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自己紹介【初めてのnote】~しがない理系大学院生の生活記録~ 創作大賞応募作品 ホラー小説部門【蝕魘】

    あらすじ

    理系大学院生の私の語りで進む実験記録。研究テーマは、【同一の視覚情報におけるメタデータの付加が認知・感情に与える影響について】というものだった。実験内容の全貌がいまいちつかめない中、読者も実験に参加するように諭され実験を体験することに。その後、これまでの実験記録に書かれた様々な異変を読み解くことで論理的緊張と恐怖が積み重なっていく。核心は最後、あなた自身を含めた実験記録から考察する。

    ※以下より本編

    序章:自己紹介【初めてのnote】~しがない理系大学院生の生活記録~


    はじめまして、私は青木颯汰と申します。
    この記事を開いてくださりありがとうございます。
    まずは簡単に自己紹介させてください!

    自己紹介

    名前:青木颯汰
    年齢:25歳
    職業:東京都大学の大学院博士課程2年
    趣味:ボルダリング、ライブ鑑賞、プログラミング

    noteを始めようと思った理由

    私は子どものころから科学が大好きでした。親によると、幼いころの私は、実験の不思議さや面白さを誰かに伝えたくて仕方がなかったそうです。

    そして、その気持ちは今も変わっていません!

    自分の中にある作業仮説や実際の実験記録、日々考えていることをこの場で共有することで、noteを読んでくださる皆さんに科学の面白さを少しでも伝えられたらと思っています。また、発信を通じて、私自身も新たな刺激や気づきを得られるのではないかと考え、noteを始めることにしました!

    この場所を私の研究ノートとして、実験の内容から私の感情、論理的な迷いまでをできるだけ素直に書き留めようと思いますので、皆様も是非応援してくださるとうれしいです(⋈◍>◡<◍)。✧♡

    私が開発した技術について

    早速ですが、先日私が論文発表させていただいた研究について紹介させていただきたいと思います。

    タイトルは「同一の視覚情報におけるメタデータの付加及び共有技術の開発」です。

    簡単に言うと、ある画像Aがあるとします。その画像Aの背景情報・タイトルでいうメタデータ(例えば、この画像Aは2020年に家族旅行で金沢に行った時の写真というような情報)を、画像Aの視覚情報には何も影響しない形で画像の中に埋め込む技術の開発に成功しました。また、このメタデータをスクリーンショット等の画像のコピーが行われた場合、コピーされた側にメタデータを移す技術も開発しました。この技術を使えば、画像そのものだけでなく背景情報も付与した形で簡単に色んな人に共有できるというものを開発することができました。

    皆さんにもいつか共有したいと思います!最後まで読んでくださりありがとうございました!


    第1章:情報の力

    「つまりさ、画像そのものは何も変わってないってこと?」

    池田和樹は、私の研究室の椅子に浅く腰かけたまま、机の上に置かれたスマートフォンを指差した。

    時刻は午後7時を少し過ぎていた。
    窓の外では、7月前の湿った夕方がゆっくり夜に変わろうとしている。大学の敷地内に残っている学生の数も少なく、廊下の照明だけが不自然に白く光っていた。

    私は自分のノートパソコンから顔を上げ、頷いた。

    「うん。画像の視覚情報は一切変わってない。ピクセル単位で見ても同じ。見えているものは完全に同一」

    「でも、違う情報が入ってる?」

    「正確には、画像に付帯するメタデータとして背景情報を埋め込んでる。たとえば、その写真がいつ撮られたのか、どこで撮られたのか、誰が撮ったのか、どういう文脈を持つ画像なのか。そういう情報をオリジナルの画像に対して自由に付与できるって技術」

    「それって普通のExifみたいなやつ?」

    「発想としては近い。ただ、僕がやってるのは、単に撮影日時や位置情報を保存するだけじゃない。もっと文章的な情報、受け手の解釈に関わるような情報を、画像の視覚情報に影響しない形で埋め込む」

    和樹は「へえ」と言いながら、興味があるのかないのか分からない顔をした。

    池田和樹は、大学の学部時代からの友人だった。
    年齢は私と同じ二十五歳。専攻は違うが、同じキャンパスにいたこともあり、何かと顔を合わせる機会が多かった。研究室にふらっと遊びに来ては、私の実験機材を眺めたり、コンビニで買ってきたコーヒーを勝手に置いていったりする。

    悪いやつではない。
    むしろ、私のように一つのことを考え始めると周囲が見えなくなる人間にとっては、かなりありがたい存在だった。

    「で、それを俺に見せてどうするわけ?」

    「簡単な確認をしたいんだ」

    「確認?」

    「画像に背景情報が付与されたとき、人間がそれをどの程度“読み取る”のか」

    和樹は眉をひそめた。

    「読み取るって、見えないんだろ?」

    「見えない」

    「じゃあ、分かるわけなくない?」

    私は笑った。

    「普通はそう思うよね…」

    この技術は悪意のあるマスメディアやインフルエンサーが、オリジナルな写真を真実とは異なる内容で拡散したりすることを防止するために開発した。コピーやスクショした画像にもそのメタデータが残る仕様もそれが故だ。だから実際、私も視覚情報を与えないメタデータと人間の認知は全く関係ないと思っていた。

    実際、画像は見えているものがすべてだ。
    少なくとも、一般的にはそう考えられている。

    けれど本当にそうだろうか。

    たとえば、まったく同じ一枚の風景写真がある。
    ひとつは、【旅行先で撮った朝焼けの写真】と説明される。
    もうひとつは、【失踪直前の人物が最後に撮影した写真】と説明される。

    写真そのものは同じだ。
    空の色も、建物の輪郭も、画面の明るさも、何一つ変わらない。

    それでも、見る人間の印象は変わる。

    美しいと思うか。
    不気味だと思うか。
    懐かしいと思うか。
    近づきたくないと思うか。

    その違いは、画像の中にあるのではない。

    私はそこに興味があった。

    「でも、仮に人間が視覚ではない別の何かからメタ情報を読み取っていて、認知に影響していたらめちゃくちゃ面白くない?」

    「面白いけど、なんか心理学っぽい話だな…」

    情報は、人間の感情へ触れることがある。
    あるいは、視覚情報の意味そのものを書き換えてしまうことがある。

    だから私は、その「背景情報」が埋め込まれた画像に人がどう感じるのかに興味があった。

    見えない情報。
    しかし、確かに存在する情報。

    それが人の認知や情動にどのような影響を与えるのかを調べたかった。

    「まあ、でもさ」

    和樹は椅子の背もたれに体重を預けながら、スマートフォンを指先で回した。

    「それって結局、見えない情報っていうより、知ってる情報に引っ張られるって話じゃないの?」

    「うん。普通はそう考える」

    「だよな。さっきの朝焼けの写真の話も、見る前に説明されてるから印象が変わるわけだろ。だったら、画像の中にメタデータが入ってても、見てる側がそれを知らなかったら関係なくない?」

    「そこなんだよね」

    私はノートパソコンの画面を少しだけ和樹の方へ向けた。

    画面には、開発中のプログラムのログが並んでいた。

    ファイル名、生成日時、処理時間、メタデータ付与の成否。

    それらはただの文字列で、少なくとも人間の感情を動かすようなものには見えなかった。

    「本来なら、関係ないはずなんだ。見えない情報は、見えていない以上、認知には影響しない。少なくとも、従来の考え方ではそうなる」

    「従来の考え方では?」

    「でも、僕たちは普段から、見えていない情報にかなり影響されてる」

    「たとえば?」

    「SNSとか」

    和樹は「ああ」と言って、すぐに納得したような顔をした。

    「それは分かるかも」

    「同じ文章でも、誰が投稿したかで印象が変わる。知らない人が書いたら流し読みする内容でも、自分が信頼している研究者や有名人が書いていたら、急に意味があるように見える。逆に、嫌いな人が言っていたら、それだけで違和感を覚える」

    「あるな」

    「同じ写真でも、いいねが十の投稿と十万の投稿では、受け取り方が変わる。内容そのものは変わっていないのに、多くの人が反応しているという情報が加わるだけで、重要に見えたり、正しく見えたりする」

    「それ、ちょっと嫌だな」

    和樹が苦笑した。

    「でも実際そうだよな。コメント欄を先に見ちゃうと、元の投稿の印象まで変わることあるし」

    「そう。画像や文章そのものだけじゃなくて、それに付随する反応、文脈、投稿者、拡散数、時系列、そういう周辺情報が全部まとめて認知に影響している」

    私はそこで一度言葉を切った。

    研究室の空調が低く鳴っていた。

    窓の外では、夜になりきれない青黒い空の下で、木々の輪郭がぼんやり揺れている。

    「人は、情報そのものを見ているようで、実際には情報の周囲にあるものまで見ているんだと思う」

    「周囲にあるもの?」

    「うん。たとえば、同じニュースでも見出しが違えば印象が変わる。『若者が集まった』と書くか、『若者がたむろしていた』と書くか。それだけで、同じ写真の中にいる人たちの見え方が変わる」

    「たしかに」

    「『ある場所で撮影された写真』と言われるか、『事故の直前に撮影された写真』と言われるかでも変わる。つまり、画像の意味は画像だけで決まっていない」

    和樹はスマートフォンを机に置いた。

    「意味って、後から乗るんだな」

    「そう。後から乗る。でも、一度乗った意味は、最初からそこにあったように感じられる」

    「うわ、それ怖いな」

    「怖い?」

    「だって、先に知った情報に合わせて、見たものの記憶まで変わるってことだろ」

    「近いと思う」

    「じゃあさ」

    和樹は少し考えるように視線を落とした。

    「ネットの炎上とか、噂とかも、それに近いのか」

    「かなり近いと思う」

    「最初はただの曖昧な話でも、多くの人が反応して、引用して、解釈して、勝手に補足していくうちに、なんか事実っぽくなるやつ」

    「うん。情報は拡散されることで重みを持つ。正しいから広がるんじゃなくて、広がったから正しく見えることがある」

    「最悪だな」

    和樹は笑ったが、その声は少し乾いていた。

    「でも、その通りかも。みんなが怖いって言ってる動画は、見る前から怖いし。みんなが泣けるって言ってる話は、読む前からちょっと泣く準備してる」

    「認知の準備だね。人は何かを見る前に、どう感じるべきかをある程度決めていることがある。怖いものとして見る。美しいものとして見る。怪しいものとして見る。そういう前提が、実際の知覚や記憶に影響する」

