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半䞖玀にわたる倢を叶えた日🇮🇹〜私に倢を䞎えた【䌊䞹十䞉 『ペヌロッパ退屈日蚘』】

 9歳の私はこう思ったのだった。
『い぀か必ずペヌロッパで暮らす。そしお䌊䞹十䞉さんの旅を远䜓隓する』

 実珟可胜な倢なのかどうか、あの時代には想像も぀かなかった。田舎暮らし、倖囜嫌いの芪、䞡芪ず同じ職業に就くように、ず既にその頃から決められおいた。
 どこにもペヌロッパの芁玠はない。

 家の裏の小高い䞘の䞊に、䞀本の倧きな栗の朚があった。朚は土手から匧を描くように立ち䞊がっおいたので、倪い枝が二股に分かれるずころたでは簡単に登れた。本ずおや぀をバスケットに入れおよじ登り、その二股のずころに座っお、よくこの本を読んでいたものだ。

 倕焌けを眺めながら、心に誓ったこずを思い出す。
『ペヌロッパで暮らし、そしお車で瞊断し、通い慣れた店にい぀ものお気に入りの品を買いに行く、ただその為だけにノェネツィアに行くのだ。䌊䞹さんのように!』
 䌊䞹十䞉氏ずはなんお粋なのだろう。い぀か私はそんな生き方をする、ず決めたのだった。
 あれから半䞖玀近い幎月が流れた。

 それを芪に向かっお口にしたこずはない。怒られるに決たっおいるこずは最初から蚀わない。末っ子の知恵だ。
 そんな知恵はずもかく、倢を叶える為に、すぐにその実珟に向けお努力しようずはしなかった。努力したずころで、芪の元にいる限り、無理であるこずはわかっおいたのだから。

 厳栌で、子育おの方針ががっちり固たっお揺らがない芪の元で穏圓に暮らすには、埓うこずが䞀番平和だ。家族の䞭で平穏な空気を求めるのならば、䞀歩匕いおいなければならない、和を乱しおはならない。

 9歳にしおある皮の諊めを感じ぀぀も、頭の䞭は既にペヌロッパに向かっおいる。手元には䌊䞹十䞉氏の本があり、それが支えだった。
 そしお、䜕の根拠もないにも関わらず、私はそれが叶えられるはず、ず思っおいた。


     ✚✚📖✚📖✚📖✚✚


 䌊䞹十䞉著『ペヌロッパ退屈日蚘』は初版1970幎である。぀たり䌊䞹氏がペヌロッパに滞圚した日々は、その前、1960幎代のこずであり、驚くこずに䌊䞹氏はこの゚ッセむを20代の終わりに曞いたのだ。

 その文章の巧みさず䞖の䞭を眺める目、その幎霢で曞いたずはずおも思えない深い理想的や思玢は、掗緎され、円熟味すら感じられた。

 
 䌊䞹十䞉氏は、私にずっおぱッセむストであるのだが、その埌の掻躍により、映画監督ずしおの氏のむメヌゞが匷い方も倚くいらっしゃるこずだろう。
 ゚ッセむに描かれたその前の時代、氏は俳優ずしおオヌディションを受ける為にむギリスに枡ったのだった。
 本曞はその囜際俳優時代のペヌロッパが描かれる。

新朮文庫『ペヌロッパ退屈日蚘』衚玙は初版ず同じ  


 衚玙カバヌ装画に描かれおいるのは、䌊䞹氏のお気に入りの品々。それぞれの゚ピ゜ヌドは本文に綎られる。
『ブリッグの蝙蝠傘、ハリヌのくれたスフィンクス、ダンヒルのオむル・ラむタヌ、マゞョルカで買ったピストル、ドッグ・シュヌズ、運転甚手袋、ペタンクの球』
 むラストは䌊䞹氏ご本人による。


 この本ずの出䌚いはピアノの皜叀の垰りだった。ピアノ教宀は、母が䜕故そこを遞んだのかわからないが、䞉぀先の駅たで通っおいた。田舎の䞉぀先の駅であるので、20キロくらい先になる。
 土曜の午埌、電車賃をもらっお䞀人で電車に乗る。9歳の私には結構な冒険だった。そしお䞀人でその街を歩くこずは、楜しい自由な時間だった。

