
旅の計画をしてたら愛に辿り着いた
夏の旅の計画をしている
非常に悩ましい
学生の頃から国内外さまざま旅をしてきた
ハタチから付き合っている夫とも
地球4周分くらいは車を走らせてきた
世界の建築物、美術館、紺碧の海、
日本が誇る温泉や和食、四季折々の花畑、
そういったものに
わたしは心を惹かれてやまなかった
旅行業界の資格を所持しており
観光地にもわりと詳しい自負がある
しかし現在は出産後、の世界だ
我が家の構成は
夫・息子・わたし
息子は体力鬼盛り活発小学生男子である
どこ行きたい?
森のアスレチック!
でっかいプール!
景色?えー興味ない
花?よくわかんない
そう、私と息子の希望は全くもって一致しない
ここが悩みなのである
とにかくお酒が飲めればいい夫は
どちらにも転べるのでおいておいて。
大人なんだから…
子どもに全て合わせるべき…
という考えではないことも一筆添えておく。
運動をしてない私がアスレチックなぞ
生命の危機を感じるため心が即刻拒否
そもそも森には絶対にナニかいるし
ナニかが苦手な私には危険区域でしかない
プールの前に水着を着る気も買う気もない
これらの分野はすべて夫に丸投げしている
息子の情緒を育てようと日頃から
「夕陽が綺麗だね」
「今夜は満月だね」
などと声をかけているが
「ふーん」とか「へえ」とか
打ってもまるで響かない
「お花綺麗だねー!」
にも以下同文
もう別々に旅したほーがいーんじゃなーい?
という声が天から聞こえる
いやいや、それは待ってほしい
人生すなわち思い出である
愛する家族とたくさんの思い出をつくりたい
では希望が異なる場合どうすればいいのか
それは、歩み寄りである
息子がやりたいこと
私がかなえたいこと
それらをリストアップしながら
互いの中間点を探しながら
ああでもない、こうでもないと
チャットGPTに泣きつきながら考えあぐねている
ああ、ままならない…
けれどこんな時間をもてていること
自分をままならなくさせてしまうほど
大切な誰かと生きていること
そこに幸福と感謝を感じざるを得ない
ふいに、自分が子どもの頃の旅を思い出す
あの頃、わたしは子どもで
親が親だった
夏休みと年末年始に
名古屋にある祖母の家に行くのが
旅行として位置づけられていた
新幹線ではなく車で何時間もかけて向かった
北海道へ行ったことがあった
両側に背の高い木々がある道の真ん中で
家族4人、縦に連なり写真をとった
確か函館あたりの温泉宿で
夜中のラーメンを食べたのが嬉しかった
父の赴任先であるニューヨークへも行った
出発の日、成田空港に向かうために
とんでもない早朝に起きると
いつもは見ない時間帯のテレビが点いていて
新鮮でわくわくした
結局思い出すのはそんなことだった
時計台でもなければ、自由の女神でもない
「いつもとはちがう」
深夜のラーメンであり、早朝のテレビだった
今、わたしは親になり
あれは節約のためだったのだろうな
と思うことがいくつかある
自分の家が裕福だと思ったことはないけど
うちはお金がない!と感じたこともなかった
そうしてくれていたのだな、と思う
それでも私の親が
旅に行きたいと思っていたこと
旅をさせてあげたいと思っていたこと
30年の時を経て
家族旅行で得たものは愛だった
自覚する前に愛は溜まっていて
その愛は巡りたがっている
わたしの息子は旅で何を受け取るだろうか
まあ、受け取っても受け取らなくてもいいか
「いつもとはちがう」わくわくがあれば
長いこと睨めっこしていたじゃらんで
良さそうな宿を見つけた
プールはないけど海が一望できるし
近くに森のアスレチックがある
決め手は深夜にラーメンが食べられることだった
過去と未来を行ったり来たりしながら
想いと愛はめぐってゆく
新たな旅のはじまりである