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声を視る女の、五十年。 【創作大賞2026エッセイ部門】応募作品

    #創作大賞2026  #エッセイ部門


    「もしもし?」

    「...もしもし」

    「こんばんは。LUN(ルン)と申します。今日はどんなことを占いたいですか?」

    「...あの..ダブル不倫している彼の気持ち教えてください。」

    「先生〜、彼氏に送ったLINEの未読無視が三日も続いてるんだけど、返事いつ来るかなぁ」

    「仕事やめたくて、転職するのに良い時期教えてください...もぅしんどくて.....」

    .....

    電話口から流れてくる"声"は、対面の時より多くの情報を視せてくれる。
    最初の一言を発する前から、緻密な解説文で画面が埋め尽くされるHUNTER×HUNTERの難解な一コマのように、息が詰まるほどの圧倒的な文字量が脳裏に広がる時もある。

    電話占い師になって二十三年。九万人を超える人たちの"声"を視てきた。

    その間に、世界はずいぶん変わった。
    街から公衆電話が消え、ガラケーがスマホになって、メガネから音楽が流れたり、腕時計で通話ができるようになった。
    占いを求める人たちも、昔は自分で専門書を購入するか、予約して占い師の元へ出向く必要があったが、今ではSNSを開けば無料占いが選び放題、チャッピーに聞けば、いつでもどこでもどんな占術でも占ってもらえる時代になってしまった。しかも精度はかなり高い。
    AIに仕事を奪われる職業が多い世の中で、「占い師」という職業も、そこに間違いなく入っている。
    実際、AIが世に放たれてからのアナログ占い師たちは、この危機的状態に震え上がっている。

    .....やばすぎて、滅、と。

    占い業界も人々の悩みの「形」も、時代と共にかなり変わってきた。
    でも、人間の悩みの「芯」にあるものは、
    昭和も平成も令和もきっとこれからも、変わらないんだなと、この仕事を通して悟った。

     これは、そのことについての話だ。

    まずは、占いと私のつながりから話していこうと思う。


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        第一章 占いと育った、昭和の終わり
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     私が生まれたのは一九七三年、福岡県福岡市。

     父方の祖父は長崎県の壱岐という小島にあった神社の神主だったが、
    父や父の兄弟は霊感や神事とは無縁の生活をしていた。
    しかし、隔世遺伝なのか、私は物心ついた頃から家族で一人だけ霊障に悩まされていた。
    小3の夏休み、寝たきりになっていた祖母を家族みんなで看取っていた時のこと。
    その横たわった肉体から祖母の本体(魂)が薄いエネルギー体になって出ていき、上に浮かんでいくのを眺めていた。
    息を引き取った瞬間、一斉に家族が泣き始めたのを見ながら「おばあちゃんここにおるのになんで見えとらんと?」って、
    その現象が不思議でおかしくなって笑ってしまった。
    そのことを宿題の絵日記に書いて提出したら「不謹慎だ!」って先生にこっぴどく怒られた記憶がある。
    それ以来、みんなが見えていないものの話をすることをやめた。

     占いと出会ったのは小5のときだ。

     『マイバースデイ』という占い雑誌の付録についてきた、点線のところを切り取るタイプの厚紙でできたタロットカード。
    絵柄もずいぶん簡略化されていたけど、初めてのカードにドキドキした。

    丁寧に切り取り、ひとまとめにして、それを両手で包み込んだ瞬間.......!!!!!!

    ーーアムロがニュータイプとして覚醒し、敵の殺気を『ビキーン!』と感じた時みたく....
    私の眉間を鋭い閃光が貫き、思考のノイズが完全にシャットアウトされた。
    質問しながらめくったカードの絵を眺めると、そのことについての未来の景色が視えた。
    それは「予想」ではなく「既知」の感覚だった。

    この日から、私の運命は大きく動いた。

     学校にカードを持っていきクラスメイトを占ったら、当たる。また当たる。そして黄色い声が飛び交う。
    いつの間にか休み時間のたびに「LUNちゃん、やって〜」と列ができていた。

    ちょうどその頃、世間でも占いブームが到来していたこともあり、「占い」は学校でも大人気だった。

     昭和五十年代から六十年代にかけて、日本の占い文化は一種の黄金期を迎えていた。テレビでは、「こんなんでましたけど〜」の泉アツノがバラエティ番組に引っ張りだこで、最近Netflixでも好評の「あんた地獄へ落ちるわよ」の細木数子が「六星占術」を引っさげて登場し、その歯に衣着せぬ物言いで一世を風靡した。占いが、メディアのコンテンツとして成立した最初の時代だ。

