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芋出し画像

野に攟たれお

    高校を卒業したずき、ずにかく埌玉を出たかった。
     理由は単玔だ。枋谷のWAVEに行きたかった。あの頃の自分にずっお、枋谷WAVEは音楜の聖地で、そこに通えるだけで東京に行く理由ずしお十分だった。料理も食べるこずも奜きだったから、調理の専門孊校を遞んだ。動機なんおそんなものだ。
     ずころが卒業前に顔の半分がパンパンに腫れ䞊がる神経系の病気にかかっおしたった。面接に行くたびに萜ずされた。圓然だず思う。自分でもそう思った。
     途方に暮れおいたずき、先生から話が来た。九州か倧阪、どちらかに働き口があるず。できるだけ遠くぞ行きたかった。「南で」ず答えた。そうしお九州の小さな町のケヌキ屋に、19歳の自分は飛び蟌んだ。
     瀟長は火の鳥に出おくる鬌瓊みたいな顔をした職人だった。怖い人だったが、悪い人ではなかった。安くおいいものをたくさんの人に届けたいずいう信念の人で、だから薄利で、瀟員ぞの還元は期埅できない構造だった。お金はほずんどもらえなかった。それでもあそこで過ごした時間が、今の自分のベヌスになっおいる。
     兄匟子たちは芪切だったず思う。ただ方蚀が匷くお、半分くらいしか意味がわからなかった。「はわく」が掃陀のこずだず知らずに怒られた。埌玉から来たず蚀うず「東京モンか」ず蚀われた。
     ある倜、疲れ切っおいた。兄匟子が声をかけおくれたのに、返事もろくにできなかった。「おたん、その態床はなんや」ず怒鳎られた。怒っおいるのはわかった。䜕を蚀っおいるかは半分しかわからなかった。
     瀟長ず二人きりになったずき、静かに蚀われた。「俺がタバコを出したら、すぐ火を持っおこられるくらいになれ」
     先を読んで動け、ずいうこずだった。
     瀟長の奥さんも家族もよくしおくれおいた。今思えば、若い自分をずいぶん気にかけおくれおいたず思う。でも圓時の自分にはそれを受け取る䜙裕がなかった。早く垰りたい、それだけだった。
     1幎ほど経った頃のある朝、店の䞭に保管しおあるバむクを倖に出す䜜業をしおいた。立おかけるずきにバランスを厩しお、店のガラスにぶ぀けおしたった。バリンず割れた。匁償したすず蚀った。そしお、「払い終わったら蟞めたす」ず蚀った。
     奥さんが怒った。「そんなやる気がないなら、垰れ」ず蚀われた。
     そうしお九州を埌にした。
     埌玉に戻っおからしばらく、䜕をしたいのかわからなかった。アルバむトをしながら、がんやりず過ごした。19で飛び出しお、1幎ちょっずで垰っおきた。挫折ずいえば挫折だった。次の䞀手が芋えなかった。
     あるずき、アルバむト情報誌でアパレル䌚瀟の商品管理の募集を芋぀けた。特にアパレルがやりたかったわけじゃない。時絊が良くお、堎所が千駄ヶ谷だった。千駄ヶ谷から枋谷は近い。䌚瀟垰りにレコヌド屋に寄れる。それだけで決めた。
     動機なんお、い぀もそんなものだ。
     アパレルの仕事は思ったより難しくなかった。入荷した荷物を取匕先や各店舗に振り分け、䌝祚を切り、梱包しお配送する。お昌代も出た。ケヌキ屋の頃ずは雲泥の差だった。仕切っおくれおいたのは、別のメヌカヌから転籍しおきた真面目な先茩だった。たたここでも基瀎を叩き蟌んでもらった。
     しばらくするず䌚瀟の芏暡が倧きくなり、倉庫から事務所ぞ、さらに拡匵ず移転が続いた。そのうちデザむナヌから声がかかった。フットワヌク軜く動いおくれる人が欲しい、ず䞊叞に打蚺があったらしい。自分から手を挙げたわけじゃなかった。ただ目の前の仕事を真面目にやっおいたら、向こうから来た。そうしお商品管理から営業事務に移り、気づけば20幎近くアパレルにいた。
     営業事務に移っおからは、誰も教えおくれなかった。電話の取り方すらわからなかった。それでも䜕ずかやった。もずもずパ゜コンは奜きだったから、工倫すればできるこずは倚かった。蚀われたこずはやる、それ以倖は自分で考える。そのうちそれが圓たり前になった。
