
昔の女性、生理はどうしていたのだろうね
ストレートなただの疑問。
女にめぐってくる、定期的な出血。
相撲の土俵に女性が上がることが一切できないのは、血を背負った存在が神聖な場に立ち入ることを許されなかったから。
大学の史学の先生がそう仰っていた。
血というものが、忌み嫌われ完全に拒絶された時代が確かにあった。
そんな昔、をんな達はいったいどうしていたのだろう。
それに、PMSやPMDDなんて昔は名付けられていない。
頭痛、腰痛、目まい、気分障害。
症状の一つ一つを取れば、心身の不調で誰にでも起こりうる。
女の忌まわしきものと関係があるとは夢にも思わず、「何だか調子が悪い」の一言で片づけられていたのでは。
大奥のお姫様なら、お傍にいる者達から常にいたわってもらえそう。
それ以外の女には寝込む自由などない。倒れるまで動き、実際倒れてしまい床に臥せっていたのだろうか。
そんな想像をするだけで悲しい。
そんな生理にまつわる疑問をAIに聞いて調べてみた。
まず、道具について。
歴史をたどると、女性たちはその時々の限られた資源と知恵で凌いできたようだ。
平安の昔、貴族の女性は絹の袋に真綿を詰めた贅沢なものを使っていた。
一方、庶民の女性はただの古い衣類の切れ端、いわゆる「ぼろ布」や植物の葉を当てるしかなかった。
それが江戸時代になり、ようやく和紙が一般に普及する。
目の粗い浅草紙などを細かく折りたたんで股に当てたり、丸めて腟口に直接詰めていた。
江戸の川柳に「お馬」と出てくる。それは、当て物を押さえるためのふんどし状の布の隠語。初潮を迎えた娘に母親が「お馬の手綱(当て物のあて方)」を教える。そんな風景が川柳で残されているらしい。
明治から昭和初期になると、ようやく脱脂綿が登場し、ゴム製やベルト式の「月経帯」と呼ばれる生理用ショーツの原型で挟むようになる。
今の時代で当たり前に使っている使い捨てナプキンが日本に誕生したのは、わずか60年ほど前、昭和36年のことだ。
それまで、気の遠くなるような長い年月を、女性たちは心もとない布や紙だけで過ごしていたのだ。
そして、何と。
出血を自分でコントロールしていた、という説がある。
できるだけ我慢して溜め込み、厠へ行った時に身体の外へ送り出す。
これがあたりまえだったというのだ。
それを繰り返し、今のように平均5日~1週間なんて時間をかけずに2、3日で終えていた。
確かに、身体の外へ出すのはある程度自力で可能だ。身体の奥に力を入れる感覚をコントロールできる女性なら、多少は誰でもできる。
しかし、それで完璧に排出を管理できるのか?
排泄と違って我慢はできない。厠以外で身体の外に漏らさないというのは、ちょっと解せない。
昔の女性は現代に比べて、生涯に経験する生理の回数が圧倒的に少なかった。
初潮は遅く、結婚は早く、何人も子供を産む。
生涯の生理の回数はおよそ50回から100回程度。現代の450回という数字と比べると違いがよくわかる。
つまり、経血量や回数が今よりずっと少なく、道具を工夫して当てるだけで、なんとか最小限の漏れで済ませられたというのが現実だったと思われる。
だからこそ、「厠で出す」という意識が、あたかも完璧なコントロールのように語り継がれたのかもしれない。
かつての女性たちが置かれた環境はあまりにも過酷だった。
平安時代以降、仏教や神道の影響により、女性の血は「不浄なもの」「穢れ(けがれ)」として忌み嫌われるようになった。
地域によっては、生理中の女性を家族から引き離し、別火で自炊させる「月小屋」に閉じ込める風習が明治初期まで残っていたという。
神への不敬とされるからこそ、女性は沈黙を強いられてきた。
そんな時代に、今でいうPMSやPMDDの症状が理解されるはずもない。
月のものの時期に心が荒んだり、体が鉛のように重くなったりしても、それは「狐憑き」や「わがまま」「気の緩み」として片付けられていたようだ。
漢方の世界でようやく「血の道症」として扱われることはあっても、庶民の女性がその恩恵に預かる機会などなかったに違いない。
耐えて、隠して、気力だけでちゃきちゃきと動く。それしか選択肢がなかったのだ。
けれど、時代は変わった。
生理用品も進化し、PMSやPMDDという言葉は社会に認知され、ようやく女性の生理が「あって当たり前のもの」「ケアすべきもの」として受け入れられるようになってきた。
そういえば、面白い話を耳にした。
お隣の韓国では、パートナーの女性が生理になると、体を冷やさないようにといっさいの水仕事を代わりに引き受ける。
そうした男性もいるのだとか。
素晴らしすぎる。
ようやく女性たちは、生理を隠し、耐えるだけでなく、それについて語ることができるようになってきた。
男性のこうした意識改革もあってほしいよね。
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