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シナリオ『バンジージャンプッ。』

    あらすじ

    49歳の鈴木和夫(大輔)は、先月同居していた母親を亡くし、散らかったマンションで一人呆然と暮らしている。かつて職場で理不尽なパワハラに遭い、引きこもりになった彼は、生活のために不慣れな早朝の宅配便バイトを始めるが、老眼で伝票も見えず、高圧的なドライバーから「役立たず、早く死ね」と激しい暴言を浴びせられる。過酷な現実の中で、和夫の脳裏には、自分をかばってくれた母の記憶と、母の死後に「嘘の借金」を盾にマンションを売れと冷酷に追い詰めてきた伯父への怒りが蘇る。

    バイトの帰路、心身ともに疲れ果てた和夫は電車を寝過ごし、幼い頃に母と訪れた思い出の遊園地「ファミリーランド」へと行き着く。かつて母はそこで、バンジージャンプを「過去の自分をリセットして大人になるための試練」だと語っていた。導かれるようにジャンプ台へ向かった和夫は、恐怖に足がすくみながらも、母の面影を持つ係員の「私が支えているから大丈夫」という言葉に背中を押され、決死の覚悟で灰色の空へと飛び降りる。

    恐怖に打ち勝ち、生まれ変わるような喜びの涙を流した和夫は、母が遺したエンディングノートを開く。そこには、傷つきやすい息子の優しさを肯定し、「あなたなら一人で生きていける。しっかり人生を生きて」という深い愛とエールが綴られていた。母の呪縛と依存から脱し、本当の「大人」への一歩を踏み出した和夫は、再び宅配便の現場に立ち、相変わらず理不尽に怒鳴るドライバーに対しても、今度は怯えて作り笑いをするのではなく、まっすぐ前を向いて「はい、やりました」と堂々と言い返すのだった。

    登場人物表

    鈴木和夫(男)四十七歳

    大学を卒業し大手企業に就職。三十歳のころ、職場で上司からパワハラを受けてうつ病となり、仕事を辞め、以来約二十年、引きこもっている。

    鈴木美和(女)和夫の母

    二十歳で和夫を出産後、夫のDVが始まり離婚。保険の外交員として働き、和夫を育てあげる。比較的収入は多く、中古のマンションも購入。和夫がうつ病になってからは、再び養っていた。定年退職後は、スーパーのパートで働き始めるが、一年ほどで腰痛がひどくなり病院に行くとすい臓がんの末期で余命半年と診断される。在宅での看取りを選び、一人息子である和夫に見守られながら息を引き取る。享年六十七歳。

    伯父(男)

    鈴木美和の兄。七十歳。金銭に汚く、親が他界した時も不動産などの相続財産を独り占めする。美和の死後は、甥である和夫に、美和に生前お金を貸していたと難癖をつけ、美和の残したマンションを手放して返済するように促す。

    金髪の係員(女)

    バンジージャンプのアトラクションの担当者。若いころの鈴木美和を演じた女性の一人二役。

    初老の係員(女)

    バンジージャンプのアトラクションの担当者。中年のころの鈴木美和を演じた女性の一人二役。

    男の子(男)

    ファミリーランドに祖母と連れられて遊びに来た男の子。子供のころの鈴木和夫を演じた人の一人二役。

    お祖母さん(女)

    孫と二人でファミリーランドに遊びに来たお祖母さん。上品な雰囲気。在宅看護を受けていたころの鈴木美和を演じた女性の一人二役。

    バイトリーダー(女)

    宅配便の集積所で働く、アルバイト。リーダ的存在だが、立場は普通のバイトと変わらない。

    ドライバー(男)

    宅配便のドライバー。常に不機嫌で、自分より立場の弱い人に当たり散らす。

    初老の男性(男)

    うつ病になりかけていた鈴木和夫が、終電に飛び込みそうになるのを止める。

    課長(男)

    鈴木和夫をうつ病に追い込んだ上司。自分の保身しか考えない。関西出身ではないが、都合の悪いこと、言いにくいことは、わざとらしい関西弁で話す。

    徳山(男)

    鈴木和夫のかつての同僚。課長の腰巾着的な存在。

    ゴンドラ乗り場の男性・女性の係員

    ファミリーランドの入り口の係員たち。

    シナリオ『バンジージャンプッ。』

    マンションの一室。

    薄暗い中で、鈴木和夫が布団に入って横になっている。目はぱっちりと開いており、眠ってはいない。
    目覚ましが鳴る。時計は三時を指している。
    和夫は起き上がって、目覚ましを止める。洗面所で顔を洗い、ひげを剃り、歯を磨く。寝室に戻って、長ズボンとTシャツを着て、長袖のシャツを羽織る。身支度を整えたら、布団の枕元に置いてあったリュックサックを開き、中を確認。床に落ちていたペットボトルを拾ってキッチンへ行く。
    リビングのテーブルの上には、物があふれている。テーブルの片隅に、骨壺と女性の写真が置いてある。
    和夫はキッチンに入り、さっき拾ったペットボトルを水道で軽くゆすいで、水道水を入れ、リュックの中に入れると家を出る。

    駅前

    明け方の街。九月の下旬で、暑かった夏が終り少し気温も下がり始めた時期。明け方はやや肌寒い。虫の声がする。
    和夫は駅に向かうが、駅はシャッターが下りていて、開いていない。
    時計を見て慌てる和夫。スマホのバイトアプリを開き、地図を確認する。徒歩で四十分と表示される。
    帰ってしまおうかどうしようか、迷うが歩き始める。何度もスマホで地図を確認し、小走りに走るが、すぐに息が切れて歩き始める。

    アルバイトの集合場所

    薄暗い部屋。部屋の周囲、壁沿いに自動販売機が並んでいる。自動販売機に囲まれるようにテーブルと椅子がいくつか置かれており、さまざまな年代の男性たちが数名、座っている。それぞれ会話はなく、黙ってスマホをみたり、テーブルにうつぶせになって寝ていたりする。
    壁に「盗みは犯罪です。発見した場合は直ちに警察に通報します」と書かれたチラシが貼ってある。
    和夫が入って来る。

    和夫 おはようございます。

    集合場所にいるバイトたちは和夫の挨拶を無視し、誰一人、和夫に関心を示そうとはしない。
    所在なさげに立ちすくむ和夫。後から来たアルバイトの男性が、けだるそうに黙って椅子に座るのを見て、和夫も近くの椅子に座る。