     一方で、本屋の占いコーナーにはマドモアゼル・愛や浅野 八郎の占い本が積まれ、女子中高生たちは血液型占いで盛り上がり、「B型の男はわがままでA型の男はナルシスト、O型の男は大雑把でAB型は二重人格」という偏見を楽しそうに語り合っていた。
    こうやって「占い」は、相手を理解して親睦を深めるための重要なコミュニケーションツールになっていったのだ。

     この頃、霊能者は宜保 愛子や織田 無道、海外ではサイキックのユリ・ゲラーが注目され話題になっていた。
    現代では、占い、スピリチュアル、サイキックは同じ「スピ系」という部類で捉えられているが、当時は、占いとは「統計学」、スピリチュアルとは「幽霊が見えること」、サイキックは、「スプーンを曲げること」と言う概念で広まっていた。


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        第二章 バブルと崩壊、平成の占い業界
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     元号が平成に変わった一九八九年、私は十六歳だった。

     時代はバブル真っ盛り。株価は宇宙まで届きそうな勢いで、土地は持っているだけで金を生む魔法のアイテムと化していた。勝ち組気取りの当時のイケイケな若者たちを令和の若者が見たら、間違いなく心のシャッター閉じたくなるだろう。そんなイージーモードな世界線だったから、占いへの問いも驚くほどシンプルだった。

     「この株、買っていいですか」
     「今年の運気どうですか」
     「彼は運命の人ですか」

     成功の「確認」を求める占いだった。
    今思えばあれは占いっていうより、背中を押してもらいたい人たちの「お告げ待ち」だったかもしれない。

     そして、バブルが弾けた。

     一九九一年から始まる長い不況の中で、占いへの問いの質が変わった。

    「うまくかどうか」から「なぜうまくいかないのか」へ。
    成功の確認から、痛みの意味を探すものへ。

     ちょうどその頃、オウム真理教の事件があった。一九九五年、地下鉄サリン事件。あの事件が日本社会に与えた傷は深く、「精神世界」や「スピリチュアル」という言葉が、一時期、一種の危険ワードとして扱われるようになった。
    当時は、真摯に人の人生に向き合う占い師たちまで「怪しい」「洗脳される」という懐疑的な目で見られて売り上げはガタ落ち。
    そういう背景があったからか、「これを買えば不幸を免れる」と何十万もする壺を買わせたり、「これを身につけたらモテる」とバカ高いブレスレットの通販が流行ったり、「霊感商法」のような詐欺占い師が増えるという悲しい時代でもあった。

     それから阪神・淡路大震災があり、山一證券が倒産し、終身雇用という神話が崩れた。「真面目に生きていれば報われる」という昭和の約束が反故にされていく中で、人々は「何に希望を見出して、どう生きればいいのか」という問いを抱えた。
    その答えを求める先のひとつに、「占い」があった。

     江原啓之と美輪明宏の番組「オーラの泉」が始まったのもその頃だ。
    亡くなった方からのメッセージ、オーラの色などを伝えるスピリチュアルカウンセラーとして表舞台で久々に霊能者が脚光浴びた。「魂の学び」「オーラ」という言葉が市民権を得て、占いは霊視(スピリチュアル)と融合し始め、「当てるもの」から「生き方を照らすもの」へとイメージを変えていった。細木数子の「あんたはこんな人生になるわよ!」という断言型と、江原式の「魂の成長」を語る伴走型。平成の占い師像は、この二極の間で揺れ続けていた。

     私が占い師として本格的に動き出したのは、ちょうどその平成のど真ん中、三十歳の頃だった。



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        第三章 私が占い師になるまで
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     二十代の私は、占い師ではなかった。

     ギャルで、アパレルで働いて、外国人と結婚して、クラブで酒盛りして踊りまくり、ドラマティックでバイオレンスな日々を過ごしていた。
    私の人生を語ると「波瀾万丈だね」と言われるけど、当時の私はピンとこなかった。自分の周りがもっと波瀾万丈な人だらけ過ぎて基準がバグっていたのだ。
    あの頃は人生の意味など深く考えてなかった。Money, Power ,Respect、私の当時のメンター、リルキム先生がラップするリリックとファッションに憧れ、カッコよくて楽しいことだけを追いかけてた。
    ただ、友人に相談された時に趣味でタロット占いしていて、その界隈で「当たる人」として知られていた。

