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Photo byblue1984

䌚瀟を始めお、正しさの眮き堎所が倉わっおきた

    法人化しおから、仕事の䞭で「䌚瀟をやるっお、こういうこずなのか」ず立ち止たる堎面が増えた。芋積もりを出すずき、誰かに仕事をお願いするずき、この仕事は受けない方がいいかもしれないず考えるずき。ただ数ヶ月しか経っおいないので、分かったようなこずは蚀えない。ただ、䌚瀟員だった頃やフリヌランスだった頃ずは、立っおいる堎所が明らかに違う。

    䌚瀟員時代の私は、わりずずっず怒っおいた気がする。この進め方だず人が傷぀くのに。この蚀い方だず䌝わらないのに。この䌁画は、誰に届いおいるんだろう。そんなこずをよく思っおいたし、心のどこかで「私の方が正しいのに」ず思っおいた。

    曞いおみるず、かなり嫌な感じがする。でも、正盎そうだったず思う。

    今振り返るず、圓時の私はかなり未熟だった。䜕が未熟だったかずいうず、正しいず思うこずを、誰かず䞀緒に動かせる圢にする力が足りなかった。自分の違和感ず、組織の郜合ず、盞手の事情を分けお考える蚀葉も少なかった。だから本圓は「私はこの進め方が怖い」「この刀断には乗りたくない」「この人の扱われ方が雑に芋える」ず蚀えばよかったずころを、「私が正しくお、呚りが間違っおいる」に倉換しおいたのだず思う。

    もうひず぀反省があるずしたら、圓時の私は、自分の違和感を、盞手が受け取れる蚀葉にできおいなかった。正しいかどうかだけを芋おいお、その進め方だず誰がい぀困るのか、今すぐ党郚を倉えられないならどこだけ盎すのか、盞手は䜕を守ろうずしおその刀断をしおいるのか、そこたで考えきれおいなかった。

    もちろん、圓時感じおいた違和感そのものが党郚間違っおいたずは思わない。人や蚀葉が雑に扱われおいるこずぞの気持ち悪さは、今の仕事にも぀ながっおいる。ただ、その気持ち悪さをどう扱うかは、かなり䞋手だった。

    圓時の自分にずっお、正しさは倧事なものだった。ずいうより、正しさがないず自分の感芚を守れなかったのかもしれない。組織の䞭にいるず、違和感はあるのに、自分では決められないこずがたくさんある。おかしいず思っおも、決めるのは自分ではない。こうした方がいいず思っおも、別の郜合で流れおいく。関わる人がしんどくなりそうだず思っおも、その流れを倉える暩限が自分にあるわけではない。

    違和感だけが残る状態が続くず、「私は間違っおいない」ず思うこずが足堎になる。䌚瀟員時代に握っおいた正しさは、自分を保぀ためのものでもあったのだず思う。

    フリヌランスになっお、少し楜になった。自分が気持ち悪いず思ったずころを、自分の手で盎せる。この蚀い方は違うず思ったら、曞き換えられる。この構成だず䌝わらないず思ったら、組み替えられる。党郚が自由だったわけではないけれど、少なくずもかなりの郚分を自分の手で完結できた。

    フリヌランス時代は、正しさず実行の距離が近かった。自分が正しいず思うこずを、自分でやればよかった。雑に蚀うず、「私がちゃんずしおいれば、なんずかなる」ず思える範囲が広かった。

    もう少し蚀うず、フリヌランスの私は、分かりやすい自分のスキルを売っおいたのだず思う。曞けたす。線集できたす。敎理できたす。進行できたす。盞手が困っおいたら、自分の手ず時間を差し出す。採算より、目の前の困りごずを優先しがちだった。

    そのやり方で仕事が回っおいた時期もある。むしろ、フリヌランスずしおはかなり自然な動き方だったのだず思う。自分が動けば、そのたた䟡倀になる。少し倚めに盞談に乗る。぀いでに資料を芋る。頌たれたこずの呚蟺たで、かなり広めに匕き受けおいた。そういう動きが、信頌に぀ながるこずも倚かった。

    でも䌚瀟にしおから、同じ動き方がそのたた通甚するわけではないのだず感じおいる。

    ぱっず芋では、フリヌランスず今の経営はあたり倉わらないように芋えるず思う。今も私が仕事を受けおいるし、私が考えお、私が曞いお、私が人ず話しおいる。倖から芋たら、法人化しただけで䞭身は同じに芋えるかもしれない。

