
放送ギリギリを攻め落とした、あの頃の「アサヤン」の話。
テレビ局の美術スタッフ編 #21
「アサヤン」と聞いて、今の若い世代が思い浮かべるのはきっと、ナインティナインが司会を務め、モーニング娘。などを生み出したあの伝説のオーディション番組だろう。だが、俺がテレビ局のスタッフとして狂乱の日々を過ごしていたのは、その前身であり、全くの別物。深夜の電波を文字通り「放送ギリギリ」の狂気でジャックしていた、初期の『浅草橋ヤング洋品店』だ。
司会はルー大柴に清水ミチコ。レギュラーには浅草キッド、清水圭、出川哲朗。そして準レギュラーには、若き日の江頭2:50。
今思えば、そうそうたる、いや、濃すぎるメンツが揃っていた。
バラエティの現場というのは、実は本番中にスタッフがやることがあまりない。つまらない番組の収録だと、不謹慎ながらすぐに眠くなってしまうのが関の山だ。しかし、アサヤンの現場だけは違った。眠気どころか、いつ何が起きるか分からない緊張感で、常に脳汁がドバドバと出ていた。とにかく、企画がどこまでもイカれていたのだ。
それもそのはず、総合演出はあのテリー伊藤氏。「型破り」という言葉すら生ぬるい、テレビの常識をぶち壊す天才が舵を握っていた。よく「昔のテレビはヤラセばかり」なんて言われるが、断言する。この番組はいつだって「ガチ」だった。裏側を知るはずの僕たちスタッフですら、収録中に「おいおい、本当にやるのかよ……」と本気で青ざめる瞬間が何度もあった。
その最たるものが、今も伝説として語り継がれる『江頭グランブルー』だ。
水中息止めで競い合うというシンプルな、しかし命がけの企画。当時の王者・清水圭が叩き出した3分前後の大記録を、なんと江頭2:50が「4分超え」という異次元の数字で打ち破ったのだ。4分である。人間が水中で息を止める限界を完全に超えており、まさに失神レベル。いや、実際、江頭は水中で本当に気を失っていた。最後はダイバーが慌てて引き上げるという、一歩間違えれば大惨事、死人が出ていてもおかしくない修羅場だった。あの緊迫感は、作り物では絶対に不可能な本物のドキュメンタリーだった。
他にも、中華料理人たちが意地とプライドをかけて激突した『周富徳vs金万福の中華大戦争』など、日本中を巻き込んで盛り上がった人気コーナーがいくつもあった。
とにかく、今の時代の人には当時の映像を見てほしい。コンプライアンスだの何だのと叫ばれる現代のテレビでは、100%放送不可能だろう。だが、あの頃のテレビには、今のメディアが失ってしまった「何が起こるか分からない本物の熱狂」が、間違いなく息づいていた。あの狂った時代にスタッフとして立ち会えたことは、俺の人生にとって、今でも最高の誇りだ。
今作品も最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
次回の記事もお楽しみにお待ち下さい。
【編集後記】
noteを通じて、同じ時代を駆け抜けた皆さんと繋がれるのが今の僕の楽しみです。
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