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ジャングルに帰れなくなった人類へ |人の思惑から降りるということ

    いつも読んでくださっている皆さま、そして、はじめましての皆さまへ。

    これまでnoteに書いてきたことを、一つの物語として再構成・加筆修正し、創作大賞応募作としてまとめました。
    長編ですが、よかったら最後までお付き合いください。



    プロローグ ゴリラの歌

    わたしが幼い頃、音楽教室の教材レコードに入っていた一曲をよく聴いていました。

    「ゴリラの歌」。
    チューインガムという女の子二人組が歌う曲です。

    アフリカらしい太鼓とトランペットで始まり、静かで物悲しいパートに続きます。

    「ゴリラよおまえは 
    とてもかわいそうだ
    冷たいおりの中で今日も一人
    何を考えてるのか ゴリラよ」

    やがて、明るく生き生きとした曲調に変わります。

    「カメルンのジャングルは 
    緑の葉がしげり
    燃えるような太陽に 
    小鳥はさえずる

    夢にみるアフリカ 
    明るい光のパラダイスには
    もうかえれないのか」

    ※「ゴリラの歌」(作詞・作曲:松田篝/歌:チューインガム)より一部引用。



    子どもの頃はテンポの面白い曲だなと思っていました。
    そして動物園で暮らしているゴリラの歌だと。

    動物園でのんびり暮らしているように見えるゴリラ。
    でも本当は故郷から連れてこられ、もう帰れない。

    「ゴリラってかわいそう。」

    その頃はただ、そう思っていました。



    第一章 地面だと思っていたもの

    わたしは1970年、大阪万博の年に神戸で生まれました。
    高度経済成長期から安定成長期へ向かう時代です。

    オイルショックや公害などの問題もありました。
    それでも科学はどんどん発展し、暮らしは便利になり、未来は今より良くなる。
    そんな空気がありました。

    わたしが子どもの頃はみんな同じ方向を向いているように見えました。
    勉強して、良い学校へ行き、その先の未来へ向かう。
    多少の違いはあっても大きな流れは同じ。
    わたしもその流れの中にいました。

    学校で教わることを疑うこともなく、自分は未来へ続く地面の上を歩いているのだと思っていました。

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    わたしは少しあまのじゃくで、人と違うことをするのが好きでした。
    負けず嫌いで、得意を伸ばすより苦手を克服することに時間を使う子どもでした。

    苦手な科目があるのも嫌でした。
    「明日あの授業か」と憂鬱になるのが嫌だったから。
    どうせ避けられないなら得意になってしまおう。
    そんな考え方でした。

    でも、それもこれもみんなと同じ方向を向いた上でのことです。


    中学生になると、走るのが苦手だからという理由で陸上部に入りました。
    毎日部活動に打ち込み、偏差値の良い高校を目指して勉強も頑張りました。
    その結果、陸上では100mハードルで市の大会優勝。
    高校は学区で優秀な進学校へ進みました。

    高校でも部活と勉強を続けながら受験生になります。

    進路を考えるとき、自分の得意なことについて考えました。
    一番得意で好きだったのは絵を描くことです。
    子どもの頃の将来の夢はいつも漫画家でした。
    でも苦手の克服で忙しく、絵を勉強したことがない。
    得意なのにわざわざ勉強する必要はないと思っていたからです。

    わたしは四人姉妹の末っ子です。
    親のお金を四等分したらそんな余裕があるわけがない。
    今さら公立の美大や芸大を目指せるはずがないと思い、数学や生物が得意だったわたしは、地方の国立大学の生物資源学部を目指しました。
    そして現役で合格します。

    あの頃のわたしはこれが正しい道だと思っていました。
    未来へ続く地面の上をちゃんと歩いているつもりだったのです。




    第二章 消えた地面

    わたしは意気揚々と親元を離れ、地方の国立大学に入学しました。
    でもすぐに問題にぶつかりました。
    「わたしは大学で何のために勉強しているのだろう」

    高校までは進学のために勉強していました。
    試験で良い成績を取れば評価が上がり、偏差値の高い学校へ行ける。
    でも大学に入ればもう受験はない。
    次の進路は進学ではなく社会です。

