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Photo bynaisanpo

テスラとアクアと古い軽自動車〜父が手放した運転免許というプライド〜

    「あれはなんだ」

    病気がちな、もうすぐ86歳になる父を乗せて、病院へと車を走らせている。古い軽自動車。新車で購入して13年目の今年、税金は倍近くに上がった。

    「あれは、テスラというアメリカの会社の、電気自動車を充電する設備だよ。ほら、テレビで見たイーロン・マスクが社長の会社」

    なーんて父に説明するけど、私はテスラ社のことなどほとんど知らない。「テスラ、アメリカの会社、電気自動車を作っている、イーロン・マスク」。その程度の知識しかなかった。父がテスラのスーパーチャージャーと呼ばれる、ちょっと目立つ充電ステーションを見て、疑問に思うのは当然だ。

    だけど、スーパーチャージャーを目にするたびに、「あれはなんだ」と聞かれる私の身にもなってほしい。あの日は虫の居所が悪かった。

    「だからいつも言ってるじゃん。テスラの充電ステーション。そもそも免許を返納したお父さんには関係ないから」

    沈黙がやってきた。言ってしまった。3年前、あれこれ病気を抱えながらも、持ち前のポジティブさで元気な老人そのものだった父が、体調を崩した。次々に複数の病気に襲われた。身体が満足に動かなくなり、痩せ細り、生き甲斐だったゴルフをやめざるを得なくなった。老人会や地域の役職は辞した。父は入退院を繰り返しながらも、気の済むまで生前整理をした。そして、私を含めた子供たちから説得され、断腸の思いで運転免許証を返納し、愛車を処分した。その経過を一番身近で見守ってきたのが、実家で同居する私だ。13年落ちの軽の車内で、気まずい時間が流れた。

    テスラで暮らすミニマリストに圧倒される

    そういえば、先日ネットの情報番組にミニマリストしぶさんが出演して、テスラ生活を紹介していたな。見てみることにした。

    画面越しのしぶさんは、颯爽と真っ白なテスラに乗って現れた。かっこいい! 一瞬で心を奪われた。究極のミニマリストらしく、選び抜かれた日用品は車内に美しくに収納され、後部座席にはセミダブルサイズのベッドスペースが。エアコンは充電を心配することなく一晩中使用でき、音が静かなので、たいていの場所で車中泊ができる。テスラ専用の冷蔵庫まで完備されている。車体も室内もシンプルでスタイリッシュ。圧倒されるしかない。

    車中泊の旅。自分にはできそうもなくとも、憧れはある。車中泊が出てくる本や映画、動画の類いはつい見入ってしまう。悪天候やトイレ問題、洗濯、ゴミ処理など、不便なことばかりだということは容易に想像できる。だか、その不便を乗り越えた先に、経験した者だけが得ることのできる何かがあるのだろう。いや、その不便こそが、車中泊の醍醐味なのかもしれない。

    私も白いテスラに乗りたい。テスラの新車価格を確認すると、円安の影響だけではない、そもそも私には手が届かない高級車であることがわかった。一瞬、試乗だけでもと思ったが、3ナンバーの幅広の車は、私には取り回しが厳しい。それなら、軽自動車でEV車はあるのか。あるある。妄想は広がった。

    私はあと何回、車を乗り換えるのだろうか。父は何回、車を乗り換えてきたのだろうか。父が車を買い替える時は、いつも突然だった気がする。乗っている車の調子が悪くなると、近くの中古車販売店で展示中の車の中から選んでいた。こだわりがなさすぎた。

    父が最後に乗った車は、そうして購入したトヨタのアクアだった。小型の普通車だが、ハイブリットカーというポイントが、時代に取り残されたくない父のミーハー心をくすぐったのだろう。パソコン、スマホ中毒気味な地方在住の80代って、かなりレアかもしれない。父が緊急入院した際、毎回私に真っ先に言うことは、「スマホの充電器を持ってきてくれ」だった。入院中に看護師さんから、「お父さんは退院したら、パソコンのプリンターを買い替えるんだって張り切ってましたよ」と言われたことがあった。父は80代でもパソコンやスマホを使いこなしていると、病棟でドヤってたに違いない。

    父は生粋のシンプリストだった

    父はしぶさんとまではいかないが、ミニマリスト寄りのシンプリストだ。贅沢を好まず、必要な物だけを買い、定期的に身辺を断捨離している。そんな質実剛健な父を、私がミニマリストと言い切れないのは、アクアというイマドキの車が、いまいち似合っていなかったように、父はどう見ても、野暮ったい地方在住のおじいさんだからだ。

