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『悩む僕、桜舞う』第3話:不屈の"F"高校生

    わく輔キャンパス


    無気力な小学生
    🔻
    偏差値50未満HSP大学生▶財閥系内定の25卒

    【"ナヤサク"の構成】
    第1話:天邪鬼な瞬足小学生
    第2話:追撃タックル中学生  🤛前回
    第3話:不屈の"F"高校生            👈今回
    第4話:裏の成績優秀大学生
    第5話:邪道の就活

    ※話の中で登場する曲名を押すと、その曲が流れる

    登場する人物名・地名・団体名は、ほぼ架空のものです 




    自分の番号を見つけて驚いていたら、船高生活が始まっていた。入学式の演奏に、これまでと違う空気を感じた。

    迷いながらもFリクの扉を開ける


    「部活どこか必ず入れよ」という先生の呼びかけがあった。仮入部期間中、同じ1年5組の佐々木と水泳部を見学したり、吹奏楽部で打楽器のセンスの無さを痛感したりしていた。

    仮入部終盤、佐々木と一緒に迷いながら陸上部の扉に辿り着いた。部室で着替えて、練習に参加した。
    仮入部を終えて、「結局、陸上部しかないな」と思った。迷っていた佐々木も一緒に入部した。

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    2つ上の今田キャプテンは、僕にやり投げを勧めた。アルマジロスの名残もあり、種目はやり投げに決めた。
    やり投げ選手は、2つ上の池本先輩と僕だけだった。

    【船手高校陸上部[Fリク]】
    男女混合で種目ごとに分かれて練習を行う。各種目の練習は、各パート長が中心に進める。
    各学年ごとで集合写真ポーズがある。ユニフォームは青だが、練習着は黒ずくめの集団。

    僕は跳躍とやり投げのグループで、佐々木は跳躍選手で一緒に練習していた。
    練習のメインは走ることだった。やり投げは土本顧問の指導を受けられるときだけだった。



    高1、制服のまま空を飛べず


    周りが私服の中、制服姿の僕は野球部に間違えられた。
    校舎のどこからか、『空も飛べるはず』の演奏がよく流れていた。
    社会科の先生の声が、地元の同級生の森口にそっくりで驚いた。

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    部員が少なく合同チームだったラグビー部。その部員の岩地は、僕がラグビー部だったことを知っていて、勧誘してきた。
    「ラグビーやらんの?女子狙い?」と聞かれ、僕は「それもあるかなー」と返した。

    焼肉屋でのFリク懇親会では、話さない僕は、周囲の女子から煙たがられた。
    理科室で授業中、ダンス部の沖野に30秒ほど後ろを振り向かれた。気になったが、「ゴミがついていたんだ」と思うことにした。

    船高の最寄り駅に向かって走る人がいると、つられて他の人も走るのが風物詩だった。



    刺さらないやり、届かない自分


    2つ上の先輩が引退し、やり投げ部員は僕だけになった。2週間に1回、他の部員がトラックを走る中、広いグラウンドの中央で、僕はやりを投げた。

    【それ以外のやり投げ強化練習】
    ●顧問と朝練
    ●村井パート長から教わった筋トレ・タオルトレーニング
    ●土本顧問に教わったチューブトレーニング
       ※自転車屋で譲り受けたチューブ

    しかし記録会では、助走線を越えたり、やりが地面に刺さらなかったりして、記録を残せなかった。

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    ある日、男子部員も引っ張る村井パート長は、僕の左膝の傷跡を気にした。僕はうまく言葉にできなかった。

    【僕の左膝の膨らんだ傷跡】
    何度倒されても起き上がった証で、僕にとってのお守り
    。中学のとき、母に「皮膚科で治せ」と言われたが、従わなかった。

    入部半年、顧問の助言を受けて、やり投げは終わらせることにした。





    アルマジロスは縦社会の中で素直に通じ合えたが、Fリクはゆるい上下関係の中で噂話が広がっていた。
    その空気に、僕はうまく馴染めなかった。

    陰口に苦しむ転向者


    ある練習の日。
    跳躍パートの部員たちに転向の話と100m転向への意気込みを伝えた。すると、1つ上の山末先輩から「話が硬いな」と言われた。
    翌日、山末先輩から跳躍パートのLINEグループを追放され、気が引き締まった。