    宅配便の集積所

    ヘルメットをかぶったアルバイトたちが、宅配便の集積所に集まった荷物を仕分けている。和夫も、必死に指示された通りに動こうとするが明らかに周囲から浮いている。見かねて、バイトリーダーが和夫の近くに来る。

    バイトリーダー ここ一丁目って書いてあるじゃないですか?一丁目のカーゴに入れてください。ほかのも、住所見てわかると思うんで。一丁目があそこ。二丁目がこっち。あと、重要なのが時間?一丁目だけど午前指定と書いてないものは向こうの方。分かります?まあ、なんか分かんなかったらいつでも聞いてください。

    和夫 はい。すみません。

    和夫は宅配便の伝票を見るが、老眼で小さな文字がよく見えない。メガネを上にあげて住所を読もうとする。ようやく荷物をひとつ、一丁目のカーゴに荷物を乗せて戻ってくる。

    バイトリーダー あ、ちょっとお兄さん、この荷物ドライバーさんとこに持って行って。

    和夫は自分が「お兄さん」と呼ばれたことに戸惑いを覚えるが、返事をする。

    和夫 はい。

    バイトリーダーが小さな荷物を和夫に手渡す。

    バイトリーダー あそこの今、ドライバーさんが荷物を乗せてるところね。

    和夫は、目を凝らしてリーダーが指さす方を見る。トラックが何台も並んでいて、どこに持っていけばいいかわからない。もう一度聞こうと、振り返るが、バイトリーダーはもう別のところに行っており、いない。

    車のドライバーのところに行く和夫。

    和夫 あの、こちらに持ってくるようにって言われました。

    和夫はドライバーに預かった荷物を差し出す。

    ドライバー ああ?知らねえよこれ。ピってやったのか?ピッて?

    和夫 はい?すみません、ちょっとよくわからなくて。「P」ですか?

    ドライバー なんだお前は?バイト?仕事舐めてんのか?

    和夫 すみません。今日初めてなのでちょっとよくわからなくて。

    ドライバー は?甘ったれてんじゃねえよジジイ。仕事舐めてんのか?

    和夫がドライバーに叱られているのに気が付いて、バイトリーダーが寄って来る。

    バイトリーダー 大丈夫です。端末ちゃんと通してます。

    ドライバー だったら最初から言えよ。まともに動けないジジイなんて雇うなよ、仕事が増えるだけだよ。

    ドライバーは和夫から荷物をひったくるようにして取り上げる。舌打ちをして、車に荷物を積む。和夫は少し呆然とするが、バイトリーダーの方に向かって戻る。

    和夫 すみません。

    バイトリーダー 初めてなんだからしょうがない。気にしないでいいから。大丈夫だよ。

    ドライバー 大丈夫じゃねえ。気にしろ、バカ。そんな甘いこと言ってるからバイトにもなめられんだよ。

    ドライバーが不機嫌そうに荷物にやつあったりしながら整理を続ける。バイトリーダーは時計を見ながら、目の前を歩く若いバイトに声をかける。

    バイトリーダー そこのお兄さんさ、これ、台車を向こうに持って行っといて。

    若いバイト 了解です。

    和夫 あの、私は何をしましょうか?

    バイトリーダーは辺りを見回すが、指示して良い仕事がすぐには浮かばない。

    バイトリーダー 今日は、何時まで?

    和夫 八時半です。

    バイトリーダー 四時から?

    和夫 はい。

    バイトリーダー 電車通ってなかったでしょ?家、近いの?

    和夫 一時間くらい歩きました。

    バイトリーダー え?一時間も歩いたの?

    和夫 いえ、だいたいです。一時間までは歩かないです。

    バイトリーダー それは大変だったね。でも、もうすぐ上がりの時間だからね。今からできそうなこともないんだけど、休んでると嫌味言われるから……。そうだな、ゴミが落ちてるからさ。拾ってくれる?ゴミ箱は奥の方にあるから。

    和夫 はい。

    みんなが忙しそうに働いている中、和夫は床に落ちているゴミを拾い始める。

    和夫 ゴミはどうしましょう?

    バイトリーダー 奥にゴミ箱があるから、燃える燃えないを分けて、捨てといて。

    回想 掃除の風景

    三十代ぐらいの女性が、部屋の中で掃除機をかけている。その横で幼いころの和夫が大きなゴミを拾っている。女性は和夫の母親。服装は昭和を感じさせる。
    女性はうっすらと化粧しており、可愛らしい顔をしている。和夫は一生懸命お手伝いをしている。床に散らばっている、工作の後の紙切れを拾っては破いてゴミ箱に捨てる。

    美和(若いころ) 大輔、お掃除手伝ってくれてありがとう。

    ドライバーの声 おい、ここに伝票切ったのを置いといたの知らない?

    ドライバーが車の積み込み口の辺りをきょろきょろして何かを探している。

    バイト 伝票ですか?

    ドライバー そう。ここにリップでまとめて……

    ドライバーは和夫がゴミを捨てているのに気がついて、ゴミ箱の中を覗く。

    ドライバー ここにあるじゃんかよ!!またお前か?

    床のゴミを拾っていた和夫にドライバーが怒鳴り続ける。

    ドライバー もうお前、邪魔しないでくれよ。頼むから。

    和夫 すみません。

    和夫は困って、笑顔を見せようとするが、ニヤニヤした変な表情になる。その顔を見て、ドライバーはさらに激怒する。

    ドライバー ジジイ、人が注意してる時にニヤニヤしてんじゃねえ。役立たず。死ね、はよ死んだ方が世のためだ。消えろ!

    バイトリーダーが来て、和夫に荷物を渡す。

    バイトリーダー お兄さん、お兄さん、この荷物、至急三階に届けてくれる?「混ざってました」って言えば、わかるから。分からなかったら黒いヘルメット被った人に聞いて。

    和夫 はい。すみません。

    和夫は不機嫌そうなドライバーを見ながら、ちょっと頭を下げて走っていく。バイトリーダーは、ドライバーに深々と頭を下げる。

    バイトリーダー すみませんでした。新人さんなんですけど、きちんと指示できてなくて。

    ドライバーは少し戸惑う。

    ドライバー 言っとくけど、パワハラじゃないからな。勤務態度が悪すぎるから指摘してるだけだぞ。ほんとはお前の仕事を代わりにやってやっただけだからな。

    ドライバーはぶつぶつと文句を言いながら、荷物の積み込みを再開する。そこへ和夫が戻ってくる。

    和夫 すみません。三階ってどうやって行けば?