     転機は、死の淵に立った時に訪れた。

     ここでは詳しくは書かないけど、私は二度、生死の境界線に立った。
    あの時、この世とあの世の境界が薄くなった感覚の中で、「ああ、私はこれをやるために生まれてきたんだ」と悟った。
    私の中で、それまでの伏線回収が起こったと同時に確信が降りてきたのを、今でもはっきり覚えている。

     それを機に、三十歳で占い師になった。

     最初の三年間は対面でタロット占い。小さなサロンで、紙のカードを布の上に広げながら、目の前の人の顔を見て占った。あの感触は今でも好きだ。でも私の本領が発揮されるのは、「声」を通じてだと気づくのに、そう時間はかからなかった。

     電話占いに移ってから、私の霊感はさらに覚醒し、世界が開けた。

     顔が見えない。表情も、服装も、年齢も、最初はわからない。でも声が流れてきた瞬間、私にはその人の「魂」が視える。
    悲しみの色が視える。執着の形が視える。「あ、この人は本当に聞きたいことをまだ言えていないな」というのも、声のエネルギーでわかってしまう。通話している人を通じて、その人が知りたいと思っている相手の思考にアクセスできてしまうところまで来た。

     そして、この「声を視る」ことが、私の職業になった。



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        第四章 電話口の向こうで聞いてきた、平成の悩み
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     電話占いが普及したのは平成の中盤から後半にかけてだ。テレビCMで「今すぐ電話を!」と煽る広告が流れ、深夜のテレビ通販のように占いの電話番号が告知されたり、雑誌の最後のページに占い電話会社の広告が掲載されていた時代があった。

     私がその渦の中で「凄い!」と感じたのは、電話占いが『匿名性』という革命をもたらしたということだ。
    電話占いの原点は、テレクラで使われていた「ダイヤルQ2」のシステム。
    電話料金と一緒にNTTが情報料(1分◯◯円)を代わりに徴収してくれるという、革新的なシステムだった。

    ここでは、対面で言えないことーー「実は夫に暴力を振るわれていて」「好きな人が既婚者で」「カミングアウトしてないけど同性愛者で」など、普通なら批判されたり偏見の目で見られたりしそうなディープでパーソナルな相談内容が多かった。
    すっぴんでも素っ裸でも、気軽に突発的に真夜中でも、どこにいても話を聞いてもらえる。
    誰にも言えなかった言葉を、電話口の向こうの知らない人に吐露できる場所になった。
    このニーズが時代背景とマッチして、電話占い業界はバブリーな時代に突入していった。

     平成の悩みの根底にあったのは、「孤独の深刻化」だった。

    ーー隣は何をする人ぞ

     コミュニティが壊れていった時代だった。
    近所付き合いが希薄になり、職場の人間関係は流動化し、家族の形も多様化という美しい言葉の裏側で、分断されていった。人は繋がりたいのに、繋がり方がわからなくなった。

     そういう時代の電話口で、私はよくこの言葉を耳にした。

     「LUNさんにしか言えなくて」

     これを聞くと切なくなる。嬉しい言葉として言ってくれてるのはわかっている。
    でも、占い師にしか言えないという事実は、その人の周囲にいかに「本音を話せる人間」がいないかを示しているからだ。

     平成の人々は、「相談できる人がいない」という悩みを、占いという形で解消しようとしていた。答えを求めているようで、実は「聞いてほしかっただけ」という相談が、どれほど多かったことか。

     平成の人々は占い師に対して、ただ占いを当てることだけではなく、気持ちに寄り添う共感や励まし、未来への希望を与えるカウンセラーやコーチ、セラピスト、ときには精神安定剤のような、信頼できるお友達やお姉さんのような役割を求める人が多かった。

    ーー今は、この役割を「アイツ」に取られてしまっているのだが......


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        第五章 SNSが変えた、令和の占い風景
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     令和に入って、占いの風景は劇的に変わった。

    SNSの活性化が決定的だった。コロナでおうち時間が増えて「占い師」の増加に拍車がかかった。
    XやYouTubeでタロット占い師がバズり、Instagramで「今日の星座占い」の投稿が何万いいねを集め、TikTokではキャラ濃い占い師がショート動画やライブ配信でリーディングを披露する。占いがコンテンツになった。エンターテインメントとして消費される時代になった。

     令和の相談で増えたのは、「答えが出る前に、次に行く」人たちだ。

     複数の占い師に同じ問いをして、「一番自分が聞きたい答えを言ってくれた人」を信じる。占い結果をスクショしてSNSにシェアする。その行為の軽やかさを責める気はない。でも、かつての占いにあった「聞く覚悟」のようなものが、薄くなっている気はする。

