創作大賞応募作「八重姫様御大変」史実&執筆裏話など②
創作大賞2026の恋愛部門応募作にして田沼意次時代の大名家の離婚劇を描いた「八重姫様御大変」、読んでいただくための史実ネタや裏話、②をお送りします。
作品とあらすじを再掲いたします。本記事で予習した上でお読みいただくも良し、まっさらな状態でお読みいただいてから本記事で裏話を楽しむも良し、と思います✨
天明四年三月二十四日、田沼意次の嫡子である意知が江戸城内で斬りつけられて死亡した。 権勢を極めていた意次の、失脚の切っ掛けとなったこの事件は、田沼家と縁を結んだ諸大名にも影響を及ぼした。
意次の四男と縁組していた老中水野忠友の娘、八重姫は、意次の失脚を恐れた父に離縁を命じられる。 「我が父がかような恩知らずの恥知らずとは情けない限りでございますな!」 父の勝手な思惑に反発した八重は、これまでは不仲だった夫と共に一矢報いるべく足掻くが──
田沼意次の失脚の影で翻弄された人々の姿を描きます。2025年大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」とほぼ同時代・関連する人々の史実をベースにした物語です。
さて、今回は時代小説を書くにあたっての資料の読解の難しさの話になります。具体的には、ヒロインである水野八重と、父から離縁を迫られている不仲の夫・金弥の年齢についてです。
前回紹介した「寛政重修諸家譜」によると、金弥は宝暦9年(1759年)生まれ。「御代々略記」によると、八重は宝暦6年(1756年)生まれ。妻のほうが3歳年上になりますが、現代でもこれくらいの年齢差の夫婦は大勢いるでしょうし、不自然なことはありません。
下記、「御代々略記」よりふたりの結婚に関するイベントを抜き出します。
安永3年(1774年)
金弥(15)、忠友との養子縁組と八重(18)との婚姻を届け出る。
以降、金弥は水野家家中では「若殿様」と呼ばれる。
安永4年(1775年)
金弥(16)任官、前髪を取る。
安永6年(1777年)
金弥(18)と八重(21)、婚礼を挙げる
()内は年齢、ややこしくなるので数え年は考慮していません。(※後ほどポイントになります)
婚約成立後、婿・養子として公的な立場を整えて成人の儀を行った上で実際の婚姻に至る、という感じで、これもやはりとても自然な流れです。なお、ちょうどこのころ沼津城の普請も始まっており、城持ち大名への復帰に田沼意次との良好な関係にと、水野家にとっては上り調子のめでたい時期であったことが窺えます。
八重姫様~の物語スタート時は、八重が28歳、金弥が25歳。年上の口うるさい正妻を疎んじる入り婿の貴公子、というイメージで描写しております。
その後、当主ではない金弥の記述は少なく、田沼意知の死亡時に服喪した、という情報の次に登場するのが離縁の時のものになります。繰り返しになりますが忠徳公=金弥です。
天明六年丙午九月四日
忠徳公御忍供ニ而御里神田橋様江被成御出其後御離縁
同月五日
忠徳公御離縁之儀御双方御熟談之上御願被成候處御願之通被 御出候
実態としては意次が失脚したので田沼家とは縁を切りたいです!! にほかならないはずなので、例によって何をどう熟談したんだよと言いたくなりますが、水野家側での記録はこうです。これは寛政重修諸家譜の記述とも合致しますし、八重姫様~でも描写した通り。
問題は次の記述です。忠徳公=金弥の情報を付記したくだりがあるのですが、その一節を最初に見た時、私はめちゃくちゃ焦りました。
但安永六酉年御引越今年迄十ヶ年目ニ而御不縁
御生年二拾歳也(後略)
はい???
生年というのは「生まれた年」のほかに「年齢」の意味もあるため、また、「安永6年に婿入りして以来十年~」という流れに続く記述のため、忠徳公=金弥は離婚時点で二十歳だった、という意味だと思ったのです(「生まれた年はニ十歳」では意味不明ですし)。
となると、色々な疑問が頭を駆け巡ります。
女性である八重は後継者問題には関係ない・よって年齢を偽称する必要性はないので、「御代々略記」に記載の生年は信じて良いのではないかと思いますが、そうすると安永6年の成婚時は金弥11歳、八重21歳。現代よりも婚期が早い時代とはいえ、数年は懐妊は望めないであろういっぽうで、出産可能な年齢のリミットは近づくということで、どういう展望で踏み切ったんでしょう、とか。
「当主に万が一のことがあった時、嫡子が幼すぎると後継者として認められず、お家断絶になってしまう」という江戸時代ならではの事情により、武家の男子は「いくつかサバを読んで実際よりも年長として幕府に届け出る」ことががあったそうです。つまり、当主が亡くなった時に嫡子(10)だと幼すぎるからダメ、お家断絶! となるかもしれないけれど、嫡子(13)だと通るかもしれない、ということだと思われます。
とはいえ、8歳の子供を連れてきて「この子15歳なので!!」と言い張るのはさすがに無理がないです?
また、「八重姫様~」の作中で、「金弥と松平定信は同い年&柔道の道場が同じ縁で交流がある」という記述をしております。柔道については定信の伝記に明記してあったのでどこかで裏付けが取れる情報だと思うのですが(大名もそんな塾友みたいなことあるんだ、と思ったので印象深かったのです)、8つも年が離れていると切磋琢磨とはいかないし話も合わないんじゃ、など……(定信には、意次の息子に近づく動機は十分あったでしょうが)。
何より。「八重姫様~」を書いてから気づいてしまったので、一回自分の中で掴んだキャラや関係性や物語をどうするかな~~~と思ったのですが。ふと気づきました。
これ数え年では?
婚礼時に、数え年ではない=現代風の数え方で18歳ということは、数え年で言えば20歳になってもおかしくない、はず……。なんで上記の流れで婚礼時の年齢をスッと書いたのかは謎ですが、離婚時に20歳、よりは自然なはず。だからきっとそう!
というわけで、改めて堂々と。「八重姫様御大変」の金弥の年齢は寛政重修諸家譜準拠の25歳~27歳です!! 「御生年二拾歳也」を離縁時のことと解釈してのおねしょた夫婦も悪くはないけど、そうするとまったく違う話になってしまうので……。
というわけで、素人が調べると資料の一節にも悩まされるし、年齢からして当時の慣習に準拠して考えないといけないので大変! という話でした。実年齢で考えたほうが現代人には分かりやすいだろう、という考えはあったのですが、こういうところにも落とし穴があるという。
(さらに基本的なところだと、当時の文献は当然のことながらすべて旧暦なので、新暦に置き換えないと季節感の描写にズレが生じてしまうことにも注意が必要ですね……月齢については逆に分かりやすいというメリットがなくもないのですが……)
「八重姫様御大変」、このように史実ものを書くのはやはり難しい……と痛感しながら書いた作品です。書き手の苦労は読むほうには知ったこっちゃないのですが、裏話としてお楽しみいただければ幸いです。
創作大賞2026には、下記の作品も応募しております。それぞれ作者としてはお気に入りの作品なので、この機会に読んでいただけますように!
ホラー部門『窮鼠の牙』
残酷で傲慢な本性を隠して「優しい先生」として振る舞うヒロインに迫る悪意の正体は――
ファンタジー部門『雪の女王は戦馬と駆ける』
愛憎と陰謀が渦巻く群像劇形式の架空戦記
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