 駅ずピアノ教宀のある楜噚店たでの䞁床䞭間地点に、その本屋はあった。毎週ピアノの垰りにそこに寄り、文庫本を䞀冊遞ぶ。䜙分にもらっおいた電車賃ずお小遣いを充おおいた。

 自分で自分の為にだけ遞ぶ本、初めおのこずだ。この圓時買った本は宝物で、今でも党お残しおある。その曞店のカバヌ付きだ。
 その䞭でも、『ペヌロッパ退屈日蚘』はごく早い時期に芋぀けお買い、倢䞭で読んだ。

 日本の家には初版本ず平成17幎発行のものを残しおきた。今手元にあるのは平成30幎発行の19版だ。
 平成17幎に再発行されお話題になった時、『ああやはり』ず思った。優れた本はこうしお幎月を経おも䟡倀があり、人に必芁ずされ、読み継がれるのだ、ず。

 この再発行がされた頃、ファッション誌などにも、【今こそ䌊䞹十䞉! 】ずいった蚘事が特集されおいた。カッコいいずはこういうこずだ、ずいった内容。
 こだわり抜いた衣服、持ち物、暮らし方など、改めお䌊䞹十䞉氏の生き方を通しお良いものを芋る目ずは? 個性ずは? お排萜ずは?考えさせられるものであった。
 


 初版本が出された頃、この本に衝撃を受けた人は倚いこずず思う。私はただ幌かったけれど、䌊䞹氏ず同䞖代、たたそれより䞊の䞖代の人たちは、これをどう捉えたのだろう。
 『海倖のこずを語るキザな人』、ず感じた人もいたに違いない。しかし、その䜓隓や知識を抌し付けおくる感芚はない。教えおくれおいるのだ。䌊䞹氏は、この時代には他に類を芋ない感芚の人であったず思う。
 
 䌊䞹氏は矎意識が極めお高く、蚀葉に繊现で、挢字の遞び方からしお違う。その緻密さを感じながらも、文章の軜やかさ、芖点の鋭さに、フッず笑わせられながら、あっずいう間に匕き蟌たれおいく。圌の描くペヌロッパぞ。

 圓時の日本人がただ知らなかったペヌロッパ、文化、暮らし、生き方、衣服、慣習、食、あらゆるものが䌊䞹氏の目を通しお、分析され、賞賛され、たた理䞍尜なものは远求される。

 グラフィックデザむナヌを経隓した䌊䞹氏は、衚玙カバヌを含めた、本文䞭のむラストも党お手掛けおいる。圌は自分の語りたいこずを最も理解し、描ける人に描かせたのだ。他の人には描けない面癜さがある。
 銅版画のような雰囲気があり、味わい深く個性的な画颚だ。


             P.68 あいづちに぀いお


             P.27. 倧英垝囜の説埗力


         P.55   ロンドンの乗銬靎


      P.250〜251  ïŒ»ãƒšã‚¿ãƒ³ã‚¯ãšç„™ã‚Šè‚‰ïŒœ


 䌊䞹氏が芋た様々なペヌロッパ的なるもの。むラストもたたその空気を䌝える。

 圌が奜むものは䞀流である。
 ゚ルメス、シャルル・ゞュヌルダン、グッチ、ダンヒル、デュポン、車やレストランやその他、曞ききれない‥‥このこだわりはたた来月、別蚘事で詳しく曞いおみたい。


 圓時、倖囜に行くずいうのは、ただただ限られた人だけであった時代。その䞭、䌊䞹氏は仕事を埗る為にむギリスに行き、埗た仕事の報酬で車を買うこずに決めおいた。それはむギリスの《ロヌタス・゚ラン》。ただ仕事が決たるかどうかわからないにも関わらず。

 映画の圹を埗る為にオヌディションにのぞむ䌊䞹氏。そこには血みどろになるたで努力した姿や、焊る気持ちは描かれない。飄々ずしたものだ。
 その報酬で車を買うこずは決めおいる。運呜を切り開く為には、『既に遞ばれるこずは決たっおいる』ずいうこずにしお、あっけらかんず進めばいいのだ、ず私は教えおもらった気がした。

 たた、この圹で必芁なのは圓然英語力であり、圹者ずしおの存圚感ず技量である。この堎面でわかるこずは、氏は既に受かる為の英語力を身に぀けおいたずいうこずだ。その為にどんな勉匷をしたかずいうこずは描かれおいない。それがカッコ良すぎる。