    バイトリーダーは奥の方を指し示す。

    バイトリーダー エレベーター、あっちの奥だから。エレベータの前に冷たい水もあるから、自由に飲んでいいよ。

    和夫 すみませんでした。

    バイトリーダー 気にしないでいいよ。初めてなんだし。

    控室

    早朝バイトの終了時間。時計は九時を少し過ぎている。バイトを終えた人たちが安全靴やヘルメットを棚に戻して片付けている。
    社員が見張っている。

    社員 安全靴は、ちゃんと除菌スプレーをかけて、箱にしまってください。

    和夫は、ほかの人たちがやっていることを見ながら、必死に真似をしているが、どうしてももたもたとしてる。だいぶ人が減ったころ、ようやくヘルメットを返却し、パイプ椅子に座る。
    慣れない手つきで安全靴を脱ぐ和夫。靴の中に除菌スプレーをかけて、安全靴を積んでいる棚から空き箱を探すが、なかなか見つからない。ようやくひとつ、空き箱を見つけて箱にしまう。
    安全靴を棚に返すころには一人になっている。疲れて汗だくになっている。
    ふらふらしながらも、和夫は誰もいない空間に頭を下げて、事務所を出る。

    宅配便の集積所の外

    宅配便の集積所を出て通りを歩く和夫。立ち止まって、駅までの道のりをスマホで確認している。
    「シャラーン」という音がする。和夫がスマホを見ると、「5,200ポイントが入りました」と案内が出ている。すぐに引き出すことが可能と、メッセージが続く。和夫はスマホをタッチして、「引き出し」ボタンを押す。

    駅

    朝の通勤ラッシュが始まっている駅。
    人の流れに翻弄されながら、和夫はもたもたと不器用に進む。
    駅のホームに立つ和夫。ベンチに空きを見つけて、席に座る。
    和夫が座ると少しして、隣に座っていた若い女性が立ち上がって、去っていく。
    和夫はTシャツの襟首の前あたりを引っ張り上げて、鼻の前に持っていき臭いを嗅ぐ。
    Tシャツの前をつまんでパタパタと空気を入れて、自分の汗の臭いを消そうとする。
    駅のホームにある、電車の運行状況を確認する和夫。次の電車が来るまでには、まだ時間がありそうだ。ふと、視線の先、ホームのバイトリーダーが立っているのに気が付く。

    会釈をする和夫。

    バイトリーダーは、和夫に気づいてちらりと見るが、無視してすぐに、スマホの動画に視線を戻す。和夫は気まずくなって、ほかの方を見る。

    回想 職場

    オフィスの中。数人の人たちが働く中で、若いころの和夫も働いている。デスクトップの大きなパソコンの画面を見ながら、机の上に置かれた電話で話している。何かを謝っているようだ。
    和夫は電話を切って、少し離れた席を見る。
    上司がほかの社員と楽しそうに会話をしている。
    和夫はそれを見てしばらく躊躇していたが、意を決して席を立って上司の近くに行く。
    上司とそのお気に入りの社員、徳山が楽しそうに雑談をしている横で、話が終わるのを待っている。
    和夫がそばに来たことに気が付いたお気に入りの社員、徳山は話題を変える。課長と徳山は、そこに和夫がいるのを無視して、わざとらしく仕事の話を続ける。

    徳山 次の打ち合わせで、課長にも同席していただきたいんですが、予定を入れちゃっても良いですか?

    課長 もちろん。空いてるところだったらどこでも入れて良いよ。

    徳山 ありがとうございます。

    徳山が頭を下げて、自分の席に戻る。
    和夫はおずおずと課長に話しかける。

    和夫 すみません、課長……。

    課長は和夫の声を無視して、パソコンの画面に見入っているふりをする。
    和夫は少し待って、再び声をかける。

    和夫 課長、お忙しいところすみません、少しお時間いただいてもよろしいでしょうか?

    課長はようやく、頭をあげて和夫を見る。

    課長 なんや? 深刻ぶった声出して、また面倒ごとか?

    徳山と話をしていた時とは明らかに異なる態度。和夫を嫌っていることを隠そうともしない。

    和夫 実は、請求書の件で、「見積もりと違う」と問い合わせが入っていまして。私が確認したところでは、違いはなかったのですが、先方から送られてきた見積書のFAXを見ると確かに数字が変わってて……。

    課長 知らんて。お前のミスやろ? そんなん、俺に言われても。

    和夫 私も何回も見直してはみたのですが、私の残している記録とはどうしても合わなくて。ワイ・テックさんには前回、先方に挨拶するからと課長が持って行ってくださったと思うのですが、その時に先方と何か、見積金額の変更のお話をされていたのかなと思いまして。

    課長 二ヶ月も三ヶ月も前のことなんて覚えてるわけないやろ? お前、じゃあ二ヶ月前の夜ご飯、何喰ったか覚えてるか?

    和夫 いえ、覚えてません。

    課長 ほら見い。それに見積もりに変更があったら、伝えてるはずやろ。それが社会人のルールや。

    和夫 そうなんですが、共有の記録もなくて。この見積もり、課長が出したものですよね?

    和夫は先方から送られてきたFAXを課長に見せる。課長は嫌そうな顔をしてFAXを受け取る。

    課長 あー、これね。俺かも知らんけど覚えてないわ。でも仮にやで?金額変更するってなったら、言うやろ。お前、ちゃんと人の話を聞いてたんか?

    和夫 すみません。課長のお話は伺ったらメモは残すようにしてるんですが……。

    課長 自分が上司の指示を忘れた癖に、人のせいにするんか? お前のためを思うから言うてやるけどな、その態度は社会人としておかしいんとちゃうか? どうかと思うぞ?

    和夫 すみません。で、先方の葉山部長が、課長から連絡が欲しいとおっしゃってるんですが……。お電話していただけないでしょうか?

    課長は不機嫌そうに和夫を無視する。

    和夫 すみません。なるべく早く電話が欲しいとおっしゃっていて……。

    課長は和夫をにらみつける。

    課長 何でわざわざ電話しなくちゃあかんねん? よく確認もせずに請求書を出して怒らせたんはお前やろ?あれちゃうか? お前の見積もりが間違ってから俺が直してやったとか、そういう奴とちゃうか?