    「じゃあ、俺たちが見てるものって、結構あやふやなんだな」

    「そうかもしれない」

    私はそう答えながら、自分の言葉に少しだけ引っかかっていた。

    人間の認知はあやふやだ。

    それは分かっていた。

    だからこそ、誤情報は広がり、印象操作は成立し、デマは人を動かす。

    けれど私は、そこに技術的に介入しようとしていた。

    画像の見た目を変えずに、背景情報だけを保持させる。
    コピーやスクリーンショットが行われても、その情報が失われないようにする。

    それは本来、画像の文脈を守るための技術だった。

    悪意ある切り抜きや、意図的な誤認を防ぐためのものだった。

    けれど、もし背景情報そのものが人間の認知に作用するなら。
    そして、その背景情報を画像に固定し、複製先へも残せるのなら。

    私が作ったものは、本当に「文脈を守る技術」なのだろうか。

    「青木?」

    和樹に呼ばれて、私は顔を上げた。

    「ごめん、少し考えてた」

    「だろうな。目が論文書いてる時の目だった」

    「どんな目?」

    「人の話を聞いてるふりして、頭の中で勝手に実験組んでる目」

    「ひどいな」

    「当たってるだろ」

    当たっていた。

    私は笑ってごまかした。

    和樹は缶コーヒーの残りを飲み干し、空き缶を机の端に置いた。

    「で、実際それって何に使うんだ?」

    「何に?」

    「いや、青木が面白がってるのは分かったけどさ。画像に見えない情報を埋め込んで、それがコピーしても残るって、普通に考えたらかなり特殊な技術だろ。何のために作ったのかなって」

    私は少しだけ考えた。

    「最初の目的は、誤情報対策だった」

    「誤情報?」

    「たとえば、災害現場の写真がSNSで拡散されることがある。でも、それが本当に今起きている災害の写真なのか、数年前の別の災害の写真なのか、あるいは全然関係ない場所の写真なのか、画像だけでは判断できないことがある」

    「ああ、昔の写真が今のニュースみたいに回ってくるやつか」

    「そう。あとは、抗議活動とか事件現場の写真が一部だけ切り取られて、元とは違う文脈で拡散されることもある。画像そのものは本物でも、説明が変われば意味が変わってしまう」

    「なるほど」

    「だから、画像の中に本来の背景情報を残せないかと思った。撮影日時、撮影場所、投稿者が付与した説明、元記事への参照情報。そういう情報が画像と一緒に残り続ければ、少なくとも後から検証できる」

    「それで、スクショとかコピーしても残るようにしたのか」

    「うん。オリジナルのファイルだけに情報が残っていても、あまり意味がない。SNSで問題になる画像って、保存されたり、スクリーンショットされたり、再投稿されたりして、元の投稿から切り離された後のものが多いから」

    「画像だけ一人歩きするってことか」

    「そう。一人歩きした画像に、最低限の文脈を持たせ続けるための技術」

    和樹は少しだけ感心したように頷いた。

    「思ったよりちゃんとしてるな」

    「思ったよりって何」

    「いや、青木のことだから、単純に面白そうだから作ったのかと思ってた」

    「それもある」

    「あるのかよ」

    「研究だからね」

    「便利な言葉だな、研究って」

    和樹は笑った。

    私も少し笑った。

    ただ、その笑いとは別に、自分の中にはもう一つの関心があった。

    誤情報対策。

    文脈の保存。

    画像の真正性。

    それらは、この技術を開発した表向きの、そして正当な目的だった。

    けれど私は、それだけで満足できなかった。

    画像の外側にあるはずの背景情報を、画像の内側に固定する。

    そして、その情報がコピー先にも残る。

    では、その見えない情報は、本当にただの付帯情報であり続けるのだろうか。

    受け手は、それをまったく感じ取らないのだろうか。

    それとも、視覚情報には現れない何かが、認知や印象にわずかでも作用するのだろうか。

    「だから、次にやりたいのはそこなんだ」

    私は言った。

    「そこ?」

    「画像に付与された背景情報が、人の印象形成にどれくらい影響するのかを調べたい」

    「さっき言ってたやつか」

    「うん。同じ画像を見ても、背景情報が違えば印象は変わる。ただ、普通はその背景情報を文章として読んでいるから影響が出る。でも、僕の技術では、その情報は画像の中に埋め込まれていて、見た目には現れない」

    「見てる側は知らないわけだろ」

    「そう。だから本来なら、影響は出ないはずなんだ。でも、出るかもしれないと思ってる。出るかどうかを確かめたい。他にも、メタデータが付与された画像を保有しているだけでも何か影響ないかな?例えば、この画像は人に霊感を与えます。みたいなメタデータを付与したら、その人は霊が見えるようになったりするのかな?あり得ないかもしれないけど、やってみたいな」

    和樹は腕を組み、分かったような分からないような顔をした。

    「つまり、画像は同じ。見た目も同じ。でも画像に関する情報が付与されている。その状態で、人がどう感じるか比べたいってこと?」

    「そう」

    「それなら、まあ、実験としては分かる」

    「最初はかなり簡単な観察でいいと思ってる。画像を見てもらって、どんな印象を持ったかを記録する。不快感、違和感、不安感、印象に残ったかどうか。そういう主観評価を集める」

    「アンケートみたいな?」

    「うん。厳密な実験にする前の予備的な調査みたいなものかな」

    「それなら俺でもできそう」

    「本当に?」

    「画像見て感想言うだけならな。専門的なことは分からないけど」

    「むしろ直感的な反応の方が欲しい」

    「じゃあ向いてるな。俺、直感だけで生きてるし」

    「それはそれで心配だけど」

    和樹は少し笑った。

    「でも、俺一人でやってもデータにならなくない?」

    「そこなんだよね」

    私はノートパソコンの画面に視線を戻した。

    「本当は、ある程度人数が欲しい。あと、年齢とか性別とかばらけていた方がいいかな」

    「じゃあ、何人か声かければいいのか」

    「頼めるなら助かる。最初は大人数じゃなくていい。和樹の知り合いとか、僕の周りの人とか、後輩とか。そのくらいの範囲で十分だと思う」

    「そんな少なくていいの?」

    「うん。最初は予備的な観察だから。むしろ、誰がいつ画像を見て、いつ保存して、その後どう感じたかを追える方がいい」

    「なるほど。ちゃんと順番に見るわけか」

    「そう。あとは画像がコピーされた時に、コピーした側とされた側で感じ方が違うのかとかね」

    和樹は少し考えるように頷いた。

    「まあ、それくらいなら協力してくれるやつもいるかもな」

    「無理には頼まなくていい。参加は任意にする」

    そう言いながら、私はもう、募集用の説明文を打ち込み始めていた。

    「そこはちゃんと書いとけよ」

    「もちろん」

    「あと、説明は短めな。青木の文章、長いから」

    「否定できない」

    「専門用語も少なめ」

    「努力する」

    「努力じゃなくて実行しろ」

    和樹は笑いながら、鞄を肩にかけた。

    「とりあえず、募集のチラシかなんかできたら送って。こっちでも声かけられそうな人がいないか見てみる」

    「ありがとう」

    「ただし、変な実験なら断るからな」

    「変な実験にはしないよ」

    「どうだか」

    和樹は片手を上げて、そのまま研究室を出ていった。

    ドアが閉まると、部屋には空調の音と、ノートパソコンのファンが回る微かな音だけが残った。

    私はしばらく、閉じたドアを見ていた。

    まずは少人数でいい。和樹の知り合い。私の周りの人間。
    その程度の範囲から始めれば、実験としても管理できる。

    画像を見る前の説明。受け手があらかじめ持つ印象。

    文脈。

    反応。

    共有。

    それらは、画像の外側にありながら、画像の意味を変えてしまう。

    ならば、画像の中に埋め込まれた見えない背景情報は、人にどの程度影響を与えるのか。

    もし影響がないなら、それでいい。
    もし影響があるなら、それは新しい発見になる。

    私はノートパソコンを開き、実験協力の説明文を新しく作成した。

    研究としては、できるだけ中立的な言葉を選ぶべきだ。
    不必要な先入観を与えず、参加者が構えすぎないようにする必要がある。
    それでいて、何をする実験なのかは伝わらなければならない。

    私はキーボードに指を置いた。

    【実験協力のお願い】
    ・視覚情報そのものには影響を与えないメタデータが人の認知や情動にどのように作用するかを検証することを目的とします。

    打ち込んだ文字列を見て、少しだけ息を吐く。

    悪くない。

    少なくとも、その時の私はそう思った。

    それは、ただの協力依頼だった。

    ただの観察実験だった。

    画像に付与された背景情報が、人の認知にどのような影響を与えるのかを調べるための、ごく小さな試み。

    私はまだ、それ以上の意味を知らなかった。

    そして、この時点ではまだ、知る必要もないと思っていた。


    第2章:実験募集

    お久しぶりです。約1か月ぶりのnoteでした。新しく実験を始めたら色々大変で、中々更新できませんでした。申し訳ございません。

    今回は、皆さんにある実験をしてもらいたいと思っています。簡単ですので是非試してください。お願いします。お願い致します。

    目的

    本研究は、視覚情報そのものには影響を与えないメタデータ(背景情報)が、人の認知や情動にどのように作用するかを検証することを目的としてます。視覚的に同一の画像に埋め込まれた「背景情報」が、端末上でどのように保持・伝播され、受け手の主観評価や行動にどのように影響するかを調べます。

    実験内容

    今回の実験では、画像に埋め込むメタデータの有無と内容を操作変数とします。つまり、見た目には同じ画像であっても、その画像に付与されている背景情報が異なる場合、人がどのように感じ方を変えるのかを集計します。