 であるから、9歳の私は、しっかりず英語を勉匷するように、ず誰からも蚀われたわけではないのに、英語はできお圓たり前なのだ、ず思い蟌んでいた。
 その頃、父がテキストずカセットテヌプの教材を䞎えおくれたのは、党く偶然であるのだけれど、『ああ、やはり英語を勉匷するようになっおいるのだ』ず思った。そしお䞀人で繰り返し勉匷した。い぀か来るその日の為に。


 オヌディションのカメラテストの堎面が描かれる。その結果は埅おど暮らせど、なかなか来ない。週間ほど音沙汰が無い。䌊䞹氏は宙ぶらりんの蟛い思いをしお過ごすこずになった。
 そしお、それに続く文章は、

が、たあ、それも過ぎたこずさ。䜕しろ、わたくしは、今『ロヌド・ゞム』のロケで、カンボゞアの暑さにうだりながらこれを曞いおいるんだから。

P.190より

 カメラテストに受かったのだ!!  ãã—おその埌、

霧のような雚のそが降る䞭を、わたくしがロヌタス・゚ランを泚文しに出かけおいったこずは、付け加えるたでもない。

P.190より

ず、この章は締めくくられおいる。
 受かったその時の狂喜乱舞する姿は描かれない。カッコ良すぎるではないか。
 

 䌊䞹氏の゚ッセむには無駄がない。語るべきこずはじっくり語り぀぀も、敢えお曞かないこずで、より内容に深みず面癜さを䞎えおいる。

 たた党䜓的に、『氏に察しお共感を持぀読み手に察しお曞かれおいる」ず感じる。同じような道埳心、同じような倫理芳、同じような矎意識、お互い愉しみを分け合っお、静かににんたりず笑い合える「同志」に向けられお曞かれおいるように思えた。

 私は、人を惹き぀ける文章ずはこういうものだ、ず曞くこずの醍醐味を知り、囜語の䜜文では曞き方をこれに傚った。軜劙排脱ず思える文章を心がけた。そしおそれにより、担任から「生意気な曞き方をする」ずの評䟡を受けるこずになったのだった(^◇^;)

                 âœšðŸ“–✚📖✚📖✚


 さお、ペヌロッパに憧れお行きたいのなら、それなりの手段が必芁であろうし、生き方をその方向にもっおいかなければ、叶うはずもない。
 旅行ならお金を払っお、予定を決めれば枈む話だ。しかし私が䌊䞹氏の旅を蟿るには、『䜏む』『車を持぀』『ノェネツィアにお気に入りの店がある』、少なくずもこの条件が必芁になる。

 䞭孊生の時、「留孊したい」ず芪に話したこずがある。呆れられ、盞手にされなかった。高校の時には「倧孊では語孊を孊びたい」ず話した。これも芪の考える方向性ではなく、盞手にされなかった。
 姉の進路を決める時の様子を知っおいたので、それに埓うしかないのも知っおいた。
 結論は、望むこずがあれば、倧人になっお、自分の自由を埗られるようになっおから、䜕ずかするしかない、ずいうこずだけだった。

 『私がもっず小知恵のある、違うタむプの女性であったならば、倧孊時代にそれなりに人付き合いを駆䜿しお、海倖で仕事をするような男性ず、無理矢理お近づきになっお結婚しお、圚留劻になる、ずいう手があったのかもしれない」、ず姉ず話したこずがある。
「たあ、無理だよね」ず返事が返っおきた。

 我々はそういう生き方ができなかった。芪の蚀う通りの進路を遞び、「男性ず付き合うず䞍良になる」ず蚀われ続けおいたので、静かに暮らしおいた。䞍良にならないたでも、母が恐ろしすぎお、お付き合いなどずおも考えられなかったのだ。


 しかしその埌、姉は倧孊時代に出䌚った盞手ず結婚した芪からは勿論䞍良扱いされおいた 笑。
 矩兄は倧きな䌁業に勀めおいた。終身雇甚が圓たり前の時代であり、芪戚䞀同は圓然定幎退職するたで務めるものず思っおいた。
 しかし矩兄は、鮮やかに倖資系の䌚瀟に転職を果たし、海倖を飛び回る生掻ずなった。移䜏はしなかったので、姉は駐圚劻にはならなかったものの、海倖は身近になった。矩兄のおかげでマむルが溜たり続けお、幟らでも海倖旅行ができるようになったのだった。

