
推しの一言が、私をコーチにした。—アイドルおたくが「人の可能性」を信じる理由
2023年3月4日、ベルサール新宿グランド。
ブースを出る直前、推しが言った。
「ごとーさんって…なんか…自己肯定感上げてくれるから好き」
私はこの日をずっと忘れない。
私は「おたくでコーチ」を名乗っている。理由は単純で、コーチングをしながら、ハロプロのおたくをやっているから。
ハロプロおたくであることは、私にとって個性でもありアイデンティティでもある。
そしてどうやら、おたくであることとコーチであることは、私の中で別々に存在しているわけじゃないらしい。
目の前のアイドルにどう接するか
地下アイドルの現場に初めて行ったときのこと。
たしかコーチングアカデミーに通う少し前だったか。
そこは、私がいつも通うハロプロの現場とはあまりにも勝手が違った。
ステージは至近距離で、気のせい(脳内レス)ではなく、確実に自分だけに向けられたレスが何度も飛んでくる。
フロアには特有の熱狂があり、ときおりステージのアイドルそっちのけでファン同士が大声で呪文のようなものを唱え続けている光景には、知識として知ってはいても正直ビビってしまった。(もちろん彼らには彼らなりの「俺たちがフロアを盛り上げるんだ」という気概や、ある種のプロ意識のようなものがあることもしっかりと伝わってきた。)
特典会があるのも驚きだ。しかも、私が知っているお話会ではおなじみのパーテーションはなく、ファンとアイドルの距離は驚くほど近い。
何より、CD1枚1,300円で「8秒」喋る世界から来た私にとって、1000円で「1分」も話せてしまうことはすさまじいカルチャーショックだった。
周りがアイドルの子たちとタメ口でフランクに盛り上がっているのも、そこでは当たり前の空気だった。
でも、客席でも、特典会でも、私は自分の「アイドルへの接し方」を変えなかった。 というか、変えることはできなかった。
周りがどうであれ、ハロプロの現場にいるときと同じように、楽曲を聞いて、パフォーマンスに集中する。それだけをしていた。
誤解してほしくないのは、地下の文化やスタイルを否定しているわけではないということだ。郷に入っては郷に従う楽しみ方があるのもわかるし、単に私がそういうノリについていけないだけの人間だ、というのもある。
ただ、私の中には「もしここが武道館だったとしても、私は同じことをするか?」という一つの基準があった。
数十人の箱だろうが、武道館だろうが。地上だろうが、地下だろうが。
ステージに立つ彼女たちは一人のプロだ。
だから私もプロとして扱う。シンプルにそれだけだ。
そして良くも悪くも自分のスタンスを貫いた結果、「この子たちそれぞれに可能性がある」とフラットに信じて接する自分がいた。
この態度を「私がコーチとしての視点を持っていたからだ」と後付けするのは簡単だけれど、当時の感覚としては少し違う。
単純に、私の中にずっと大切にしている「アイドル」の定義があったからだ。
私が思う「アイドル」の定義
私にとって、アイドルとは何だろう。
それは、クラスで一番の美人でも、地域一番の歌ウマでもない。
「アイドルが好きで、アイドルになりたい」と願い、ハードでキラキラした道を選び取った人のことだ。
衣装、髪型、私生活の制限。それだけではない、他人と比べられる環境は、きっと想像以上にきつい部分もあるだろう。自信を失い、才能の有無に怯えることもあるかもしれない。
それでもステージに立つことを選ぶ。
その覚悟を持った人が、地下も地上も関係なく「アイドル」なのだ。
つんく♂さんの歌詞を借りれば、アイドルであることを「まっすぐ選ぶだけ」。
この定義と、彼女たちが背負う覚悟の尊さを、私は推しから教わった。
だからこそ、どんな現場であっても、目の前のアイドルには敬意を持たずにはいられない。
どんな人であっても、その人は世界でたった一人しかいない特別な人で、あらゆる可能性を秘めている。
この感覚が、実はコーチングの根底にあるものだと気づくのは、もう少し後のことだ。
コーチであること、おたくであること
コーチングには、前提となる人間観がある。
「人は本来、創造力と才知にあふれた存在である」
ということだ。
少しかしこまった言葉だが、要するに「誰の中にも、輝くための力がすでに備わっている」ということ。
まだ見せていない魅力も、これから開花する才能も、もうその人の中にある。
コーチはそう信じてクライアントと接する。