    和夫 しかし……。

    課長 おい、徳山。ひと月前くらい、俺が鈴木の見積もり間違ってたから作りなおしてやってたことなかったか? 覚えてない?

    徳山 あー、えーともしかしたらそんなこともあったかもしれませんね。ちょっと僕、若年性の痴呆入っちゃってるかも……。

    課長 徳山、お前、そういうのはちゃんと覚えておけ!! なんか知らんけど、鈴木が見積もり間違ったのにわしのせいにされて、責任取れってめっちゃ怒ってんねん!!

    課長は和夫の方を見て、露骨に大きなため息をつく。

    課長 番号!

    和夫 はい?

    課長 番号ゆうたら、電話番号や! 部長の。名刺くらいもろてるやろ? なんやお前? 電話番号も俺に探させるつもりなんか?

    和夫は自分の机に戻り、名刺ケースを探して名刺を取り出して、課長に渡す。

    課長 何でわしがこんなアホな電話せにゃならんねん……。こんな小さい文字で電話番号書かれてもわかるか? 名詞ポンって出すんやなくて、大きな文字で書き写して渡すもんやろ?普通……。

    和夫 書き直します。

    課長 いらんわ!

    ぶつぶつと文句を言いながら課長は電話をかけ始める。相手が出ると、急に笑顔になって話し出す。

    課長 ……すみませんねえ、うちの馬鹿がご迷惑おかけしてしまって。なんでも御請求書の数字を間違ってお出ししてしまったみたいで。
    そうなんです。いやいや私がお出しした数字は正確なものなんですがねえ。担当者の鈴木というのが、自分が担当の癖に間違えて、そのくせごしゃごしゃ抜かすんですよ。
    いやあ、本当に……。ろくに仕事もせえへんくせに強情で、いや、ほんま使えへんのですよ。
    こっちも育ててやろうと、いろいろ教えてはいるんですが、言い訳ばっかり得意になって……、親がどういう教育したんですかね? 理解に苦しみますわ。ほんますんません。すぐに正しい数字で作り直すよう言うてますので……。

    駅

    ベンチに座ってぼんやりしている和夫。
    駅のホームに電車が入ってくる。
    立ち上がる和夫。
    電車からあふれだす人たちに戸惑いながら、何とか電車に乗る。
    車両の中はガラガラ。和夫は椅子に座る。
    車両の端の方でシートに座っていたバイトリーダーが、立ち上がって、隣の車両に映るのをぼんやりと眺めている。

    回想 マンションの一室

    狭い部屋に荷物が乱雑に積まれている。
    部屋の大部分を占める介護ベッドに高齢の女性が横たわっている。
    医師が死亡診断書をかいている。
    看護師が女性の体を拭いている。
    所在なさげに、和夫がベッドの脇に立っている。

    和夫 この後、どうすれば……?

    看護師 まず、親戚の方にご連絡を入れてください。あと、葬儀社は決まっていますか?

    和夫 葬儀社?

    看護師 ええ。お母さん、このままにしておく訳にはいかないでしょ?ご葬儀はきちんとしないと。

    和夫 親戚も葬儀社も分からないです。

    看護師 お母さまが以前、エンディングノートを書いたとおっしゃっていましたが、ご存知ないですか?

    和夫 本棚にあったと思います。私も昔、聞きました。

    看護師 そこに親戚のご連絡はあるかもしれませんね。葬儀社については、もし、決まってないのでしたら、インターネットで探せますから。

    電車の中

    鞄を抱えて眠る和夫。
    窓の外の風景が流れている。のどかな住宅地が広がるのが見える。
    乗客の数はまばら。
    和夫が目を覚ます。自分がどこにいるのか分からない様子。
    窓の外を見て、戸惑う。
    扉の上に「次は、ファミリーランド」と表示がある。
    席を立って、扉の上部に貼られている路線図を確認する。
    かなり、寝過ごしている。
    窓の外に大きな観覧車が見える。

    遊園地

    子供のころの和夫と母親が、園内を歩いている。はしゃぐ和夫。子供向けの乗り物に乗って、母親がそれを見ている。

    和夫(子供のころ) お母さんも乗ろうよ。

    美和(若いころ) 私は怖いから、やめておくわ。

    和夫(子供のころ) 怖くないよ、楽しいよ。

    美和(若いころ) ここで見てるから、たくさん乗ってらっしゃい。ほかにもいろいろあるでしょ?好きなのに乗れるわよ。

    ワンデーパスを持ってアトラクションを楽しむ和夫と、それを見守る母親。ひとつのアトラクションが終わって、母のところに来る和夫。
    園内には陽気な音楽が流れている。

    園内のアナウンス バンジージャンプ、カウントいきまーす。スリー、ツー、ワン、バンジー!

    和夫(子供のころ) バンジーって何?

    美和(若いころ) あれのことじゃない?

    和夫が母親の指さす方を見ると、高い鉄棟の上から、叫び声を上げながら人が降ってくるのが見える。

    和夫(子供のころ) 危ない!人が落ちてる!

    美和(若いころ) 大丈夫よ。

    バンジーを飛んだ人が空中で揺れてゆっくりクッションの上に降ろされる。

    車内アナウンス まもなくファミリーランド、出口は右側です。ファミリーランドの次は、山上に止まります。本日は線路内に立ち入った人があったため、電車が遅れまして誠に申し訳ございません。

    美和(若いころ) バンジージャンプって、どこか南の国の成人の儀式か何かだったんじゃないかな?

    和夫(子供のころ) 成人の儀式って?

    美和(若いころ) なんて説明すればいいかしら?難しい試練があって、それを乗り越えたら大人って意味かな?

    和夫(子供のころ) 試練って?

    美和(若いころ) 難しいわね……。すごく大変なテストみたいな感じかしら?

    和夫(子供のころ) 難しいテストに合格したら大人ってこと?

    美和(若いころ) そうね。そんな感じだと思う。

    和夫(子供のころ) ママもテストした?

    美和(若いころ) ママはそんなテストはなかったな。

    和夫(子供のころ) じゃあ、どうやって大人になったの?

    美和(若いころ) 気が付いたら、大人になっちゃってたのかな?どうだろ?まだ大人にはなり切れてないかも……。

    和夫(子供のころ) じゃあ、ママは子供なの?

