
社会貢献なんて烏滸がましい。
こんばんは。
絵かき、詩人、ミュージシャンのWingです。
今日は社会貢献とは何かについて真剣に考えてみたいと思います。
最近は何かと社会貢献という言葉を耳にします。
あまり、僕は社会貢献だとか親孝行だとか恩返しだとか自己犠牲だとか。。。そういった類の言葉が好きではないです。
単純にズリぃなって思います。
矢印を自分に向けないで、他人に向けるのは一種の逃避でもあるのではないかと思うところです。
目の前の事象について考えて考えて、もう何も絞り出せないぐらいまでのところまで考え切ったら、どの事象も「結局自分のため」という結論に至ってしまうのは、僕だけでしょうか。
清廉潔白で完璧に社会に寄り添うことができる人間なんているのかどうか考えたら、まずいないように思います。
見返りなしに顔もわからない社会という実態に自分の存在を捧げることができる人は僕には理解できないです。
怖さを通り越して、心配の気持ちが勝ってしまうところであります。
僕は何よりも、誰よりも、自分を大事に、自分に優しく生きていきたいです。
それができないと、他人まで自分の領域を広げることができないです。
僕と同世代の学生が社会貢献がどうのこうのとか言っていると「頼もしいな」と思う一方で、僕とは一生交わることのない方達なのだなと思います。
大学生やたかが人生を20年ちょっと生き抜いた人間が社会の役になってしまったら、苦労はしないです。
そんな若造に舐められている社会も社会だと思います。
僕らは強かに健気に、そして謙虚に自分と膝を突き合わせて本音で話し合うべきです。
そこがスタートでありゴールでもあります。
まずは、矢印を自分に向けて見ることです。
社会貢献という言葉は擦られ過ぎて、その言葉自体の価値と意味合いが薄れてきているように感じます。
本心からの社会貢献ではなく、プロパガンダ的な要素を多分に含んだ都合の良い言葉と化したように僕は思うのです。
正直、社会貢献を謳い文句にしている企業やそれに釣られて目を輝かせている学生にはこりごりしています。
でも、そうでもしないと生き残っていけない世の中であると考えると、決して甘くはない、まさしくジャングルのような世界なのだと思います。
しかも、この世の大半の人間は優しくないです。
大半の人間が怠惰で、無責任で、言ってしまえばクソです。
このクソ野郎ばっかの社会に貢献しようと思う人には畏敬の念を抱かずにはいられないです。
電車の中を見渡せばわかります。
あそこは小さな社会です。
山手線なんか毎日乗っていると、クソ野郎ばっかです。
でも、クソ野郎は僕もクソ野郎なんです。
ここが大事なポイントです。
みんながみんないい感じのクソ野郎なんですね。
こんなクソ野郎に溢れた社会のために貢献なんて、していいわけがないです。
少なくとも、僕はあなたの貢献を望んでいないです。
もし、あなたがあなた自身を犠牲にして僕ら社会に貢献してくださっているのであれば、すぐさまやめて頂きたいです。
どうか、ご自身のために生きて欲しいです。
僕は自分のために生きていきます。
他人様のために生きるなんて、僕には烏滸がましいことで、できるはずがないです。
まずは黙って、自分のために生きたいと思います。
時々、こう考えます。
全人類で世界をボイコットをしたらどうなるのだろうかと。
みんなで一斉に働くことをやめて、お金この世から消し去ってしまえばどうなるのだろうかと。。。
きっと多くの人が苦しみからのごれられる一方で、多くの人が新たなる苦しみに晒されることになるのかもしれないです。
僕なんかには分からないです。
でも、一度でいいからやってみたいことの一つではあります。