とるんで、だんだん腹たって来ます」
「当時の調書によると六時三十分前に、神崎達が座っていたテーブルで一人の男が声を荒げて怒ったと店員が証言しています」
「レンジャーどんな寿司食べたい?」
「そうっすね、油っこいもの続いているのであっさりした白身が食べたい気分です」
厨房では次のレーンの準備が完了した合図が来た。
「それでは皆さん、いよいよ問題の六時三十分のレーンが流れてきます。待望のフグ握りの時間です」
フグ(本当はタイ)は八皿づつ計二回流れてくるが、先ほど神崎のテーブルで怒鳴られたせいか、声が聞こえた反対側の席は控えめで一皿づつ四皿のみ消えた。折り返し地点を回ったフグ寿司だったが、曲がり角にある舟橋の担当する大食い家族のテーブルは気にせず三皿とり最後の一皿も晶子がとった。
「えーっ」 目の前で最後のフグが消えた自衛官氷川が悲鳴をあげた。
「諦めるのはまだ早い、このあともう一回廻ってきますよレンジャー」
晶子が合図すると後半のフグ八皿が輝かしく流れてきた。宇田川と真紀の反対側のレーンでは今回二皿だけ取った。フグは折り返しのカーブを曲がる。
舟橋演じる『大食い家族』もここはおとなしく一皿のみ。まだ八皿の『フグシ付箋付きタイ』は回っている。やがてテーブル席の全員が見つめる中、晶子のテーブルで残りの五皿が全て取られた。
「またか!」 待ち構えていた自衛官氷川のため息が聞こえる。
突然晶子が皿を一枚もどした。
フグだ。 自衛官氷川はすぐさま皿を取ると醤油をつけるまもなく一気に口に放り込んだ。
その瞬間「ぎえー」という声があがった。
「武蔵!どうしたの」真紀が絶叫する 「まさか毒フグ!」宇田川が立ち上がる。
「そんなわけないでしょ、タイですよタイ」と冷静な晶子。
「タイに見せかけた毒フグという可能性もありますよ」 とエリート刑事宇田川は無意味な推理を披露したが、「それはないわ」と元ヤンの真紀に突っ込まれる。
自衛官氷川は水を一気に飲みほした。
「寿司にワサビ入ってないって嘘ですよ、大量に入ってますよこれ」
「えっ、そんなはずは」 と慌てた店長が厨房に向かって行ったとき。
「ジャーン、それ私が先ほど入れておきました。店長さん寿司レーン止めて下さい」 晶子は手に『チューブわさび』を持って見せた。
「お前いつの間に……」 寿司をとるのに忙しかった舟橋が呆れて言う。 「皆さん気付かなかったでしょう? これがもし『毒フグ』だったら今頃レンジャーはフグ中毒です。命拾いしましたね」
「良かったね」と宇田川は真紀に頷きかける。
「これで証明できましたね。回転寿司屋でもこういう風に目の前で欲しいものがなくなったり、味の濃いものを食べさせたりして客が取るネタをコントロールできるんです」
「寿司をとらせるようにできることは分ったが、でも毒は外から持ち込んだって言うことなのか?」舟橋が怪訝そうに聞く。
「おそらくそれ以外は考えられません。フグ毒のチューブなんてアマゾンでも売ってないので入手経路は想像するしかないんですが」
「あっ、でも昨日お前言ってなかったか? 資料では『フグ握りは被害者のテーブルにはなかったはずだ』って、その説明はどうなってるんだよ?」 「私も実際にお店に来てみないと分らなかったんですが……始めは一回取ったフグ握りにテーブルで毒を塗って戻したと考えていました」
「そうじゃないのか?」
「もし今みたいに隣のテーブルからレンジャーが獲物を狙うような目で凝視していた場合。皿を取って毒入れて戻すなんてこと出来ません。それに被害者のテーブルにはフグ握りの皿は無かった事が事件当時記録されています。舟橋さんも捜査に加わってましたよね」
