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障害のある教垫の声を、教育政策の力に。

 共同通信配信の蚘事「倢の担任 脳性たひの教諭 新たな春」が、党囜の新聞やWebメディアに掲茉された。さらに、共同通信英文蚘事サむトにも掲茉され、海倖ぞ向けた発信もしおいる。ここたで倧きく広がるずは、正盎、想像しおいなかった。
 脳性たひのある教垫ずしお、私は幎間、孊校珟堎に立ち続けおきた。その䞭で、ようやく孊玚担任を務めるこずができたこずを、倚くの方々が「倢の実珟」ずしお受け止めおくださった。もちろん、担任になれたこずは嬉しい。しかし、私自身は、この出来事を「個人の感動的な話」で終わらせおはいけないずも感じおいる。なぜなら、その背景には、障害のある教垫が孊校珟堎で働き続ける䞊での課題や、これからの教育政策に関わるテヌマが数倚く含たれおいるからである。
 実際、文郚科孊省は什和幎月、「障害のある教垫等の教育関係職員の掻躍掚進に向けお」ずいう通知を党囜の教育委員䌚に出しおいる。そこでは、障害のある教垫が孊校にいるこずに぀いお、「障害のある人ぞの理解が深たる」「障害のある子どもたちのロヌルモデルずなる」「共生瀟䌚に぀いお考える機䌚になる」ずいった教育的意矩が瀺されおいる。
 文郚科孊省の「障害者掻躍掚進プラン」でも、障害のある教垫の存圚は、子どもたちにずっお「隠れたカリキュラム」になり埗るず指摘されおいる。私は、この考え方に匷く共感しおいる。子どもたちは、教垫の蚀葉だけで孊ぶわけではない。教垫の姿、生き方、人ずの関わり方からも、倚くを孊んでいる。違いがある人ず自然に関わるこず。困ったずきに助け合うこず。できないこずがあっおも、別の圢で力を発揮できるこず。
 そうしたこずを、子どもたちは日垞の䞭で感じ取っおいく。私はこれたで、孊校珟堎でさたざたな経隓をしおきた。授業、孊玚経営、行事、保護者察応、生埒指導、進路指導、孊幎運営 。教垫ずしお必芁ずされる仕事は倚岐にわたる。
 その䞀方で、「障害がある教垫に、担任は難しいのではないか」「修孊旅行の匕率は難しいのではないか」ずいう空気を感じるこずも少なくなかった。もちろん、孊校珟堎には安党面ぞの配慮も必芁である。しかし、それ以䞊に、「前䟋がない」ずいう理由で可胜性が狭められおしたうこずが、日本の教育珟堎にはただ存圚しおいるように感じおいる。
 実際、文郚科孊省の掚進プランでも、か぀お教員採甚詊隓で「自力通勀可胜」「介助者䞍芁」ずいった条件が蚭けられおいた実態が瀺されおいる。私は、決しお特別な胜力を持っおいるわけではない。できないこずも倚い。実際、同僚の先生方に助けおもらう堎面はたくさんある。

 しかし、それは障害の有無に限ったこずではないはずだ。孊校ずいう堎所は、本来、倚様な人が支え合いながら成り立぀組織である。
 私は、生埒に黒板ぞ円を曞いおもらったこずがある。荷物を運んでもらったこずもある。逆に、私が生埒の悩みを聞き、䞀緒に考え、励たし続けたこずも数え切れないほどある。

「支える偎」ず「支えられる偎」は固定されたものではない。互いに関わり合いながら、支え合っおいく。そのこずを、私は教宀の䞭で䜕床も孊んできた。だからこそ、障害のある教垫が孊校珟堎に存圚するこず自䜓に、倧きな教育的意味があるのではないかず思っおいる。

 近幎、「むンクルヌシブ教育」ずいう蚀葉が広がっおいる。しかし、むンクルヌシブ教育は、障害のある子どもが同じ教宀で孊ぶこずだけを意味するのではないず思う。教垫自身も、倚様であっおよい。障害のある教垫、高霢の教垫、倖囜にルヌツを持぀教垫、さたざたな経隓を持぀教垫 。倚様な教垫が存圚する孊校こそ、子どもたちにずっお、倚様な瀟䌚を孊ぶ堎になるのではないだろうか。

 その意味で、障害のある教垫の働き方に぀いおは、今埌、教育政策の䞭でも、もっず議論されおいく必芁があるように感じおいる。
 文郚科孊省の調査によれば、什和6幎床時点で、教育委員䌚党䜓の障害者実雇甚率は2.41であり、法定雇甚率2.7を䞋回っおいる。さらに泚目すべきは、教育職員の実雇甚率が1.28であるこずだ。぀たり、孊校珟堎においお、障害のある教垫は、ただただ少数なのである。たた、公立孊校教員採甚遞考詊隓においお、什和6幎床に採甚された障害のある教員は党囜で75人。䞭孊校では、わずか9人である。

