
日記|宗教に救われた叔母と、置いていかれた僕
変わっちゃったな。
LINEに届いたメッセージを読んで、そんなことを思った。
いつまでもあの頃のままではいられないのが、人間というものだ。
いい意味でも、悪い意味でも、人は絶えず変化する。
今日は、僕の父方の叔母の話をする。
彼女は、幼かった僕にとって第二の母親であり、友達であり、恩人であった。
心根が真っ直ぐで優しく、知性のある教養人だった。
あるいは、今でもそうなのかもしれない。
ここ数年まともにコミュニケーションを取っていない現状では、彼女が今どんな人なのかは分からない。
ただ一つ言えることは、彼女は変わったということだ。
あの頃の記憶に、いつもいる人
叔母は幼かった僕の一番の遊び相手だった。
僕が大好きだった博物館に、何度も一緒に足を運んだ。同じ展示を何回も見て回っては、その深い教養でいつも僕の知的好奇心を満たしてくれた。あの頃一番好きだったペンギンの剥製の展示は今でも覚えている。
僕は昔から文章を書くのが大好きだった。まだタイピングができなかった頃は、僕が話した言葉を、叔母が隣でタイピングして文章にしてくれた。初めて一緒に書いた小説は、まだpdfファイルにして手元に残してある。
翻訳の仕事をしている彼女は、僕の英語の練習相手にもなってくれた。僕が英語を得意になれたのは、英会話教室に行っていたのもあるけれど、彼女の影響が大きかったと思う。2人で一生懸命練習して臨んだ英語のスピーチコンテスト。本番は緊張してうまく喋れなかったけれど、いい思い出になった。
今思うと、幼かったのもあってひどい言葉も失礼な態度も多かったと思うが、彼女はそれさえ許して、僕にたくさんの愛情を注いでくれた。今でも本当に感謝している。
あの頃の叔母は、もういない
小学4年生の頃、僕の家族は遠くに引っ越した。それから、叔母にはなかなか会えなくなった。2年に一度、帰省で会うくらいの頻度だ。
時は流れ、僕が高校に入学した頃、彼女はとある宗教を信じるようになった。カルト宗教の類ではない、世界宗教の一つだが、特定の宗教を悪く言う意図は毛頭ないので、ここでは伏せておく。
彼女はとても熱心な信者になり、信者の集まりなどにも参加するほどだった。それに関しては、まったくもって健全なことだと思う。しかし、彼女は僕にしつこく布教をするようになった。
LINEでその宗教の教義について、長文でメッセージを送ってきたり、僕の家に経典をプレゼントしてきたり、たまに電話しても近況報告より神様のことばかりだった。
「神は私たちのことをいつも見てくださっている」
「いつもあなたのことをお祈りしているわ」
「良かったらこの動画をあなたにも観てほしいの」
そんなLINEが届くたびに、僕は「変わっちゃったな」と思うのだ。
中でも特にこたえたのが、僕が東大に合格したと報告したときのことだった。彼女は、おめでとうの次に「神様にお祈りしたおかげだね!」と言った。
僕の英語が上達すると、「がんばったね!」と褒めてくれていた、あの頃の叔母はもういなかった。
信じる者は救われる。ならば周りの人は?
「信じる者は救われる」という言葉があるが、僕はその通りだと思う。神にしろ、自分の信念にしろ、信じるものがある人には困難に立ち向かう力があるからだ。
僕がこれを実感したのは、父が急逝したときだ。僕も含め家族は立ち直るのに時間がかかったが、彼女は悲しみながらも、父はきっとあの世で幸せになっているに違いないと信じていたため、心を強く持って僕たちを慰めてくれた。少なくとも僕には、彼女の心は神に救われているように見えた。
しかし、ならば周りの人はどうだろうか。僕は彼女が信者になってから、すっかり疎遠になってしまった。話すたびに布教の話になるものだから、僕も一度怒りをぶつけたことがあり、そこから僕は彼女にLINEをほとんど返さなくなったのだ。
彼女は僕にとって間違いなく大切な人である。それは今も変わらない。だからこそ、今のような関係になってしまったことがたまらなく寂しいのだ。僕にとってその宗教は、叔母を遠くへ連れていってしまった、そんな存在だ。
もちろん僕にも反省するべきことはたくさんある。彼女とのコミュニケーションから逃げてしまっているからだ。本当にお世話になったんだし、話だけでもちゃんと聞くべきだったのかもしれない。今思うと、僕の中にある宗教に対するわずかな反感が、過剰に冷たい態度を取らせていたのかもしれない。
今更、なんて思わず、ちゃんと話し合えばまた昔みたいに戻れるのだろうか。
この日記を書きながら、そんなことを思った。