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Photo byryoko_pt

空があなたのキャンバス

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

    絵描き歌をご存じですか。
    誰もが一度は聞いたり、描いたりしたことがあると思います。
    起源は鎌倉時代や江戸時代と記憶しています。最初は「絵文字」で、文字を組み合わせて絵にする方法だったようです。「へのへのもへじ」とかが有名でしょうか。
    大正時代、昭和時代に絵描き歌はたくさんのものが作られ、遊ばれました。「コックさん」とか「タコ入道」などは双子の弟は今もたまに描いています。

    私の双子の子供たちは自閉症であり知的障害もあります。
    理解力はそこそこ(小学校1年生くらい?)あるのですが、言語能力が低すぎて会話になりにくい子たちなのです。でも、あなどれません。たとえ言葉が流暢でなくとも、オウム返し(反響言語)や、遅延エコラリア(過去に記憶した言葉やフレーズを後々、場面に関係なくしゃべること)ばかりでも、親や先生、身近な人や興味のある分野については、ほぼほぼ100%といってもいいくらい理解していて、記憶します。
    記憶力の良さは、健常な人ならば優位なことですが、彼らは嫌なことも忘れられず、興味のないことは記憶してもその扉を開かない人たちなので、応用がきかずに苦労しますが、興味のある分野では、凡人の私には到底かなわない集中力で心残りなく完璧に記憶力を発揮します。
    兄はその興味が文字に向かいましたが、弟にとっては絵描き歌が鍵となり、彼の興味の中心になりました。

    私の絵描き歌の思い出は、「アンパンマン」でした。
    やなせたかしさんの絵本から始まる、食べ物がキャラクターになって、敵であるばいきんまんと対立しつつ、必ずやっつけるというストーリー。


    絵描き歌に出会う以前

    双子はまだ歩けない頃からアンパンマンを見ていました。
    アニメの内容やキャラクターの意味はわかっていなかったと思いますが、オープニングやエンディングで流れる歌は、毎回しっかり耳に入っていたようです。
    療育園には2歳前から親子通園で通い始めました。兄は1歳過ぎで歩きましたが、弟は1歳半でも歩けず、つかまり立ちも気が進まない様子。素人の私でも「ちょっと心配」と思うレベルでした。

    そんな療育園通園初日の出来事です。
    私は車で療育園へ連れて行き、双子を両脇に抱えて入口までダッシュするという力業で乗り切ろうとしました。
    なぜそんなことをしていたかというと、なんと、双子にはまだ靴がなかったのです。1人を車に残すわけにもいかず、2人を抱えて走るしかないと思い込んでいました。今思えば他に方法はいくらでもあったはずなのに、当時の私はいっぱいいっぱいで、そこに気づけませんでした。
    そんな私を見つけた先生が、慌ててかけつけてくれたことも覚えています。

    だから、療育園の先生から最初に言われた言葉は「靴を買ってください」。 恥ずかしさと驚きで、今でも鮮明に覚えています。 普通の子なら1歳半で靴がないなんてありえない。
    そのとき初めて
    「私の普通は、普通じゃなかった」と気づいたのです。
    日中は家の中、外に出る時は双子ベビーカー、遊ばせるときはそもそも靴のいらない児童センターとか。そして当人は歩かない。一人はよちよち。
    必要性を感じていなかった。それくらい、1人で双子の世話をする場合、歩かせるという選択肢が考えられなかった、当時は。

    療育園にて

    正式に通い始めたのは2歳。発達の遅れは大きいほうでしたが、私はそこまで深刻に考えていませんでした。無知はある意味、幸せでもあります。やっと通える場所を見つけてホッとしていたのもあります。

    療育園では散歩に行き、体を動かし、動かし方を覚え、自分の身体のイメージをつかむ練習をします。弟もこの頃には歩けるようになっていましたが、すぐ疲れてしまい、帰り道は歩きながら寝てしまうこともしばしば。ぐっすり寝てしまうので、抱っこして帰ることも多かったです。他の子は元気に歩いているのに、私は汗だく。少し悲しい気持ちでしたっけ。
    今より若かったはずなのに、あの頃のほうがしんどかったのはなぜでしょう。
    そういう時期、絵描き歌を私は歌いながら描いて見せていました。
    時間つぶしとか、そういう時に。
    アンパンマンが一番覚えやすくて、私もすぐ描けるからという理由もありました。
    紙に鉛筆、そして歌。
    弟はじーーっと見つめていました。
    歌い終わるとできた!とアンパンマンの顔がそこにある。
    弟の顔は不思議そうで、でも興味津々のわくわくしたような顔。
    目の色が変わりました。
    よく覚えています。
    そして手で私の腕を引っ張るのです。あっあ!と言いながら。
    もう一度描いて、と。

