
「本当は優しい子」と言ったあとで、考えたこと。
「本当は優しい子なんだよ。」
私は夫にそう言った。
でも、そのあと一人で考えていた。
本当にそうなんだろうか。
先日、家族で公園へ行った。シャボン玉で遊んでいた。普通のシャボン玉ではなく、PVAが配合された、少し丈夫なシャボン玉だ。
そっと触るくらいなら割れない。
でも、力が入りすぎると、あっけなく割れてしまう。大きく作るには少しコツがいる。
何度か練習して、長女がとても大きなシャボン玉を作ることに成功した。
その瞬間。
次女が触って、割ってしまった。
次女はすぐに泣き出した。
「ごめんね」
泣きながら、少し怒ったような顔で謝っていた。
以前の次女なら、こういう場面で謝ることは難しかった。
「あ、ちゃんと謝れたんだ」
そんな成長を感じていた、そのときだった。
長女が言った。
「割れたのは妹ちゃんのせいじゃないよ。
大丈夫だよ」
優しい嘘だった。
妹が強く触ったところを、その場にいた全員が見ていた。もちろん長女も見ていた。
次女は、すっと泣きやんだ。
長女がそう言うと、夫が「優しい」と少し大げさなくらい反応した。
私も「そうだね」と頷いた。
でも、その瞬間、頭の中には別の光景が浮かんでいた。
家で、長女が時間をかけて作ったブロックを、次女がうっかり壊してしまった日のこと。
次女は泣きながら、
「妹ちゃん壊してないよ!」
と言い張る。
長女は、
「妹ちゃんのせいで壊れた! 今すぐ元通りにして!」
と本気で怒る。
そんな姉妹を、これまで何度も見てきた。
「割れたのは妹ちゃんのせいじゃないよ。大丈夫だよ」
という長女の言葉が、あとからじわじわ効いてきた。
そのあと、滑り台で遊ぶ姉妹を少し離れたところから眺めながら、夫が言った。
「優しい嘘って、なかなか高度だよね」
確かに、と思った。
私は言った。
「長女ちゃんって、本当は優しい子なんだよ。きつい言い方をしたり、荒れたりするのは、疲れてるときなんだよ。」
でも、そのあと一人で考えていて、ふと立ち止まった。
本当にそうなんだろうか。
私はこれまで、長女が疲れている日に別人のようになる姿を何度も見てきた。
大声で怒る。
人の話を聞こうとしない。
同じことを何度も繰り返して言う。
妹を叩く。
物を投げる。
わざと物を落として、「拾って」と命令する。
頭では「疲れているからだ」と分かっていても、「さすがにひどくない?」と思ってしまう自分もいた。
だから私は、
「本当は優しい子なんだ」
と思うことで、自分を納得させていたのかもしれない。
人も、力が入りすぎると、普段とは違う反応をしてしまうことがあるのかもしれない。長女を見ていて、そう思った。
でも、違った。
優しい嘘をつける長女も、
荒れてしまう長女も、
どちらも長女なんだ。
それを「本当の姿」と決めつけるのも違う。
優しい姿だけを「本当」と思うのも違う。
どちらも、この子なんだ。
そう思ったら、不思議と暴れている日も、
「今日は疲れているんだな」
と、以前より受け止められるようになった。
そして、その考えは私自身にも返ってきた。
会社にいる私。
母親の私。
夫といる私。
大学時代からの親友といる私。
ママ友と話している私。
どれも、少しずつ違う。
たまに、
「本当の自分って、どれなんだろう」
と考えることがある。
でも、長女を見ていたら思った。
たぶん、そんなものはない。
全部、その人なんだ。
だから何って感じではあるのだけれど。
そうやって、一つの出来事から、
ああでもない、こうでもないと考えてしまう。
ちなみに、これもまた私だ。