それは、私たちがアイドルの覚悟を信じ、「この子には絶対に力がある」と可能性を見つめる時の眼差しと似ている。
最初は「コーチモードでアイドルを見てるのかな」と思っていた。でも違う。モードとか、そういう話じゃなかった。生き方がコーチだから、モードなんてない。
アイドルの現場にいるときも、コーチングセッションをしているときも、職場で誰かと話すときも、自分は変わっていなかったのだ。
コーチの原点
思い返すと、おたくとして私がしていたことはシンプルだった。
推しはソロパートが多いタイプではなかった。立ち位置も、決して目立つ場所ばかりではない。でも、私にとっては最高のアイドルだった。
だからお話会などで、主にパフォーマンスの感想を伝えていた。
「ソロパート、かっこよかったよ」
「ダンス上手くなってて感動しました」
そんな当たり前の感想を、直接伝えたり、手紙に書いたりしていただけだ。
そしてあの日、推しから言われた。
「ごとーさんって…なんか…自己肯定感上げてくれるから好き」

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言われた瞬間は嬉しくて、ただただ舞い上がっていた。
でも少し経ってから、思った。
武道館に立つようなアイドルでさえ、自信が揺らぐことがあるのだ、と。
そして思った。
揺らいだとき、誰かの言葉が勇気になることもあるのかもしれない。
そうであるなら。
ちゃんと思っていることは、ちゃんと伝えよう。
無理に何かを見つけて褒める必要はない。ただ、感じたことを出さないのは、もったいないだけだ。
だって、こんなにもあなたは素晴らしいんだから。
今振り返ると、この体験が私のコーチとしての原点だった。
人の熱に触れていたい
そしてもう一つ、私のコーチマインドを決定づけた出来事がある。
それは、推しがグループを卒業した後のことだ。
芸能界引退という宣言からの、思いがけない再始動。
推しが再び世間に登場したとき、私の中には葛藤があった。
もう一度、会えて嬉しい。これは本心だ。
他方で、グループという舞台を降り、「新沼希空」として歩み始めた彼女を見て、戸惑いがなかったと言えば嘘になる。
「私の好きだったアイドル」ではなくなっていく寂しさのようなものもあったかもしれない。
でも、それでもやっぱり、彼女はかっこよかったのだ。
自分の足で新しい道を歩み出そうとするその姿に惹きつけられたし、結局のところ、たまらなく応援したくなったのだ。
周囲のノイズも、ファンの期待も、関係ない。
ただ、彼女がしたいことをするのを、近くで見ていたい。
「あなたの夢が聞きたい」
「あなたが大切にしていることを知りたい」
ただ純粋に、そんな気持ちが溢れてきた。
気がつくと私は、コーチングアカデミーの門を叩いていた。
アカデミーを卒業して今日で約1ヶ月になる。コーチングについて勉強する中で、 私の中でさらなる変化があった。
明確な夢を熱く語る姿を見るのは、今も変わらず好きだ。
でも、正確に言うと、「夢」という形じゃなくていい。その人の中に、熱くなれるものがある。その「熱」を見るのが、好きなのだと気づいた。
他人の情熱に触れると自分も燃えるし、私の熱が誰かのエネルギーになるとしたら、これ以上嬉しいことはない。
大きな夢なんて語らなくてもいい。 今日を少しでも良くしようとしている人。 自分なりの幸せを見つけようと、ただ懸命に生きている人。
そういう「ただ幸せに生きようとしている」すべての人たちの人生に、伴走したくなったのだ。
人が自分の人生を選び、幸せに向かっていく。そのプロセスそのものが、ただ尊い。
推しが、それを教えてくれた。
「おたくでコーチ」という生き方
アイドル一人一人に可能性がある。それを見つけて、「私にはこう見えているよ」と、フラットな事実として言葉にする。
私はずっと、そうやって推しを応援してきた。
そして今、私がその眼差しを向けるのは、アイドルだけではない。
最初は差別化のつもりで「おたくでコーチ」と言っていたけど、書いてみてわかった。「おたくでコーチ」って、たぶんこういうことなんだと思う。
目の前のその人の可能性を信じて、夢を語る姿に寄り添い、見えたものを言葉にする。 それが、私の生き方なのだ。
「あなたの熱に触れてみたい」
「一緒に可能性を探求しよう」
そうやって、誰かの人生に伴走し続けるために。
私は今日も『おたくでコーチ』であることを、ただ、「まっすぐ選ぶだけ」なのだ。