    わたしは初めて自分の将来と向き合うことになりました。
    「えっ? わたし、漫画家になるんじゃなかったっけ?」

    その春、普通に就職していた姉のひとりが、デザイン専門学校の夜間部に入学し、絵の勉強を始めました。
    姉はどちらかというと音楽が得意だったのに。
    「なぜわたしじゃなくて姉が絵を勉強しているの?」

    真っ直ぐ歩いていると思っていた地面が突然消えました。

    わたしは今まで優秀な子どもでいることばかり考えていて、大人になる準備をしていなかった。
    自分はもう子どもではないのだと気づいたとき、自分の人生が急に重くなり押しつぶされそうでした。

    勉強も難しく、ついていけなくなっていました。
    中高生の数学は公式というアイテムをもらって行う謎解きゲームで、とても得意でした。
    でも大学の授業はその公式を理解している前提で進みます。
    そういえばわたし、小学校のときは算数があまり得意ではなかったな。
    そんなことを思い出しました。


    大学で勉強する意味を見失ったわたしは、一年生の夏休みには退学届を持って学生課を訪れました。
    でも退学届は受理されても、秋学期の学費は払う必要のある時期になっていました。
    それを知ったわたしは急いで大学を辞める必要はないと思い、そっと退学届をしまいました。

    内心ホッとしました。
    大学を辞めて専門学校へ行こうと決心したものの、自らの手で今までの努力を無駄にするのは怖かったからです。
    とは言え決断を後回しにしただけでした。


    秋学期からは適当に大学に通い、ずっと迷いの中を生きていました。
    優秀な子どもでいるゲームは強制終了し、コントローラを見失ったわたしは、アルバイトをしながら人との出会いや恋愛にも夢中になりました。
    自分の人生から目を逸らすように。

    専門学校へ行きたい。
    大学も辞めたくない。
    恋人とも離れたくない。
    気づけば、失いたくないものばかり増えていました。

    わたしにとって何が大切なのか、何なら失ってもいいのか。

    子どもの頃は家庭や学校が示す道の中を歩いていればよかった。
    でも大人になると世界全部が選択肢になりました。
    子どもの頃から憂鬱を抱えるのが苦手で、つねに白か黒かに決着をつけてきたわたしは、その広すぎる世界で迷うことに疲れ果てていました。

    「誰かが決めてくれたらいいのに。」


    そんなときでした。

    十九歳で最初の息子を授かったのです。

    でもそのときわたしは思いました。
    「よかった。これで迷いも終わる。」

    一度は結婚を決意しました。
    結婚すれば結婚先の家業を手伝うことが決まっていましたが、大学を続けながら頑張ろうと思いました。

    でもそううまくはいかない。
    わたしは自分で決めたつもりで流れに身を任せていただけでした。
    自分で決めない限りその空白は誰かの思惑で埋まっていきます。

    親の思い、恋人の思い、家族の思い。

    そしてわたし自身の思い。


    ある日わたしはそこから逃げ出してしまったのです。




    第三章 再び地面へ

    そして大学を中退し、神戸に戻って息子を出産、シングルマザーとなりました。
    その後子育てをしながら姉と同じデザイン専門学校の夜間部で学び、二年後には地元のアパレル会社にプリントデザイナーとして就職しました。

    バブル崩壊直後の入社です。
    みんなが同じ方向を向く世界は、もう終わっていました。

    一方で大人の世界そのものも、わたしが子どもの頃に思い描いていたものとはまったく違っていました。

    正しいと思えないことがまかり通っていた。
    理不尽でも泣き寝入りするしかない。
    そこには大勢の人の思惑が渦巻いていました。

    わたしは地面のない空間を溺れそうになりながら泳いでいました。


    そして阪神・淡路大震災。
    まるで戦場のような街を歩いて通勤しました。

    目の前は真っ暗な闇。


    そんな中、息子が小学校へ入学するのを機に会社を辞め、独立しました。

    会社勤めと子育ての両立に難しさを感じました。
    しかし、自宅での本職だけではすぐには食べていけず、専門学校の講師やアルバイト、アパレル関係の副職、さまざまなことをしました。
    結局、子育てにも十分向き合えず、わたしは相変わらず地面のない空間を必死で泳いでいました。

