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大森の思い出

    20代の半分ぐらいは、勤務先が大森だった。
    社会人になって始めた独り暮らしも、そもそも会社勤めだってぎこちなく、いつまでこんな生活をするんだろうと思っていたような気がする。
    駅の南側の改札を出て、右に曲がって、ちょっと行った辺りに急階段を降りていく窪地があって、小さな飲み屋がひしめき合ってる。
    通称「地獄谷」。
    上司は笑いながら
    「絶対あそこには行くなよ」
    と言っていた。
    昼間のぞくと、小さなスナックや小料理屋が並んでいたような気がする。
    お前たちにはまだ早い、という意味で受け取っていたけれど、実は上司の行きつけの店があって、縄張りを荒らされたくない、ということだったんだろうと、この年になると判る。
    もう少し北に歩いた線路の傍に大森貝塚の碑があって、これは電車からも見える。
    だけど、そんなことに興味はなくて、車窓から外を眺めていても、石碑は見落としがちだった。
    石碑の方へ降りていく道とは反対方向は、環七へ通じる道があって、先輩の車で「なんでんかんでん」に連れて行ってもらったこともある。
    海苔に店名が白字でプリントされてたのは覚えているけれど、肝心の味は覚えていない。
    わざわざ車で連れてってもらったのに、親の心子知らずではないが、先輩の心後輩知らずである。
    駅の南側はロータリーと商店街があって、ランチにあちこち食べ歩いた。
    最初はおっかなびっくりだったが、当時のお客さんと仲良くなると、食べ歩き、飲み歩きを楽しむ友達になった。
    店が今もあるか知らないが、そば屋、とんかつ屋、焼肉屋、中華料理店、うどん屋、洋食屋、小料理屋、安い給料だったはずだが、本当によく食べ歩いた。
    そんな店の思い出を一つ二つ。
    とある、看板のない寿司屋に、独りでふらっと入った事がある。
    白木のカウンター、お品書きは無く、板さんが中央で立っている。
    この時点で場違いなことに気づくべきだが、無知というのは恐ろしいもので、真ん中に座ってしまった。
    「何から握りましょう?」
    「えぇっと、ランチとかありますか?」
    おまかせのランチを握ってもらい、2,000円払ったが食べた心地がしなかった。
    タイ料理屋もあった。
    グリーンカレー、レッドカレー、イエローカレーをかわりばんこに食べて、カオマンガイや、ガパオライスを頼んだ記憶がない。
    ある時期、仕事が佳境になってお昼もままならなくなって、ランチタイムを大きく外して休憩を取ったときに、やさぐれていたのか、気が大きくなっていたのか、グリーンカレーとランチビールを注文した。
    職場に戻るまでのつかの間に、優雅にビールとグリーンカレーを堪能した。
    職場に戻ると先輩が
    「けっこう昼休み長かったじゃん、あれ?お前、顔赤くないか?」
    「日焼けですかねぇ」
    白々しい。
    学生に毛が生えたか生えないか位の若造のくせに、あちこちの店に常連ヅラして出入りしていたのは、若気の至りとご容赦願いたい。
    何年後かに用事があって再訪したことがあるが、町も店も大きく変わってしまい、もう記憶の中にしかない。

     
     
    ひとは取り込んだものしか出せないというけれど出てくる言葉だけ見ているといったい何を取り込んできたのか分からなくなるような気がする。腑に落ちた良い言葉ものみ込んでしまった悪い言葉も血となり肉となれ。

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