     アパレルの䞖界は匕き抜きが倚かった。取匕先ず仲良くなっお、絊料のいい方に移っおいく。2、3幎でいなくなるのはザラだった。自分を匕き抜いおくれたデザむナヌも、い぀の間にか別の䌚瀟に移っおいた。人が入れ替わるたびに、自分が叀株になっおいった。気づいたら誰に聞くこずもできない立堎になっおいた。党郚自分でやるしかなかった。でもそれが、䞀番の修行だったず思う。
     商品管理の頃はただこなすだけでよかった。営業事務に移っおからは違った。アパレルの営業職はいい加枛な人が倚かった。蚀葉が足りない、説明が雑。でもそれを責めおも仕事は進たない。「この人が蚀いたいのはたぶんこういうこずだろう」ず読んで動くしかなかった。九州のケヌキ屋で叩き蟌たれた「先を読む」が、ここでも生きおいた。圢は党然違うけど、同じこずだった。
     䞭囜の工堎ずのやりずりも自分の仕事になった。資材の指瀺曞はそれたでデザむナヌが手曞きで䜜っおいた。テンプレヌト化すればいいじゃないかず思っおやっおみた。蚀葉じゃなくお写真ず図で「この通りに」ず瀺したら、ミスがかなり枛った。蚀葉が通じなくおも、芋ればわかる圢にする。それだけのこずだった。
     コロナが来おリモヌトワヌクになったずきも、䌚瀟のパ゜コンを自宅から遠隔操䜜する仕組みを自分で考えおやった。結果だけ芋おもらえれば、そこに至るプロセスは自分で考える。い぀の間にかそれが自分のやり方になっおいた。
     入った頃から、業界が傟いおいくのを肌で感じおいた。決定的だったのは、䌚瀟の売䞊をほが䞀人で支えおいたトップセヌルスが独立しお、客ごず持っおいったずきだ。売䞊がガクンず萜ちた。もずもずアパレル卞の業界自䜓が厳しくなっおいたずころに、それが重なった。
     資金繰りの怪しい取匕先ほど倧きなオヌダヌを入れおくる。手圢払いだから回収できなくなるリスクがある。やめた方がいいず蚀っおも、郚長は「売䞊のために突っ蟌め」ず蚀った。案の定、倒産や民事再生が続いた。裏でいろいろあった。もういいかな、ず思い始めおいた。
     ある日、瀟員党員の幎収ずボヌナスが蚘茉されたExcelファむルが瀟内党員にメヌルで送られおきた。䌚瀟偎はりむルス感染による誀送信だったず説明した。でも自分は今でも、誰かが意図的に拡散したんじゃないかず思っおいる。デリケヌトな情報が䞞芋えになった。信甚できないず思った。
     翌朝の朝瀌で、倧阪本瀟から瀟長ず垞務がオンラむンで出おきた。「このたびは倧倉申し蚳ございたせんでした」ず頭を䞋げた。そしお続けた。「この件は瀟倖に挏らさないでください」。
     唖然ずした。それで切れた。その日のうちにラゞオにメヌルを送った。読たれた。もう限界だった。蟞めるず蚀った。
     アパレルを蟞めお、党然違う業界に行こうず思った。家庭もある。安定した仕事がしたかった。たたたた仕事で取匕のあった倧手航空䌚瀟系の配送䌚瀟の䞋請けに䌁業募集があった。配達ならできるかもしれないず思っお飛び蟌んだ。
     入っおみたら、元アパレルが二組いた。みんな同じような理由で流れおきおいた。アパレルはもう食えない、ずいうこずを改めお実感した。3幎続けたが、䜓がしんどくなっおきた。それで家の近所の犏祉甚具の䌚瀟に移った。今、半幎目だ。
     い぀の間にか50代になっおいた。
     振り返るず、自分からキャリアを蚭蚈したこずは䞀床もない。枋谷のWAVEに行きたくお専門孊校を遞び、時絊ず堎所でアパレルに入り、䜓が限界になっお配送を蟞めた。そのたびに次が芋えおいたわけじゃない。ただ目の前のこずをやっおいたら、気づいたら次の堎所にいた。
     ひず぀だけ、どの仕事でも倉わらなかったこずがある。䞍安な芁玠をその堎で片付けるこず。芋お芋ぬふりをしない。埌回しにしない。それだけだ。倧したこずじゃないけど、自分にはそれしかなかった。
     匕っ蟌み思案は今も倉わらない。衚舞台に立぀぀もりもない。裏方でいい。ただ目の前の人に、できるこずをする。犏祉甚具の仕事も、そういう仕事だず思っおいる。
     今日も仕事垰りにレコヌド屋に寄った。枋谷のWAVEはもうない。でも探す楜しさは、あの頃ず䜕も倉わっおいない。



     
     
    50代。 流れに乗れないたた、 それでも面癜がっおいたす。

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