独釣寒江雪
彼を好きになった日のことは今でも覚えている。
2008年の夏季の北京オリンピックの年、私はパラリンピックの水泳をテレビで観ていた。
泳げない私は、ハンデを背負いながらも魚のようにスイスイ泳いでいく選手たちの姿に魅入られていたし、心から感動していた。
その時、彼からメールが届いた。
『パラリンピックおもしれーな』
その言葉で、恋におちた。
彼はダーツが好きだったから、私もダーツを好きになった。よくふたりで新宿で待ち合わせをしてダーツをした。
彼は麻雀も得意だった。あの頃、彼はスマホが普及されるといち早くガラケーからスマホに乗り換えており、麻雀アプリを開くと、私にスマホの画面を見せてくれた。
まだガラケーだった私は、携帯電話の画面をタップして操作をする行為を「銀行のATMの操作みたい」と思ったものだった。
「吉坊、天もアカギも読んでるだろ。少しは麻雀分かるか?」
「全然。読んでるけど、分からない」
「じゃあ、基本から」
余談だが、彼は私を「吉坊」と読んだ。私はそのあだ名をとてもとても気に入っていた。
彼はまず、私にタンヤオを教えてくれた。
「一、九、字牌は全部切って、二から八までの牌で作る役だ。基本は四面子一雀頭。同じものを三つか、四、五、六とか数字が三つ続いているものを四つ揃えて、あとは雀頭……通称アタマって呼ぶんだけど、同じものを二つ揃えればタンヤオの形になる」
「ふーん……?」
最初はさっぱり分からなかった。でも、どうにかタンヤオは覚えた。最初に、一、九、字牌を切るように教わったせいで、私は未だにチャンタを作るのが苦手だ。どうしても切りたくなってしまうから。
彼は千葉県生まれ千葉県育ちで、海釣りも趣味だったので、私も一度だけ海釣り公園に連れて行って貰ったことがあった。雪がちらつく真冬のことだった。
「独釣寒江雪って分かるか」
「トオチャオハンチャンシュエ?」
「柳宗元の『江雪』が元の麻雀の古役」
「古役までは覚えられないよ。最近やっと一盃口と二盃口を覚えたくらいだよ」
「昔は白の裸単騎が満貫だった。白を雪に見立てて、裸単騎で待つ状態を一人で釣りをしている情景になぞらえた役」
「ふーん……?」
「今の俺たちみたい」
学のない私は柳宗元の江雪も知らなかった。だから彼の言っていることもよく分からなかった。
彼はカラオケも得意だった。
レミオロメンの「3月9日」を歌っていたのを覚えている。
彼はお酒も好きだった。
だから居酒屋やバーにもふたりでよく行った。
私たちは仕事の休みのたびに会って、よく遊んだ。私は彼が好きだった。あれは確かに恋だった。
あの夏から、何度もオリンピックが過ぎていったけど、オリンピックの年の夏が来るたびに、彼を思い出す。
麻雀だって、私はあの頃よりはうんと上手くなっていると思う。だけどそれを彼に見せることはもう二度とない。
成就しなかった恋は私の中で一生きらきらしている。