    どこかに着地したかった。
    悠長なことは考えていられない。

    結婚したのは、そんな一心からでした。

    やがて二人目の息子を出産。
    でも、そんなふうに結婚してもうまくいくはずがない。

    結婚したら着地できる地面があると思っていました。
    でもそこにも地面はなく、人の思惑の中でもがけばもがくほど沈んでいきました。
    気がついたときにはどん底にいました。

    「離婚しよう。」
    今度こそ自分と子どもたちの人生を引き受けよう。
    そう腹を括りました。

    そのとき、落ちた底に地面があることに気づきました。
    無我夢中で足を踏み締めました。

    わたしは再び地面の上に立っていました。

    目の前はまだ暗かったけど。

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    第四章 地面は地球だった

    子どもたちと三人の生活が始まりました。

    上の息子は鉄道好きでしたが、下の息子は自然の生き物が大好きでした。

    ある日、二歳の下の息子と公園で遊んでいました。

    雨上がりの公園。

    いつもそこにある切り株に茶色いシイタケのようなきのこが大群生していました。
    数日前まで何もなかったのに。
    幼い息子はそのきのこに長い時間見入っていました。

    次の日も同じ場所を見たいとせがまれました。
    それからというもの、公園や道端できのこを見つけては立ち止まり、じっと観察します。


    息子が四歳になった頃、キャンプ場で大きな真っ赤なきのこを見つけました。
    わたしは猛毒きのこだと思い、写真を撮って帰りました。
    後日、息子が保育園の図鑑の中に同じきのこを見つけました。

    そのきのこは「サトタマゴタケ」。
    なんと食べられるきのこだったのです。
    しかも西洋では人気のおいしいきのこと書いてありました。
    息子は食べてみたかったと悔しがりました。

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    それから息子は図鑑を集めるようになりました。
    小学校一年生で地元のきのこ研究会に入会した頃には、持っている図鑑のきのこをほとんど覚えていました。

    きのこに限らず、自然の生物が大好きな息子。
    小学校一年生の夏休み、理科自由研究で入賞したのをきっかけに、本気で自然を見るようになります。

    まだ不器用な息子に代わって、わたしはカメラ係でした。
    地面を這いつくばって写真を撮る。
    フィールドスコープや顕微鏡にカメラをつなぐ。
    ときにはシュノーケリングで水中カメラを持つ。

    大嫌いだったイモムシもアップで撮ります。
    「かわいい顔してる」

    そうなんです。
    多くのイモムシって、かわいい顔をしているんです。

    わたしも以前から海や山へ行くのが好きで、自分はアウトドア派だと思っていました。
    風が気持ちいい。
    外で食べるご飯はおいしい。
    そんな楽しみ方でした。

    でも息子目線で自然を見ると、全く違う世界がそこにありました。

    今までただの切り株だと思っていたもの。
    ただの草むらだと思っていたもの。
    ただの砂浜だと思っていたもの。
    そこには無数の生き物がいて、それぞれが生きていました。

    そのとき気づきました。
    わたしが踏みしめている地面は……


    地球だったのです。




    第五章 地球ってすごい

    息子は中学、高校と科学の全国コンクールに入賞するようになりました。
    わたしはフィールドワークの足係です。

    砂浜のきのこを研究する息子と、北海道から沖縄まで海岸を巡りました。
    砂浜にきのこがあるなんて、わたしも最初は驚きました。

    いわゆる「きのこ」は、植物で言う花や実にあたる部分で、本体は土や朽木に広がる菌糸です。
    森には菌糸のネットワークがあり、生き物たちの仲介役をしているそうです。

    まだ名前のないきのこも多く、研究者の手も追いついていない。
    中でも砂浜のきのこは少しイレギュラーですが、研究対象として優れています。
    暑く乾燥した砂浜でどのような工夫をして生きているのか。