    入部半年で種目転向した僕は、周囲の厳しい視線を感じた。
    短距離パート長の浜松先輩に挨拶をしたが
    気づかれなかった。

    部室では、「◯◯はズル休みやろ」といった陰口が聞こえる。
    懇談期間中の練習前、中庭でバドミントンをしたが難しかった。

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    100mに懸ける、戦隊ロボの足掻き


    陸上部出身で「StePソックス」に馴染む部員が大半の中、僕は実力の差を痛感していた。

    僕の課題は60m以降の失速だった。小学生のときと走る感覚が違っていた。走る動画を見ると滑らかに足首が動き、体の前で接地していた。地面の反発を活かせず加速しきれなった。

    練習後は疲れ果て、ラグビーと違い精神論が通用しない難しさを痛感していた。特に冬季練習は、戦隊ロボを操作するイメージで乗り切っていた。


    ある休日の練習日。佐々木は正直に遅刻を告げ、罰のランニング20周を淡々とこなしていた。なぜか、靴下には血が滲んでいた。

    ある水泳の授業。進まない1かきを、ひたすら高速で回す平泳ぎをする男がいた。

    僕もまだ、足掻こうと思えた。 




    再会で選んだ道を振り返る


    Fリクの練習帰りの土曜日、青ジャージで犬の散歩をしている森口らしき人を見かけた。だが、声はかけられなかった。
    ふと、美術の授業で『魔女の宅急便』のシーンを仕上げていた森口の姿が浮かんだ。

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    別の土曜日、部活帰りに駅で立原に遭遇した。立原は黒瀬実業の練習終わりだった。
    同級生アルマジロスのLINEグループに追加してもらったとき、走って楕円球をキャッチした感覚がよみがえった。

    別日のFリクで移動中。
    本田顧問から、「唯一の中学の同級生・佐川が、不登校になっている」と聞いた。
    胸の奥に、嫌なざわつきが走った。

    1つ上の先輩が引退した日。
    短距離パートの先輩方から手紙をもらったが、その手紙は開けられないまま。
    机の引き出しに入れたまま。




    競技場で"カワチAC"で一緒だった麻山が
    男子の僕より速いタイムで走る
    のを目撃した。
    そして僕は、自主練習を始めて4×100mリレーの1走を掴んだ。

    背後の視線と影の涙


    新体制で同級生の吉野が短距離パート長に任命された。練習内容は主に吉野が考案した。僕は走る部員への掛け声を積極的に行っていた。

    吉野が休んだ練習の日。
    短距離パートの上級生男子は僕だけだったので、練習内容を考えた。

    翌日、部室でその練習について噂を耳にした。
    雨上がりの変形ダッシュで服が汚れて、女子たちは不満だったらしい。 ラグビーでの「当たり前」は、実は当たり前ではなかった。
    その日の部活中、女子たちの冷ややかな視線が刺さった。

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    この日も長距離種目の坂中と下校した。部活の話は相変わらず避け、社会への愚痴ばかりを口にした。
    そして別れたあと、家の最寄り駅で視界が滲んだ。

    仮入部のときは、同級生からみやぞんに似ていると言われた僕。高2になると、芸能人診断アプリで、「朝倉未来」と診断された。

    当時は、3つの鎖(神経質・ネガティブ・不器用)が絡まりながらも、気力で前に進んでいる感覚だった。




    舞台裏で揺れる青春


    創航祭(文化祭)の日。
    僕ら2年5組は、学級代表・豊出が脚本と主演を務めた『浦島太郎』を上演した。演者たちが心から楽しめる構成で受賞を果たした。
    浦島と乙姫の『とびら開けて』のデュエット。そして、龍宮城の住人たちが『Runaway Baby』に合わせて床を響かせ踊ると、視聴覚室が沸いた。

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    その裏で、僕と坂中、そして鍵野のFリク3人は、ブルーシートの背景を支えつつ、その熱気を肌で感じていた。

