
腹が減ると、異世界に繋がる 「第20話 美味い店は、だいたい繁盛している」
俺はポータルから転がり出た。そこは石造りの床だった。
「コーイチ?マーベラス?」
クレイの声が聞こえた。
起き上がると、背後でポータルの機械が火花を散らして静かになった。光が消えた。
クレイが駆け寄ってきた。
「何があった?」
「ゴーレムがまた動き出した。でも……何とかなった」
「何とか、とは」
「……俺にもよく分からない……」
俺は自分の掌を見た。
「う……っ」
マーベラスがはっと顔を上げた。
「……あたしはどうなった?」
「吹き飛ばされて気絶してたよ。俺が担いで逃げた」
「ゴーレムは?」
「分からない」
マーベラスが悔しそうに床を叩いた。
「あの鎧、絶対いつかぶっ壊す」
俺はそれには答えなかった。
「ここは……?」
俺は部屋を見回した。石造りの狭い部屋だ。壁際に壊れた採掘道具が積まれていて、正体不明の機械のガラクタが転がっている。埃っぽく、カビの匂いがする。出口らしき扉が一つ、蝶番が外れかけた状態で半開きになっていた。
「深層ダンジョンらしい。見た目は単に物置だがな」
「来たんだな」
「だな」
クレイが三人の中心に立った。
「さて。目的地の迷宮ダイナーはここから2つ下だ」
「2つ……」
「大穴の崖沿いの通路らしい」
「大穴?ああ、言ってたような」
「よく分からない」クレイが肩をすくめた。
何だろうなと思った。ダンジョンじゃないのか?
「あと、虫がいると後から聞いた」とクレイが続けた。
「虫?」
「構うなと言う話だ」
今は先に進むしかない。
クレイがコートを二着取り出した。黒い、フード付きの兵士用コートだ。マーベラスに一着投げて、自分も羽織る。俺にはローブが渡された。黒地に模様が入った、魔術師用らしいやつだ。グローブも一緒に。
全員フードを目深にかぶった。見た目は魔王軍だ。
「魔術師っぽいな」とマーベラスが言った。
そうかな、と思いながら俺は袖を直した。丈が少し長い。
「よし、動くぞ」
出口から先は細い通路だった。
壁が迫っていて、二人並ぶのがやっとの幅だ。足元に石くずが散らばっていて、踏むたびに音がする。クレイが先頭で、足の置き場を選びながら進んだ。
通路の先が明るくなってきた。
出たところで、俺は思わず足を止めた。
大穴だった。
崖の縁に立つと、底が見えない。左手が完全に開いていて、穴の向こう側に石造りの通路が蜘蛛の巣のように走っているのが見える。いくつもの階層が重なって、それが果てしなく下へ続いていた。上は開いていて、遠い空から光が差し込んでいる。
その空を、何かが横切った。
大きい。細長い胴体に透明な羽、硬そうな殻。古代の昆虫みたいな形をしている。翅音もなく、ゆっくりと旋回していた。
「あれが虫か」
「構うな」とクレイが言った。
見ている間に、小さな飛行艇が穴の中から上がってきた。数名乗りの、木と金属でできた粗削りな艇だ。艇の側面に魔王軍の紋章が入っている。艇が虫に向かって何かを撃った。光が走って、虫が落ちていった。底は見えなかった。
俺たちは壁沿いを進んだ。
通路を歩く者たちは様々だった。重い荷を担いだトロールの採掘労働者、角の生えた亜人、俺には名前も分からない種族の者たち。兵士も数名、通路の端に立っていた。
最初の兵士の横を通るとき、俺は正面を向いたまま歩いた。フードの陰から兵士の様子を確かめる。視線が来た。一瞬だけ。それから逸れた。
そのまま階段を下りた。
二階層下りたところで、兵士に声をかけられた。
短い言葉だった。オーク語らしく、意味が分からない。
立ち止まって振り返った瞬間、クレイが兵士の注意を引いて横へ誘導した。その隙に俺とマーベラスが前へ進む。曲がり角を曲がったとき、後ろで声が上がった。
「走れ」
三人で駆けた。
後ろから足音が追ってくる。曲がり角を二つ抜けたとき、頭上から羽音がした。
大きな虫が、通路に向かって降下してきた。
兵士たちが叫んで、槍を構えた。足音が止まった。
俺たちはそのまま走り続けた。怒号と羽音が遠くなる。もう一つ階段を下りて、通路の陰に入った。
追ってくる気配はなかった。
三人とも壁に背中をつけて、息を整えた。
「手一杯になったな」とクレイが言った。
「助かった」
しばらく進むと、壁に板が打ち付けてあった。
矢印と、料理の絵が描いてある。文字も書いてあるが、読めない。
「レストランの案内か?つまり?」
「多分そうだ」
矢印の方向へ歩いた。
やがて、煙が見えてきた。通路の一角から、もうもうと白い煙が上がっている。肉の焼ける匂いが混じっていた。
「ここか」
看板があった。達筆なオーク文字で何か書いてある。読めない。
両開きの扉の前に立った。隙間から声と熱気が漏れてきた。
「多分ここだ。迷宮ダイナー」
「良し、行こう」
マーベラスが扉を押し開けた。
中は賑やかだった。
木材で組まれた大雑把な内装、太い蝋燭の灯り、二十席ほどのテーブル。満席に近い。採掘帰りらしい亜人たちや兵士が、思い思いに飲み食いしていた。煙が充満していて、店頭のキッチンでは店長らしいオークが大きな鉄板の前に立っていた。
短い髪の若いオークのウエイトレスが近づいてきた。何か言いながら、空いているテーブルに案内した。俺たちは黙ってついていった。
席に着いた。メニューが差し出された。
読めない。
三人で顔を見合わせた。
「どうする」とマーベラスが小声で言った。
「指差すしかない」
「メニューを?読めないぞ」
俺は隣のテーブルを横目で見た。リザードマンが食っているものがある。大きな肉の塊が、焦げ目をつけて皿に乗っている。香草の匂いがここまで漂ってきた。
そう言えばドレッドが言っていた。迷宮ボアの深層香草炭火ステーキ……香草?
