
【ワーゲンの風が吹く場所で】終章 受け継がれるもの
【ワーゲンの風が吹く場所で】
終章 受け継がれるもの
ある朝、息子が学校から帰ってきて、ランドセルを廊下に放り投げた。「お腹すいた」と言いながら、靴もきちんと揃えずに上がってくる。私はキッチンに立ちながら、自分が笑っていることに気づいた。こんな当たり前の一日が、どれほどありがたいことか。いつからそう思うようになったのだろう。
あんなに小さかった息子たちは、いつのまにか、私の背を追い越しそうなほど大きくなった。保育園のお迎えに走り、布団の中で抱きしめていたあの日々が、まるで昨日のことのようにも、遠い昔のことのようにも感じられる。朝、三人で歌いながら車を走らせた、あの賑やかな時間。「行ってらっしゃい」のタッチ。気づけば、子供たちはもう、私のタッチを少し照れくさがるようになった。それも、成長の証なのだろう。
人生は思い通りにならない。私はそのことを、嫌というほど経験してきた。
離婚の手続きをした日、書類に判子を押す手が震えた。三百万円という数字を初めて目にした朝、請求書の紙の上にしばらく視線が止まった。父が末期癌だと聞いた電話の後、スマホを握ったまましばらく動けなかった。父が亡くなった翌朝、目が覚めて一瞬だけ夢だと思った。一億五千万円という数字と、会社の経営を背負っていく覚悟を決めた日の、あの静かな重さ。決して順風満帆な人生ではなかった。むしろ、苦しいことの方が多かったかもしれない。
それでも今、こうして前を向いて歩けているのは、一人で生きてきたからではない。父がいた。母がいた。年子の息子たちがいた。職員たちがいた。利用者様がいた。父の名前を聞けば目を細めてくれる人たちがいた。そして、苦しい時に、何も聞かずに静かに手を差し伸べてくれた人たちがいた。私は強い人間ではない。何度も泣いた。何度も逃げ出したくなった。それでも歩き続けることができたのは、たくさんの手が、目に見えないところで、ずっと私を支えてくれていたからだ。
父を見送ってから、ずいぶんと時間が流れた。
給油の仕方も知らなかった母は、あれから少しずつ、できることを増やしていった。今では、一人で買い物に出かけ、孫たちの世話を焼き、私を気遣ってくれるまでになった。夫を失ったあの日、ひとまわり縮んで見えた背中は、いつのまにか、また少しだけ大きくなったように思う。人は、悲しみの底からでも、もう一度立ち上がれるものなのだと、私は母から教わった。
学校で隣の席に座った、あの姉妹のようなナミも、今も変わらず、私の隣にいてくれる。二人で血走った目をして駆け抜けた日々を、今では懐かしく笑って話せるようになった。古民家でポスティングをした道も、新しい施設で並んで包丁を握った厨房も、すべてが、二人の歴史になった。ナミがいてくれたから、私は折れずに済んだのだ。
父が命を懸けて建てた施設は、今日も、変わらず動いている。利用者様が暮らし、職員たちが働き、廊下には、あの日私たちが選んだ壁紙が、変わらぬ色で続いている。朝になれば食事の匂いが漂い、笑い声が聞こえ、誰かの一日がまた始まる。そしてあれから、私は二つ目の施設を建てた。一つ目は開所から半年で満床になり、二つ目も、たくさんの方々に支えられ、半年とかからずに満床になった。父が長い年月をかけて築いてきた信頼が、今も見えない土台になってくれている。オープンの日には、お世話になった方々をお招きして、新しい施設で食事会を開いた。損得のない、温かい人の輪。あの工場の夕暮れと、同じ匂いのする時間だった。
今は、また新しい事業を考えている。立ち止まってはいられない。父が、できないと言われたことに何度でも挑み続けたように、私も、まだ見ぬ場所へ進んでいきたい。いつかまた父に会えたとき、「よくやったな」と、あの少年のような目で褒めてもらえるように。それが今の私の、何よりの原動力になっている。
もっとも、今も胸の奥に、答えの出ない問いを一つ抱えている。
父の闘病のとき、もっとたくさんの人に病状を伝えていれば、よかったのではないか。そうすれば、いろいろな情報や、治療の選択肢を、誰かが教えてくれたかもしれない。けれど、あの渦中にいたときの私は、心のどこかで、父は助かると信じていた。だからこそ、病のことを大っぴらに広めることが、かえって父のプライドを傷つけるのではないかと思った。あの頑固で誇り高い父が、自分の弱っていく姿を、たくさんの人に知られることを望むだろうか。そう考えると、どうしても、言いふらすことができなかった。
あの判断が正しかったのか、今でも分からない。答えは、永遠に出ない。ただ、あのときの私は、私なりに、最後まで父の尊厳を守ろうとしていた。それだけは、確かなことだ。そして父は、そういう私の不器用な選び方さえ、きっと黙って許してくれている気がする。自分の信じたやり方を、何より大切にして生きた、あの人なら。
父が亡くなった時、私は父から多くのものを受け継いだと思っていた。会社、施設、利用者様、職員、責任。そして、一億五千万円の借金。それらは確かに、私の肩に乗った。だけど今は、違うと思っている。父が本当に残してくれたものは、形のあるものではなかった。
人を大切にすること。約束を守ること。無理だと言われたことに、静かに向き合い続けること。そして、愛情を持って生きること。
父は言葉で教える人ではなかった。「人を大切にしなさい」と言われた記憶は、一度もない。ただ、工場の奥で、何度もエンジンを組み替え続けた。誰もが無理と言ったことへ、黙って向かい続けた。車庫のない人に車を売らず、自分が整備した車が大切にされることを心底願っていた。一人の利用者様のために、古民家を借りて施設を作った。病床でも会社のことを考え、私の再婚を心配した。そして、私の知らないところで、私のことを自慢の娘だと語っていた。その背中を、私はずっと見ていた。工場の隅から、レース場の高い場所から、病室のベッドの傍らから。教わったという自覚がないまま、私は父から、生き方そのものを受け取っていたのだ。
父の闘病のさなか、私は一通のLINEを書いたことがある。面と向かっては、どうしても言えなかった言葉を、文字に託して。けれど、結局、送ることはできなかった。これを送ってしまったら、何もかもが、本当に終わってしまう気がして。どうしても、送信ボタンを押せなかったのだ。あれは、父に届けられなかった、最後のメッセージだ。
大好きなパパへ
会って言うと恥ずかしいからLINEでごめんなさい! 笑
なかなか言えてなかったけど、パパとママの所に産まれてきて本当に良かった!
