『闘球ビート』原稿→完全版
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まえがき
21世紀初頭、とりわけ2002年生まれの世代は、ギリギリ昭和の名残を味わっている。
あの空気を懐かしめるような話にしたい。
そして、不登校予備軍の少年・尾尻渉が
中学ラグビーを通じて世界を広げていく。
私たちは高校以降、自ら選択できることが増えていった。
だが社会に出てからは、求められた役割を担うことになる。
怒号が飛び交う合宿場。視界が白く濁り、口の中に鉄の味が広がる泥試合。振り返れば、危険があってこそ本当の自由はあった。
先輩の背番号を、自分の番号に塗り替える感覚を、もう一度。
あらすじ(暫定)
小学校の休み時間。
ありと遊び、校舎をひとり歩く尾尻渉。
先生にも反抗する気の強い谷川飛竜。
交わるはずのなかった2人の視線が、一瞬だけ重なった。
僕の「逃げるための足」と彼の「壊すための力」が、楕円のボールによって一つに結ばれる。
線路と川に囲まれた校区である条乱中は、土足の教室、味が混ざる給食、
さらに、ツーブロック禁止、白靴、白靴下という校則に縛られた、まるで刑務所のような場所だった。
僕の目に飛び込んできたのは、カラフルな練習着でグラウンドを駆けるラグビー部の姿だった。
「お前ら、弱いな」――
新人戦から言われ続けた世代の戦いが始まる。
🌟1年
入所したて
ぶかぶかの制服を着た僕を嘲笑うかのように、ペダルを漕いで上級生が追い抜いていった。開店前のつばめ堂に自転車を止める仕草がやけに慣れている。
学校の塀に沿ったコンクリートの割れ目から、図太く伸びた木が薄いピンクの花をぶら下がっていた。
「おはようございます」
低く、やけに通る声。新入生に向けられているはずなのに、どこか威圧的で、挨拶というより、囚人の点呼だった。声の主はスキンヘッドに無精ひげ、胸を張った姿勢で校門に立ちはだかる先生だった。
背中に冷たい視線を感じたが、振り返る勇気はない。
「ここ、学校ちゃうな。刑務所や」
兄の航太が制服の襟を緩めながら吐き捨てた言葉が、じわじわと蘇る。鍵はかかっていない。でも、決して逃げられない。
1年4組の欄に「尾尻渉」と記載されていた。教室に入ると、副担任の野玉先生がいた。
ピンクに黒のアディダス3本線が入ったジャージを着ている。
四十手前のえせ小池栄子といったところだ。
「尾尻さん。窓側の後ろから二番目」
机の表面に、うっすらと彫った跡がある。
「条乱ボーイズ」。
横の壁にはボールペンの落書きまで残っている。
「レッドベアーズ」。
呪われそうに感じて廊下出ると、同じ塾に通う川下たちがすでに群れていた。
「副担任の野玉、めっちゃエロない? 」
「お前、熟女好きやったんか」
「おい、川下! なにへらへらしとんねん!」
突如、学年主任の八神のかん高い怒号が響き、教室の空気がピキリと凍った。ただ息をしているだけで罪に問われそうな緊張感。川下はアホそうに口を半開きにしたまま固まっている。
チャイムと同時に、教室のドアが勢いよく開いた。
さっきのスキンヘッドだった。
名簿を教卓に叩きつけた。
「今日からお前らの担任や。よろしくな」
そう言いながら、笑ってはいない。
視線だけが、教室全体をゆっくりなぞる。
僕は無意識に背筋を伸ばしていた。
授業が始まってしばらくすると、廊下が騒がしくなった。
ドアの窓に、制服の着崩した男子が何人か映っている。
先生は、黒板にチョークを走らせたまま、言った。