    でも、内偎の感芚はかなり違う。

    フリヌランスのずきは、自分のスキルを売っおいた。今は、自分のスキルをどこに䜿うかを決めおいる。自分ができるこずを党郚やっおいたら、䌚瀟は広がらない。ちょっず頑匵ればできる仕事を党郚受けおいたら、続けるための䜙力が残らない。協力しおくれるパヌトナヌに枡せない。品質基準が自分の䞭にだけ残る。家族の生掻も、自分の䜓力も削れおいく。

    ギブの粟神が悪いわけではない。むしろ、私はそこを倱いたくない。でも、䌚瀟ずしお続けるなら、ギブにも眮き堎所が必芁になる。営業の入口なのか、関係づくりなのか、商品に含めるものなのか、完党な無償の貢献なのか。分けずに党郚を匕き受けおいるず、芪切の぀もりで、仕事を続ける䜙力が削れおいく。

    この倉化が、今すごく新鮮で、同時に難しい。

    䌚瀟にしおから、正しさず実行の距離も倉わっおきた。正しいこずず、実際に実行できるこずの間には、かなり倧きな開きがある。正しいだけでは、芋積もりは出せない。正しいだけでは、人には頌めない。正しいだけでは、請求曞も送れないし、生掻も続かない。

    お金のこず。契玄のこず。盞手の予算。自分の䜓力。家族の生掻。協力しおくれるパヌトナヌにどこたでお願いするか。どの品質なら守れるか。どこから先は、今は無理ですず蚀うか。商売をするようになるず、刀断に入っおくる芁玠が䞀気に増える。

    䌚瀟をやるずか、商売をするずいうのは、グレヌなずころに線を匕くこずなのかもしれない。ただ決めきれないずころ。ゆるいたた挂っおいるずころ。誰も悪くないけれど、このたただず進たないずころ。そういう曖昧な堎所に、いったん仮で線を匕く。

    倀段を決める。玍期を決める。ここたでやる、ず決める。ここから先は別料金です、ず決める。この仕事は受けない、ず決める。

    完璧に玍埗しおから決められるこずなんお、たぶんあたりない。少し䞍完党なたた決めるこずの方が倚い。線を匕くたびに新鮮だし、毎日ちょっず怖い。

    昔の私は、正しさを前に出しおいた。それはおかしい。それは違う。人が雑に扱われおいるように芋える。今でもそう思うこずはあるし、人や蚀葉の扱われ方ぞの違和感はなくしたくない。違和感が鈍ったら、私がこの仕事をやる意味はかなり薄くなる気がしおいる。

    でも、正しさをそのたた振り回しおも、仕事は動かない。

    違和感を持぀こずず、違和感を仕事の䞭で扱える圢にするこずは、たったく別の力なのだず思う。䌚瀟員時代の私は、その別の力がかなり足りなかった。今も十分にあるずは蚀えないけれど、少なくずも別の力が必芁なのだずは分かるようになっおきた。

    正しさは、実行前の心構えや哲孊に近いものなのかもしれない。倧事だけれど、正しさだけでは食えない。食える圢にするには、もう䞀段必芁になる。芋積もりにする。契玄条件にする。進行ルヌルにする。断る基準にする。サヌビスの圢にする。誰かに枡せる手順にする。

    正しさを、仕事の圢に倉える。

    䌚瀟員時代ずも、フリヌランス時代ずも違う難しさは、この倉換にあるのだず思う。

    昔の私は、正しさで呚りを裁いおいたのかもしれない。フリヌランスの私は、正しさを自分の手で実行しおいたのかもしれない。今は、正しさで䜕かを決めたい。できれば、䜕かを動かしたい。自分だけが頑匵る圢ではなく、䌚瀟ずしお続く圢にしたい。

    ただ党然うたくできおいない。今もすぐ「いや、それは違うでしょ」ず思うし、たぶん顔にも出おいるず思う。でも、違和感が出たあずに少しだけ考えるようになった。どういう条件ならできるのか。どこたでなら守れるのか。誰に䜕をお願いすれば進むのか。今やるこずなのか。やらないなら、䜕を守るためにやらないのか。

    正しさを捚おたいわけではない。ギブの粟神をなくしたいわけでもない。

    ただ、眮き堎所が倉わっおきた。

    前は、自分を守るために正しさを握っおいた。フリヌランスの頃は、自分のスキルず時間で正しさを実行しおいた。今は、正しさや芪切を、䌚瀟ずしお続く圢に倉えおいきたいず思っおいる。

    䌚瀟をやるっお、たぶんそういう鍛錬の堎でもあるのだず思う。

     
     
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