    美和(若いころ) どうかしら?

    和夫(子供のころ) 僕、バンジージャンプやって大人になる。ママも一緒にやろう。僕たち大人になるんだ。

    美和(若いころ) そうね。大人になれるかどうかは別として、生まれ変われるかも……。なんてね。

    和夫(子供のころ) 生まれ変わるって?

    美和(若いころ) なんだろ、今までの自分をリセットしてほかの人になるってことかしら?

    和夫(子供のころ) ……ママがほかの人になったら、ママじゃなくなるの?

    美和(若いころ) 生まれ変わったらそうなるのかも。

    和夫(子供のころ) ……ママは生まれ変わりたいの?

    美和(若いころ) ……そうねえ……。

    和夫(子供のころ) ママがママじゃなくなるのは嫌だから、僕は生まれ変わりたくないな。

    社内のアナウンス まもなく、ファミリーランド。右側の扉が開きます。ファミリーランドに次は山上に停まります。

    ファミリーランド駅

    和夫は駅を降りる。乗って来た電車の扉が閉まり、走り去る。

    駅のアナウンス まもなく、二番線に快速元百合籠行きが参ります。黄色い線の内側に下がってお待ちください。この電車は、途中、浮揚駅で各駅停車に接続します。

    和夫は階段を駆け下りて、二番線のホームに向かう。ホームに電車が入ってくる。

    回想 深夜の駅・最終電車

    深夜の駅。ホームにたたずむ若いころの和夫。仕事帰りで疲れ切っている。
    ぼんやりしている。目がうつろ。
    和夫の携帯が鳴る。携帯を見ると、「課長」という表示が出ている。

    和夫(若いころ) もしもし?

    課長 なんや、お前、今どこ?

    和夫(若いころ) 駅です。

    課長 仕事終わったんか?

    和夫(若いころ) もう、終電なのでいったん帰ろうかと……。

    課長 そう?仕事終わったのに悪いな。あのなあ、明日で良いんやが、北島とかいう奴から変なメールが届いてるんや。なんか、面倒臭そうな奴。ああいう奴は一回、ガツンと言ってやらなあかんと思ってな。そやから、明日、会社来たらで良いから、文句言って黙らせとけ。

    和夫 北島さんって、徳山さんのお客さんじゃないですか?徳山さんから直接言った方が……。

    課長 徳山は忙しいねん。あいつもいろいろがんばってるしな。ああ見えて心根は優しい奴やから、よう言わんやろ。ましてや自分の客やし。言いづらいやろ?

    和夫(若いころ) しかし……。

    課長 お前な、何のための組織やと思ってんねん?困ったときは助け合っていかなあかんやろ?そうやって、嫌な役を徳山に押し付けんのか?そんなんで社会人、成り立つと思うんか?お前のためを思って言ってやるけどな、そんな薄情なことでは仕事はできんぞ。お前と仕事したいという人はどんどんいなくなるぞ?ええな?明日、ガツンと言えよ?

    電車が駅に入ってくるときに、和夫はふらふらと前に行きそうになる。
    初老の男性が、和夫の肩を掴んで後ろに引く。和夫はしりもちをつく。

    初老の男性 大丈夫ですか?手荒な真似をしてしまいすみません。危ないと思ったのでついとっさに。

    和夫は、ぼんやりと初老の男性の顔を見る。
    初老の男性は和夫を抱き起す。

    初老の男性 終電ですから、乗りましょう。

    初老の男性は電車に乗る。和夫はホームにたたずんでいる。

    駅のアナウンス 元百合籠行き最終電車です。お乗り遅れのないよう、お気を付けください。

    初老の男性 さあ、乗りましょう。

    初老の男性が電車に乗り込む。和夫は駅に立ったまま、動かない。

    初老の男性 乗らないんですか?

    和夫は静かに首を振る。そして深々と頭を下げる。
    電車の扉が閉まる。

    駅

    電車の扉が閉まり、走り出す。
    電車が走り去ると、ホーム上には和夫が一人だけ、立っている。
    かつては大勢の人でにぎわったであろう、その駅も、今はほとんど誰も利用する人はいない。
    和夫はホームの上を見回す。階段降りて、駅の改札口に向かう。

    改札を出る和夫。駅前に書かれた大きな看板を見て、昔、母親と一緒に行った遊園地だと確信する。
    駅が遊園地に直結していると思っていたが、看板を見ると駅から徒歩二十分とある。
    ゴンドラを利用すると五分ぐらいで到着できそうだが、お金がかかる。
    少し考える和夫。
    スマホを見て、今朝のアルバイト代が入っているのを確認する。お財布を開いて、千円札が三枚入ってるのを確認する。
    歩き始める和夫。
    階段を上り、ゴンドラ乗り場に到着する。
    ゴンドラ乗り場で、ゴンドラの乗車券を買う。
    片道三百円。
    往復で五百円。
    少し迷って、三百円のチケットを買い、ゴンドラ乗り場に行く。
    誰も乗っていない無人のゴンドラが次々と降りてきては、誰も乗せずに、次々と登っていく。
    髪の長い男性の係員が、つまらなそうに座っている。
    和夫が訪れたので、驚いて立ち上がり、笑顔を見せる。

    係員 こんにちは。次のゴンドラに乗りましょう。

    ゴンドラが降りてくる。係員が和夫を案内し、ゴンドラに乗せる。

    係員 扉は自動で閉まりますから。ではいってらっしゃい!

    ゴンドラの扉が閉まり、ごとごとと揺れながら、山の上のファミリーランドに向かって登って行く。

    ゴンドラの中

    緊張した面持ちで座る和夫。窓は曇っている。
    空も曇っているため窓の外には灰色の風景が広がる。
    すれ違うゴンドラにも誰も乗っていない。和夫はずっと見ている男。

    回想 マンションの部屋の中

    部屋の中で、和夫と叔父が座っている。

    伯父 ……お前のお母さんに貸したんだって。

    和夫 ……そんな話は、母からは聞いていないです……。

    伯父 それは言わんだろ。お前を育てるためにした借金なんだから。俺だって言いたくないし。

    和夫 母が借りたという証拠は?

    伯父 証拠?

    和夫 百万円も貸したんだったら、それこそ証書くらい取っておくでしょ?