    父がシンプリストだと気づいたのは、母が施設に入所して二人暮らしになってからだった。体調が悪化して別人のように痩せてしまってからも、生前整理を強行した父。そんな父が真っ先に手放したのが、新聞の定期購読だった。「ネットニュースで十分」という言葉に、父のプライドが凝縮されていた。新聞の取次店に契約解除の電話をした際は、「日曜版だけ読めないか」と図々しく交渉していたが、もちろん「日曜版は定期購読者へのサービスです」と断られていた。ネットが普及する前は、トイレにまで新聞を持ち込んでいた父が、現役から静かに引退した。父の老いと一つの時代の終わりを、目の当たりにした出来事だった。

    お墓は私の弟である長男に継承し、自分のお葬式の親族の挨拶まで考えていたほど、父はきっちりしている。私は母譲りで、整理整頓や計画的に物事を進めるのが大の苦手。だからこそ、ミニマリズムや、制限の多い車中泊の旅に憧れるのだろう。

    父はミニマリストという言葉を知らない。反対に、その言葉が流行語大賞にノミネートされる前から、関連の本を読み漁っていた私。真逆の親子が二人暮らしをしていることになるが、片付けに関して大きなケンカはしていない。それは私が断捨離をしたからだ。

    早期退職してまずやったことは断捨離

    認知症の母と老犬の世話をするため、私は早期退職を選んだ。老犬を虹の橋に送り、ドタバタと日々が過ぎていくうちに、父が体調を崩して入退院を繰り返すようになった。両親は何度救急車のお世話になったかわからない。迷子の母を保護したと、早朝にパトカーが2度やってきたこともあった。

    フルタイムの仕事を手放した代わりに、私は時間と言う宝物を手に入れた。断捨離するなら今だ。まず手をつけたのは、洋服ダンスに詰め込まれたスーツや、大っ嫌いなストッキング、ヒールのあるパンプスだった。続いて、大量の本やCD、家族の人数に対して多すぎる食器、押し入れや倉庫に眠る不用品などありとあらゆるものを、捨てに捨てまくった。コレクションしていたグッズやジュエリーは思い切って売却し、生活費の足しにした。市の粗大ごみの処分場へ、何度も軽自動車を走らせた。自分で搬入できない大型家具は、自宅に回収を依頼した。そうすることで実家はかなりスッキリした家に変身して、こまめに掃除するようになり、片付けに関して父とのバトルはなくなった。

    しかし、断捨離しても物はあっという間に増殖する。片付けても片付けても、どういうわけが雑多な物に囲まれていく。そんな状態にうんざりした時は、ミニマリストの自宅公開や、汚部屋のお片付け動画を視聴して、一旦心を落ち着かせる。ストイックなまでに物を減らしたミニマリストの部屋は、何度見ても見飽きることがない、ある種の芸術作品だ。ダメ元でこの高すぎるレベルを目指そう。それには、不用品を捨てるしかないのだ。

    両親を見送った後は、子供の頃から憧れている東京で暮らすと決めている。そのことを父は知らない。その時がいつ来るかはわからない。だけど、その時に備えて、身辺整理をして身軽にしておきたい。とすると、13年落ちの軽には、粗大ごみを運んでもらうため、まだまだ働いてもらわなければならない。私はこれからも古い軽自動車で、断捨離を続けるのだ。そして、車のいらない東京に行く。

    何度断捨離しても、処分できないものはいろいろある。いい歳してぬいぐるみやキャラクターグッズはまだ残っているし、飽きてしまった趣味であったり、達成できなかったことに関する物も処分できていない。手放せないのは、それらに執着しているからだとわかっている。

    父が最後まで執着したのは、運転免許証だった。地方暮らしでは、車は必需品だ。公共交通の便が悪い土地で、免許証を手放し、車を処分し、趣味を縮小し、少しばかりの名誉からも降りた父は、どれだけ無念だったか。中古車販売店からアクアの査定額を聞いた父は、肩を落としていた。とても父に金額を聞ける雰囲気ではなかったことを思い出す。

    私たち親子の現在地

    現在の父は、開腹手術を気合いで乗り越え、20kg減った体重を10kgほど取り戻し、今、この時を大切に生きている。自分と同世代の友人の車にちゃっかり同乗させてもらい、趣味に食事に飛び回っている。その合間に通院や母の面会のお供をするのが、私の役割だ。ここでも、13年落ちの軽は大活躍だ。

    こうして父を文章にしたことで、少しだけ寛容になれた私がいる。 次にテスラのスーパーチャージャーを目にするのはいつだろうか。また父は、「あれはなんだ」と言うのだろうか。 最新のEV車ではない、古い軽自動車のなかで、私は答える準備はできている。あと何回でも、気が済むまで聞いてほしい。

     
     

    うる

     
     
    地方在住のアラ還万年ダイエッターで、読書とウォーキングが好き。 2026年6月 note開始 エッセイを書き始める 2026年7月 TALES開始 Webトゥーン原作を書き始める

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