 姉は元々海倖にも語孊にも興味はなく、「倖囜人は怖い😚」ず思うタむプなので、海倖旅行にはさほど䟡倀を感じおはいなかったけれども(^◇^;)。

 九州の有田焌の窯元に行きたい、ずか、出雲倧瀟にたた行きたいずか、毎幎楜しみにしおいお、完党に日本の文化・歎史の方に興味がある人だ。
 それでも気分転換の機䌚は沢山できたのだった。

 私も倫ず結婚した時点で、旅行奜きな人であるので、ペヌロッパ旅行は䜕床かできるかな、くらいに感じおいた。ずころが思いもよらず、その埌海倖での仕事に恵たれるこずずなった。

 私自身も転職した埌、海倖に出る機䌚が増えおいた。その流れで、早期退職しお、自分䞀人でしばらく海倖で暮らす算段もした。ずうずう自分の力で海倖に出るずころたで行き着いたのだった。

 ずころが、䞁床その頃に嚘たちの結婚が決たったこずで時期がずれ、たたその埌のコロナ犍を経お、海倖に出られるタむミングが倫の赎任ず重なり、ドむツに䜏むこずになったのだった。

 こんな未来が埅っおいたずは、9歳の私は知る由もなく。

 この時、䞀人で出発する予定がずれお拍子抜けした私は、犬を飌うこずにした。それも退職埌の楜しみにしおいたこずなので、ただしばらく日本にいるなら、ず決めたのだった。

 結果的に、ドむツにはそのたた犬を連れおきた為に、「車がないず、旅行に行く時に困るよね」ず、車を買うこずずなった。

『車を持぀』ずいう条件たで揃った!!!!犬のおかげ


 姉も私も、その方向を目指したわけではなかったのに、呑気に芪の蚀う通りに生きおきただけであったのに、結果、予想倖の機䌚が蚪れたのであった。

 芪の蚀うこずは、真っ圓で筋の通ったこずばかりであったから、厳しくおも埓わざるを埗なかったけれど、芪が貫いた、
『真理を远求する人であれ、人を助ける人であれ』
ずいう生き方は、我々に染み付いおいる。

 芪ずは違い、ボヌッず生きおきた姉効であり、芪の期埅通りずはいかないたでも、取り敢えずは芪が望んだように生きおきた。
 これたで倧したこずはできなかったけれど、ほんの少しだけ、良い子にしおいたご耒矎を、倩から䞎えられたような気がする。
 

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 さお、䌊䞹氏は映画俳優仲間ず様々な亀流をしおいる。チャヌルトン・ヘストン、ピヌタヌ・オトゥヌルずは随分芪しかったようだ、
 たた「䞖界のミフネ」䞉船敏郎氏が登堎するのは、ノェネツィアでの゚ピ゜ヌドだ。ノェネツィア本島からノァポレットで枡った先の现長いリド島でのこず。この島は、映画『ベニスに死す』の舞台だ。

 ホテル、゚クセルシオヌネ、ここはノェネツィア囜際映画祭の䌚堎になる栌匏ある有名ホテル。
 ここに宿泊䞭、䞉船敏郎氏がゞョニヌ・りォヌカヌず共に、タタミむワシを持っお珟れる。その䞀宀でティッシュを捻っお火を぀け、タタミむワシを炙っお食べるずいう゚ピ゜ヌドがある。
 これもやっおみたい、ずちょっず思ったが、これはさすがに無理な話だ。怒られる。
 ゚クセルシオヌネではお茶を飲むに留めた☕ 


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 䌊䞹氏は薄いスりェヌドで䜜った、ごく軜い運動靎颚の靎が奜きで、こればかり奜んで履いおおり、英囜人の友人は、これを「ドッグ・シュヌズ」ず名付けおいたずいう。

 その靎はノェネツィアの「ポッリ」ずいう店でしか売っおいない為、毎幎6足ず぀取り寄せおいたのだが、党おぞこたれお、みんなから「ラッド・シュヌズ」ず呌ぶようになっおしたった。

 そこで氏は靎を買いに行くこずにする。ロンドンから車でノェネツィアたで、ただ靎を買いに行く為だけに行くのだ。これほど莅沢でキザなこずはあるだろうか?
 この靎がなければ、䌊䞹氏の服食プランが解決しないのだから、圓然圌は行くのである。


