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我が町の隠れたヒーローたち|八女福島城跡調査説明会で学んだ“私の新発見”

    「思いきって外に飛び出してみよう」
     なんていうと大げさかもしれませんが、今の私にはそれぐらいの決意が必要でした。
     いつも家でパソコンの前に座っていたらモヤモヤが募ってきて、何とかしなければと考えたのです。


     令和7年11月3日「文化の日」の朝、無償配付された防災ラジオから「八女公園で福島城跡調査の説明会がある」と案内が流れてきました。

     妻に行ってみないかと提案したけれど興味はなさそう。私は歴史小説をよく読むのですが、彼女は推理小説の方が好きだからやむを得ません。

     昼1時半に始まるそうなので、一人で散歩がてら覗くことにしました。


    八女福島城の真実

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    「400年ぐらい前、安土桃山時代の頃ですけど。豊臣秀吉。次の大河ドラマで主人公のお兄さんになる人ですが……」

     作業服を着てヘルメットをかぶった男性がメガホン型拡声器を持って説明をはじめました。30代から40代と思われます。

    『福島城跡第3次調査現地説明会』というから、きっと難しい話しだろうと覚悟してたものの、誰でもわかるように噛み砕いて説明してくれました。

     導入から来年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』を絡めるとは、なかなか工夫を凝らしたものだ。昨晩、寝る前に考えたのかもしれない。

     わたしはその気遣いに感心しながらリラックスして耳を傾けることが出来たのです。

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    八女公園案内板 


     昨年春に八女市役所新庁舎が完成するまで3年近くの間、八女公園の「広場」部分が臨時駐車場となっていました。

     新庁舎が稼働して以降も掘り起こして工事を続けていたので気になっていたところ「福島城跡調査」と聞いて合点がいったわけです。

     さらに今回の現地説明会で福島城について認識を改めました。そもそもよく知らなかったから新発見と言えるでしょう。

     八女公園の一角に『福島城趾』と掘られた石碑があります。そこから石段がつながっているため、わたしはてっきり「ここが福島城だったんだ」と勘違いしてました。

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     ところが現地説明会で配られた資料によると、八女公園にあるのは「福島城やぐら台跡」というではありませんか。

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    江戸時代図


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    やぐら台跡


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     なんと八女公園を含めて新市庁舎手前のおりなす八女(八女市民会館)辺りまでが「福島城」だったそうです。


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    やぐら台跡から眺めた発掘現場。その向こうにある建物がおりなす八女


     メガホンを持つ男性は参加者の質問に対して「天守閣があったかどうかはわかりません」と答えていましたが、平城(平地に築かれた城郭)だったとしてもかなりの大きさです。

     わたしがそれまで「福島城」と思いこんでいた部分の十倍ぐらいあるのではないでしょうか。


    福島城に関わった武将たち

     福島城の歴史について話すなかに「筑紫広門(ちくし ひろかど)」と「田中吉政(たなか よしまさ)」「田中康政(たなか やすまさ)」という武将が出てきます。

     説明する際に「筑紫広門さんはあまり有名ではないんですけど」と前置きしていましたが、わたしも初めてその名を聞きました。

     天下統一を進めていた秀吉から筑後に領地を与えられた広門は当初(現立花にあった)山下城に入ってきたのですが、山下城が使いにくいためこちらに福島城を建てたそうです。

    「広門は(現八女市の)まちづくりをしたパイオニアのような人物」と評していました。

     やがて関ケ原の戦いがはじまり石田三成を中心とする西軍は、徳川家康を総大将とする東軍に敗北。西軍だった広門は家康に改易されてしまいます。

     広門の代わりに福島城に入ったのが田中吉政でした。わたしは田中吉政についても知らなかったのですが、石田三成と親交があるほどの人物だったそう。

     関ケ原の戦いには東軍で参戦。運命のいたずらか、その吉政が敗走する西軍の将・三成を捕らえました。

     田中吉政は石田三成を捕らえた功で初代筑後国主となり、三十二万石の大名として柳川城に入ります。柳川の掘割や用水路を整備したり、有明海の干拓に取り組むなど街づくりに手腕を発揮した吉政は、全国各地での実績から「土木の神様」と呼ばれたそうです。

     八女福島城には吉政の子である田中康政が城代として入城し拡張構築します。吉政は城下町をつくり、人口の運河である花宗川を整備するなどして発展させました。

     吉政の跡を継いだ田中忠政に嗣子がなく田中家は改易となり、福島城は廃城となります。その後、明治時代に八女公園が整備されたのです。

     私がこのような福島城の歴史を知ることができたのは、今回の現地説明会を訪れたからです。説明を聞いたことをきっかけにネットで調べ、私なりの新発見が出来ました。


    もう一つの新発見

     『福島城跡第3次調査現地説明会』で一番重要なのは、築城当時の「造成土」を発見したことです。 

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     造成土はいろいろな土が混ざって層状に重なって、黒と黄色の斑(まだら)が特徴的な整地層になります。

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    造成土について説明しているところ


     造成土の中から柱の跡が発見されました。

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    半円の穴が柱の跡
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    私の手と比較した大きさ


     しかも造成土の中から土鍋の破片が出土されたのです。

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    土鍋の破片を手に持ったところ(パネル)

      壊れた土鍋なども土に混ぜて再利用したことがわかります。

    まとめ

     いつもは祝日でも家でパソコンを叩いて過ごし、出かけようとは考えなかったでしょう。

     「文化の日」にふさわしい『福島城跡第3次調査現地説明会』を偶然ラジオで聞いたことがきっかけとなったのです。

     福島城という言葉にひかれて参加したことにより、多くのことを学べました。

     戦国時代の武将たちについて知ることができ、造成土から土鍋を再利用する「リサイクル」を当時から行っていたこともわかりました。

     そして何より、八女市教育委員会文化振興課の方々がこのような「発掘調査」に関わっていることを発見したのです。

    温故知新(おんこちしん)とは『論語』の言葉で「「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と読みます。

     昔のことを調べて新しい発見をすることもそれに含まれるでしょう。

     例えば、私は以前に筑後市や久留米市にある幕末の志士・真木和泉守保臣(まきいずみのかみやすおみ)の銅像や神社を見たことがきっかけとなり、小説を書きました。

     今回の経験でもまさに「温故知新」を実感することが出来たのです。教育委員会文化振興課をはじめ関係者の皆さんありがとうございます。


    ー了ー


    ※参考にした資料

    福島城跡

    八女福島の町並み(歴史と保存の取り組み)


    『初代筑後国主 田中吉政』pdf

    https://www.city.yame.fukuoka.jp/material/files/group/33/tanak2018jidaiten.pdf


    『心優しき武将・田中吉政』農民から大名へ出世を遂げる


    ※参考記事


    #今年学んだこと


    ※この記事はカタリベ活動に参加しています。


     
     
     
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