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怒りについて考えていたはずだった

    最近、保護者向けのシートを作っていました。

    「怒るべき?」

    「待つべき?」

    「環境を変えるべき?」

    そんなことを客観的に捉えるためのシートです。

    もともとは、怒りを反射的に出さないための道具を作りたいと考えて、1つの記事を作りました。

    そして、その流れでAIと怒りについて話し始めました。

    怒りを、生き物としての機能として見る。

    怒りはなぜ今も残っているのかを考える。

    怒りの下には何があるのか。

    怒りと傷は同じものなのか。

    怒りが無くなったら人は幸せになるのか。

    怒りはどんな形をしているのか。

    怒りを例えるなら何に似ているのか。

    そんな話を始めたはずでした。

    話し始めると、いろいろな疑問が出てきます。

    整理しているのか。

    地図を広げているのか。

    自分でもよく分からない、不思議な広がり方でした。

    ただ、その中で何度も立ち止まった問いがあります。

    怒りは悪いものなのか。

    現代でも必要なものなのか。

    怒らない方が良いのか。

    それとも、怒りは無くすものではなく、扱うものなのか。

    AIは怒りを「情報」として見ていました。

    私はどちらかというと「エネルギー」に近い感覚で見ていました。

    どちらが正しいのかは分かりません。

    たぶん、どちらもあるのだと思います。

    怒りについて考えていたはずなのに、

    気が付くと傷の話になり、

    人によって傷つき方が違う話になり、

    年を取ると丸くなるのではなく、感情との付き合い方が上手くなるのではないかという話になりました。

    怒りは火山に似ているのかもしれない。

    武術に似ているのかもしれない。

    そんな話まで出てきました。

    怒りが無くなると、人は悪意から身を守れなくなるのではないか。

    怒りは攻撃ではなく、防御なのではないか。

    10年残っているものは、怒りではなく傷なのではないか。

    人は年を取ると丸くなるのではなく、怒りとの付き合い方が上手くなるだけなのではないか。

    そんなことも考えました。

    答えが出そうになる。

    でも、また別の疑問が出てくる。

    その繰り返しです。

    何度もAIに疑問をぶつけながら、自分の考え方や感覚とも向き合っていました。

    本当は、この話を記事としてまとめたいと思っています。

    でも、まだ少し時間がかかりそうです。

    答えが出ていないからではありません。

    むしろ、出そうになるたびに別の問いが出てくるからです。

    今は完成させるより、

    もう少し迷子になってみようと思います。


    この記事を書きながら、

    私は何度も

    「これでまとまったな」

    と思いました。

    でも、そのたびに別の疑問が出てきます。

    怒りについて考えていたはずなのに、

    なぜか傷の話になり、

    武術の話になり、

    火山の話になり、

    人の違いの話になりました。

    たぶん、まだ終わっていません。


    ※今のところ、このテーマで次に書きたいと思っているのは、

    「他人はなぜ同じことで傷つかないのか」

    という話です。

    同じ言葉。

    同じ出来事。

    同じ失敗。

    それなのに、人によって反応は大きく違います。

    私たちは本当に同じことで傷ついているのでしょうか。

    それとも、感情との付き合い方が違うだけなのでしょうか。

    今のところは、そんなことを考えています。

     
     
    元療育保育士。公設療育で15年間子どもと社会に向き合ってきました。発達支援の現場や、生活の中で感じた違和感を、AIと構造的に整理・再定義しています。現在は障がい者グループホームのサビ管をしています。ボードゲームが好きです。記事の文章は固いですが、私自身はふにゃふにゃです。

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