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とるに足りない断片の語り



    祖母のこと

    今まで出会った人の中で一番私をかわいがってくれたのは祖母だと思う。

    亡くなって20年ぐらい経っても思い出すだけで涙があふれてしまう。

    やさしくてかわいいひと。

    時間が経つと人間の記憶は凝り固まってちいさく折りたたまれて失われてしまう。

    だから、ふとした瞬間に祖母とわたしをつなぐものを思い出したときそれがどんなにささいな出来事であったとしても、
    わたしにとっては特別でたまらないものなのだ。



    祖母は運転免許を持っていなかったので買い物に行くときは徒歩だった。祖父は仕事で走り回っていて毎日の買い物にはあまり気を配らないひとだった。それに加えて祖父母が住んでいたのは十勝の鹿追町という田舎でスーパーは二軒しかない。そして、その二軒はなぜか隣同士にあって祖父母の家からとても遠かった。

     春になっておおぶりのいちごがスーパーに並ぶ頃、祖母は片道50分かけて買い物に行き、いちごをたくさん買ってジップロックに入れて冷凍にして送ってくれた。わたしはそのいちごの味をまだ忘れられないでいる。甘くてすっぱくて種がぷちぷちしていて、いちごの果汁が氷と混ざって舌で溶けて消える。自分で再現させようとしても、どうしてもいちごを生で食べたくなってしまって再現できた試しはない。たとえ同じように凍らせてみても、同じ味にはならないとすら思う。祖母はどうしてわざわざ時間をかけて買って持ち帰ったいちごを、自分でも生で食べられたのにわざわざ冷凍して送ってくれていたのだろうか。その頃、わたしが熱性けいれんをよく起こしていたから保存の効く好物を用意してくれていたからなのかわたしがひどく喜んだからなのか、どうしてその慣習が毎年つづいたのかはわからない。でも、普段母とスーパーに行っても高くてなかなか買ってはもらえないおおぶりのいちごをわざわざ遠くまで歩いて祖母がいっぱい送ってくれたこと、その味が忘れられないこと、スーパーから帰るときに荷物が重かっただろうこと、いちごを潰さないように大事に持っていてくれただろうこと、そんなことをとりとめもなく想起する。わたしが今でも祖母が大好きなことは時間が経っても変わらないことだ。いま祖母と話せたら、どんなことを話せるだろうか。わたしがあまりにも雨な毎日を送っていることをどう思うだろうか。天国にいてもわたしの名前を呼んでくれるだろうか。大好きだった祖母。祖母の家の電話番号を覚えて勝手に電話をかけていた4歳の頃のわたし。車で行けば40分かかる祖父母の家。




    大学に入学してまもなく、環境の変化によるストレスでカンジダになって行った婦人科のおばあさん先生の声が妙に祖母の声にそっくりだった。その声を聞くまでわたしは祖母の声すら忘れていたことに気づいた。声に芯があってやさしさがにじみ出ているような声。その先生は菌を培養して診察してくれたやさしい先生だった。治りかけの診察の時は症状をみてもらうためなのにほとんどその先生の声を聞きに行っていたようなものだった。二年後にまたカンジダになって行ったらその病院の建物自体が壊されていて跡形もなかった。雨の日だった。わたしは自転車で雨の中呆然と立ち尽くしていた。今思えば、あれは祖母だったのかな、なんてありもしないことを考えてしまう。



    声はひとつ、その人を思い出すための手段。
    思い出したらまたその人に会える気がする。
    たとえ亡くなっていたとしても、また名前を呼んでくれる。だから生きている方は前を向けるのかもしれない。

    祖母とわたしを繋ぐ、冷凍のいちごと記憶のなかの声。

    特別でたまらなくいとしいわたしの柔らかい部分。

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