「おい、入ってくるなら来い。来んのやったらどっか行け」
ざらついた数秒の沈黙。やがて、廊下の足音は遠ざかっていった。
放課後、校門前のガードパイプに、さっきの数人が座っていた。
笑いながら、出ていく僕らを眺めている。
「あれが条乱ボーイズか」
川下が小声で言った。
中にいる僕らと、外にいるやつ。どっちが自由なのか、考えるのをすぐやめた。
交番に隣接する部活
職員室前には、クラブ伝言板があった。
野球部。サッカー部。女子ソフトボール部。女子バスケットボール部。女子バレーボール。女子バトミントン部。卓球部。剣道部。柔道部……それと文化部がいくつか。
「男子の部活少な……」
思わず声が漏れた。
「やんちゃなやつが多すぎて生活指導が大変だから、部活を減らしてるらしいで」
横で川下が噂を垂れ流す。
廊下の先の塀の隙間から、交番が監視塔のようにこちらを見ていた。
「囲碁部、廃部か。あったら入るのになー」
誰かの声が通り過ぎていく。
どれも惹かれない。掲示板の前で途方に暮れていると、後ろから声がした。
「何見てんねや。部活少なくて困ってるんか」
振り返ると、白髪の教師が立っていた。
目はぎらぎらと鋭い。
首にかけたカードには安江とある。
彼は手書きの「ラグビー部」の文字を指さし、不敵に笑った。
「十五年前に俺が立ち上げたんや。花園で活躍してる教え子もおるど」
花園。全国高校ラグビーの聖地。なんでそんなことを知っているんだろう、僕は。人と人がぶつかり合う場所だと、体のどこかが覚えていた。
安江先生が、僕の足をじっと見た。
「お前、足速いやろ」
心臓が、跳ねた。なんで分かったんや。
「……まあ」
「来いよ。仮入部待っとるどー」
それだけ言い残して、職員室に入っていった。
あの日の再来
放課後のグランドでは、白ユニフォームに帽子をかぶる野球部、ほとんどの部員が白い練習着のサッカー部。紺色ユニフォームの女子ソフトボール部。その隙間で、カラフルな練習着の集団だけが、楕円のボールを抱えて走っていた。
数日後、4組の吉屋幹太と仮入部の用紙を持って、廊下へ向かった。
「渉、ほんまに入るん?」
「幹太こそ。水泳やってたよな」
「でも水泳部ないしさ。男子の部活、ほとんどないやん。消去法やで」
「一緒やわ」
廊下では、ラグビー部員たちが白靴と白靴下を脱ぎ捨ててカラフルなソックスに履き替えていた。小学校で見覚えのある顔がちらほらいる。誰も彼も存在感があって、見かけたら自分の気配を消し、距離を置きたくなる連中ばかりだ。
「ラグビー決まり?おー、やったー。ありが……」
用紙を受け取った先輩の声が途切れた。
廊下の奥にいたアイツと、バチッと目が合った。
飛竜。
同じクラスになったことは一度もない。それでも、喧嘩や先生への反抗で、嫌でも名前が耳に入ってくる奴だった。
同級生の遊びが鬼ごっこからドッジボールへと変わった小5から、僕はいつも学習園の前にしゃがんで、アリの行列を人差し指で遮っていた。先頭が止まる。後ろが詰まる。また分かれていく。それを眺めている時間が、僕にとって校内で唯一の自由を感じられた。
ある日、邪魔をするようにサッカーボールが転がってきた。
顔を上げると、グランドの真ん中に男子がひとり立っていた。
刈り上げた髪に、焼けた黒い肌。
仁王立ちで先生と向き合っている。
「こら!危ないやろ!」
先生が怒鳴る。彼は目を逸らさず、睨み返した。
周りの笑い声が消え、異様な緊張感が広がっていく。
彼は足元のボールを見下ろし、迷いなく蹴った。
グォンッ――!