    その後の自由時間は、鍵野と部室で昼寝をして過ごした。中庭では、同級生の軽音楽部バンドが『高嶺の花子さん』を披露する姿が眩しかった。




    同級生は「南河阪市で一番かしこい公立高」と言っていたが、船高は自称進学校だった。

    数Bマジックと進路競馬


    2年生の僕は、理系にいた。
    「マジシャン」と呼ばれていた非常勤の堅山先生が、数Bを担当していた。授業中、計算ミスを展開し、終盤に答えだけを書く。
    そして、「どっか間違ってますね。ちゃんと計算すれば、できるんでね」と言って授業を締めていた。
    授業後、坂中が質問すると、堅山先生は
    「不思議とこうなるんですね。暗記するしかないですね」と答えた。
    豊出がクラス全員に授業アンケートで最低評価をつけるよう呼びかけたが、夏休みが終わってもマジックは続いた。


    この頃、僕は指定校推薦を知った。手遅れだった。
    進路指導の時間には、先輩たちの受験を競馬にたとえる話もあった。
    結局、3年から文転することに決めた。

     

     「もう高校生活、早く終われ」と思ったら
    とんでもないことが起きた。

    急転直下の走り屋引退


    Fリクの4継メンバーは、違う走順を試して小さな大会に出場した。
    3走がアンダーハンドパスで差し出したバトンは、4走の僕の手に触れた。握ろうと探るように手を動かした瞬間、バトンがすり抜けた。失格と分かりながらも、拾って走った。

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    それ以来、部員に顔を合わせることはできなかった。
    これがFリク最後のレースになるとは思っていなかった。

    『ドリフトスピリッツ』で、僕は2チームのリーダーをしていた。両方ともチームバトルロイヤルTOP300入りしていた。
    だが受験を前に、選抜チームを完成させて走り屋を引退した。




    緊急事態宣言で高3の1学期序盤は休校。
    9月入学案に期待したり、学校教育が要領の良い人基準だと思ったりして、受験勉強に集中していなかった。

    もげた天狗の鼻の跡


    学校が再開されると、劣等感に悩まされた。
    僕が教科書を忘れたとき、見せてくれた女子に「ごめんなさい」と謝っていた。ソーシャルディフェンスや恥ずかしさもあった。

    秋頃、今年から始まる大学入学共通テストに向けて、対策教材を購入して勉強した。

    しかし、1月中旬、共通テストが終わった。
    最寄り駅で電車を待つ19時頃、「人生終わった。何やってたんやろ自分。」そう思った。
    結果は悲惨で、英語は4割も届かなかった。

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    その後、私大もことごとく不合格。落ちた大学のパンフレットを、破りちぎっていた。

    しばらくして、入学前に登校した日のことを思い出した。

    健診や体操服・教科書の購入のとき、僕は「まだか、遅いねん」と天狗になっていた。

    だが今は、天狗の鼻はもげ、赤い顔の中央がへこんだ奴になった。





    高3の創航祭では、ひとりで演劇部の劇を見て時間を潰した。3年生の劇が中止になり、内心ほっとしていた。

    "世界一幸せな高校生"に隠れ、卒業


    卒業式の日、登校すると僕の机に後輩部員からのプレゼントが置かれていた。Fリクの集合LINEを見ていなかった。

    式の前、教室で担任から受験相談をされた。智瀧大学を勧めた後、「合格している橋和学院大学もいい大学やから。どこの大学かよりも、大学で何をするかが大事やから」と言われた。
    僕は、申し訳なさそうに女子からボールペンを借りた。そして、受験調査表に変わらず
    京都商科大学の受験予定を書いて提出した。

    卒業式では、卒業生代表の豊出がバレー部の話や補習で先生にお世話になった話をした。そして最後に「世界一幸せな高校生だった」と締めくくった。
    僕は、涙をマスクで隠した。母の出席を断っておいて良かった。

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    教室でクラス写真を撮り終えると、ざわめきを背に、誰にも気づかれないように正門まで歩いた。

    桜は明らかに咲いていなかった。




    続き👇️

     
     
     
    とある財閥系の経理(24) 不器用クン、旨み増量中🚩 持論と妄想で会社員の日々を揚げてます

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