          P.205 ドック・シュヌズ


 䌊䞹氏は英囜人のお排萜に憧れるも、英囜人的な䜓栌ではないので、完璧には近づけないず考え、寧ろフランス颚、或いはむタリア颚のお排萜ならば、抵抗がなく取り入れやすいず蚀う。
 栌匏あるブランドの品々を奜んではいたが、それらを混ぜこぜにしお同時に䜿っおしたうのはむギリスでは邪道になっおしたう、ずも語っおいる。むギリスで蚀うずころのミドル・クラス、或いはフランスのプチブル小垂民的であるこずを、圌の矎意識は蚱せなかったようだ。


 ã€Œãƒãƒƒãƒªã€ã¯1980幎代に閉店したず埌にネットで怜玢しお刀明した。残念だった。私が初めおノェネツィアに行った時、どうしおも店を芋たくお聞き回ったけれど、その頃には既に閉店、芋぀からなかったわけだ。
 

 さお、今から20幎前、私の二床目のノェネツィア旅行では、買いたいものがあった。
 その少し前に、姉䞀家が行っおおり、その時私にお土産をくれた。
 姉はそれ以前に、私がフランスに行っお、可愛いビスクドヌルを探したけれど芋぀からなかった、ず残念がっおいたこずを芚えおおり、たたたたノェネツィアで行った店でそれはそれは可愛いビスクドヌルを芋぀け、お土産にくれたのだった。

 ビスクドヌルず蚀っおも、ゞュモヌのようなアンティヌクではなく、珟代颚の顔の可愛らしい人圢で、その店の工房で䜜っおいるずのこずだった。

 「玠敵だから行っおごらん」ず姉は堎所を教えおくれた。ノェネツィアは迷路のような现い小路が倚いが、その店の堎所は、電話で説明ができるくらいわかりやすいずころであった。

 それから2ヶ月埌の次の旅で、早速蚪ねたずころ、店はすぐ芋぀かり、玠晎らしい人圢の数々に圧倒された。
 数が倚いだけではない、顔はどれも可愛らしく、ドレスや垜子も党お手䜜りで、甲乙぀け難い芋事さだ。こんなに芋事な人圢は、その埌も芋たこずがない。

 倫は人圢に興味がない䞊、私が幟぀遞ぶかわからないず恐れたようで、最も気に入った䞀぀を買ったずころで、急かされお店を出たのだった。
 
 

     ✚✚🇮🇹✚🇮🇹✚🇮🇹✚✚


 それから20幎が経った。䞀昚幎8月、再びノェネツィアに行くこずになった。ずうずう車で行くこずが叶うのだ!!

 20幎、その間も䜕床かむタリアには行っおいた。フィレンツェやロヌマ、ナポリ、アマルフィなどには行ったおいたものの、倫のむタリア赎任䞭、ノェネツィアには䜕床も行っおいた為、倫が「違うずころにしよう」ず蚀い匵った為、ずいぶん久しぶりの旅ずなった。

 この旅の目的、あの時買ったビスクドヌルは経幎劣化で、足の付け根の動きを制埡するゎムが緩んでしたっおいた。あの店は工房であるから、修理を䟝頌しおみよう、そしおもし可愛い子がいたら絶察いる、別の子も買おうず思っおいた。

 車でノェネツィアに行っお、お気に入りの店に行く日がずうずう来たのだ(^O^)

 䌊䞹氏のようにノェネツィアの靎屋の垞連ずいうわけではないし、諞々だいぶ差はあれど、ずにかくペヌロッパで暮らし、車でノェネツィアに行き、知っおいる店に行き、目的を果たすのだ。これは9歳の頃の倢の䞀぀がほがほが叶う、ずいうこずではないか、ず定矩付け、心が匟んだ。

 ノェネツィアのサンタ・ルチア駅より、䞀駅手前の街に車を眮き、電車で向かう。海を突っ切るように走る電車、䞡偎に芋る海の光景は、他では味わえない。やがおノェネツィアの街が芋えおくる頃には、嬉しくお懐かしくお泣きそうになっおいる。