    伯父 それはきょうだいなんだから、助け合うのが当然だろ?お前のお母さんは俺の妹だ。家族が困っているっていう時に、そんな「証書をよこせ」なんて野暮なことは言わないよ。

    和夫 だったら、今さら返せなんて言わないでください。伯父さんの妹の子供である僕も、今、困っています。

    伯父 そら、そうだろ?いい年して仕事もしないで、だらだらしてたんだから。困るのは当たり前だ。

    和夫 ……。

    伯父 香典って何だか知ってるか?

    和夫 ?

    伯父 さっき渡しただろ?あの封筒には一万円も入れたんだ。大事な妹の子供の暮らしに少しでも役立ててほしいと。助け合いの精神だ。同じように、お前のお母さんのことも俺は助けた。血のつながったきょうだいなんだから、当然だ。困った時はお互い様だろ?

    和夫 ……。

    伯父 しかし、今、俺は困っている。母親が亡くなって寂しいのは分かるが、もしも相続放棄をしないのであれば、借金も負の財産として引き受けなくてはいけないんだ。

    和夫 ……。

    伯父 相続放棄をするか、母親の借金を返すか?どっちが良い?

    和夫 ……。

    伯父 黙っていたら分からないじゃないか。

    和夫 ……伯父さんがほんとのことを言っているのか、僕には分からない。証拠になるものはなにもない。伯父さんがお金を貸したという母も、他界したのだから、本人に聞くわけにもいかない。そもそも、なんで今になって急にそんなことを?

    伯父 だから、こっちも定年で仕事がなくなって、お金が必要なんだよ。証拠はないって言ったって、俺ははっきり覚えてるよ。お前の大学の学費が払えないって泣きついてきたんだから。

    和夫 でも、そんな話は聞いてないんですよ。

    伯父 貸したものは事実なんだから。しっかり覚えてるよ。

    和夫 それはいつのことですか?

    伯父 二十年くらい前だけど。

    和夫 二十年くらい?「はっきり覚えている」わりには曖昧じゃないですか?学費の支払いってことは何月ですか?授業が始まるのは四月だから、その前の三月とか……。

    伯父 そうだ、思い出した、二十年前の三月だよ。

    和夫 二十年前って、僕はもう働いていましたよ。学費なんて借りるわけないでしょ?

    伯父 ああ、三十年前だったかな?三十年前の三月だ。

    和夫 伯父さんの言ってることとはずれがあります。ほかのことと間違えているんじゃないですか?

    伯父 なんだと?

    和夫 僕の通っていた大学、前期の支払いは五月、後期は十月です。それに、僕は奨学金をもらっていたのと、当時はアルバイトでかなり稼いでいたので、学費は自分で払ってましたよ。母には負担をかけたくなかったから。

    伯父 ……。

    和夫 それに、民事債権の時効は十年です。もしも万が一、母が伯父さんからお金を借りていたとしても時効です。

    伯父 家族なんだから、時効はないだろ?

    和夫 伯父さんとは、家族ではありません。

    伯父 家族も親戚も同じだよ。とにかく貸したものは返してもらおう。

    和夫 三十年前に伯父さんが母にお金を渡したのって、おじいさんが亡くなったときのことじゃないですか?

    伯父 ああ、そのころだよ。思い出したか?

    和夫 ええ。おじいさん、つまり伯父さんや母さんのお父さんが亡くなって、本来、母も相続できるはずだった家と土地を伯父さんが無理やりとっていきましたよね。母には「これしかない」と、遺産として百万円渡してきたのは知っています。それを聞いたとき、あまりに腹が立ったので、母には「遺留分を考えても明らかに安すぎるから、弁護士でもなんでも雇って白黒つけた方が良い」と言ったのを覚えています。でも、母から「伯父さんには伯父さんの事情があるのだから、何も言わないでほしい」と言われたから黙っていましたが。

    伯父 ……な、なにを言っているんだ。そんなこと俺は知らないぞ。なんでも良いから、二百万、耳を揃えて返してもらおうか?

    和夫 伯父さんはさっき、百万円を貸したと言っていました。で、今、二百万円返せという、矛盾していませんか?

    伯父 うるさい。俺はお前の母親のきょうだいなんだ。財産を相続する権利はあるはずだ。

    和夫 ありません。

    伯父 黙れニート。俺が貸したと言ったら貸したんだ。裁判してやるぞ。

    和夫 変な言いがかりをつける前に、まず母にお金を貸したという証拠を見せてください。いずれにしても時効ですが。

    伯父 うるさい。生活力がなくて返せないんだったら、このマンションを早く売り払いなさい。相続税だってどうせ支払えない、引きこもりなんだから。早くこのマンションを売ってしまえ。

    和夫 ……。

    回想 マンションの部屋の中

    夜の部屋の中。和夫がパソコンを開いている。やや旧式のもの。
    「四十九歳、就職」と打って、ネットで検索している。

    ゴンドラ降車駅

    青い制服を着た、中年の女性がゴンドラの扉を開ける。
    明るい笑顔で迎えてくれる女性。

    女性係員 こんにちは。足元お気をつけください。

    和夫は女性の係員に会釈をして、ゴンドラを降りる。

    女性係員 いってらっしゃいませ!

    ファミリーランドの入り口

    閑散としている入り口に、若い女性のスタッフが数名並んでいる。
    「会員登録をすれば入場料百円引き」と書かれたポスターを見て、スマホを取り出しQRコードから会員登録をする男。

    入り口の前でスマホを見ながら会員登録に手こずる男性を、入り口のスタッフの女性たちがじっと見ている。
    和夫はようやく会員登録を済ませ、切符売り場に向かう。

    切符売り場の女性 いらっしゃいませ。

    和夫 入場、大人、一枚。

    切符売り場の女性 会員登録はお済みですか?