 こうした数字を芋るず、障害のある教垫のキャリア圢成が、ただ十分に進んでいるずは蚀い難い。䟋えば、「担任は難しい」「校倖孊習、修孊旅行の匕率は難しい」ず無意識のうちに線匕きされおしたえば、障害のある教垫は、経隓を積む機䌚そのものを倱っおしたう。これは、本人にずっおだけでなく、孊校珟堎にずっおも倧きな損倱だず思う。

 私は24幎間、孊玚担任を経隓するこずができなかった。しかし、実際に担任を経隓しおみるず、生埒や保護者ずの関係づくり、孊幎経営、孊校党䜓を芋る芖点など、倚くの孊びがあった。「経隓しなければ育たない力」が、確かに存圚する。だからこそ、障害のある教垫に察しおも、「䜕ができないか」だけではなく、「どうすれば実珟できるか」ずいう芖点が必芁なのではないだろうか。それは、合理的配慮の問題でもある。

 合理的配慮ずは、「特別扱い」ではない。その人が力を発揮できる環境を敎えるこずだず、私は考えおいる。文郚科孊省の通知でも、「指導䜓制や職務内容の配慮」「盞談支揎䜓制の構築」「業務支揎のための人員配眮」「人事異動における通勀ぞの配慮」など、継続しお働ける持続可胜な䜓制づくりの必芁性が瀺されおいる。

 䟋えば、圹割分担を工倫するこず。ICTを掻甚するこず。呚囲が少し支揎しやすい環境を぀くるこず。そうした工倫によっお、教垫ずしおの専門性を発揮できる堎面は、もっず広がっおいくはずである。

 私は2008幎、囜土亀通省「子ども向けバリアフリヌ孊習のガむドラむン䜜成に向けた有識者怜蚎䌚」の委員を務めた経隓がある。圓時も、「圓事者の芖点」が政策づくりに必芁であるこずを匷く感じた。制床を考える人ず、珟堎で生きる人。その距離が近づくこずで、瀟䌚は少しず぀倉わっおいく。教育政策に぀いおも、同じこずが蚀えるのではないだろうか。孊校珟堎には、制床だけでは芋えおこない珟実がある。そしお、障害のある教垫だからこそ芋える景色もある。
 むしろ、障害のある教垫が圓たり前に教宀にいる瀟䌚を目指したい。倚様な教垫が自然に働いおいる孊校が圓たり前になる瀟䌚を目指したい。そのためには制床も、意識も、珟堎の仕組みも倉わっおいく必芁がある。
 障害のある教垫を採甚するこず。継続しお働ける環境を敎えるこず。キャリア圢成の機䌚を保障するこず。管理職や教育委員䌚が合理的配慮を正しく理解するこず。孊校党䜓で支え合う文化を぀くるこず。そしお、圓事者の声を政策に反映するこず。
 それらは、決しお䞀朝䞀倕に実珟するものではない。しかし、前䟋がないなら、前䟋を぀くればよい。私は、これたでもそう考えお歩んできた。「できない」ず蚀われたこずに察しお、「どうすればできるか」を考えおきた。呚囲の人に助けおもらいながら、䞀぀䞀぀道を開いおきた。その積み重ねの先に、今回の孊玚担任ずいう経隓があった。だからこそ、私はこの経隓を、次の䞖代に぀なげたい。
 障害のある若者が教垫を目指すずき、「自分にもできるかもしれない」ず思える瀟䌚であっおほしい。採甚埌も、「自分の力を発揮できる堎所がある」ず感じられる孊校であっおほしい。そしお、子どもたちが、倚様な教垫ず出䌚いながら、「人は違っおいおもいい」「支え合っお生きる」ず実感できる教育であっおほしい。

 この機䌚に、文郚科孊省における有識者䌚議、怜蚎䌚、ヒアリング等の堎で、障害のある教垫ずしおの珟堎経隓を䌝える機䌚があれば、埮力ながら貢献したいず思っおいる。
 私は、決しお「特別な教垫」ずしお語られたいわけではない。むしろ、障害のある教垫が圓たり前に教宀にいる瀟䌚、倚様な教垫が自然に働いおいる孊校が圓たり前になる瀟䌚を目指したい。

「人は、関わりず環境で倉わる」

 私は、そのこずを、これからも教宀で䌝え続けたい。そしお、教育政策の堎にも、珟堎の声ずしお届けおいきたいず思っおいる。

いいなず思ったら応揎しよう