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レストランでハンバヌグを頌めなかった日゚ッセむ

    子どもの頃、私が楜しみにしおいるこずがあった。
    幎に䜕床か、地元に唯䞀あるファミリヌレストランで、家族揃っお倖食をするこずだ。

    レストランはよくあるチェヌン店ではなく、個人経営のお店だった。倜になるず、店名の看板がオレンゞ色に光り、ガラス越しに芋える店内は、珟実䞖界ずは思えないほど茝いお芋えた。


    私は物心が぀いた頃、祖父母が暮らす町ぞ匕っ越しおきた。
    祖父が若くしお亡くなり、父の実家が祖母だけになっおしたい、代々米蟲家をしおいる家だったので、長男の父が家を継ぐ圢になったらしい。

    匕っ越したずきの家は、昭和の田舎によくある家だった。
    匕き戞の玄関を入るず、土間になっおおり広い台所がある。
    ずなりのトトロのサツキずメむの家、ずいえばわかりやすいかもしれない。

    保育園から垰っおくるず、私には仕事があった。
    たず、祖母ず䞀緒にナタで薪を割る。圓時、お颚呂が薪で沞かす五右衛門颚呂のようなものだったので、毎日薪割りずお颚呂を沞かすこずは倧事な仕事だった。

    圓時の私はこれが圓たり前だったので、ずくに蟛いずも思っおいなかったが、䞖の䞭のお颚呂はボタンを抌すず自動でお湯が溜たるものがあるずいう事実を知った時は、子どもながらにカルチャヌショックを受けた。

    圓時、我が家は裕犏ずは瞁遠い生掻をしおおり、倖食をした蚘憶がほずんどない。そもそも町にそんなこじゃれたお店はほがなかった。䞀番近いマクドナルドたで、車で䞀時間以䞊かかるほど、䞖俗ず離れた堎所に䜏んでいた。


    父の運転する車に乗っお、レストランに出かけた。店に぀いお、朚補の重たいドアを開けるず、明るく広々ずした店内が広がっおいた。

    店員に案内され、父ず母、私ず効の4人で窓偎のボックス垭に座った。さっそくメニュヌを広げるず、矎味しそうな料理の写真がたくさん䞊んでいた。

    「なんでも奜きなものを頌みなさい」ずいう、父の蚀葉に胞が高たった。䜕を食べよう。

    メニュヌをめくった2ペヌゞ目に、鉄板に乗ったステヌキやハンバヌグが䞊んでいた。家で食べるものずはぜんぜん違う厚さのハンバヌグに、ごくりず喉が鳎った。

    ふず、矎味しそうな写真の暪にある数字に目がいった。
    その数字は4桁あった。圓時6歳だった私は、ただお小遣いをもらっおはいなかったが、母や祖母のお䜿いで買い物に行くこずがあったので、お金の䟡倀は少し理解できた。

    ハンバヌグはずおも倀段が高い食べ物だった。
    効はお子様ランチ、母はドリア、父は定食を頌むようだ。それぞれの倀段を芋るず、私が頌みたいハンバヌグよりも党お安い金額だった。

    メニュヌをめくり、もっず安くお矎味しそうなものを探した。なぜそんなこずをしたのか、圓時のこずを詳现には思い出せないが、もしここで高いメニュヌを頌んだら、貧乏な我が家の家蚈を考えるず、二床ず連れおきお貰えないのではないか、ず盎感的に感じたのだ。

    メニュヌの埌半にカレヌがあった。ハンバヌグも゚ビフラむもずんか぀ものっおいない、シンプルなビヌフカレヌだ。私は迷わずカレヌを指さした。

    䞡芪は少し驚いたような、きょずんずした顔をしたが「それでいいの」ず問われたので、『カレヌが食べたい気分』ず、努めお明るく答えた。

    カレヌがどんな味だったか、さっぱり思い出せない。ただ、あのハンバヌグの金額を芋たずきに感じた、䞍安感だけが匷くむメヌゞずしお残っおいる。

    私はたぶん、わがたたを蚀っお䞡芪に嫌われたくなかったのだ。子どもながらに家蚈が楜ではないこずを、なんずなく理解しおいたから。

    倖食に行ける日は、おそらく父のボヌナスが出るタむミングだったのだろう。それくらいの臚時収入でもなければ、あの暖色の電灯に照らされた店には入れないのだ。

    父や母は気づいおいたのだろうか。あの日、私がハンバヌグを頌めなかったこずに。


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    森の䞭にある小さなブックカフェに、毎週新しい本が届いおいる。そんなnoteを目指しおいたす。 40代。趣味はドラむブ、ツヌリング、カフェ巡り、読曞、写真など。

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