    例えば、「落ち着く」、「懐かしい」、「不思議」、「気になる」、「少し違和感がある」、「特に何も感じない」といったような感情。また、「どこで撮られた画像だと思うか」、「何が写っているように見えるか」、「画像のどの部分に注意が向いたか」、「どの程度記憶に残ったか」、「時間が経ってから印象が変化したか」といったような認知です。

    視覚情報は同一の画像を提示しています。その画像をスクリーンショットやコピーで保存していただきます。その後、保存された端末に残る付帯情報と、参加者の皆さんの自己報告を時系列で照合します。画像を保存してから7日間、感情、認知、それらによる日常生活での小さな変化などを簡単に記録していただけると助かります。

    実際にやっていただく操作

    ①下記画像をスクリーンショットまたは保存してください。
    ②保存した画像を無許可で共有しないでください。
    ③絶対に保存した画像を削除しないでください。 ※追記
    ④この記事へいいねとコメントで感じた感想等を記入していただけると幸いです。


    こちらの画像のスクリーンショットまたは保存してください。

    画像
    実験のサンプル画像





    実験は以上になります。








    本当にありがとうございます。これで、まだ何とかなります……。

    そして、もう一つ。私たち、そして皆さんのためにもやっていただきたいことがあります。









    ⑤この画像を○○してください….。










    こうなったのは僕のせいなんです。本当にごめんなさい。








    第3章:実験記録

    和樹と話してから、一週間後、私は最初の予備実験を開始した。

    使用した画像は、私が最近遊びに行ったレトロなゲームセンターの店内を撮影したものだ。

    画面左側には、白い筐体のアーケードゲームが横一列に並んでいる。筐体のモニターには、格闘ゲームやシューティングゲームのような画面が表示されており、古いブラウン管特有の光が周囲をぼんやり照らしている。奥にはクレーンゲームの筐体があり、天井から吊られた照明と、赤や青のネオンが薄暗い店内に反射している。床には幾何学模様のカーペットが敷かれていて、いくつかの椅子が筐体の前に置かれている。

    特別に恐怖を煽る画像ではない。逆に何もなさすぎる画像でもない。
    だからこそ、実験には適していると考えた。

    少なくとも、私はそう判断した。それが重要だった。

    画像そのものではなく、画像に付与された背景情報が、人の認知や情動にどの程度影響するのかを確認するためだ。


    実験① 7月2日

    参加者:池田和樹
    条件:メタデータなし

    今回は基準値を得るため、画像に情動的な背景情報は付与しなかった。画像に含めたのは、実験番号、保存日時、ファイル識別用の最低限の情報のみである。

    和樹には、まず私のノートパソコン上で画像を確認してもらった。

    「これ、ゲーセン?2000年代っぽい。俺この時のゲーセンが一番好きだったな~。今のゲーセンはUFOキャッチャーばっかでつまんないよな」

    和樹は画面を少し近づけて、左側に並んだ筐体を見ていた。

    「この感じ、俺らが小学生くらいの時にあったやつじゃない?親戚の家の近くのショッピングセンターに、こういうゲームコーナーあったわ」

    「印象としては?」

    「懐かしい」

    彼はほとんど迷わずにそう答えた。

    「不快感は?」

    「ない。むしろ好きな感じ」

    「違和感は?」

    「うーん。人がいないのは違和感があるけれど、別に怖いとかはないな。閉店直後に撮った写真って言われたら納得する」

    私はその言葉を記録した。

    感情評価:懐かしい、寂しい、親しみがある
    不快感:なし
    違和感:軽微
    記憶への残存性:低い
    反復想起:なし

    和樹は私と同じく地方出身だった。子どもの頃、郊外の大型スーパーや温泉施設に併設されたゲームコーナーに行った経験があるらしく、画像に対して負の感情よりも個人的な記憶に近い反応を示した。

    「この椅子とかさ」

    和樹は画面の手前に写った黒い椅子を指差した。

    「絶対、座面がちょっと破れてるタイプだよな」

    「そこまで分かる?」

    「分かる。あと、百円玉置いて場所取りしてるやつがいる」

    「画像には写ってないけど」

    「写ってなくても分かるんだよ。ゲーセンってそういう場所だから」

    その発言は興味深かった。

    和樹は、画像そのものに写っていない情報を、自身の記憶から補完していた。

    ただし、それは不自然な反応ではない。人は画像を見るとき、過去の経験や記憶をもとに、写っていない部分を自然に補完する。むしろ、それこそが第1章で話していた認知の働きそのものだった。

    「じゃあ、次は自分の端末に保存してもらっていい?」

    「保存?」

    「うん。今のは提示直後の印象。次に見たいのは、画像が個人の端末に保存された後に、印象や想起の頻度が変わるかどうか」

    「じゃあ送って」

    「そうする」

    私は和樹に、パソコンから同じ画像を送った。

    和樹のスマートフォンのトーク画面に、先ほどと同じ古いゲームセンターの画像が表示された。

    「同じだな」

    「視覚情報は同じ」

    「で、これ保存すればいいんだな?」

    「うん。写真フォルダに保存してほしい。保存した時刻も記録する」

    「保存してるだけで何か変わるとは思えないけどな。でも、メタデータとして【この画像は保有していると呪われる】みたいなのが付与されてたら確かに何か起こりそうで怖いな…」

    「実験だから詳細は伝えられないけど、それはない。でも、何か感じたら気軽に教えて。基本何もないと思うけど。それはそれでデータになるし」

    「出た、理系っぽいやつ」

    「理系だからね」

    和樹はスマートフォンを操作し、画像を保存した。

    「はい、保存した」

    「ありがとう。じゃあとりあえず七日間くらい、そのまま残しておいて」

    「消したら駄目?」

    「実験期間中は削除しないでほしい。端末上に保存された状態で、印象や記憶への残り方が変わるかを見たいから」

    「共有は?」

    「しないで。他の人には送らないでほしい」

    「なんで?」

    「何も起きないとは思うけど、何かあった時に困る。さっき和樹が言ったようにメタデータに【この画像は保有していると呪われる】を付与していて、本当にそれが起きて共有されていたら?どうしようもなくなるだろ?」

    「怖いな。まあわかったわ。俺のスマホにこのゲーセンを一週間置いとけばいいわけね」

    「言い方は雑だけど、そう」

    「で、何か気になったら報告」

    「うん。睡眠とか気分とか集中力とか、画像をふと思い出すことがあったかとか。その程度でいい」

    「分かった」

    和樹には、受信した画像を自分の端末内に保存してもらった。

    これにより、提示直後の印象と、端末内に画像を保持した後の変化を分けて観察できる。

    また、画像が別の端末に保存された際に、付帯情報がどのように保持されるかも、同時に確認できる。

    和樹には七日間の自己報告を依頼した。

    七日間の観察期間中、睡眠、気分、集中力に大きな変化は報告されなかった。画像を思い出す頻度も低く、本人の自己申告では「最初に見た時は懐かしかったが、その後は特に気にならなかった」とのことだった。

    七日目、私は和樹に確認した。

    「この一週間で、画像の印象変わった?」

    「いや、特に」

    「夢に出たりは?」

    「出ない出ない。そんなにゲーセン好きじゃないし」

    「保存してることは気になった?」

    「一回だけ写真フォルダで見かけて、ああ、まだあったなって思ったくらい」

    「消したいとか、逆に残しておきたいとかは?」

    「ない。言われたら消す」

    「誰かに送ったりは?」

    「してない。送る意味ないし」

    実験①の結果から、少なくとも画像そのものには、強い負の情動を誘発する性質はないと判断した。

    また、情動的メタデータを付与しない条件では、画像受信および端末内保存によって、明確な認知・情動の変化は確認されなかった。

    この判断が、次の条件へ進む根拠となった。

    実験は特に何も起こらずに無事終了した。和樹は画像を削除した。


    実験②:7月6日

    参加者:岡本快晴
    条件:メタデータあり

    実験②では、実験①と同一の画像を使用した。ただし、この条件では、以下の背景情報をメタデータとして付与した。

    【この画像は、撮影者がここにいたことを最後まで否定していた場所である。】

    私が採用したのは、画像の内容ではなく、画像の来歴に不一致を生じさせるものだった。

    この文言は、画像に写っているものを説明していない。

    示しているのは、画像という記録と、撮影者本人の証言が食い違っているという事実だけである。

    そのような「考えさせる余白」を持つ背景情報が、見えない状態でも、画像への違和感、記憶への残りやすさ、反復想起、保存していることへの意識に影響するのかを調べたかった。仮に何かしらの方法で、このメタデータを認識できたときに、画像に対して受け手の無意識な【意味づけ】が強いものになれば、現象として表れるのでないかと考えたからだ。