 サンタ・ルチア駅から運河カナル・グランデをノァポレット乗合船に乗り、ホテルぞ。荷物を眮いおすぐ店ぞず出かける。

 サン・マルコ広堎からは、サン・ザッカリアの船着堎たで歩いおもすぐ近くだ。
 しかし、そこで目印のサン・ザッカリア教䌚の名前を出したずころ、倫がその教䌚は少し先だず蚀い匵る。私の蚘憶ずは違うので、抵抗したものの、呚蟺の通りをしばらくりロりロするこずになった。暑かったので、それだけでも䜓力が消耗した。
 結局、私の蚘憶通りで、海を背に入っおいった道の先に、教䌚はあった。
 そこを過ぎお、突き圓たった道を巊に曲がった䞉軒目蟺りが店だ。ホッずする。
 しかしそこにあった筈の店がない。䞡隣の店も閉じられおいる。か぀お華やかだったその䞀角が寂しい状態になっおいた。
 コロナ犍はこれだけの芳光地ノェネツィアにたで圱響したのだ、ず思い、䜕ずも蚀えない思いになった。

 倫はこれで枈んだずばかりに、「仕方ないね、ゞェラヌトでも食べに行こうよ」ず蚀う。暑さには匷い倫も、ノェネツィアの月の日差しの元、探し回っお歩いたのが応えたらしい。
 通りをしばらく歩いお、人気のあるゞェラヌト店ぞ。食べおいる最䞭も、私は玍埗いかない。確かに店はコロナ犍の圱響は受けたかもしれない。しかし、20幎前の蚘憶では、ビスクドヌル以倖に、カヌニバルの衣裳や仮面を取り扱っおいたが、他の同じような品物を扱う店の䞭でも、その店は矀を抜いおいたのだ。
 歎史ある店ずいうだけではなく、店の栌が違う、ずいう印象だった。他の店が残っおいるずいうのに、あの店がなくなる筈がない、ず溶けおくるゞェラヌトず栌闘しながら考え続けた。
 
 食べ終わる頃、「私、もう䞀床あの呚蟺に聞き蟌みをしおくる。あの店が朰れる筈ないから」ず倫に告げた。
 倫はうんざりした顔で、「その店の人圢は諊めお、違う店で買えばいいじゃない」ず。
 そこで私に火が぀いた。
「あの人圢は、あの店で䜜られお、あの店でしか販売されおないっお、䜕床も話したよね!!」
 倫の顔が諊めに倉わった。

 倫には、犬ず䞀緒に近くの涌しい堎所にいるか、カフェに入っおおちょうだい!ず蚀い捚お、私は䞀人珟堎に戻る。
 あの店は歎史ある有名店だった筈。近くの店の、幎配の人なら知っおいる筈! 絶察!
 しばらく元の店舗の蟺りを歩き、少し先のカフェのスタッフに目を぀けた。幎配の男性だ。その人に決めた。

 その人の手が空いたタむミングで話しかけおみる。この日の為に勉匷したむタリア語を駆䜿する。
 店の名前は忘れおいた。堎所ず店の内容を䌝えお、
「閉店しおしたったのでしょうか?」ず尋ねるず、ラッキヌなこずに、䞀人目にしお圓たりだった。

 「ああ、あの店は移転したしたよ」ず通りの向こうを指差した。先皋、探し回っお、䜕回か通った蟺りだ。

 「それに今、改装䞭ですよ。やっおるかなぁ」ず教えおくれた。ありがずう、おじさん(T ^ T)

 お瀌を蚀っお、぀いでに尋ねおみる。
「ポッリっおいう靎屋さんの堎所を知りたせんか? 1980幎代に閉店しおるんですけど」
 それは知らない、ずのこずだった。ポッリの件は80歳以䞊の人に聞くしかないな、ず探偵の私は䞀旊諊める。
 今日の目的は、私の人圢の修理䟝頌だ、早足で店に向かう。

 店に着く頃、倫も通りの向こうからやっおきた。
「この改装䞭の店だっお!」ず報告する。
 店のガラスに匵り玙がしおある。矢印があり、隣が仮店舗だった。

 店の名前はうろ芚えではあり、タグに描かれた仮面を぀けたカヌニバルの衣装の人の絵だけは芚えおいた。堎所は芚えおおり、店は圓然あるず思っおいたので、たさかこんなに手間取るずは思っおもみなかった。

 堎所が倉わり、党く知らない別の店名になっおおり、曎に改装䞭の䞊、仮店舗営業䞭。おたけに扱う品物が党然倉わっおいた。店の前を通っおもわかる筈がない。「よくわかったよね‥‥」倫が呟いた。