「すまんすっかり忘れていた。じゃあ一体どうしたんだよ」
「あらかじめ準備しておいたんだと思います」
「なに! 寿司の準備?」
「被害者が食べた寿司ネタリストの中でひとつ変なものがありました。『プリン』です。暴力団員が回転寿司屋に来てわざわざ『プリン』を食べるなんて考えられますか?」
晶子は止まっている回転寿司レーンから『プリン皿』を手に取った。 「こんな風にプリンはカップがお皿に乗っているだけですからお皿は汚れていません。この空いたお皿にあらかじめ作っておいた『毒入りフグ握り』を置いたら完成。そして流れて来た『フグ寿司』を左手で一回取って、右手の『毒入りフグ寿司』とすり替えれば……。ほら、一回取ったけどすぐに戻したように見えますよね」
店員も含めて、一同「おーっ」と感心した。
「でも、そんな大胆なことして、誰にも見られなかったんですか? 防犯カメラとかもあったでしょう」 自衛官氷川が水を飲みながら聞く。
「三年前のあの店の防犯カメラはレジと出入り口だけだったんだよ。客席のレーン周りまではカバーしてなかった。今どき考えられないが、当時はまだそんなもんだったんだ」 舟橋が苦い顔で言った。
「なるほど、この席にいた家族を早速調べてみる必要ありますね」
宇田川は急に刑事らしいことを言い出した。
「でも市川、この場合犯人は被害者の神崎の前に絶対座らないといけない訳だよな? でも座席は先着順で空いた席から店員が案内する訳だろ、確実に座る事なんて店員と客がグルになっても無理だよな。しかも被害者の神崎はこのレーンで一番最後に来店してるんだ。そこが解決しないと計画殺人とは言えないんじゃないか?」
舟橋はいかにも解せない様子で晶子に聞く。
「そこは偶然ですよ。席順は偶然以外には考えられません。そこだけ狙って座ることは当時の混雑ぶりからしても無理です」
「偶然ってお前やっぱり無差別殺人じゃないか。それならわざわざ被害者のの寿司ネタ取る順番をこんなに凝ったことしてコントロールする必要ないじゃないか。そのまま毒ネタ流しておけば誰か取るわけだから」
「いえ偶然なんですが、食べる人物はある程度選べたはずです。もし隣の席が子供のいる家族連れだったり、老夫婦だったら、この犯人はその日の犯行を諦めたと思うんですよ」
「なんでそんな事思う。いまひとつ分からん」
舟橋も宇田川も早速思考停止となった。
「これ前にも舟橋さんに言いましたが、目的が違うんですよ。今回の犯行は特定の人物を殺すことが目的じゃなかったとしたらどうです?」
「えっ、どういうこと」
「おそらく、もともとこの犯人に殺意はなく、食中毒でも死なないような、なるべく体が丈夫な人をターゲットに選んだとしたらどうです。イタズラのつもりだったのかもしれませんよ」
「でも、どうして同じテーブルの三人の中で若頭だった神崎が被害者になったんだ?」
「やっぱりそこも偶然ですよ。最初にこの事件で不思議だったのは、特定のテーブルで取る寿司をコントロール出来たとしても、同じテーブルに座っている特定の人物を選んで食べさせることは絶対に不可能だということです。でも体が丈夫な人物であればだれでも良かったとしたら武闘派の暴力団員三人組は絶好のターゲットだったわけです」
「ほう」舟橋は分ったような顔した。
「残りの二人が犯罪協力者ならこんなややこしいことしなくてもすぐ毒フグ食べさせられるんですが……」
「いやそれは無いな、一緒にいた二人は舎弟で兄貴の神崎を慕っていたようだからな」
「ははーん、それで分りました。やっと来たフグをまずは兄貴からと譲った結果が逆に被害者を最後に決めた偶然だったんだと思います」
