
運転が怖かったあの日の僕へ
「車の運転をしなくていいなら、そのまま一生を終えたい」
20歳の頃の私の噓偽りのない気持ちだった。
私はもともと車の運転が全く好きではなかった。父は運転がうまいと子どもながらに思える人だった。どこに出かけるのも車、長距離旅行も車。父の運転には安心感とワクワクがあった。
この父の子にしてどうしてここまで運転が億劫なのか不思議になるくらい、とにかく私は運転が好きではなかった。その嫌いの先にあるのは事故への恐怖だったのかもしれない。
父は大きな事故をしたわけではなかったが、一度だけ自転車と接触しそうになって助手席に乗る私はヒヤリとしたことを今も鮮明に覚えている。
しかし免許を取らないのもまずいと思い、大学生の時に必死に教習所に通った。インターン先の事務所の活動を手伝う際に車を運転させられるまで極力避けてきた。
社会人になって自分の車を持ってからは少し運転との距離が近くなった。しかし車を売った後3年間全く乗らなくなり、また運転嫌いが再発した。
そんな運転嫌いで車に乗らない状況の中、海外駐在の辞令が出て、日本ならまだしも初めて住む海外の国で車を運転することになったので、相当な拒否反応が心の中で出た。
幸いなことに日本人駐在員が駐在先の国の運転ルールを教えてくれて、車の運転も同席してサポートしてもらえることになった。しかし、怖いものは怖い。最初に住んでいたアパートホテルから会社まで自力での運転。
ヨーロッパにある国の運転で苦手なのが、左ハンドルと高速道路と駐車。さらに私が住んでいた国にはトラムという路面電車も車道を走っていてまぁややこしいややこしい。
左ハンドルは欧米では当たり前ではあるが、当然感覚も異なる。日本で直近運転をしていなかったとはいえ、これ道路のどっちを走ればいいんだと真剣に悩んだことは数知れず。入ってはいけない場所を走って罰金を科せられたこともあり涙目に。
ヨーロッパの国の高速道路はとにかくスピードが速い。120キロを普通に出す。最初に高速に乗った時、そこまで速いスピードが怖くて出なくて「逆に危ないからスピード上げてください」と同乗者から注意を受けたほどだ。
駐車については地下駐車場がホテルや住み始めたマンションにはあったのだが、これがまた狭い。ホテルではなんとか車を傷つけずに済んだが、自宅の駐車場は入居日の翌日に二か所もガリガリと車を削ってしまいトラウマになった。いまだにあの削れた時の音を思い出してはげんなりする時がある。
左ハンドルと合わせて怖いのがトラムだ。基本は車道と分かれているのだが、交差点や曲がり角などで車道とトラムの道が同じ空間に存在してしまう場所があるのだ。誰だこんな魔境を作ったのは。あぶねぇじゃねぇか。ひやひやしながらトラムの横を通り過ぎていた。
そんなこんなで、海外仕様の車の運転、ルールを必死になって学び、冷や汗を常にかきながらもなんとか運転が意識的なモノでなく無意識的にできるようになった。習うより慣れろということだ。
最初の半年は恐る恐るだったが、1年もすればすっかり慣れた。そういえば日本で運転が自信を持ってできるようになったのも冒頭で書いたインターン時に自力で何とかするしかない環境で慣れたことだ。車の運転ができない人を載せて2人だけで車に乗って山道やら細い道を走ることを繰り返すうちに、なんだ自分でもできるもんだと思うようになった。
ヨーロッパでも出社で毎日運転し、出張でドイツやフランス、オランダなどを走り、土日の観光で何時間も運転する中で慣れていった。
あんなに苦手だ嫌いだと思っていた運転がむしろ楽しく感じることさえあった。日本の道と違いより速いスピードを出して車に乗るので、コーナリングやらタイヤが地面に吸い付く感じやら、車の性能を感じ取ることもできた。慣れがあってこその感覚だけれど、これは日本だけで運転していては気づかなかった。苦手なことでも継続し、練習することで習慣になる。
それでもまだ車の運転が100%好きだとは言えないけれど、苦手なことがある程度の自信を持ってできるようになるという体験は少し自信をくれた。