「あれだ」
「よし、指差せ」
長い髪のウエイトレスを手招きで呼んだ。やって来たウエイトレスに、三人同時に隣のテーブルの料理を指差した。
ウエイトレスが一瞬だけ目を細めて、うなずいた。厨房に向かって何か叫ぶ。店長が手を上げた。
料理を待ちながら、俺は店の中を見回した。
入口の方から兵士が二人入ってきた。武装している。巡回らしかった。端のテーブルから順番に確認しながら、ゆっくりと進んでいる。
まずい。
「兵士が来てる」
クレイが小声で言った。
「見てる。料理が来たら食ってすぐ出るぞ。コーイチ、頼む」
「分かった」
兵士が二つ目のテーブルに差しかかった。こちらまであと五つ。
そのとき、ウエイトレスが皿を持ってきた。
でかい。
皿からはみ出そうなくらいの肉が、炭火で焼かれて鎮座していた。表面に焼き色がついていて、香草の香りが立ち昇っている。肉汁が皿の縁まで滲んでいた。
三人とも、一瞬黙った。
兵士が三つ目のテーブルへ移った。
「食うぞ」
マーベラスが両手をパンと二度叩いた。クレイが空中に四角を描いた。
俺は手を合わせた。
「いただきます」
三人とも、動きが止まった。
顔を見合わせた。
「あっ」
気がついたときには、周囲の視線が集まっていた。
兵士が顔を上げた。こちらを見た。
近くのテーブルのドラゴニアンが、俺たちを指さして声を上げた。
兵士がこちらを見た。こちらに向かってくる。
「バレた?」
「逃げるぞ」とクレイが言った。
「料理は?」
「放っておけ」
マーベラスが立ちながら、ナイフとフォークを持ったまま肉を一口切ろうとした。
「マーベラス!」
「今切るから——」
「行くぞ!」
クレイがマーベラスの腕を引いた。銀貨二枚をテーブルに叩きつけて、出口へ向かった。
後ろで怒号が上がった。
テーブルの間を走った。
俺はバッグを探りながら走った。スーパー空腹薬。どこだ。ガラクタに紛れて出てこない。
「早くしろ」とクレイが言った。
「探してる!」
後ろでマーベラスが何かと交戦する音がした。
「来てる!」
「分かってる!」
バッグの底で指が小瓶に触れた。掴んだ。
そのとき、上から轟音がした。
大穴から虫が一匹、店に突っ込んできた。壁に激突して、羽をばたつかせている。
オークの店長が雄叫びを上げて、傍らにあった槍を掴んで虫に向かっていった。
兵士たちの注意が虫に向いた。
「今だ」
俺は小瓶の蓋を開けて飲んだ。
まずい。前と変わらずまずい。いや、増してるかもしれない。
腹の奥が一気に空になった。手に火花が走る。肘まで這い上がってくる。
「掴まれ!」
クレイとマーベラスが俺の腕を掴んだ。
ドアに手を伸ばした。
月明り亭。グロスの料理。あの匂いを思い出す。
「煮込み定食!」
……そこには見慣れた天井があった。
カウンターの向こうでグロスが振り返った。
「おう、おかえり」
こともなげにそう言い放ち、三人とも、椅子に崩れ落ちた。
「どうだった?」
「……食えなかった」
マーベラスが机に突っ伏した。
「そうか、残念だな」
しばらく誰も何も言わなかった。
グロスがカウンターを拭きながら言った。
「実は新作メニューがあるんだが、食うか?珍しい肉が手に入ってな。ステーキでいいか?」
三人が顔を上げた。
「食う!」
声が揃った。
(完)
◇ 終わりに ◇
今回で予定していた全20回、「腹が減ると、異世界に繋がる 迷宮ダイナー編」終了となります。
色々力足らずな部分だらけでしたが、楽しんで頂けてると幸いです。
まだ構想はあるので、話は続くかもしれません。新シリーズ、または他の新作で、またお会いしましょう。