
おじさんにもらったパンの耳
大学生の時、授業をサボって多摩川沿いを散歩していた。
一回ではない。ほぼ毎日と言っていいくらいだった。
学校などの規則的な場所っていうのは通い始めは非日常で楽しいものの、毎日のように居るとみんな前を向いて授業を受けていることがだんだん息苦しくなってくる。
中学も高校もそうだった。現在も無職だし、社会生活が壊滅的にできない。
一番仲の良かった友達が京都の大学に行ってしまったことも少し影響して、私は大学にほとんど行かず、通学定期圏内で時間を潰すようになった。
多摩川駅で降りて、丸子橋をうっとり眺めつつ河川敷に降り立つ(私は丸子橋のフォルムが好きなのだ)。
高架下で、サックスを吹いている人が週に何回かいたのを覚えている。
途切れ途切れの演奏だったが、心地の良い音色だった。
高架下に暮らす、ホームレスのためのコンサートにも見えた。
この日の私はどん底にいるくらい憂鬱で、もうどうなってもいい気分だった。
そういう日に私は、なぜか社交的になる。
小学生のとき、夏休みの終わりかけに宿題が終わらず絶望して家出をしたことがある。
行くあてもなかったのでおばあちゃんの家へ行こうと、何回も駅員さんや通行人に声をかけて電車を乗り継いでバスにも乗って、たどり着いた。
親にはもちろん怒られけれど
「よく辿り着けたね」
と感心もされた。いまでも、思い返すとちょっとだけ嬉しく思う。
私には、知らない人に声をかける図太さが昔からあった。
憂鬱なときに発揮するので、自暴自棄になっているのか。
大学生の私が多摩川の河川敷を下流へ向かい歩いていると、川へ続く段差に座って鳩に餌をやっているおじさんを見つけた。
「こんにちは」
私は話しかけていた。
「どうも」
「鳩たくさんですね」
「ときどき餌やりに来るんだ」
「そうなんですか」
私は少し間を空けて隣に座った。
鳩はおじさんの周りで地面をつついている。
「やってみる?」
おじさんはパンの耳が大量に入った袋を指さして言った。
「じゃあ少し」
と私は袋に手を入れパンの耳を1本引き抜いた。
すこし乾いたパンの耳をちぎり地面に撒いた。鳩たちはそれを目掛けてよたよた移動する。
スズメくらいの小さい鳥もやってきた。
おじさんは小鳥に餌をやろうとして、鳩が掻っ攫っていくことに文句を言いっていた。
「パンの耳、いっぱいありますね」
ビニール袋にみちみちに詰まったパンの耳のことが気になった。
「家の近所のパン屋さんでもらえるんだ」
「なるほど、いいですね」
おじさんと他愛もない会話をしつつ、とくに何も考えずに鳩に餌をやり続けた。
たまにパンの耳を自分の口にも入れていたと思う。
よく晴れた秋の多摩川はほどよく暖かくて風が気持ちよかった。
「ソーセージ食うか」
「え?」
おじさんが魚肉ソーセージを別の袋から取り出してこちらに渡した。
ありがたくもらうことにした。
味は覚えていない。
おじさんとはしばらく話した。内容はもう全く記憶にない。
風が吹いて、目にゴミが入って私が慌てて擦っていると、おじさんがティッシュにペットボトルの水を含ませて渡してくれたことはよく覚えている。
いつの間にか私の憂鬱な気持ちはなくなっていた。
見ず知らずのおじさんと少し緊張しながら会話することで、人間としての輪郭を取り戻していたように思う。
別れ際におじさんからパンの耳いっぱいの袋をひとつ渡された。
1人で食べ切れる量ではなかったが、餞別をもらった感じがして嬉しかった。
すこしでも、おじさんに大学のことを話せば良かったなと今でも思う。
私は弱いところを見せたくなくて、ほとんど自分のことを話さなかった。
自分のことを包み隠さず話せばもっとおじさんのことも知れたのではないか。知りたかった。
通りすがりで話しかけた初対面のおじさんに対してここまで考えるのもおかしな話ではあるが、もうずっと引きずっている。
たまにふと思い出しては、あのときの自分の行動を振り返る。
繰り返し思い出すことを経て記憶はおおきく変形している。
しかし、自分の話をできなかったことはずっと心残りだ。
これからもずっと小さな後悔として付きまとうだろう。
パンの耳は、自室の机の下に隠していたらいつの間にかカビていた。
大学をサボっていたし、知らないおじさんと話したらもらったと親には言えず、1人でどうにかしようとしたからだった。
数ヶ月も放置されていたパンの耳は、見るも無惨な姿になっていた。
もう会うことのないおじさんに心の中で謝罪し、パンの耳を捨てた。