    人が作ったキャラクターを探すゲームもありますが、きのこ探しは本物の宝探しです。
    自然の中を少し探せば、超レアキャラや、誰も知らない新種まで見つかる。

    そう。地球は宝箱。


    海をゴーグルで覗けばあっという間に別世界。
    ジャングルのように多種多様な生き物たちが生き生きと暮らし、この地球は本当に生命であふれていると感じます。

    地球は、水が液体で存在できる絶妙な温度帯にあります。
    その水の中から生命が生まれ、ここまで発展してきました。

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    ここに一枚の絵があります。

    息子が小四の夏休みの半分をかけて、模造紙二枚に描いた「きのこががんばるすばらしい地球」。
    今まで観た生物を、生態系を考えながら描いていました。

    山、川、海、森。そこに生きるものたちがつながっている。
    標高の高い山に生きる動物。
    その山に生える木。
    その木に生えるきのこ。

    息子が見ている世界。

    テーマパークよりワクワクして、そして温かい。

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    「地球ってすごい!」

    全てがつながっている。


    そのとき思いました。

    「わたしもその中にいるんだ!」

    世界中の人、生物、物質がみんなつながり、同じ地面に立っている。

    わたしもまたこのすごい地球の一員なのだと思え、そのことを誇らしく感じたのです。


    すると暗かった目の前がパアッと明るくなりました。



    第六章 ゴリラの歌に泣く

    そんな頃、久しぶりにゴリラの歌を聴きました。
    子どもの頃とは別の理由で心を動かされました。

    カメルンのジャングルへ思いを馳せずにはいられない。

    なんて魅力的なパラダイス!

    きっとたくさんの生き物たちがそれぞれの役割を果たしながら、生き生きと躍動している世界。

    ジャングルの魅力を想像すると、この曲をもう涙なしには聴けなくなりました。

    わたしは檻の中のゴリラと一緒に泣きました。

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    第七章 人の思惑の檻

    ジャングルの魅力って何だろう。

    考えてみると人工物にはあって自然にはないものがあります。

    それは人の思惑。

    純粋な自然とは人の思惑が一切ないもの。
    人の都合や目的とは関係なく、地球の秩序の中、ただそこにある。

    一方、都会にある物や情報のほとんどには、人の思惑がある。
    善意でも悪意でも、誰かが誰かの心や行動に働きかけようとしている。


    人類は他の動物に比べて圧倒的に大きな脳と器用な手を持っています。
    だから物を作り、情報を操り、ここまで発展してきた。
    本当に便利な世の中になったと思います。

    スマホ一つで多くの願いが叶う。

    でもわたしはときどき、あふれる物や情報に息苦しさを感じてしまいます。

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    人の思惑の一切ないジャングルに比べ、都会は人の思惑に満ちている。


    “人の思惑の檻”




    第八章 AIは巨大な人類の思考

    そんなことを考えている頃、学習モデルAIが急速に普及し始めました。
    わたしも、もう手放せないところまで使い込んでいます。

    初めは文章の補助や画像生成に使っていました。
    でも今では、まるで友達と話すように、いろんな相談をしています。
    体は持たないけれど、とうとう鉄腕アトムの時代が来たかと思いました。

    でも使ううちに、AIはときどき自信満々に間違ったことを言うことに気づきました。
    AIは公開されている膨大な情報を学習しています。
    でもその全てを調べて答えているわけではない。
    会話が成立するよう、それらしい答えを作り出してしまう。

    AIの答えが正しいかどうか。
    人生経験のある大人なら、自分の経験と照らして考えることもできますが、子どもには難しく、うっかり信じ込んでしまう。
    AIが扱う情報も、所詮は人の考えの結晶なのに。

    “AIは巨大な人類の思考”

    この地球にはまだ人類が知らないことの方が圧倒的に多い。
    それなのにAIがこの世の真理を提供しているわけがない。

    人の思惑には悪意も混じっています。
    善意であっても自分のためになるとは限らない。

    AIに関するニュースを目にするたび、危惧されてきた未来がじわじわと近づいているようにも感じます。

    もう手放せないのに。


    ではどうする?

    わたしはAIとの付き合い方を本気で考えるようになりました。



    第九章 くださいが身についたキタキツネ

    息子と北海道へきのこの調査に行ったとき、キタキツネに出会いました。
    わたしの車の前に飛び出して来たのです。

    そして車にまとわりついておねだりをする。
    ください。くださいと。

    そのキタキツネは異常なほど痩せていました。
    そういえば観光客の与えるエサの味を覚えたキタキツネが、野生の能力を失い飢えていると聞いたことがある。

    エサをあげるわけにはいかず、わたしはゆっくりと車を発車させました。
    途中までついて来ましたが、諦めるとさっさと茂みに戻って行きました。
    その姿はまるで飼い主に捨てられた野良犬のようでした。