我儘で手がかかったと思うけど、沢山愛情を注いでもらったよね。
パパに膝枕されて御飯食べたのも、一緒にお風呂に入ったり、旅行やキャンプ。記憶力は悪いけど、沢山愛してもらった事、覚えてるよ。
パパのレースの音も大好き。私がカートでタイヤに突っ込んだ時の顔とか、覚えてる! 笑
いつの間にかパパにもシワが増えたのは分かってたけど、やっぱり私の中では凄く頼りにしてる存在で、今、不安しかない……。
頼りすぎてたんだろうね……。
私のパパは一人しか居ないから、どんなにお金がかかっても、何をしてもいいから……早く元気になって。
当たり前の光景に、早く戻して。
一緒に頑張ろうね。
書き終えても、指は送信ボタンの上で止まったまま動かなかった。結局、その言葉が父のスマホに届くことは、なかった。「当たり前の光景に、早く戻して」――あの願いは、叶わなかった。父はもう、いない。それでも、あの頃の私が願った「当たり前の光景」は、形を変えて、今も私のそばにある。届けられなかった言葉も、父にはきっと、伝わっていたと信じている。
息子たちは、祖父である父のことを、断片的にしか覚えていない。膝の上で過ごした記憶も、抱き上げられた感触も、もうほとんど残っていないだろう。それでも私は、折にふれて子供たちに話す。おじいちゃんがどんな人だったか。どんなふうに車を愛し、どんなふうに人を大切にしたか。あの焼肉屋でお肉を焼いてくれた手のことも、車庫のない人には車を売らなかった頑固さのことも。語り継ぐことができる限り、父は、子供たちの中にも生き続けることができる。
私が父を見て育ったように、子どもたちもまた、私の背中を見て育っていく。私は完璧な母親ではなくていい。完璧な経営者でもなくていい。父だって、完璧な人ではなかった。頑固で、不器用で、照れ屋で、娘への褒め言葉ひとつ本人には言えない人だった。それでも父の生き方は、こんなにも深く、私の中に残っている。だから私も、人を大切にできる人でありたい。父から受け取った愛情を、次の世代へつないでいきたい。それだけで、十分なのだと思う。
今、息子たちはカートレースに夢中になっている。あの頃、私が父のレース場で胸を高鳴らせていたように。そして、いつか私がカートでタイヤに突っ込んで、父を笑わせたように。
週末、サーキットに着くと、まずあの匂いがする。焼けたアスファルトと、タイヤと、オイルと、エンジンの熱。その匂いを胸いっぱいに吸い込むたびに、私は思い出す。工場の引き戸を開けた、あの瞬間を。父のワーゲンの助手席で頬に受けた風を。レース場の高い場所から見つめていた、あのガッツポーズを。匂いはいつも、私を、いちばん戻りたい場所へ連れ戻してくれる。
ヘルメットをかぶってコースへ出ていく息子たちの小さな後ろ姿に、いつかの父が重なる。エンジンの音が響くたび、血は、こんなふうに巡っていくのだと思う。父から私へ。私から、この子たちへ。そしてその先へ。父は、この子たちがコースを駆ける姿を見ることはなかった。それでも私には分かる。あの人は今も、コースの一番よく見える場所から、目を細めて見ている。きっと、あの少年のような笑顔で。
父の記憶は、いつも匂いから始まる。そしてこれからも、匂いとともに、何度でも私のもとへ、そして子供たちのもとへ、帰ってくる。
ワーゲンの風は、今も吹いている。あの工場から、レース場から、海を渡ったあの旅から、まっすぐに、私たちのいるこの場所へ。
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