    さらに、その画像が共有された場合、同じ来歴情報が別の保存者にも保持され、同様の変化を生じさせるのか。それを確認することが、今回の実験の目的だった。


    岡本快晴は、和樹の学科の友人だった。

    和樹によれば、快晴は初対面でもあまり構えない性格らしい。実験協力の依頼をしたときも、快晴は説明文を一通り読んだあと、少し笑って言った。

    「これ、池田から聞いてたよりちゃんとした実験ですね」

    「和樹は何て言ってた?」

    「俺の友達の青木ってやつが変な画像を見せて、感想を聞きたいらしいって」

    「かなり雑だな。まあ、僕が提示した画像を見たときに感じる感情・認知とかを知りたいんだよね。」

    「でも、だいたい合ってますよね」

    快晴はそう言って、少し笑った。

    「まあ、怖い画像じゃないなら大丈夫です」

    「視覚的に強い刺激を与える画像ではないから安心して」

    「なるほど。じゃあ、普通に見ればいいんですね」

    「そう。最初に見た印象と、その後に何か変化があれば記録してほしい」

    「分かりました」

    私はまず、ノートパソコン上で画像を提示した。

    快晴は画面を数秒見つめた。

    「ゲーセンですね」

    「印象は?」

    「古いです。ちょっと懐かしい感じもありますけど、僕はそこまで通ってなかったんで、強い思い入れがあるわけではないです」

    「不快感は?」

    「ないです」

    「違和感は?」

    快晴は少しだけ間を置いた。

    「奥が暗いな、くらいですかね」

    「奥?」

    「右奥です。クレーンゲームのあたり。明るいんですけど、なんか距離感が変というか」

    私は画像を確認した。

    右奥にはクレーンゲーム筐体が並んでいる。照明の反射と奥行きの関係で、確かに少しぼやけて見える部分はある。しかし、それは写真として不自然なものではない。

    「じゃあ、次は自分の端末に保存してもらっていい?保存した後、その画像を一旦2週間くらい残しておいてもらいたい」

    実験②ではメタデータを付与したため、前回より少し長く様子を見ることにした。

    「分かりました」

    「ただし、実験期間中は他の人には送らないでほしい」

    「共有しないってことですね」

    「そう。誰がいつ受け取って、いつ保存したのかを管理したい」

    「了解です」

    私は快晴に画像を送った。

    快晴のスマートフォンのトーク画面に、先ほどと同じ古いゲームセンターの画像が表示された。

    「同じですね」

    「視覚情報は同じ」

    「これを保存すればいいんですね」

    「うん。保存した時刻も記録する」

    快晴はスマートフォンを操作し、画像を保存した。

    「保存しました」

    「ありがとう。14日間、削除せずに残しておいてください」

    「はい」

    「気になったことがあれば、短くていいので送ってください。睡眠、気分、集中力、画像をふと思い出したかどうか。その程度で大丈夫です。」

    「分かりました」

    実験開始時点では、強い異常は認められなかった。

    1日目の報告も、特に変化なしだった。

    2日目、快晴からの報告は一文だけだった。

    「普通に忘れてました」

    私はその報告を見て、少し安心した。

    少なくとも、実験②の初期反応は実験①と大きく異ならない。メタデータがあっても、視覚情報として認識できない以上、参加者の反応に大きな差が出ない可能性は十分にあった。

    3日目の夜、快晴から短いメッセージが届いた。

    「画像自体は怖くないんですけど、ふと思い出します」

    私は返信した。

    「どの部分を思い出す?」

    数分後、返事が来た。

    「音です」

    私はその文面を見て、少し手を止めた。

    「音?」

    「画像なのに変なんですけど、ゲーセンの音を思い出します。ゲームの音とか、コイン入れる音とか。実際には聞こえてないです」

    私は、画像から連想された記憶音である可能性を考えた。

    ゲームセンターという場所は、音の記憶と結びつきやすい。電子音、硬貨の音、筐体のボタン音、クレーンゲームの待機音。画像に音は含まれていないが、見た人間が過去の経験から音を補完することは十分あり得る。

    ただし、快晴の報告には、単なる記憶の想起とは異なる部分があった。

    彼は音を「思い出している」のではなく、画像の奥から鳴っているものとして認識していた。

    それは耳で聞こえる音ではない。

    しかし、聞こえていないと断言できるほど遠くもない。

    画像を閉じても、スマートフォンを伏せても、別のアプリを開いていても、古い筐体が通電している時の低いざらついた気配だけが、意識の奥に残る。

    快晴の説明では、それは音というより、ゲームセンター全体がまだ稼働しているという感覚に近かった。

    左側に白い筐体が並んでいる。右奥にクレーンゲームがある。両替機の青い光がある。

    彼は画像を見返さなくても、その配置を思い出せるようになっていた。しかも、その記憶は「見た画像を覚えている」というより、薄暗い店内に自分の視点が置かれている感覚を伴っていた。

    その報告は、実験記録上は反復想起として分類した。

    しかし、私はその時点で、わずかな違和感を覚えていた。

    3日目。寝る前、スマートフォンを充電器に挿した時に、急にゲームセンターの音を思い出した。ピコピコした音ではなく、もっと低い、筐体が全部ついている時の空気みたいな音。見たことがある場所のはずがないのに、店内の奥行きだけは分かる気がした。左にゲーム機が並んでいて、右奥にクレーンゲームがあって、両替機の光がある。画像を開いて確認したら、だいたい合っていた。確認してから、自分が何を確認したかったのか分からなくなった。

    4日目、快晴は駅前のコンビニで電子マネー決済の音を聞いた瞬間、実験画像を思い出したと報告した。

    「音が似てるわけじゃないんです。でも、急にゲーセンの筐体の前にいる感じがしました」

    「その時、画像を開いた?」

    「開いてないです」

    「画像を見たいと思った?」

    「少しだけ。確認したくなりました」

    「何を?」

    返答まで少し時間が空いた。

    「どの筐体の画面が点いてたか、です」

    「最初に見た時には気にしていなかった?」

    「はい。というか、そんなにちゃんと覚えてないはずなんです。でも、今は何番目の筐体がどんな色だったか、確認したくなる感じがあります」

    快晴にとって、その画像は少しずつ「見るもの」ではなくなっていた。画像を開けば、視覚情報としては何も変わっていない。しかし、画像を閉じた後の方が、ゲームセンターの輪郭は強く残った。画面の中にあったはずの場所が、画面の外側にも薄く広がっていく。コンビニの決済音、大学の自動ドアの電子音、誰かのスマートフォンの通知音。それらは実験画像とは無関係だったが、快晴の中では、すべてがあのゲームセンターの待機音へ接続されていった。

    「実際に画像を開いた?」

    「開きました」

    「印象は変わった?」

    「変わってないです。ただ、変わってないことに安心しました」

    5日目、快晴は画像を一日に複数回確認した。

    「理由は分からないです。見たくて見てるというより、変わってないか確認してる感じです」

    「変わると思った?」

    「いや、思ってないです。でも、なんか、画面が違うゲームになってたら嫌だなって」

    「実際に変わってた?」

    「変わってないです」

    「では、確認後に不安は下がる?」

    「一瞬だけ下がります。でも、しばらくするとまた気になります」

    この頃から、快晴の報告には「確認」という語が増えた。

    彼は画像を見たいのではない。変わっていないことを確かめたい。だが、確かめれば確かめるほど、画像は記憶に深く残る。そして、画像の記憶が深くなるほど、確認しなければならないという感覚も強くなる。この循環は、単なる不安反応として説明できる範囲に見えた。

    少なくとも、私はそう処理しようとしていた。

    6日目、快晴の報告はさらに具体的になった。

    「写真フォルダを開く前から、あの画像がどこにあるか分かる気がします」

    「サムネイルが見えるという意味?」

    「違います。開かなくても位置が分かる感じです。上から何番目とかじゃなくて、そこに置いてある感じがします」

    「画像を消したい?」

    「消したいわけではないです」

    「残したい?」

    「残したいわけでもないです」

    「では、どういう状態ですか?」

    快晴はしばらく黙った。

    「保存しているというより、預かっている感じがします。自分のものではない。でも、なくしてはいけない。消したいわけではないのに、消すのは違う気がする。誰かに渡すまで持っていないといけないような感じがある。でも、誰に渡せばいいのかは分からない。」

    私はその表現を記録した。

    預かっている。

    快晴は、画像を所有しているとは言わなかった。

    保存しているとも、持っているとも言わなかった。預かっている。つまり、それは自分のものではない。しかし、手元に置いておかなければならないものだった。

    この時点で私は、自己観察による過敏な反応の可能性を考えていた。実験に参加している意識が、通常なら見過ごされる小さな変化を強調している可能性は十分にあった。

    ただし、快晴の報告には一貫性があった。

    彼は、画像の内容そのものよりも、画像が端末内に保存されている状態に反応していた。そして、その状態を「預かっている」と表現した。

    7日目、快晴は睡眠の質の低下を報告した。

    「昨日、ほとんど寝た気がしません」

    「夢を見た?」

    「というか、起きてる時も夢みたいな感覚です。」

    「具体的には?」

    「ゲームセンターにいるんです。でも、ゲームは始まらないんです。全部の画面がデモ画面みたいに動いてて、誰も座ってないのに、椅子だけ少しずつ位置が変わってる感じがしました」

    「画像は確認しましたか?」

    「しました」

    「変化は?」

    「変わってないです。でも、見た後の方が、音がはっきりしました」

    画像は変わっていない。だが、快晴の中で、その場所は少しずつ立体になっていた。平面の画像として見ていたはずのゲームセンターが、奥行きを持ち始めている。

    筐体の列の間を通る感覚。
    カーペットの模様を踏む感覚。
    見えないはずの天井の高さ。
    そして、どこかでまだ始まっていないゲームの待機音。

    快晴は、ゲームセンターの中へ吸い込まれていくように報告していた。

    この時点で私は、実験期間の終了処理として、快晴に画像を削除してもよいと伝えた。正確には、実験開始から8日目の7月13日のことである。

    「もう消していいんですか?」

    「実験上は終了です。削除して構いません」

    「正直、少し助かります」

    「ただ、削除後に何か変化があったら、それも記録してほしい」

    「分かりました」

    快晴は画像を削除した。

    「消しました」

    私は画像を消したことによって、これら不可解な現象が収まると考えていた。しかし、その後、十分ほどして、再びメッセージが届いた。

    「消したのに、場所が分かります」

    「場所?」

    「写真フォルダの中で、画像があった場所です」

    「表示されている?」

    「されてないです」

    「では、何が分かる?」

    「空いた感じです」

    この時点で、私はまだ削除後の反応を、記憶の残存として扱った。だが、快晴の表現は記憶とは少し違っていた。彼は「思い出せる」とは言わなかった。

    「空いた」と言った。

    画像が端末内にある間、快晴はそれを「預かっている」と表現していた。
    削除後、彼は「なくなった」とは言わなかった。

    「空いた」と言った。

    そこには本来、何かが置かれているはずだった。

    その何かが失われたことで、端末の中にではなく、彼の認知の中に形のない穴が残った。そして、その穴へ向かって、画像の中にあったはずの場所が広がり始めた。画像を消したことで、画像が消えたのではない。画像という境界が消えた。