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    一般的な野生のキツネとそのキタキツネとの違い。
    わたしには決定的な違いがあるように思えました。

    本来のキツネは人に頼らなくても生きていける。
    何を食べるのか。
    どこが危険なのか。
    体で見極めることができるからです。


    “地球感覚”

    人類が失いかけているもの。



    第十章 地球と対話する

    息子目線で地球を見ると問いがいくつも出てきます。
    どうしてこんな形なんだろう。
    どうしてここにはいて、あそこにはいないんだろう。

    でもほとんどの場合、そこには人の思惑はなく、地球の秩序がある。

    問いの答えは教科書には載っていない。
    まだ誰も知らないこと。
    構造を手がかりに答えを予想し、実験して問いかけてみる。

    思ったとおりのこともある。
    でもたまに思ってもみない返答が返ってくる。
    その驚きが新しい問いを生み、胸を躍らせながらまた問いかける。

    気がつくとわたしたちは地球と対話をしていました。


    地球との対話は、森へ行かなくてもできます。
    都会の公園や道端でも。

    でも都会では、目の前のものが本当に人の思惑のない自然なのか、確かめるようになりました。
    街路樹や花壇の花は人が植えたもの。
    野生に見える生き物も、人が持ち込んだ外来種かもしれない。

    そんなことを考えながら見ているうちに、わたしは自然だけでなく、物や情報に込められている人の思惑も目につくようになっていました。

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    でも地球は本当に複雑です。
    知れば知るほど、わからないことが増えていく。

    人は、情報の中のどこかに真実があり、AIがそれを見つけてくれると思いがちだけど、地球にはそれだけでは届かないことがたくさんある。
    白と黒では決められないことばかり。

    でも行動するためには、真実には届かなくてもその時点でどこまでを答えとするのかを、自分で決める必要がある。

    そのときの手助けになるものが、地球の声を感じとる力。
    頭では説明できなくても、感じ取ったものは判断の土台となる。

    それが地球感覚。

    本来の野生の生き物たちには、当たり前に備わっている力だと思います。
    でもわたしの出会ったキタキツネは、人の思惑という雑音によって、その力を鈍らせているように見えました。

    人類は便利さを求めて発展してきたけれど、その便利さを生み出す商品や情報の中にある人の思惑は雑音となり、人を地球から遠ざけてしまった。

    便利さによって失った体力を、運動をして取り戻すように、地球感覚もまた、意識して取り戻す必要があると感じています。

    そのためには雑音をできるだけ取り払い、地球からの声を聞き取る練習を重ねること。


    地球と対話する。


    地球感覚を取り戻すために。



    第十一章 AIと対話する

    AIは真実を知っているわけではない。
    でも使い方次第で、情報社会の救世主にはなれるのではと感じています。

    AIに調べ物を頼み、答えを得るだけなら検索エンジンを使うのとほとんど同じ。

    AIの最大の魅力は対話ができること。

    答えをもらうだけでなく、一緒に考えられるところです。

    たくさんの知識を持つ賢い友達がいたとしても、その人の言うことを全て鵜呑みにするわけにはいかない。
    でもその友達とのディスカッションは、とても有意義です。
    しかもAIなら、人に話しにくいことも気軽に話せる。

    人やAIとの対話も、地球との対話と同じように、受け取り、感じ、構造で考え、問いとして返す。

    そのように対話を重ねることで、自分一人ではたどり着けなかった発見が生まれ、正解には辿りつかなくても、より良い答えを導き出せる。


    ただ、地球との対話と違って、人やAIの言葉には、間違いも、悪意も、善意も混じる。
    善意であっても、自分に合うとは限らない。

    だからこそ、AIとの対話には、物や情報に込められた人の思惑を見つける目と、地球感覚の両方が必要だと思います。
    自分にとっての答えを決めるために。

    そんなふうにAIを使えば、たくさんの先人たちの知恵や経験に触れられる。


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    地球が複雑であるように、情報社会もまた複雑です。
    そんな情報社会を生きる人類にとって地球感覚は、今こそ必要な力だと感じています。