 店に入っお、芳光客盞手に話しおいた店のスタッフらしい男性に事情を話しおみた。この人は英語が話せたので、ここからは英語。
 元の店䞻の芪戚だず蚀う。もうその人圢は扱っおいないから、ず簡単に返事をされお、すぐに芳光客の接客に戻っお行った。
 がっかりしお倖に出たが、諊めきれない。倫はただグズグズしおいる私に慰めの蚀葉をかけおくるが、ずにかく諊めきれない。
 
 芋るず、奥からもう䞀人男性が出おきお、レゞのずころに立っおいる。
「もう䞀回行っおくる!」ず私だけたた店内ぞ。

 話しおみるず、その人は元の店䞻のお孫さんだった。持参した人圢を芋せるず、懐かしそうに、
「祖母が䜜っおいた人圢です。日本から持っおきたのですか?」ず嬉しそうだ。
「祖母はもう歳をずっお、人圢が䜜れないので匕退したした。今は僕が店䞻です。もうこの皮類は扱っおいないので、修理は無理です」ず。

 そうか、無理なんだ。あの店にいた奥さん、匕退しちゃったんだ、もうあれから20幎も経っおるのだから‥ず残念に思った。事情を知っただけでも良かった、ず考えた。

 するずその店䞻さんは、「ノェネツィアには明日もいたすか?」ず聞いおきた。 
 思わず垌望を感じ、「ええ! ✚」ず答えるず、
「祖母に連絡しおみるので、返事を埅っおおくれたすか? 今日䞭には連絡したすからアドレスを教えおください」ず蚀う。

 修理は無理でも、この芪切な察応には感動した。
 倧喜びでアドレスを曞いた。

 ご機嫌で午埌を過ごし、倜ホテルに戻るず、メヌルが来おいた。
 そこには「やはり修理は無理だけれど、祖母のずころには人圢の圚庫が幟぀かありたす。もしあなたが芋たければ、店に持っお行きたすよ」ずのこずだった。

 「勿論行きたす。明日10時に行きたすね。ありがずうございたす」ず返信した。送っおくれたビスクドヌルの写真を拡倧する。可愛い💕、あの子たちだ(T ^ T)
もう泣きそう。

 倫は「良かったね。芪切な人だね」ず蚀い぀぀、『぀たり買う気だな?』ず恐れ始めおいる。気にしない。


 翌日10時、店に行くず、店䞻さんは奥から倧事そうに、ビスクドヌルを倧切そうに䞀䜓ず぀運んで来る。良い人だ。党郚で5䜓。

 芋せおもらうず、懐かしさで胞がいっぱいになる。どのドレスも矎しい。お祖母さんが匕退前に描いた顔のせいか、少し目の描き方が昔ずは違っおいる。右目のた぀毛が少し気になった。
 自分で化粧をする時に感じるこずだが、利き手の偎ではない方は描きにくい。それず同様なのだろう。

 散々眺めお、そのうち点を買わせおもらうこずにした。残った二䜓の子たちには申し蚳ない気がしたけれど、やはり人圢は顔も髪型も重芁なポむントだ。そちらはお瀌を蚀っお断った。

 倫は暪でクラクラしおいる。䜓も買う?! ず顔に曞いおある。20幎前の倍の䟡栌になっおいるせいもあるず思うけれど、気にしない。

 
 店䞻さんが蚀った。
「今朝、お祖母さんの家に寄っお、人圢を預かっおきたした。祖母はこの話をずおも驚いおいお、
『私の人圢をそんなに気に入っお、20幎も経぀のにたた来おくれたの? こんな面癜くお楜しいこずが起きるなんお! 嬉しいわね。䞍思議ね』
っお䜕床も蚀っおたした」

「ご芪切に感謝したす。お祖母さんにもお瀌をお䌝えください。『お人圢を倧事にしたす。お元気でいおください』っお䌝えおください」ず䌝えた。涙が滲む。

 店䞻さんは営業も忘れなかった。
「今うちで売っおいる人圢はあの子で、䞭囜の映画に補䜜颚景が䜿われたせいで、䞭囜からの芳光客がすごく増えたした」ず。ショヌケヌスを指差す。
 カヌニバルの道化垫の衣装のベビヌドヌルだ。

「可愛いですね。今床来た時にたた!」ず䌝えた。
 私の奜みは買ったお人圢の方だけれど、その子もずおも可愛い。次に行った時は、あの子も仲間にいれようかな?
 晎々ずした気持ちで倖に出る。今床来る時は、お祖母さんにお土産を持っお来よう。

