メインコンテンツへスキップ
見出し画像

きみちゃんとわたし。「おかあさん」として別れるための寛容

    第一章:右胸に刻まれた傷跡

    痴呆症が進み、目も悪くなり介護認定を受けたきみちゃんは今、市内の特別養護老人ホームでお世話になっている。

    今のきみちゃんからは、かつての棘がすっかり抜け落ち、どこか可愛らしささえ感じるようになった。 それでも、正直、きみちゃんがこの世で一番嫌いな存在であることに、今も変わりはない。

    きみちゃんは、わたしが思っていた以上にアンバランスで、複雑な人物だったのかもしれない。

    彼女の生業は洋裁だった。東京へ出てから「先生」と呼んでいた人物に師事し、有力者の服を仕立てるほどの腕を磨いたそうだが、彼女の生まれは昭和21年という、戦後のまだ厳しい時代だった。

    本家であり、農業の傍ら株も手掛ける比較的恵まれた家庭で、彼女は祖父母に溺愛されて育ったようだ。

    しかし、幸福だったであろう少女時代の記憶には、共に暮らした祖父の自死という、拭い去れない影が張り付いているらしい。

    愛する存在との予期せぬ永遠の別れ。それが、彼女の中に「良いことよりも常に悪い事態を想像してしまう」性質を植え付けたのではないだろうか。

    自分で稼いだお金で、自身の衣類や装飾品には一切の妥協なく投資する。


    画像

    その一方で、使用済みティッシュを使い回したり、食べきれない果物を大切に保管したりといった、時代背景ゆえの節約意識も持ち合わせていた。

    実家で大切に守られていた少女が、結婚して一般的なサラリーマン家庭へと入り、家事や育児、そして仕事に追われる。

    その生活の激変と、夫の無関心という孤独。彼女が抱えたもどかしさと理想とのギャップは、想像に難くない。

    すべての始まりは、わたしが1歳の時に起きた事故だったのだろう。

    目の前で、沸き立つ熱湯が1歳の我が子の小さな身体に降り注ぐ。

    着せていた化繊の衣類は熱で溶け、痛みに痙攣する皮膚へと張り付いていった。

    全身に熱湯を浴びた我が子が上げる悲痛な鳴き声が響き渡る中、彼女の頭には、かつての祖父との別れのような悪い光景が駆け巡り、パニックに陥りながら自分を激しく呪ったのかもしれない。

    生命の危機に瀕するほどの火傷だった。その名残は半世紀を生きた今でも、わたしの右胸にケロイドとなって残っている。

    二十代の若妻にとっては、自分の手元で我が子の身体に一生消えない傷を刻んでしまった事実は、相当なショックであったに違いない。

    その罪悪感は、いつしか「誰からも見下されない世間で立派と言われる地位という鎧を、何としてでもこの子に着せなければならない」という、祈りにも似た強い願望へと姿を変えていったのだと思う。