    この時点で私は、まだそこまで理解していなかった。

    8日目の夜、快晴の状態はさらに明らかに悪化し、次々と報告が送られてくる。

    「音が近いです」

    「ゲーセンの音ですか?」

    「はい。さっきまで写真フォルダの中にあった感じだったんですけど、今は違います」

    「違う?」

    「スマホの中じゃないです。部屋の中にあります」

    私は、その表現を反復して記録した。スマートフォンの中ではない。部屋の中にある。

    「実際に音が聞こえるという意味ですか?」

    「聞こえる、とは違います。でも、どこから鳴ってるか分かります。右後ろです」

    「右後ろに何がある?」

    「何もないです。壁です。でも、壁の向こうにゲーム機がある感じがします」

    「画像をもう一度確認しましたか?」

    「できません。消したので」

    「送った履歴から保存することはできますか?」

    「可能ですが、確認したくないです」

    保存した画像を消せば、少なくともその画像を直接確認する機会は減る。画像への注意固定も低下する。そう考えるのが自然だった。しかし、快晴の報告は逆だった。

    画像が端末内にある間、快晴はその存在を「預かっている」と表現した。画像を削除した後、彼は「空いた」と表現した。そして、その「空いた」ものが、自分の外側に広がったように感じていた。

    翌朝、快晴からさらに詳しい状況メモが送られてきた。

    8日目深夜。画像を消した後、少しだけ楽になると思った。実際、写真フォルダから消えたのを見た瞬間は、終わった感じがした。でも、すぐに違和感が出た。写真フォルダの中に、画像があった場所だけが分かる。そこだけ見ないようにスクロールしている自分に気づいた。画像がないのに、画像を避けている。変だと思ってスマホを閉じたら、ゲーセンの音が近くなった。今まではスマホの奥から鳴っていた感じだったのに、消してからは部屋の中に移った気がした。消したのに、近い。怖い。

    9日目、7月14日午前。

    快晴の報告はさらに不安定になった。

    彼は写真フォルダを開けなくなっていた。画像がないことを確認するのが嫌だと言った。普通なら、画像が存在しないことは安心材料になるはずである。

    しかし快晴にとっては逆だった。

    画像がないことによって、そこに何かを戻さなければならないような感覚が強まっていた。写真フォルダの中に画像はない。だが、画像が存在していた位置だけが、彼の意識に残っている。空白は、消えた痕跡ではなかった。

    むしろ、何かが入り込むための入口のように機能していた。

    その日の午前中、快晴は大学で授業を受けていた。

    講義中、近くの席でペンが机に落ちた。その音を聞いた瞬間、快晴は講義室ではなく、古いゲームセンターの筐体前に立っている感覚に襲われた。

    一瞬だけ、机の列がアーケード筐体の列に見えた。

    蛍光灯の反射が、ブラウン管の白い光に見えた。

    隣の学生が椅子を引く音が、ゲーム筐体のスティックを倒す音に重なった。

    彼はその場で立ち上がりかけたが、すぐに自分が講義室にいることを確認した。しかし確認した瞬間にも、足元には幾何学模様のカーペットがあるような感覚が残っていたという。実際には、講義室の床は無地のタイルだった。

    午前十時過ぎ、快晴からメッセージが届いた。

    「保存していた時より、消した後の方が、筐体の配置が分かります」

    「画像を見ないで?」

    「見ないで、です」

    「どこまで分かる?」

    「左にゲーム機が並んでいて、手前の椅子が少し斜めで、奥にクレーンゲームがあって、両替の光が右奥じゃなくて、少し左寄りにある感じです」

    私は元画像を確認した。快晴の説明は、完全に正確ではなかった。しかし、明らかに画像の構造を参照していた。それも、単なる記憶ではなく、本人がその場所の中を歩いたかのような言い方だった。

    午前中の段階で、快晴の症状は実験期間中よりも強くなっていた。

    画像を削除したことで、画像への接続が切れたのではない。画像が担っていた境界が取り払われ、ゲームセンターという場所の感覚だけが快晴の側へ近づいたように見えた。

    「嫌かもしれないが、画像を再度保存してくれないか?その方が、今よりましな気がする。」
    「わかりました。そうしてみます。」


    実験③ : 7月14日

    参加者:竹田玲美
    条件:メタデータあり

    【この画像は、撮影者がここにいたことを最後まで否定していた場所である。】

    午前中に届いた快晴の報告は、通常の自己観察の範囲を超えていた。画像を削除したにもかかわらず、快晴の中では画像内の空間がむしろ鮮明になっていた。和樹の実験との大きな違いはメタデータを付与したかどうかだ。ただ、本当にそれだけでここまで大きな影響が出るのだろうか?正直、快晴の報告は画像の視覚情報に起因するような報告が多かったし、実験という特殊なものに参加したという自覚が、何かしら精神に影響したのかもしてないと決定的な判断はできなかった。

    判断できなかったからこそ、次の実験へ進んだ。

    竹田玲美は、私の研究室の後輩だ。普段からテンションが高く、研究室の中では逆に浮いている。私が被験者を募集していることを伝えると、面白そう!参加希望!と即答した。

    彼女は説明文を事前に読み、いくつか質問もしてきた。見た目とは裏腹にこういうところには理系みを感じた。

    「怖い画像ではないんですよね?」

    「視覚的に強い刺激を与える画像ではありません」

    「ホラー画像とか、そういうものではない?」

    「違います。古いゲームセンターの写真です」

    「分かりました。それなら大丈夫です」

    私は嘘をついていなかった。画像そのものは、ホラー画像ではない。

    私は竹田に画像を送った。竹田が画像を保存した時刻は、7月14日、午後1時35分である。

    その約十分後、快晴からメッセージが届いた。

    「急に何も感じなくなりました」

    私はすぐに返信した。

    「何が?」

    「音です。ゲーセンの音が止まりました」

    「画像は削除したまま?」

    「いえ、再度保存しました」

    「それ以外で何か操作しましたか?」

    「何もしてません」

    「急に?」

    「はい。本当に急にです。さっきまで近かったのに、急に遠くなったというか、消えました」

    私は時刻を確認した。同じ日の午前中まで、快晴は画像の削除によって悪化していた。画像の再保存をしたから止まったのか?でも、そうする前にあの現象は起こっていたよな…とこの時点で原因は全く分からなかった。

    竹田に画像を見せると、最初にこう言った。

    「懐かしいというより、少し寂しいです」

    「寂しい?」

    「人がいないのに、機械だけ点いてる感じが」

    「不快ですか?」

    「不快ではないです。ただ、閉店後に置いていかれたみたいな感じがします」

    「置いていかれた?」

    「変な言い方ですけど。ゲーム機が、というより、椅子が」

    竹田は画面手前に並んだ椅子を見ていた。

    私は記録した。

    初期評価:寂しさ、静けさ、やや気になる
    不快感:軽微
    違和感:椅子、無人状態
    恐怖感:なし

    この初期評価は、後になって重要な意味を持った。

    快晴が最初に画像へ与えた意味は、「音」と「奥行き」だった。
    一方、竹田が最初に画像へ与えた意味は、「椅子」と「不在」だった。

    誰もいない。けれど、誰かがいた後に見える。

    竹田の1日目の報告に大きな変化はなかった。むしろ、初日の竹田は落ち着いていた。画像に対して強い拒否感を示すこともなく、保存後も「少し気になる程度です」とだけ記録していた。

    ただ、3日目の夜、竹田は短い補足を送ってきた。

    「椅子だけ、少し覚えています」

    その時点では、それ以上の意味はないと思った。

    4日目、竹田は画像を開いていない時間にも、椅子の位置を思い出すことがあると報告した。

    特に気になったのは、画面手前に写っている椅子だった。誰も座っていない。しかし、竹田にはそれが、単に空席として置かれているようには見えなかった。誰かがついさっきまで座っていて、立ち上がって、画面の外へ移動した後のように見える。

    座面の向き。

    筐体との距離。

    通路に対する角度。

    それらは画像内では固定されている。にもかかわらず、竹田はその椅子を「静止しているもの」ではなく、「誰かの動作の直後に残されたもの」として認識し始めていた。

    私はこの時点では、画像内の無人性に対する自然な補完だと考えた。人は無人の空間を見ると、そこにいたはずの人間を想像する。それは珍しい認知ではない。しかし、竹田の補完は少しずつ、想像の範囲を越え始めた。

    8日目になったばかりの深夜、竹田は初めて、夢の中でそれを見た。

    場所は、画像と同じゲームセンターだった。視界全体が赤と青の照明に滲んでいて、筐体の画面だけが白く焼けるように光っていた。音はほとんどなかった。ただ、古い機械が通電している時の、ぶうん、という低い振動だけが床から伝わっていた。

    竹田は、画面手前の椅子の近くに立っていた。

    椅子は画像と同じ位置にあった。少し斜めを向いていて、誰かが立ち上がった後のように、筐体との距離が不自然に空いていた。

    その椅子の横に、何かが立っていた。筐体の画面を猫背で覗いている。

    最初、それは人影に見えた。横から見た顔は真っ白だった。能面のように白く、しかし能面にあるはずの目も、鼻も、口もなかった。

    顔のパーツが何もない…。

    それは、ただ、滑らかな白い面だけが、筐体の放つ光をぼんやり反射していた。

    首から下は、衣服を身につけていない人間の身体に見えた。痩せても太ってもいない、どこにでもいる中年男性のような体つきだった。あまりに普通の身体だった。その普通さが、顔のなさをかえって異様にしていた。

    右手には、割れた蛍光灯のようなものを持っていた。白い管の一部が斜めに裂けていて、先端だけが青白く光っていた。なぜそれを持っているのかは分からなかった。

    それは椅子の横に立ったまま、しばらく動かなかった。

    赤。

    青。

    白。

    また赤。

    竹田は逃げようとしたが、夢の中の身体は動かなかった。

    足元のカーペットが、靴底に吸いつくようだった。

    ゴキッ。

    音がした。筐体から発せられた音かと思った。でも違った。

    ゴキリッ。

    もう一度。

    その何かは立ったまま、少しずつ、真っ白な顔の面をこちらへ向けようとしていた。

    それでも、それは近づいてこなかった。

    ただ、椅子の横に立っていた。

    竹田は、その白い面が完全にこちらを向く前に目を覚ました。

    目を覚ました後も、しばらく部屋の中にゲームセンターの照明が残っていた。あのゲームセンターの赤と青の光が角膜に残っている。また、古い筐体の画面が、じ、じ、じ、と低く鳴っているような気がした。もちろん、実際に音が聞こえたわけではない。だが、無音の中に、ゲームセンター特有の電気の気配だけが混ざっていた。