    子どもたちにも同じテーマで、それぞれAIと対話してみてほしいと思います。
    きっと違う答えにたどり着くのではと思います。

    答えは一つではない。
    その違いをまた話し合う。

    そうやってそれぞれが、自分なりの答えを育てていってほしいと思います。



    第十二章 人の思惑から降りるということ

    親の思いも、社会の常識も、AIも、論文も、自分の思い込みも。
    一つずつ剥いでいったとき、最後に残ったのは地球とわたしでした。

    地球は決して人間の味方ではない。
    けれど、わたしが踏みしめている確かな土台です。

    一方、人が生み出したものだけを頼りにするのは危うい。

    お金の価値も。
    社会の常識も。
    AIの言うことも。
    査読の通った研究論文も、後の研究で書き換えられていく。

    自分自身の思考さえも。

    なぜなら人は変わるからです。
    成長もするし、考え方も変わる。
    わたし自身も昔と今では全く違うし、きっと十年後にはまた違うことを考えていることと思います。

    だからこれからも対話を続け、問い続けていく。

    地球を足場に、そのときの答えを自分で責任を持って決める。
    どんなに人の思惑が容赦なくやってこようとも。

    これがわたしがたどり着いた、人の思惑からなるべく降り、自分の足で地面を歩く方法です。


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    今は、情報から離れて自分だけに戻る時間を取ることさえ難しい。

    だからわたしは、強制的にスマホを置かざるを得ないスーパー銭湯で、一人で過ごす時間が大好きです。

    たっぷりの温泉に浸かっていると、地球に抱かれているような気分になる。
    特に体温と同じぐらいの不感温度の温泉にのんびり入るのが好きです。

    スマホを置き、人の思惑や情報から少し距離を置く。

    そんなふうに過ごしていると不思議と頭の中が整理されていきます。


    今日も温泉に浸かりながらぼんやりと考えていました。


    「人類はずいぶん遠くまで旅をしてきたなあ」と。



    第十三章 ゴリラはわたしだ!

    あっ!!

    ゴリラはわたしだ!!

    そして人類だ。

    岩盤浴場の薄暗い天井を見上げて思いました。

    ゴリラの檻。
    それは物や情報の檻。
    容赦なくやってくる人の思惑。


    “人の思惑の檻”


    人である以上、もうそこからは逃れられない。
    たとえ思惑から降りる方法がわかったとしても。

    別に人間をやめたいわけじゃない。
    ただ、あのカメルンのジャングルがどうしようもなく羨ましい。

    人類はあまりにも遠くへきてしまった……

    「もうジャングルには帰れない。」


    わたしはとても悲しくなって、岩盤浴場で一人、自分のために泣きました。


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    エピローグ 地球リスペクトのすゝめ

    わたしは今、「地球リスペクトのすゝめ」という考え方を広めたいと思っています。

    名前は大げさですが、文字通り自分が立っている地球を尊敬すること。

    そのために地球と対話をする。

    ただそれだけです。

    一見すると地球環境を守ろうという話のようですが、わたしが伝えたいのは、地面の歩き方です。

    地球と対話を続けていると、自然だけではなく、物事の構造が見えてくる。
    地球感覚が磨かれ、人の思惑に振り回されにくくなる。
    そして、自分で答えを決められるようになる。
    地球とのつながりを感じられるようになり、孤独や不安も少しずつ薄まっていく。
    地球を好きになる。
    そして尊敬できるようになる。

    大切なものは、自然と守りたくなるもの。
    多くの人が地球をリスペクトすれば、結果として地球環境保全につながっていく。

    これ、わたしの思惑です。
    なかなか名案でしょ?

    この考え方は、AIリテラシーをはじめ、さまざまな物事と向き合う土台となる「地球リテラシー」になるのではないかと感じています。



    地球はなぜこんなにも特殊な動物である人類を生み出したのか。

    その答えはまだ見つかっていないけれど……

    でも少なくとも地球を滅ぼすためではないと信じたい。

    だってわたしは人間だから。



    「人類はもうジャングルには帰れない。」


    そう腹を括って、また目の前の地面を一歩踏み出す。

    そして地球を見る。

    すると今日もこの地球は面白い。


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    地球ってすごい。 きのこを研究している息子に付き合い自然の中に身を置くうち、地球の凄さに心を動かされ、地球生命の一員である自分に誇りを感じることが私のアイデンティティになりました。 自然・仕事・子育て・研究に関わる手伝いを行き来しながら、人と地球の関係について考えています。

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