    和夫 はい。

    和夫はスマホの画面を切符売り場の女性に見せる。

    切符売り場の女性 はいありがとうございます。では入場料、大人一枚、千六百円になります。

    和夫は切符を購入して入場ゲートに向かう。入場ゲートの女性が男のチケットを切る。

    入場ゲートの女性 いってらっしゃいませ。

    ファミリーランドの園内

    閑散とした園内。係員の姿は見えるが、お客さんの数はあまりいない。
    外国人観光客らしき人達が、はしゃいでいるのが見える。
    女子校生らしい二人組が、写真を撮っている。
    孫の手をひいておばあさんが歩いている。和夫はただ園内を、彷徨う。お化け屋敷や絶叫マシンが見える。
    しかし、子供の頃に乗ったアトラクションはもうなくなっている。
    ゴーカートの乗り場に行くと、チケット五百円と書いてあり、それを読んで和夫は立ち去る。
    しばらく園内を歩き回り、疲れてベンチに座る。ぼんやりと園内を見回す和夫。空はどんよりと曇っており、今にも雨が降り出しそうだ。

    回想 部屋の中

    ワンルームマンションの一室。
    コンビニの弁当のゴミや、飲みかけのペットボトルやらで散らかった部屋。
    壁沿いに置かれたベッドの上に、スーツのワイシャツ姿の男が横になっている。
    目を開いて天井を見ている。
    インターホンの音が鳴る。
    しばらくすると、鍵が開く音がする。

    母親 大輔!?いるの?入るわよ?

    母親が入ってくる。ベッドで横になっている息子の姿を見て驚く。

    母親 どうしたの?大丈夫なの?

    母親の声に気が付いて、母親の方を見る和夫。母親の顔を見て安心したのか、涙をこぼすが、声は出ない。

    母親 大輔がしばらく出社してないって、会社から連絡があったから。

    会社と言う言葉に大輔が反応する。怖がっている。枕元にあるスマホには、「課長」と履歴が山のように残っている。

    母親 ご飯は食べてるの?

    和夫 ごめんなさい。……会社、辞めたい……。

    母親 ……辞めなさい。会社なんて辞めちゃいなさい。

    和夫 ……でも。

    母親 大丈夫。お母さんがそばにいるから、大丈夫……。

    ファミリーランドの園内

    ベンチに腰かけている和夫。遠くの方にタワーが見える。
    ベンチの前を園内の係りの女の人が歩いて通り過ぎていく。
    髪の色は金髪だが、どことなく雰囲気が記憶の中の若いころの母親と重なる。和夫はベンチから立ち上がり、ふらふらと女性の後を続いて歩く。
    女性は園内の端の方に歩いていく。
    バンジージャンプのジャンプ台が見える。
    女性は、バンジージャンプのアトラクションの入り口に入っていく。
    男も後に続いて事務所に入っていく。

    バンジージャンプのアトラクション

    バンジージャンプのアトラクションの入り口。小さな事務所になっていて、正面にカウンターがあり、女性が二人いる。
    男が入ってきたことに驚いた表情で話を止める。
    女性のうちの一人は、さっき男がベンチに座っていた時に見かけた金髪の女性。
    もう一人の女性は、初老の係員。だがこの女性も大人になったころの母親に何となく似ている面影がある。

    金髪の係員・初老の係員 いらっしゃいませ。

    和夫 こ、こんにちは。

    男は黙って、女性二人の顔を見つめている。

    初老の係員 バンジージャンプですか?

    和夫 えっと……、はい。

    初老の係員 では、ご説明しますね。

    初老の係員が説明書きを提示する。

    初老の係員 お体の調子はいかがですか?

    和夫 特に、普通です。

    初老の係員 年齢は、12歳以上ですよね。

    和夫 はい。

    初老の係員 今までに、腰痛とか、首を痛めたとか、そんなことはありませんか?

    和夫 はい。特には。

    初老の係員 じゃあ、この説明書きをお読みください。

    男はパウチでコーティングされた説明書きを読む。
    その間に、女性が書類を出す。

    初老の係員 読みました?

    和夫 はい。

    初老の係員 途中で「やっぱり飛ばない」となっても払い戻しはできません。

    和夫 はい。

    初老の係員 じゃあ、こちらの書類に必要事項を記入して、サインをしてください。

    女性に紙とボールペンを渡されて、申込用紙に記入を始める。
    名前、住所、連絡先、身長、体重、年齢。保護者名のところで、ペンを止めて少し考える男。迷いながら、母親の名前を書く。

    初老の係員 あ、大人はそこは書かないで良いですよ。

    和夫 はい。

    男は母親の名前の上に、二本の線を引く。

    初老の係員 あ、書いていただいたら消さなくても……。

    和夫 いえ、母は先月、亡くなったので……。

    初老の係員 あら。失礼しました。ごめんなさい、私、こういう時になんて言っていいか分からなくて……。

    和夫 いえ、すみません……。

    初老の係員 じゃあ、券売機で成人のチケットを一枚、購入してください。1,200円ですね。ただ、もう払い戻しはできませんので、ご注意くださいね。

    和夫 はい。

    男は券売機の前に立ち、財布の中を見る。どのボタンを押すか少し探している。

    初老の係員 一番、左上のボタンですね。

    和夫 はい。

    男は財布の中から1,200円を出して、券売機に入れる。
    券売機のすべてのボタンが光って、男は左上の「成人」と書かれたボタンを押す。
    券売機の口からチケットが一枚出てくる。
    カウンターの初老の係員に渡すと、チケットをちぎって半券を返してくる。
    男は、戻された半券を財布の中にしまう。
    それを見て、それまで黙って見ていた金髪の女性が事務所を出る。

    初老の係員 じゃあ、身長と体重を測りますね。靴のままでいいので、体重計に乗ってください。

    男はおずおずと体重計に乗る。

    初老の係員 あ、リュックは下ろしてください。カウンターの上に置いて。あと眼鏡も外しちゃいましょうか?

    男は言われるままに、リュックを下ろし、眼鏡を外しカウンターに置く。
    体重を測り直して、壁際に置かれた測定器で身長も測る。

    初老の係員 はい、OKです。じゃあ、荷物を持ってこちらにいらしてください。

    初老の係員に案内されて、事務所を出ると外に古びたロッカーがある。

    初老の係員 お荷物、全部ロッカーの中に入れてください。ポケットの中の物も全部出しちゃってくださいね。ロッカーはダイヤル式ですから。扉の裏に書いてあるので覚えてくださいね。はい、扉を閉めたら、好きな番号に回して、はいOKです。
    では、こちらにいらしてください。

    初老の係員に導かれて、男はバンジージャンプの装備一式が並ぶところに立つ。
    初老の係員は男性の体をじろじろと見て、「LL」と書かれたサイズの装備を取り出す。

    初老の係員 はい、じゃあこちらを履いてください。ズボンの上から履く感じです。

    男は言われるままに装備を身に付ける。

    初老の係員 ちょっと上に引っ張りますね。よいしょ。じゃあこれ、しょっちゃってください。

    男は言われるままに、渡された装備を背負う。
    初老の係員は、上下の装備をハーネスで固定し、いろいろ引っ張ったりしながら調整する。

    初老の係員 はい、OKです。それでは階段で一番上まで登ってください。行ってらっしゃい!