    実際には、部屋は暗かった。

    伏せて置いてあったスマートフォンを見ると、時刻は午前2時を過ぎていた。パスワードを打ち込み、真っ先に青木に電話をかけた。深夜だからか応答がなく怒りと焦りを覚えていると、電話に出た。

    「もしもし、青木さん、すみません」

    「どうしたのこんな夜中に」

    電話口の声は小さかった。

    泣いているわけではなかった。

    しかし、声の芯が削れていた。

    「もう、続けるの無理です」

    普段明るくふるまっている竹田が、こんな夜中に泣きそうな声で電話をかけてきたのには何かあったに違いない。竹田の呼吸は浅かった。電話越しに、部屋の空気まで薄くなっているように感じた。

    「何があったの?」

    「もうあの画像持ってられません。消します!」

    「ちょっと待って!どうし—」

    電話は一方的に切られてしまった。
    私はすぐにかけ直した。

    一度目は出なかった。二度目も出なかった。三度目で、通話はつながらず、その代わりに短いメッセージが届いた。

    「消しました」

    私は画面の文字を見たまま、しばらく動けなかった。
    その夜、それ以上の返信はなかった。

    竹田が画像を削除した時刻は、8日目の深夜、午前2時17分だった。

    その時点で私は、まだ削除が何を意味するのか正確には理解していなかった。快晴の例から、削除後に症状が悪化する可能性は見えていた。それでも私は、どこかで、竹田の場合は違うかもしれないと思っていた。画像を消せば、見なくて済む。見なければ、強い想起は薄れる。そう考えたかった。

    だが翌朝、竹田から次に届いた文章は、その考えを否定するものだった。

    「止めるものがなくなりました」

    私はすぐに返信した。

    「何が?」

    「向こうとの間にあったものです」

    「画像のことですか?」

    しばらくして、返事が来た。

    「たぶん」

    「今、何か見えていますか?」

    「見えないです」

    「音は?」

    「あります」

    「どんな音ですか?」

    「…..」

    足音ではない。歩いている音ではない。立っていると感じる音。はっきり聞こえていないのに、なぜかそこに存在を認識する音。

    8日目の朝から夜にかけて、竹田はほとんど部屋から出なかった。

    後から聞いた話を含めれば、その日、彼女は自室にこもり、家にある椅子をすべて逆さまにしたらしい。

    ダイニングの椅子。
    机の椅子。
    折りたたみ椅子。

    普段なら気にも留めないはずの椅子というものが、彼女にはもう、座るための家具には見えなくなっていた。

    誰かが座っていた場所。
    誰かが立ち上がった後に残るもの。
    誰かが戻ってくるために空けられた場所。

    そういう意味を持つものとして見えていたのだと思う。

    椅子を逆さまにすれば、少なくともそこには座れない。誰かが戻ってくる場所を壊せる。竹田はそう考えたのかもしれない。もちろん、それは後から私が推測したことにすぎない。本人は詳しく説明しなかった。

    私はその後、何度も連絡を送った。

    「一人でいないでください」

    「近くの人に連絡してください」

    「可能なら部屋を出てください」

    「画像は削除済みでよいので、これ以上記録しなくて構いません」

    しかし竹田からの返事はなかった。既読だけがついた。その既読が、かえって不気味だった。読んでいる。だが返せない。あるいは、返す余裕がない。

    私は自分の研究室で、スマートフォンの画面を何度も確認したが、それ以降竹田からの返事はなかった。代わりに、夕方近くになって、快晴からメッセージが届いた。

    「また、感じます」

    私はすぐに返信した。

    「まさか音?」

    「そうです」

    「いつから?」

    「最初は気のせいかと思っていたのですが、ここ2、3日で少しずつ戻ってきました。」

    私は画面を見つめた。快晴の症状は、竹田が画像を保存した直後に一度止まっていた。少なくとも、彼自身はそう報告していた。だが、竹田の症状が進行するにつれて、快晴の方にも再び反応が出始めていた。

    「前と同じですか?」

    「似ています」

    「ゲーセンの音?」

    「はい」

    古いゲームセンターの待機音。筐体が通電している時の低いざらつき。
    画面の奥へ続いているように感じる店内の構造。同じ画像とメタデータであるにも関わらず、感じる現象は竹田とは全く違った。

    竹田は、画像の中にいたはずの何かが現実側へ出てくるように感じている。快晴は、現実の側から画像の内部へ引き戻されるように感じている。

    二人の症状は似ていない。

    しかし、発生と軽減のタイミングだけが、奇妙に連動していた。
    それが、私にとってはむしろ不気味だった。二人は違うものを見ている。違うものを聞いている。それなのに、画像の保存、削除、共有という操作に合わせて、強弱だけが同じ周期で変化していた。

    9日目の11時45分、竹田はほとんど眠っていなかった。

    後から聞いた話では、竹田は、もう昼になったのにも関わらず部屋の電気をすべて点けたまま床に座り込んでいたらしい。

    スマートフォンはベッドの上に伏せて置いてあった。画像は削除済みだった。それでも、竹田は何度もスマートフォンの方を見た。見てはいけないものがそこにあるように。あるいは、もう何もないことを確認してしまうのが怖いように。

    部屋の扉の前には、何もいないはずだった。しかし竹田には、そこに影があるように見えていた。人の形をしているわけではない。輪郭もはっきりしない。

    ただ、ドアの前の空間だけが、周囲より少し暗く沈んでいる。部屋の照明は点いている。それなのに、そこだけ光が弱い。

    ゴキリ。

    音がした。

    ゴキッ。

    もう一度。

    竹田はその音を、耳で聞いたのか、頭の中で聞いたのか分からないと言っていた。ただ、その音がした瞬間、自分がもう耐えられないと感じていた。

    ふと、この悪化した原因が画像を削除したことではないかと思い、最後の希望を込めて「ごめんなさい」と連呼しながら再度画像を保存する。

    扉にそいつが触れたと感じたその直前だった。

    影が止まり、ゴキリ、という関節の音も止まった。

    ドアの前にあった暗さが、ふっと薄くなった。

    「青木さん、急に何も感じなくなりました。」

    実験④ : 7月22日

    「柴崎先輩ありがとうございます」

    「おう、可愛い後輩のお願いだからな! んで、この画像を保存すればいいんだっけ?」

    「はい。それで画像から何を感じたとか教えてくださると助かります」

    参加者:柴崎健
    条件:メタデータあり

    【この画像は、撮影者がここにいたことを最後まで否定していた場所である。】

    柴崎先輩には、これまでと同じように画像を送った。
    保存時刻は、7月23日、午後12時03分。

    画像および付与したメタデータも、快晴、竹田と同一条件である。

    柴崎先輩は画像を開いて、最初に少しだけ黙った。私はその沈黙を、単なる観察の時間だと思った。

    「どうですか」

    私が聞くと、柴崎先輩は画面を見たまま答えた。

    「懐かしいな」

    「懐かしい?」

    「うん。こういうゲーセン、昔よくあった」

    そこで一度、言葉が切れた。

    私は記録用のファイルに、初期評価として「懐かしさ」と入力しかけた。

    その直後、柴崎先輩が少し笑った。

    「いや、懐かしいっていうか、嫌な方の懐かしさだな」

    「嫌な方?」

    「子どもの頃、親に置いていかれたことがあるんだよ」

    私は手を止めた。

    「ゲームセンターでですか?」

    「正確には、スーパーの中にあったゲームコーナー。親が買い物してる間、ここで待ってろって言われてさ。最初はゲーム見てたんだけど、途中で親が全然戻ってこなくなって」

    柴崎先輩は、画面の奥を見ていた。懐かしそうではなかった。不快そうでもなかった。ただ、昔のどこかへ視線だけが戻っているようだった。

    「泣いたんですか」

    「泣いた。めちゃくちゃ泣いた」

    そう言って、柴崎先輩は小さく笑った。

    「店員に連れていかれて、迷子放送された。親は普通に買い物してただけだったんだけど、こっちは世界が終わったと思ってた」

    「この画像を見て、それを思い出した?」

    「うん。特に奥の感じ」

    「奥?」

    「ゲーム機の向こう側。親が戻ってくるなら、あっちから来る気がするじゃん。でも来ない」

    柴崎先輩の初期評価は、快晴とも竹田とも違っていた。

    快晴は「音」と「奥行き」を見た。
    竹田は「椅子」と「不在」を見た。
    柴崎先輩は、「置いていかれた場所」を見ていた。

    柴崎先輩にとって、その画像は単なる無人の空間ではなく、待たされる場所だった。

    初期評価:懐かしさ、不快な既視感、置き去りの記憶
    不快感:軽微から中等度
    違和感:奥の通路、戻ってこない感覚
    恐怖感:なし

    私は、慎重に確認した。

    「無理なら参加しなくても大丈夫です」

    柴崎先輩は首を横に振った。

    「いや、大丈夫。昔の話だし」

    「本当に?」

    「大丈夫だって。画像一枚だろ」

    「しばらく保存してもらいます」

    「了解」

    「実験期間中は削除しないでください。共有もしないでください」

    「はいはい」

    その日の帰り柴崎先輩は、画像を消した。
    一度作られた領域は、消えなかった。消えたのは、画像という器だけだった。

    その日の夜、竹田から短い連絡が来た。

    「戻りました」

    私はすぐに返信した。

    「何が?」

    「部屋の前です。ドアの前に……。でも、前ほどではないです」

    続いて、快晴からも連絡が来た。

    「収まったと思ったのにまた、聞こえます。でも、だんだんマシになってる感じがします。」

    私は時計の時刻を確認し、呆然とした。柴崎先輩が画像を保存してから、まだ半日も経っていない。

    実験②と実験③のデータを振り返れば、画像が共有されると謎の現象が一時的に収まることはなんとなく感じていた。快晴が限界を迎えた時、それを救ったのは竹田への「共有」だった。また、竹田が画像を保存したわずか十分後、快晴を襲っていた音はピタリと止んでいる。また、竹田の場合も柴崎先輩が保存した時間とほぼ同じで同様だった。

