メインコンテンツへスキップ
見出し画像

"社会記号"に対する違和感

    volmoto (ぼるけーのさん)

    2020年東京オリンピックが決定した、2013年9月。
    当時、まだ予定なんてなーにも決まっていないはずの「7年先もの未来」が突然、現実味を帯びて感じたのを覚えている。

    オリンピックが東京にやって来る。
    そんなことが決まってから、私たちは色々なことをちゃんと向き合って考えなくてはいけなくなったような気がします。
    そのうちのひとつが、「アイデンティティ」のお話。ナショナリティであったり、ジェンダーであったり。
    もちろんそれ以前から問題提起していた人もいたし、私自身マイノリティだった環境で生活していた身として「え、当然だと思ってたよ?やばいね?」感はすごくあった、っていう話は一応補足。(リスクヘッジ人間と思われようが構わない)

    今、そういった多様性を認める、という意味でちょうど過渡期にいると思うんです。私たち。少なくとも日本は。

    そんな中で、マーケティングを生業としながら先日ひとつ、疑問に感じることがあったのです。

    「社会記号」、という言葉をご存知でしょうか。あ、知ってる?ごめんごめん。
    例えば「美魔女」、「おひとりさま」、「カメラ女子」。
    マーケティングにおいて、ある種のターゲットをひとまとめにする表す言葉を”社会記号”と呼ぶそうなのですが、これ、この言葉を知る前から相当な違和感を覚えていました。

    以前、Twitterで「25歳くらいになると急に焦ったり不安になったりするの、◯◯症っていうらしい。こういう風に名前をつけられると自分だけじゃないんだと思って安心できるでしょ?」みたいなツイートを見かけたことがあります。

    いや、安心しないどころか、自分が頑張って悩んでいるのを「みんなそうだよ〜」とひとまとめにされて軽く流されるの、私だったら嫌だけどなぁ?と思ってしまいました。

    ですが”社会記号”も同じ考え方で、
    「頑張って若作りしちゃってるおばさん」ではなく「美魔女」とカテゴライズされれば痛くないでしょ?安心でしょ?という発想らしいのです。その話を会社の人から教えてもらったのが先日のお話。

    うーん?

    マーケティング的に考えれば、確かにターゲットがまとまって説明つくほうが楽です。でも消費者側は?
    個人の考えをバクッと「あぁ◯◯ってことでしょ」と決めつけられる気持ちにならないだろうか?
    それにわかりやすい言葉になることである種「ディスりやすい」対象にもなってしまうのでは。と思うのです。

    私は小学生の頃から写真が好きで、それはもう「カメラ女子」なんて言葉が流行る遥か昔の話で。その頃から写真を撮り続けていて大学に入った途端「カメラ女子!」なんて呼ばれるのです。
    私個人が好きだったもの、私個人が考えて見つけてきたものを大きくカテゴライズされるのってすごく個人に対して否定的だと思うのです。
    もちろん便利になったことだってあります。辛い時期に病名がついたりすることで周りの理解が得られたり、まつげが薄くて悩んでる女の子が「まつ毛貧毛症」って思い込むことで安心することだってあるかもしれない。
    でも「個を受け入れましょう」とメディア自身が大きくドヤ顔でいう割に、そう言った言葉が同じようにメディアから今も生まれ続けるのです。

    あぁでも憧れを産むのも社会記号であることには間違いがない。
    「美魔女になりたい」「カメラ女子楽しそう」。
    こんなこと言いながら、私もきっとそうなんだろうな。人間が相対的な生き物である以上、完全な「個」なんていないもんね。みんな人を見て人から学ぶんだもの。あぁ、YUKIになりたい。

    あなたへのおすすめ