    絵描き歌と弟


    私は描きました。たぶんあの時代が過去一番絵を描いていました。弟のために。描いても描いても、飽きない様子で。何度も何度も、描いてとジェスチャーで伝えてくれました。
    私もその要求に答えることに必死でしたし、アンパンマンだけでは飽きるので他のキャラクターの絵も、絵描き歌にはなくても、描いたりしました。

    本人はまだ絵を描けない時期、この時は私の手が弟の手のかわりとして機能していました。クレーン動作で鉛筆をもたせ、紙のところに連れて行き、あっあ!と言う。
    「はいはい」と私が描く。じっと見つめている。鉛筆の先を見据えて。
    この頃は歌がなくても描けば納得することもありました。
    つまり、本人の中で歌が歌われていたと私は思っています。当時はそこまで考えていませんでしたが、きっとそう。
    何枚も何枚も描きました。
    そのうち、外遊びでも地面に枝や石で描けることがわかり、公園の地面いっぱいにアンパンマンのキャラクターが広がるようになりました。

    そして、終わりは突然きました。
    弟が、自分で描き始めたのです。
    クレヨンを握りしめ、筆圧の強い濃い線で、確かにキャラクターを描いていました。 何も見ずに描ける。 すべて頭の中に記憶されていたのです。

    そこから彼の快進撃が始まりました。 絵描き歌の絵本やDVDを毎日見て、あっという間に覚え、描き続けました。 色を塗ることも覚え、ぐるぐる塗りつぶしながら仕上げていきます。絵描き歌のために買ったお絵描きタブレットは、今も大切に使っています。 彼は続けることのプロ。 絵描き歌へのこだわりは、彼の余暇を豊かにしています。


    彼の世界は未来につながる

    集中して絵を描くとき、弟の目は絵の先を見ています。 その続きを、そして絵の中に物語をつくっているようです。

    絵描き歌で描いた幼稚園バスに、別の絵描き歌で描いた動物の顔を切り取って貼り付け、背景を描き足して“おでかけ”させる。 そんな遊びを、夢中で続けています。

    いつか、これが映像として未来が形になれば、彼はさらに楽しめることでしょう。 大人になって自分の時間を使うとき、絵描き歌の世界が彼の人生を彩る選択肢のひとつになればいい。 私はそう願っています。
    なぜなら自閉症の人は、自分の時間(余暇)の使い方が下手なので、手持ち無沙汰になることが多いのです。そうなると不安になる人もいる。いくら支援者があれこれ手を尽くしても、本人の好きと合致すること以上のレクリエーションはないのです。

    兄も絵描き歌を描きます。一緒に育ったから当たり前ではあるのですが。
    でも、兄の絵は緻密です。間違いは許さないので、修正ペンできっちり消して上書き。なので出来上がりの差は一目瞭然。時間は少しかかるけれど、完成度高いのは兄。
    出来上がりの良さにこだわる兄と、世界を楽しむ弟。双子なのにちっとも似ていないところは、不思議だなといつも思います。

    知れば、こわくなくなる

    自閉症の人は、一人でぶつぶつしゃべって歩く姿から「怖い」と思われがちです。 特に大人になると、なおさら。
    でも、少し想像してみてください。 そのぶつぶつ言う内容が絵描き歌で、 手で空に描きながら、 脳内には動物やキャラクターがたくさん広がっているとしたら。

    知れば、こわくなくなる。 もちろん全員ではないけれど、だいたいの人は怖くありません。
    逆に世界のほうが自閉症の人にとっては怖いのです。自分を守るために世界をきっちりと作って安心したいのです。
    だから、たとえば空に絵を描く人の世界を、一緒に楽しんでくれる人が私以外にも増えてくれたら、世界はお互いにつながり合うかもしれません。
    そうなれば、私は嬉しいのです。


     
     
    特別支援学校に通う双子と通信制高校進学した長女の子育てと関わりを言葉にしています。古いものから一定期間で削除予定。家族に助けられ、親は子に育てられていると実感中。 骨折リハビリ中、絶賛就活中につき、現実の厳しさにやられ中。

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