体育館の金属扉にぶつかった重い音が、校庭中を揺らした。遠いはずなのに、一瞬、目が合った。
薄く笑っていた。どこか納得しているような顔で。
「あー、颯馬の弟か―」
先輩の声で、我に返った。
飛竜にも兄がおるんや。初めて知った。
僕の兄のことなんか、知るはずないよな。
あの日と同じ視線が、今、廊下の奥から刺さっている。
飛竜は眉ひとつ動かさず、こっちへ歩いてきた。
「お前、学習園の前で、毎日しゃがんどったよな。あれ何してたん」
「砂遊びしてた。蝉の穴埋めたりさ。」
「絶対、おもんないやん。よう来たな」
そこで、笑ってしまった。入学して初めて笑った気がした。
あの日の静かな校庭の隅から抜け出すように、僕は一歩、踏み込んだ気がした。
仮入部と兄の約束
仮入部は、腰の紐を引きちぎり合う「タグラグビー」から始まった。校区外からラグビーをするためだけに条乱中へ通っている田瀬川と拳斗も、同じ列にいた。
「前に投げたらあかんねんでー。やってみよか」
体操服姿でぎこちない僕らに、先輩たちはやたらと優しかった。
楕円形の、不思議な重み。手にしっくりくる。
「走ってみ」
言われるまま、誰もいないスペースへ足を運ぶ。一歩、二歩、三歩。風が顔を叩く。誰とも競わず、自分の速さで、世界を置き去りにできる。
「速っ! ええやん!」
後ろで先輩たちの声がした。それだけで、頑なだった胸が少し軽くなった。
毎回、気づけば体育館の屋根下の時計が17時を回っていた。仮入部最終日、安江顧問がいつもと違う顔で言った。
「ラグビーは怪我する危険なスポーツや。覚悟がいるどー。親のサイン、もろてこい」
入部の話をした夜、母は台所で固まった。
「ラグビー?あかん。航太があんなことなって、渉までおかしなったら」
「ならんから」
「そんなん、できるわけないやろ」
新聞から顔を上げないまま、父が言った。
「やるなら、結果で示せ」
それだけだった。母は何も言わず皿を洗い続けた。
翌朝、テーブルの上に、印が押された入部届が置いてあった。
土曜、兄の病室を訪ねた。航太は責任感が強い。小2から父に言われるまま、毎日本と新聞を読んでいた。条乱中ではESS部という英語系の部活入っていた。
「結果で示せ」という父の言葉を裏切らないよう、机に向かい続けたのかもしれない。なぜ航太が、壊れないといけなかったんだろう。
「何部入ったん」
「ラグビー部やで」
航太は少し驚いてから、ふっと笑った。
「やっぱりか。走るの速いもんな」
「兄ちゃんかて、運動会、いつもダントツやったやん」
「まあな。」
窓の外の空を見て、航太が言った。
「復活したら、一緒にラグビーやろうや」
「おう」
細い手が、心なしか力強く握り返してきた。
見舞いの帰り、川沿いの直線で、僕はアスファルトを蹴った。陸上クラブのころ、毎回この100mを兄と走った。息を弾ませる僕の横で、いつもどこか満足げな顔をしていた航太。もしかしたら、兄は僕に勝たせていたんじゃないか。吹き抜ける風がやけに冷たくて、僕はさらに速度を上げた。ただ前だけを向いて。

入所生活
体操服がダサい。
上半身の前後に苗字とクラスが書かれたワッペンをデカデカとつけるのがルールだった。
そのワッペンがグランドを埋め尽くす体育祭を、条乱ボーイズが門越しに見ている。川下と一緒にエグスプロージョンの本能寺の変を踊っていた高田も門の先にいた。
「おい参加するか、来いよ。」
スキンヘッドが声をかけると、川をつなぐ歩道橋へ戻っていった。
「あいつらってボッコーとつるんでるらしいで」
入場前の僕たちの前を、噂話とともに女子たちが通り過ぎていく。
刑務所感を強めていた学校生活の中で、唯一の息抜きが昼の「赤箱」――給食だった。
赤いプラスチックの箱に、おかずが詰め込まれている。唐揚げの隣に、汁気たっぷりの酢の物。
運ぶ間に、当然のように混ざり合っている。
「おりゃー!」
サッカー部のイキった連中が、赤箱をわざと上下に激しく振る。
「おー、ありがとな」
川下はそれを毎回笑顔で受け取って教室に戻る。
「うぇー、まっず!」
「あははー」
そのやり取りが数か月で三十回ほど繰り返されて、ようやく行政が動き、小学校の給食センターから送ってもらう措置が取られた。
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