    「この子を、弁護士か医者にしなければ」

    彼女の抱えた強すぎる願望は、やがてわたしをお受験という場所へと放り込むことになる。

    第二章:電車での沈黙と、白い教室

    世間で立派だと言われる職業に就かせるための学芸大附属小学校への受験。

    それが、きみちゃんがわたしに用意した最初の関門だった。

    自分が価値を感じるものにはとことん投資する彼女は、わたしの教育に対しても惜しみない情熱を注ぎ込んだ。

    当時の記憶として真っ先に蘇るのは、塾や試験会場へ向かう電車での情景だ。

    並んで座る座席から見上げる、きみちゃんの横顔。当時のわたしはまだ幼く、自分がなぜそこへ向かっているのかもよく理解していなかった。

    ただ無邪気に、言われるがまま大人しく電車に揺られ、窓の外を流れる景色を見つめていた。

    たどり着いた試験会場の教室は残酷なほど白く、机と机の間には、隣が見えないよう無機質なホワイトボードが立てられていた。

    カンニングという概念も知らない幼稚園児にとって、それはただ得体の知れない怖い存在だった。

    試験の内容で、鮮明に覚えていることが一つある。

    「高い、の反対の言葉は?」という設問に対して、わたしは「いかた」と答えたのだ。

    そんな珍解答をしたにもかかわらず、わたしは筆記試験を通過した。 しかし、その後の抽選によって、あっけなく落選の憂き目に遭う。

    あの日、家に帰ってきたきみちゃんは、床に崩れ落ちるようにして泣き叫んだ。

    「あなたに、抽選ひかせればよかった……!」 涙を流しながら床に突っ伏す母親の姿を、わたしは部屋の隅からじっと見つめていた。

    母という絶対的な存在が、手の届かない「運」というものの前で無様に泣き叫んでいる。その姿は、5歳のわたしにとって、ただひたすらに恐怖でしかなかった。

    第三章:折れた大根と、煙草の煙

    きみちゃんの用意した最初の関門を抜けられなかったわたしは、地元の公立小学校に通うことになった。

    しかし、彼女の教育に対する情熱がそれで消え去るはずもなかった。

    高学年になる頃には家庭教師が呼ばれるようになり、わたしは再び彼女の敷いたレールの上を歩かされることになる。

    その頃にはもう、わたしはきみちゃんのことがすっかり好きではなくなっていた。

    家庭内での彼女は、自分の立場を誇示するように振る舞うことが多く、封建的な環境に閉じ込められているようで、とにかく息苦しかった。

    「あれをやりなさい」「これをしなさい」と求められれば求められるほど、やりたくなくなる。

    当時のわたしは、ただ反抗することしか抗う術を知らなかった。

    一方のきみちゃんもまた、思い通りにならない現実に苛立っていたのだろう。

    自分が価値を置く理想と、目の前の現実。その埋まらないギャップに、もどかしさを抱えていたのかもしれない。

    その苛立ちが爆発した記憶がある。

    ある日、わたしたち兄弟の喧嘩が激しくなった時のことだ。

    仲裁に入ってきたきみちゃんの手には、なぜか一本の太い大根が握られていた。

    彼女は喚き散らしながら、その大根を部屋の柱に力任せに叩きつけた。

    鈍い音とともに大根が真っ二つに折れる。


    画像

    「わたしにやればいい!」

    きみちゃんはそのままわたしに馬乗りになり、掴みかかってきた。

    逃げ場を失ったわたしは、もがきながら「くそばばぁ!」と口汚く罵倒するしかなかった。

    大根が散乱する床の上で、馬乗りになる母親と、必死に抗う息子。それはあまりにも悲惨な光景だった。

    高校生になる頃、わたしたち兄弟が成長したこともあり、兄弟喧嘩は収束していった。

    それに伴い、きみちゃんが感情を爆発させて馬乗りになるような親子喧嘩も少なくなっていった。

    しかし、それは家庭内に平穏が訪れたことを意味していなかった。

    きみちゃんの内に溜まった、思い通りにならない現実へのストレスは、行き場を変え、静かに彼女を蝕み始めていたようだ。

    その変化に気づいたのは、ある日、きみちゃんが煙草を吸っている姿を目撃した時だった。


    画像

    絶対的だった存在が、気怠そうに煙を吐き出している。

    その姿は、わたしにとって何だかとてもショックだった。

    思えばその頃から、彼女の口からこぼれる悪態が目立つようになっていた。

    夫に対し、自身の母親や兄弟に対し、絶えず不満を吐き捨てる。

    大根を振り回していた激しい怒りは、いつしか日常的な悪態へと姿を変えていたのだ。
    (自身の父親のことは心から慕っていたらしく、愛情に満ちた言葉を口にしていたが。)