 倫が玙袋を眺めながら、「‥‥凄い執念だったよね」ず呟く。
 い぀もなら、バテおしたう筈の熱䞭症になりそうな暑さの䞭、店を探し圓おるたで、諊める気がなさそうだった私を、かなり匕いた目で眺めおいたのだ。


少し気の匷そうな瞳が、高畑充垌䌌の新入り嬢


 『倢が叶う』ずは䜕だろう。
 幌い頃は単玔に本を読んで憧れ、䌊䞹氏が経隓した生掻を少しでも真䌌したい、それが倢だった。

 本文に出おくる様々な゚ピ゜ヌドをも真䌌した。
 䌊䞹氏が機内でシャンパンずオレンゞゞュヌスを頌んで、割っお䜜るカクテル『ミモザ』、初めお海倖に行った時の機内で、真っ先に詊した䞀぀だ。
 䌊䞹氏が䜜るアヌティチョヌクのお぀たみは、日本では我慢しお、ドむツに来おからマルクトで買っお䜜っおみた。
 街の片隅で、人々が倕暮れ時にペタンクを楜しむのも眺めた。

 倢を芋おから半䞖玀近く経っお、こうした様々の経隓を振り返る。そしお気づく。
 そもそも私がこの本に出䌚ったのも、ピアノ教宀を母があの楜噚店でず遞んだこずがきっかけだった。語孊に自然ず興味を持おたのも、父が教材を䞎えおくれたからだった。
 倢は、芪から䞎えられたものから、そしお芪の生き方・考え方の䞭から芜が出おいたこずに気づく。
 それを実珟させようずしおきた気質も、芪から受け継いだ郚分が倧きかったのだ、ずいうこずを改めお思う。

 『倢を叶える』ずは䜕だろう。
 ペヌロッパで暮らし、車でむタリアたで走り抜け、ノェネツィアたで行く、目的の店に行き、目的の品物を手に入れる、それは叶えおみたら、ほんの小さな出来事に感じられた。
 䌊䞹氏が過ごしたペヌロッパの日々ずは、もちろん栌段の差がある。

 しかし、䜕だろう?、この感芚は?
 䞀冊の本から始たっお、ここに至るたでの党おの道皋が、生きおきた党おが、私の叶えたい倢に通じるものであった、ずいうこずだろうか。

 もう亡くなっおいる䞡芪、もう亡くなっおいる䌊䞹十䞉氏、私に倢を䞎え、そしお結果的に倢を支えおくれた人々に、感謝の気持ちでいっぱいになったのだった。



                                         ã€€ã€€ã€€ã€€â€”完—


 

 歊智倫倪郎様が、この゚ッセむに察しお、解説をしおくださいたした。
 Z䞖代の皆様方に向けお、歊智様が曞いおくださったように、戊埌日本の知的粟神の二極をなす存圚——䌊䞹十䞉氏、倧江健䞉郎氏のこずを知っおいただける、玠晎らしい機䌚を䞎えおくださったこずは、嬉しい限りです。
 心より感謝申し䞊げたす。



【あずがきず予告】
 ノェネツィアでビスクドヌルを買った、
“Magie di Carnevale” 玠晎らしいお店でした。このお店の名前は珟圚販売されおいるビスクドヌルのタグに残されおいたす。
 工房を営んでいたお祖母さんは匕退されたしたが、自宅で少しず぀お人圢の補䜜は続けおいるようです。
 䞀昚幎は、移転した先の隣り合った軒のうち軒が改装䞭でしたが、珟圚はそちらも新しい店舗に生たれ倉わっおいるようです。
 今月䞋旬にそれを楜しみに行っお参りたす。

 䞋蚘のホヌムペヌゞは最近のものですが、このお店の歎史を物語る為のものであり、圓時の工房があった店の様子や、ビスクドヌルを補䜜し続けおきたお祖母さんやお孫さんの写真が掲茉されおいたす。


 『ペヌロッパ退屈日蚘』に぀いおは、別の機䌚に、読曞感想文ずしお、内容を改めお8月に曞きたいず思っおおりたす。
 興味深い゚ピ゜ヌドが満茉のこの本を、是非皆様に詳しくご玹介したいず思っおおりたす。
 たた是非お読みください。



#゚ッセむ郚門
#むタリアぞの旅
#ノェネツィアぞの旅
#䌊䞹十䞉

 


いいなず思ったら応揎しよう