    今回の先輩の参加によって、快晴と竹田の負荷はしばらく下がり、猶予が生まれるはずだった。実際、先輩が保存した直後、竹田の症状は一時的に軽くなっていた。 だが、その軽減は長く続かなかった。二人の症状は、その日の夜には早くも戻り始めていた。

    翌日、2日目。

    柴崎先輩からの定期報告はなかった。

    私は朝にメッセージを送った。

    「体調は大丈夫ですか?」

    「ぼちぼち」

    返信はきたものの、生存していること以外わからなかった。

    「画像を保存してから、何か変化があれば教えてください」

    既読はついたが返信はなかった。

    3日目。

    柴崎先輩は研究室に来なかった。当初は体調不良だと思われていた。大学院生が予定を飛ばすこと自体は珍しくない。徹夜明けで寝ているのかもしれない。体調を崩したのかもしれない。

    これ以降何を送っても、既読すらつかなくなった。

    4日目。

    柴崎先輩は、予定されていた打ち合わせにも現れなかった。研究室の人間が連絡を取ろうとしたが、反応はなかった。

    私は和樹にも連絡した。

    「俺の研究室の先輩の柴崎て人の彼女って和樹の研究室の後輩じゃなかったっけ?」

    和樹からの返信は早かった。

    「そうだけど、なんかあった?」

    「一昨日から全く連絡がつかない」

    「まあ、聞いてみるわ」

    結局、柴崎先輩が大学にも自宅にも戻っていないことが分かった。家族にも連絡がつかない時間が続いているらしい。その連絡を受けた時、私は自分のノートを開いた。

    実験④の記録欄に、しばらく何も書けなかった。書くべきことは決まっていた。

    参加者と連絡不能。
    実験継続不可。
    所在確認中。

    しかし、そのどれもが、出来事の表面だけをなぞっているように思えた。
    柴崎健は、1日目に画像を保存した。それ以降何をしていたのか、何が起こったかは一切わからず本人との連絡は途絶えた。

    同時期に、過去保有者である竹田玲美、岡本快晴に症状の再発が確認された。

    数日後、柴崎健は失踪扱いとなった。正確には、大学内でそう認識され始めた。家族、研究室、知人の間で所在確認が行われた。私はその連絡の中に、自分が送った画像のことを書けなかった。書くべきだった。画像を保存したこと。その日のうちに削除した可能性があること。その後、竹田と快晴に再発があったこと。柴崎先輩からの連絡が途絶えたこと。全部説明するべきだった。けれど、説明できなかった。説明したところで、何を信じてもらえるのか分からなかった。そして何より、私自身がまだ、それを信じ切れていなかった。

    結局、私はこう記録した。

    「実験④は、参加者の所在不明により継続不能となった」

    それは事実だった。だが、事実の形をした逃避でもあった。

    4章:考察

    ここから先は、これまでの記録をもとにした考察である。

    ただし、最初に断っておきたい。私は、この現象を完全に理解できているわけではない。ここに書くことは、あくまで現時点で私が到達した仮説である。だが、少なくとも一つだけ、ほぼ確信していることがある。

    これは、画像そのものに宿ったものではない。

    あのゲームセンターの画像に、最初から何かが写っていたわけではない。画像はただの画像だった。

    白い筐体。
    赤と青の照明。
    奥のクレーンゲーム。
    手前の椅子。
    誰もいない店内。

    それだけだった。

    問題は、画像に付与したメタデータだった。

    【この画像は、撮影者がここにいたことを最後まで否定していた場所である。】

    この一文は、画像に何かを写し込むものではない。
    画像の見た目を変えるものでもない。
    しかし、この一文は、画像の意味を完成させない。

    むしろ、画像の成立そのものに、解決できない空白を作る。

    画像がある以上、撮影者はいたはずである。しかし、撮影者は「ここにいたこと」を最後まで否定している。では、この画像は誰が撮ったのか。撮影者は、何を否定していたのか。そもそも「ここ」とは、何だったのか。この問いに、答えはない。少なくとも、画像そのものの中にはない。

    私は当初、この文言を、画像の来歴に不一致を与えるための実験条件として扱っていた。

    直接的に「怖い」「危険」「死」「事故」といった意味を持つ情報ではなく、受け手に解釈の余白を残す来歴情報として設定した。

    参加者は、このメタデータを直接読むことができない。だからこそ、私はこの条件に意味があると考えた。読めないはずの背景情報が、保存者の認知や感情に影響するのか。画像への違和感、記憶への残りやすさ、反復想起、保存していることへの意識に変化を与えるのか。そして、その画像が共有されたとき、同じ来歴情報が別の保存者にも保持され、同様の変化を生じさせるのか。それを調べることが、実験②以降の目的だった。

    しかし、実験を進めるうちに、私はこの文言の危険性を見誤っていたことに気づいた。

    問題は、この文言が不気味だったことではない。

    問題は、この文言が、保存者の認知に「埋めるべき空白」を作る構造を持っていたことだった。

    人間は、画像を見ると無意識に意味を探す。これはどこで撮られたのか。なぜこの構図なのか。奥には何があるのか。誰が撮ったのか。

    普通の画像なら、分からないことは分からないまま終わる。しかし、今回の画像には、見えない来歴情報が付与されていた。撮影者が、ここにいたことを最後まで否定していた。この矛盾が、画像の意味を未完成のまま固定した。

    保存者は、その文言を読めない。読めないのに、何かしらの力あるいは第六感と言われるものか、それが何かわからないが、その問いの形だけを受け取っていたと考えざるを得ない。

    そして脳は、理由も分からないまま、その空白を埋めようとする。

    私は、この現象を仮に【蝕魘】と呼ぶことにする。

    蝕魘は、幽霊のような実体ではない。画像の中に何かが写っているわけでもない。撮影されたゲームセンターそのものが呪われているわけでもない。

    蝕魘とは、メタデータに含まれる未完成の意味が、保存者の認知内に作った空白である。

    その空白を、保存者自身の記憶、恐怖、違和感、罪悪感、過去の体験が埋めようとする。

    その補完された意味が、【怪異】として形を持つ。

    快晴の場合、その空白は音と奥行きとして現れた。彼は最初、画像を見て「奥が暗い」と言った。その後、ゲームセンターの待機音を感じるようになった。見えないはずの店内の奥行きを、まるで自分がその場に立っているかのように把握し始めた。

    快晴にとって、蝕魘は画像の中へ引き込むものだった。

    竹田の場合、空白は椅子と不在として現れた。彼女は最初、誰もいない椅子を気にした。そこには誰も写っていない。けれど、誰かがいた後に見える。その意味づけが、夢の中で白い面を持つものとして形を取った。

    竹田にとって、蝕魘は画像の中からこちらへ近づくものだった。

    柴崎先輩の場合、空白は置き去りの記憶として現れた。彼は、ゲームセンターの奥に、戻ってこない親を待つ場所を見た。蝕魘は、その意味づけを足場にした。さらに、画像を削除したことでその意味づけが行き場を失い、結果として現実に反映されてしまった。

    それぞれの蝕魘は違う形を取っている。だが、発生の仕方は共通していた。

    画像に付与された未完成の意味。保存者が最初に与えた意味づけ。そして、その意味づけを足場にした認知の侵食である。

    私は、この現象を数式として整理しようとした。

    まず、保存者に生じる精神的・感情的な歪みの総量を、便宜的に「認知負荷」と呼ぶ。

    ここでいう認知負荷とは、単なる恐怖の強さではない。恐怖、不安、嫌悪、違和感、罪悪感、既視感、反復想起、保存していることへの意識。そうした複数の情動・認知成分を持つベクトルを、次のように表す。

    x=(x1,x2,...,xn)\mathbf{x} = (x_1, x_2, ..., x_n)

    各成分は、保存者に生じる反応の次元である。

    快晴であれば、音、奥行き、反復想起、空間への没入が大きな成分になる。竹田であれば、不在、気配、視線、境界の喪失が大きな成分になる。柴崎先輩であれば、置き去り、待機、呼ばれないこと、戻ってこないことが大きな成分になる。

    各人によって、どの成分が強く出るかは違う。

    そこで、個人ごとの感受性重みを

    wi{w_i}

    とし、認知負荷の瞬時強度

    S{S}

    を、簡便に次のように定義する。

    S=∥Wx∥2=∑i=1nwi2xi2S = \|\mathbf{W}\mathbf{x}\|_2 = \sqrt{\sum_{i=1}^{n} w_i^2 x_i^2}

    この式は、厳密な物理モデルではない。だが、観測された反応を整理するには役立つ。

    蝕魘は、全員に同じ形で現れるわけではない。各保存者の記憶、恐怖、過去の体験、画像への最初の意味づけに応じて、異なる成分が強くなる。そのため、同じ画像、同じメタデータであっても、快晴には音として、竹田には気配として、柴崎先輩には置き去りの場所として現れた。

    さらに重要なのは、認知負荷が時間的に累積する点である。

    一度画像を保存しただけでは、すぐに強い現象は起きない。画像が気になる。保存したことを思い出す。何となく見返してしまう。夢に画像の一部が出る。時間が経つにつれて、蝕魘は保存者の認知に適応していく。

    その累積値を

    C(t){C(t)}

    とする。

    時刻

    t{t}

    における累積値は、単純化すれば次のように表せる。

    C(t)=∫0tS(τ)e−λ(t−τ)dτC(t) = \int_{0}^{t} S(\tau)e^{-\lambda(t-\tau)}d\tau

    ここで、

    Îť{\lambda}

    は忘却や減衰の係数である。

    通常であれば、人は不快な画像や気になる画像を見ても、時間とともに忘れる。それが減衰である。

    しかし、蝕魘の場合、保存されているという事実そのものが反復刺激になる。写真フォルダにある。履歴に残っている。削除したはずなのに、あった場所が分かる。そうした反復が、減衰を上回る。場合によっては、忘却すべき情報が、時間経過とともにむしろ濃くなる。