    煙草の煙と、止まらない悪態。

    それは、理想と現実の狭間で苦しむ、彼女なりの悲鳴だったのかもしれない。

    しかし、当時のわたしに、そんな母を思いやる余裕などあるはずもなかった。 

    ただただ、その淀んだ空気が充満する環境から、早く逃げ出すことだけを考えていた。

    第四章:距離感と、受け止めきれなかった親心

    高校を卒業したわたしは、逃げるように親元を離れた。

    思えば、彼女への呼び方は、わたしたちの距離の変遷そのものだった。

    幼い頃は無邪気に「ママ」と呼んでいた。

    けれど、息苦しさが増すにつれて彼女を呼ぶことを避けはじめ、青年期にはもう、直接呼ぶための適切な言葉を持たなくなっていた。

    口を開けば、怒りに任せた「くそばばぁ」という罵倒だけ。

    それが、あの頃のわたしたちの剥き出しの距離感だった。

    家を出て物理的な距離ができた頃から、わたしは彼女を「きみちゃん」と呼ぶようになった。

    周囲に対して仲の良い親子をアピールしたかったわけではない。

    今になって思えば、それは「母親」という、わたしを縛り付ける絶対的な存在から彼女を切り離し、ひとりの人間として繋がり直したかったからなのかもしれない。

    重苦しい関係性を一度リセットして、ただ親しみを感じたかったのだと思う。

    そんなふうに、少しだけ彼女への見方を変えようとしていた大学生の頃。

    彼女の「親バカ」とも言える、息子を愛する母親としての側面を感じる出来事があった。

    彼女の誕生日に、ふと花束を贈ったことがあった。


    画像

    それまでプレゼントなど一度もしたことがなかった息子からの、突然の贈り物。

    親というものは、息子から不意の贈り物をもらうと理屈抜きに嬉しいものだ。

    かくいうわたしも、親になった今だからこそ、その気持ちが痛いほどよくわかる。

    花束を受け取った彼女は驚くほど喜び、なんと、わたしのヨーロッパ旅行の費用として六十万円もの大金を工面してくれた。

    普段は使用済みのティッシュを使い回すほどの倹約家が、わたしの海外旅行のために、惜しげもなく大金を手渡す。

    正直に言えば「してやったり」という狡い感情もあった。

    しかし同時に、彼女のわたしへの愛は、いつも確かに感じていたのだと思う。

    ただ、それを凌駕する過剰なエゴや、周囲への悪態といった嫌な面があまりにも悪目立ちしすぎて、わたしを遠ざけていただけだった。

    彼女の愛情は間違いなく本物だったと思う。

    けれど、当時のわたしには、その重すぎる愛と強烈な個性を正面から受け止める器がなかった。

    幼い頃から期待という名の重圧に晒され続けてきた反動か、他者からの愛や思いを背負うこと自体が、どこか耐えがたい恐怖になっていた。

    社会に出てからのわたしは、常に相手の顔色を窺い、本音を押し殺し、誰とも深く結びつけない「半端者」の大人になってしまった。

    深い関係になれば、またあの頃のような息苦しさに呑み込まれるのではないか。

    そんな予感に怯え、表面的な付き合いだけで自分を守ってしまう。

    わたしは自分の心を支える背骨さえ、歪ませたまま生きてきたのだ。

    きみちゃんの不器用で確かな愛情と、それを受け止めきれなかったわたしの弱さ。

    わたしたちは、互いに愛着を抱きながらも、どこまでもすれ違い続けていた。

    第五章:暗闇の情緒と、静かな覚悟

    再び、現在の特別養護老人ホーム。

    車椅子に揺られるきみちゃんは、もう何も語らず、わたしの言葉が届くこともない。

    かつてのあの強すぎる願望も、不器用な愛情の証も、今はもう遠い幻のようだ。

    鏡越しに、自分の右胸に残るケロイドの跡をそっと見つめる。


    画像

    物心ついた頃のその傷は、乳首もなく、大きな凹凸が波打つ大層な代物で、見るからに痛々しいものだった。

    けれど五十年の月日が流れ、身体の成長とともに皮膚が伸び、代謝を繰り返したせいだろうか。

    今では失われていた乳首が姿を現し、あれほど荒々しかった凸凹は限りなくなだらかになり、目を凝らさなければ目立たないほどになっている。

    時間の流れは、このケロイドと同じように、わたしの感情の形をも変えてきたのだと思う。

    かつての刺すような怒りや激しい起伏は、長い歳月をかけて、今はもう平らで静かなものへと変わりつつある。

    わたし自身、父親となり子を持つようになって、きみちゃんと同じ轍を踏まないことだけは心がけてきた。

    過度な期待を押し付けず、できうる限り思い通りに過ごさせる。

    そうは思っていても、心配事は尽きない。

    「楽しく過ごしてほしい」
    「希望に満ちた人生を生きてほしい」

    そう願うからこそ、

    「それはやめたほうがいい」
    「これをやったほうがいい」

    と、さまざまな思いが胸に湧き上がる。

    言うべきか、言わざるべきか。常に迷い続ける。それが親心というものなのだと知った。

    高度成長後の歪みが現れ始めた時代の中で、きみちゃんもまた、この親心という厄介な感情に振り回されていたのだろう。

    当時の彼女は、今のわたし以上の強い思いを抱え、困惑し、混乱しながら、必死に子どもたちと接していたのだと思う。

    今なら、あの頃の彼女のもどかしさの一端がわかるような気がする。

    今でも、素直に「ありがとう」なんて言葉は出てこない。

    意思疎通すら叶わなくなった現状に、虚しさを感じないと言えば嘘になる。

    けれど、こじれにこじれた記憶の底をすくってみると、ひとつだけ、確かな手触りを持って残っている景色がある。

    小学校の頃、最初で最後になった、きみちゃんとわたしと弟の三人での日光旅行だ。


    画像

    家族旅行なんて、後にも先にもあれきりだった。

    あの日光の夜、あたりは深い暗闇に包まれていた。

    けれどその暗闇の中に、わたしは確かに静かな情緒を感じていた。

    あの時、あの場所でだけは、わたしたちは穏やかな時間を共有し、同じ空気を吸っていた気がする。

    その微かな記憶と、親としての今の自分の葛藤を胸に、わたしは今、ひとつの静かな覚悟を持とうとしている。

    残された限られた時間の中で、いかにわたしが、彼女を理解し、母親の立場になって考えることができるか。

    「こうしたい」と願いながらも届かずにもがいていた彼女の不器用さ。

    わたしの海外旅行のために大金を差し出してくれた、あの親心。

    そのすべてを汲み取り、今までの反発と愛憎を改め、ひとりの女性を「母」として認めることができるか。

    もしそれが叶うなら、わたしは人生で初めて、きみちゃんを「おかあさん」と呼び、慈しみをもって抱きしめたい。

    残された時間で、少しでもそんな穏やかな時を過ごすこと。

    それが、半端者として生きてきたわたしが、五十年という長い歳月をかけてようやく辿り着いた、本当の願い。

     
     
    50代。妻と息子の3人家族。 映画・ドラマ・アニメを愛する日々。「シナリオの構成」と「映像表現」をベースに、作品が教えてくれる価値観や人間の心の機微をエッセイとして綴っています。 🎬運営ブログ https://uzuhiko.info/

    あなたへのおすすめ