    ジャンプ台の階段

    鉄でできた階段を一段一段、上っていく男。階段の足場は網目になっていて、下が見える。
    どこを見ても怖そう。
    男は両手で手すりを握って上っていく。
    男が手すりを握っていた手を払う。

    和夫 蜘蛛の巣?

    男は階段の途中で、立ち止まり、上を見上げる。まだまだ上らなくてはいけない。

    和夫 怖いよ。

    男は階段に座り込んで目をつむる。

    階段の上から声がする。

    金髪の係員 大丈夫?

    男は頭を上げると、階段の上の方で金髪の係員が心配そうに見ている。
    男は立ち上がる。

    和夫 大丈夫です。

    金髪の係員 はーい。じゃあ、足元に気を付けて上まで上がってください。

    金髪の係員はそのまま、上に上っていく。男も後を追いかけるように、一段一段、ゆっくりと階段を上っていく。

    男は階段を上り、一番上にたどり着く。一面に雨雲が広がっている。

    金髪の係員 はい、じゃあロープ付けますね。ゆっくりでいいから、こっちまで来てください。

    和夫 はい。

    男は金髪の係員の方に一歩一歩、進む。
    金髪の係員が男が背負った装備に、太いゴムのロープをつなげて固定する。

    金髪の係員 はい、OKです。では、前の方に来てください。

    男がゆっくりと前に進む。

    金髪の係員 つま先を少し前に出して。そうです。両足を肩幅くらいに開いて。はい、そうです。準備ができたら、私が「イチ、二の、サン、バンジー」と掛け声をかけます。この「バンジー」のところで、ジャンプしてください。この時、上に飛び跳ねたり、足元から飛び降りたりはしないでください。両手をしっかりと頭の後ろで組んで、そのまま前に倒れるようにしてください。

    和夫 はい。

    金髪の係員 じゃあ、気持ちが落ち着いたら、両手を頭の後ろに組んでください。

    和夫 はい。

    「はい」と返事をしたものの、男の手は柵をしっかりと握ったまま離せない。何度か手を離すがすぐに、また柵を握ってしまう。

    和夫 怖いです。

    金髪の係員 ゆっくりで良いですよ。深呼吸して……。

    男は深く息を吸ってゆっくりと吐く。

    金髪の係員 私がそばで支えているから、大丈夫!

    その言葉を聞いて、男は落ち着く。柵から両手を離して、ゆっくりと頭の後ろに組む。

    金髪の係員 それでは行きます。イチ、二の、サン、バンジー!

    金髪の係員の声が、マイクでファミリーランドの園内に響き渡る。
    祖母に手を引かれていた男の子が、空を見上げる。
    男が落下する。

    クッションの上にゆっくりと、降りる。

    初老の係員 ゆっくり降りてくださいね。

    初老の係員が男の装備を外していく。
    男は泣いている。

    初老の係員 はい、お疲れさまでした。ロッカーの荷物お忘れ物がないようにお気をつけてください。あれ?怖かったですか?

    男は首を振る。

    和夫 嬉しくて……。

    初老の係員 天気が良かったら、もっと遠くまで見渡せて、すごくきれいなんですよ。良かったら、また来てくださいね。

    和夫 はい。

    男はまだ足が震えている。おぼつかない足取りでアトラクションを離れる。振り向くと、初老の係員と金髪の係員が手を振っているので、会釈をする。
    そのまま、アトラクションの近くにあるベンチに座り込む。

    エンディングノート

    男はベンチに座っている。
    リュックサックの中から母のエンディングノートを取り出して一番最後のページを開く。
    エンディングノートの文字を追う。

    「大輔へ
    お母さんの息子として生まれてくれてありがとう。
    お父さんと離婚して、寂しい思いをさせてしまってごめんなさい。
    お父さんはいなくても、大輔がずっとお母さんを支えてくれたから、お母さんはがんばることができました。
    大輔が一生懸命勉強して、大学を卒業して、立派な会社でお勤めを始めた時、とても嬉しかったです。
    大輔が会社をやめた時、お母さんは大輔を絶対に守ろうと思いました。
    でも、私がただ大輔に甘えていたのかもしれないなと、今になって反省しています。
    お母さんは、大人になれなかったみたいです。
    お母さんはもうすぐいなくなります。
    病院で「もう末期です」と診断された時は、大輔に迷惑をかけなくて良かったと思いました。
    お母さんがいなくなったら、大輔は一人で生きていかなければなりません。
    でも、大丈夫。
    大輔ならできます。
    大輔はとても心が優しいから、ときどき心無い人に傷つけられてしまうかもしれないけれど、でも、大輔の良さを分かって、味方になってくれる人は必ずいます。
    世の中には、大輔の助けを求めている人もきっと、たくさんいます。
    もしも怖いことがあっても、お母さんがそばで支えているから、大丈夫!
    でも、そばにはいるけど、今度は、お母さんも大人になるから、大輔が自分の力で生きていくことの邪魔はしません。
    だから安心して。
    体には気を付けて、これからのあなたの人生をしっかり生きてください。
    お母さんはいつまでも、大輔のことが大好きです。
    母より」

    男が顔を上げると、男の子がお祖母さんの手を引いて、バンジージャンプのアトラクションのところに行くのが見える。

    初老の係員 小学生?

    男の子 来年一年生。

    初老の係員 そうか。ちょっと年齢の制限があって。身長もちょっとだけ足りないかな。

    お祖母さん すみませんねえ。さっき、どなたかがジャンプしたのを見て、自分もやりたいって。

    金髪の係員 大人になるのはちょっと早いかな。もう少し大きくなったら、また来てね。

    男の子 うん。

    エンディング

    ゴンドラが下っていく。窓から、下が見える。

    場面が変わって、宅急便の集積所。バイトリーダーが男に何かを頼む。
    男がドライバーに荷物を届ける。

    ドライバー ちゃんとピッてやったのかよ?

    和夫 はい。やりました。

    完


     
     
    映画を観るのが好きな会社員です。主に名画座で観ています。夢は、いつか映画に出ることです。よろしくお願いいたします。

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