    その結果、累積値

    C(t){C(t)}

    は下がらず、増えていく。

    そして、ある閾値

    Ccrit{C_{\text{crit}}}

    を超えたとき、違和感はただの違和感ではなくなる。

    夢に出る。部屋の構造が画像に似て見える。音が現実音と混ざる。画像に写っていないはずのものを、そこにいるものとして扱い始める。この閾値を超えた状態が、私たちが怪異と呼んでいるものの正体なのかもしれない。

    ここで、保存と共有の問題が生じる。

    画像が端末に保存されると、端末と保存者の認知に「保有領域」が発生する。これは、蝕魘が入り込むための安定した空白である。閲覧だけでも弱い影響は生じるかもしれない。だが、保存やスクリーンショットによって、画像がその人の端末内に固定されたとき、蝕魘はより安定してその人の認知に接続する。

    共有とは、この保有領域を増やす行為である。

    新しい端末に画像が保存されると、新しい保有領域が発生する。蝕魘は、その領域を埋めるためにリソースを割く。そのため、既存の保有者にかかっていた負荷は一時的に下がる。

    快晴がそうだった。竹田が画像を保存した直後、快晴の音は止まった。
    竹田が軽くなったのも、柴崎先輩が画像を保存した直後だった。このことから、私は一時的に、蝕魘は共有によって薄まるのではないかと考えた。

    仮に、保有領域の数を

    N{N}

    とする。

    単純化すれば、個々の保有者にかかる瞬時負荷は、次のように近似できる。

    Sindividual≈SNS_{\text{individual}} \approx \frac{S}{N}

    領域が増えれば、負荷は分散される。そのため、一人あたりの負荷は下がる。これは、実験記録と一見一致している。しかし、この仮説には致命的な見落としがあった。共有は、負荷を薄めるだけではない。蝕魘に、新しい認知パターンを与える。

    快晴は音と奥行きを与えた。
    竹田は椅子と不在を与えた。
    柴崎先輩は置き去りと待機を与えた。

    保存者が増えるたび、蝕魘は新しい空白の埋め方を学習する。

    つまり、共有によって

    N{N}

    は増えるが、同時に蝕魘そのものの基礎強度

    S{S}

    も増加する可能性がある。

    より正確には、閲覧者数や保存者数を含む認知サンプル数を

    M{M}

    とすると、蝕魘の強度は次のように増幅すると考えられる。

    Seff=S0(1+ιlog⁥(1+M))S_{\text{eff}} = S_0(1 + \alpha \log(1+M))

    ここで、

    Îą{\alpha}

    は学習・増幅係数である。

    保存者が増えれば、一時的には分散によって楽になる。だが、閲覧者や保存者が増えるほど、蝕魘はより多くの意味づけを学習し、強くなる。つまり、共有は短期的には救済であり、長期的には増殖である。

    削除についても、私は最初、大きく誤解していた。私は、画像を削除すれば接続が切れると考えていた。

    だが、快晴と竹田の記録はそれを否定している。快晴は、画像を削除した後、「空いた」と表現した。竹田は、画像を削除した後、「止めるものがなくなった」と表現した。この二つは、同じ現象の別の見え方だった。

    画像が保存されている間、蝕魘は画像を保有領域として利用する。保存者の認知は、画像を通じて蝕魘を処理している。

    しかし削除すると、画像という器だけが消える。メタデータが生んだ意味の空白や、保存者との接続そのものは消えない。そのため、削除は終了操作ではない。領域を潰す操作である。領域が潰れると、その領域に割かれていた負荷は、削除者本人と、過去の共有経路上の保有者へ戻る。

    だから、快晴は削除後に悪化した。
    竹田も削除後に悪化した。
    もしかしたら柴崎先輩は画像を削除してしまったのかもしれない。

    この説明が正しいなら、削除は救済ではない。削除は、負荷の再集中である。ここまでの実験記録を、もう一度整理する。

    実験①、池田和樹。
    メタデータなし。
    画像そのものに強い負の効果は確認されなかった。
    古いゲームセンターとして認識され、懐かしさや軽い寂しさは報告されたが、睡眠、集中力、反復想起に大きな変化はなかった。

    実験②、岡本快晴。
    メタデータあり。
    快晴は画像に音と奥行きを見た。
    三日目から、ゲームセンターの音を感じ始めた。
    保存している画像を「預かっている」と表現した。削除後、「空いた」と表現し、画像の中の空間が現実側へ近づくように感じた。

    実験③、竹田玲美。
    メタデータあり。
    竹田は椅子と不在に注目した。
    誰もいない椅子を、誰かがいた後として解釈した。
    その意味づけは夢の中で白い面を持つものとして形を取り、現実の部屋へ侵食するように感じられた。削除後、症状は悪化した。

    実験④、柴崎健。
    メタデータあり。
    柴崎先輩は画像に置き去りの記憶を見た。
    ゲームセンターは、戻ってこない親を待つ場所として意味づけられた。
    保存後、同日中に画像を削除した可能性が高い。
    その後、本人との連絡は途絶え、所在不明となった。

    これらの記録から、私は次の仮説に至った。

    蝕魘は、画像そのものに宿っているのではない。蝕魘は、メタデータに含まれる未完成の意味が、保存者の認知に作った空白である。その空白は、保存者の記憶や恐怖によって埋められる。埋められた意味は、保存者ごとに違う形を取る。しかし、共有によってそれらは同じ経路に接続される。そして、共有されるたびに一時的には分散し、やがて適応し、より強く戻る。

    私は、この仮説にたどり着いた時点で、自分が何をしてしまったのかを理解した。

    私は、誤情報を防ぐための技術を作ったつもりだった。
    画像の文脈を守るための技術を作ったつもりだった。
    しかし私は、文脈を保存する技術によって、意味の空白まで保存してしまった。

    しかも、それを共有可能な形にしてしまった。

    蝕魘は、消せない。少なくとも、削除では消せない。削除すれば、負荷は戻る。共有すれば、一時的に軽くなる。だが、共有すればするほど、蝕魘は新しい認知を学習して強くなる。

    救済は、同時に増殖だった。

    ここから先は、研究記録ではない。告白である。

    実験④の後、私は新たな参加者を入れることを中止した。

    本来であれば、それで終わるはずだった。

    しかし、終わらなかった。終われなかった。

    共有が止まると、蝕魘は既存の保有者へ戻った。
    快晴へ。
    竹田へ。
    そして、私へ。

    私は、最後に自分の端末へ画像を保存した。それは、快晴や竹田を救うためだった。新しい保有領域を作れば、快晴と竹田にかかっている負荷を一時的に下げられる。そう考えた。

    実際、しばらくの間、二人の報告は落ち着いた。

    その代わりに、私の中で音が鳴り始めた。

    ゲームセンターの低い通電音。

    ぶうん。

    じ、じ、じ。

    研究室の空調音に混ざって、聞こえないはずの音が残る。夜、ノートパソコンの画面に映る自分の背後に、赤と青の光が混ざる。研究室の椅子が、誰かが立ち上がった後のように少しだけずれて見える。私は、この現象を自分の中に受け入れた。受け入れれば、少しだけ時間を稼げると思った。だが、それも長くは続かなかった。一人で引き受けられるものではない。蝕魘は、保存者の認知に適応する。私の中にも、私にとって最も入り込みやすい形で現れ始めた。

    それは、失敗した実験の記録だった。

    閉じられないノート。

    消せないファイル。

    何度書き直しても消えない一文。

    【この画像は、撮影者がここにいたことを最後まで否定していた場所である。】

    私は、あの文言を選んだ。

    私が付与した。

    私が共有した。

    私が、蝕魘を作った。

    そして、私は最後に理解した。

    これを完全に消す方法は、少なくとも今の私にはない。できるのは、負荷を分散することだけである。新しい保有領域を作り続けることだけである。

    つまり、誰かに保存してもらうこと。
    誰かにスクリーンショットしてもらうこと。
    誰かの端末に、この画像を置いてもらうこと。

    私はそれを、実験協力という形であなたに頼んだ。第2章として掲載した実験募集は、本来の意味での実験募集ではありませんでした。

    あれは、私が助かるための文章でした。
    快晴を助けるための文章でした。
    竹田を助けるための文章でした。

    そして、蝕魘を別の場所へ向けるための文章でした。

    私は嘘を書いてはいません。

    画像に付与された背景情報が、認知や情動に影響するかを調べる。
    それは事実です。

    スクリーンショットまたは保存をしてください。
    それも、必要な操作でした。

    しかし、私はすべてを書いてはいませんでした。

    あなたが画像を見た時点で、蝕魘はあなたの認知に触れます。ただし、閲覧だけでは領域は不安定です。あなたがスクリーンショットし、端末内に保存した時点で、そこには新しい保有領域ができます。その領域が増えれば、私たちにかかっている負荷は一時的に下がります。

    だから私は、あなたに頼みました。

    私は、削除では誰も救えないことを知ってしまいました。共有だけが、一時的に負荷を逃がす唯一の方法でした。だから私は、あなたにこれを見せています。

    あなたを巻き込みました。本当に申し訳ありません。

    協力してくれた人々には深く感謝しています。

    そして、これを読んでいるあなたにも、謝らなければなりません。先ほどの画像の痕跡は、あなたの端末に移ったかもしれません。

    もし保存をしたなら、保有領域はすでに成立しています。

    もしまだしていないなら、閲覧による仮接続だけが残っている状態かもしれません。

    どちらが安全なのか、私は断言できません。

    ただ、一つだけ分かっています。


    蝕魘は消えていません。


    それは、画像の中にいるのではなく、意味の中にいる。

    そして、意味は一度共有されると、完全には戻せない。

    ごめんなさい。

    それでも、もしあなたが無事であることを願ってくれるなら。もし、誰かを少しでも長く助けたいと思ってくれるなら。どうか、増やし続けてください。

    これは救済ではありません。

    猶予です。

    私はその猶予を、あなたに託してしまいました。




    【ご協力ありがとうございました。】




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    #創作大賞2026
    #ホラー小説部門

     
     
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