舟橋はため息をつくと晶子に聞いた。
「数奇な事件だな。でも『偶然に誰かを殺す目的』って何だ?」
「それは私にはわかりません、警察で調べて下さい。この犯人の動機は今まで捜査に出て来なかった意外なものなのかもしれません」
晶子は検証の結果を二人の警察官に委ねた。
――結局すべての企みは、犯人が「誰でもいいから痛い目に遭わせてやる」と腹を括った瞬間までしか、自分の意志では及ばない。そこから先、隣に座るのが子連れの家族か、屈強な男たちか。三人のうち誰が先にフグへ手を伸ばすか。それは犯人にも、被害者にも、誰にも選べない。
晶子はふと、それこそがこの事件の一番奇妙なところだと思った。人が誰かを傷つける覚悟を決めても、最後の一線を引くのは自分ではなく、巡り合わせだ。
「では早速本部に戻って令状手配しましょう」
「そうだな、帰りはお前の車乗せろよ。市川も乗せてもらえ」
「あっ僕のマゼラッティ。ツーシーターですので、二人しか乗れません」 宇田川は冷たく言い放った。
「いえ、いいんです。私は真紀たちと一緒に、ねっ真紀……」
「せっかく浦安まで来たんだしディズニー行こうって決まっちゃってごめんね。じゃあ行くから」 イチャイチャして出て行く。元ヤンと自衛官のバカップル。
ひとり残された晶子は店長の『余ったお寿司お持ち帰りになりますか?』という余計な優しさを振り切って、駅前でドーナツを買って東西線をひとり西船橋方面に帰っていった。
#5
翌週の水曜日の千葉県警本部。
また舟橋が昼休み明けに正面受付横の休憩スペースに現れた。
「今回の再捜査では本当に助けられたよ」
「いいえ、どういたしまして。事件解決何よりです」 受付モード中の晶子は表情を変えない。
「お前の読み通り一つ前のテーブルに座っていた家族が容疑を認めた」
「そうですか。それなのに舟橋さんヒマなんですか?」
「ヒマなんだよ。自供引き出したら刑事部に全部持ってかれた。その逮捕された家族連れ、実は元寿司屋だったんだ。しかも事件のあった店の近くの商店街にある江戸前の老舗。近くに大手チェーン店の回転寿司屋が出来て以来客足がさっぱりと悪くなったらしい。最初は輸入された冷凍モンとうちの寿司はネタが違うと大将も息巻いていたらしいが、経営難から職人が辞めていき、やがて大将も心労で倒れて寿司屋は閉店。家族経営だったから一家は収入を失った、ネタの仕入れで借金もあり、それぞれパートやら建設の日雇いやらの仕事をして大変だったようだ」
「だから、最初の取り調べの時は寿司屋って分らなかったんですね」
「回転寿司屋に恨みを持った長男が嫌がらせとして、フグフェアにちなんで今回の犯行を思いついたらしい。自分で釣ったフグを調理して毒入り握りをあらかじめ作っておいて隠して持ち込み、お前の言うとおり目の前で一枚すり替えたんだと」
「実は一度や二度の失敗もあったらしい。条件に合うテーブルにならず、封筒に忍ばせた毒入りのフグをそのまま持ち帰った日もあったそうだ。そうやって何度か機会をうかがって、ようやくその日、たまたま隣に座った三人組が『丈夫そうな相手』だった、というわけだ」
「そうですか……」
「その店でフグ中毒の客が出れば誰でも相手は良かったと言うんだが、実際に店に来てみると家族づれのお年寄りや子供が多くて、犯行を一時は中止しようと思ったらしい。それがたまたま屈強な三人連れの男が隣の席に座り、しかも大声出して店員を困らせたりした為、家族で同意してり実行することにしたらしい。すべてお前の読み通りだ……当時俺は捜査にいたのに完全に見落としていたよ」
「それで犯人は他に何か言ってましたか?」
舟橋には晶子が動揺しているように見えた。
「まさか死ぬことはないと思っていたようだが、搬送する救急車が渋滞に巻き込まれ、神崎は一見頑強でも全身を刺青入れていたから肝機能が衰えていた。毒への耐性も弱かったことが死を早めたのかもしれない。加害者にも被害者にとっても不運が重なったね」
「被害者の前の前の席にいた大食い客は関係なかったんですか?」
「本物の相撲部の息子がいる客だった。偶然居合わせただけだ」
「その犯人の元寿司屋一家は、どうして自首しなかったんですか」
「それは、母親が止めたらしい。誰も気づいていないなら静かにしていればバレないと思ったようだ。全員取り調べが始まるとすぐに罪は認めたけどな。魔がさしたんだろうなぁ」
「偶然が重なりましたね。今の世の中知らないうちに人一人ぐらいみんな殺しているのかもしれないですね」
舟橋は晶子の冷たい横顔に初めて見る寂しい表情を見た。
「やけに諦念してるね今日は」
「そうですか」
実行犯の長男と犯行に協力した家族が今日の夕方に送検される。回転寿司に毒ネタを紛れ込ませた事件の真相は注目も高く、ワイドショーでも連日報道されている。県警の広報とマスコミとの話し合いの結果か、単なる手柄自慢なのか、わざと警察署玄関前にマスコミを待たせて、その前を撮影できるような距離をとって実行犯を歩かせ車に乗せるようだ。「恨みを持った男の毒物無差別殺人事件」と事件は発表されたから世間の論調も厳しい。若頭を殺された恨みで暴力団も家族に復讐するかもしれない。
やがて、階段を降りて来た容疑者を晶子は受付から横目で見た。
後悔なのか、取り調べからの疲労なのか、暗い、暗い表情をしていた。同じく送検される母親と次男は刑事の情けなのか裏口から車に乗せられるようだ。玄関ホールで別々にされる母子。母親は泣き崩れていた。
実行犯を玄関へ連れて行く刑事は栄えある仕事となる。その目立つ役割をしている長身の刑事が玄関先で何気なく振り返った。
宇田川だった。一瞬、晶子と目が合った。
「オヤッ?」という顔でもするかと思ったが、さすがは天然坊ちゃん刑事、全く気づいていないようだ。表向きは彼の再捜査の手柄となったのだろう。そのまま玄関を出て行った。
受付で悪意と諦念を毎日見て来た晶子は知っている。
たとえ意図があってもこれは偶然が重なって起こった不幸な事件だったということを、たまたま近所にチェーン店の回転寿司屋が出来たばっかりに、善良だった家族が犯罪を起こした。一方で死んだ神崎の過去犯歴は覚醒剤、恐喝、売春と死んでも惜しくない悪党に思えた。どんな犯罪にも理由がある、根っからの悪人も善人もいない、シーソーのようにいつも揺れているものが、写真のように一瞬を切り取ったときに片側に傾いているだけのように晶子は思う。
「その違いはわずか」
晶子は思う。あの日、あの一分、あの席さえ違っていたら、神崎は今も何処かで嫌われ者のヤクザとして生きていただろうし、あの家族も何も知らないまま、寿司屋の思い出とともに静かに老いていっただろう。ほんの偶然が、両方の人生を決めてしまった。
この事件の加害者とも被害者とも私は一切関係ないままだった。 今日も私の退屈な日常は過ぎ去っていく。 私はただの受付職員の市川晶子。 この事件に関わった事は誰も知らない。
あっ、忘れていた一人だけいた。
マスコミ注目の連行シーンからは外された冴えないおやじが受付前に現れた。カウンターによっかかって舟橋は腑に落ちない顔をして言った。
「なんかくたびれ儲けだったな俺たち、景気付けに寿司屋でも行くか?」 金一封くらいは出たに違いない。
「今度は回らないやつお願いします」
(完)