     占いがコンテンツ化すると同時に、「占い師」の定義もさらに拡散した。

     資格のいらない職業なので昔からそうではあったが、令和はその振れ幅が極端だ。
    30年のベテラン占い師と先週から占いを始めたインフルエンサーが、SNS上では同じ「占い師」として並ぶことができる。
    実績や実力があるけどSNS苦手占い師よりも、フォロワー数が多くてデジタルコンテンツを上手に取り入れている1年も満たない「自称占い師」の方が人気があったり、稼げていたりするのが現状だ。

     それはそれで時代だと思う。AIが生活に浸透してしまった今、こういう現象は占い業界だけでなく、あらゆる業種で勃発している課題だろう。生き残っていくにはその波に乗るしかない。

    いつの時代も、臨機応変に順応していく能力の高い者が、場を制していく。

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        第六章 悩みの形は変わっても、芯は変わらない
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     昭和から令和まで、私が観測してきた「悩みの変化」を整理してみる。

     悩みの「形」は確かに変わった。

     昭和の相談は、構造がシンプルだった。運命の相手かどうか。就職先はどこか。事業はうまくいくか。人生の大きな岐路に立って、「どちらに進むべきか」という相談が多かった。選択肢が今より少なかった分、質問も明快だった。

     平成の相談は、「関係性」の悩みが深化した。不倫、離婚、モラハラ、ストーカー。バブル崩壊後の経済的な不安が家庭の中に入り込み、夫婦関係が軋んだ。また、キャリアと恋愛の間で揺れる女性の相談が急増した。「仕事も捨てたくない、でも彼のことも諦めたくない」という二択の苦しさを抱えていた。
    男性の占い利用者が増え始めたのも特徴的だった。
    私が占い師になった当時は、1:9の割合で圧倒的に女性が多かったが、平成の終わり頃から2割、3割と男性が増えてきている。

     令和の相談は、もっと「内側」に向かっている。

     「自分が何をしたいのかわからない」
     「生きている意味を感じられない」
     「誰かに必要とされているのか確認したい」

     恋愛の相談でも、「彼が好きかどうかよりも、自分が彼に依存しているだけじゃないかが不安」という言葉が出てくる。メタ認知の相談だ。自分の感情を分析しながら、それでも答えが出ない。インターネットで情報を検索し尽くして、チャッピーと対話しても、それでも決められない。情報が多すぎて、判断力が霞む時代の悩みだ。

     でも。

     これだけ形が変わっても、すべての相談の底に流れているものは、同じだ。

     「私は、愛されていますか?」

     これだ。

     昭和のおばあちゃんが「息子と同居できるかどうか視てくれ」と言うときも、令和のZ世代が「推しに認知されたいんですけど、これって依存ですか」と言うときも、問いの形は違うが本質は同じだ。自分が誰かにとって大切な存在であるかどうか、確認したい。それだけだ。

     人間の「芯」は、変わらない。

     時代が変わっても、技術が変わっても、スマホに無料占いが溢れても、人間の「声の奥」にあるものは変わらない。



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        第七章 見えないものと生きる
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     最後に、少し個人的な話をさせてほしい。

    小さい頃から「見えないものがある」という世界観の中で育った私は、それを「ただそこにある」という感じで受け入れていた。

     でも占い師として二十三年生きてきて、私が一番鍛えられたのは「霊視の力」ではないな、と最近思う。

     一番鍛えられたのは、「人間を信じる力」だ。

     電話から聞こえる声は、いつの時代も切実で、時にドロドロとした欲望や、目を背けたくなるほどの絶望に満ちている。親からの呪縛、夜の街での孤独、SNSの画面に縛られた承認欲求。もう無理かもしれないと、本人が自分の未来を諦めかけている瞬間に、私は何度も立ち会ってきた。

    けれど、本当の奇跡はその先に起こる。
    その人が心の奥底にある「魂の感覚」に気づいた瞬間、沈んでいた声にポッと灯りがともるのだ。
    どんなに傷つき、迷子になっても、人間には自分の力で立ち上がり、理想の未来へ歩き出す強さが最初から備わっているみたいだ。23年間私が視てきたのは、運命の冷酷さではなく、人間が持つ圧倒的な底力だった。
    だから私は、目の前の相談者がどんなに失望していても、その人の潜在能力を「信じること」ができるようになった。

     昭和のテレビの中で細木数子が「立派なお墓立てなさい」と言っていた頃。

     平成の深夜に江原啓之が「あなたのオーラの色は....」と語っていた頃。

     令和のテレビでは星ひとみが「〇〇ちゃんはモテ度200%の星と港区の星入ってる」と言ってる今。

     時代ごとに、人々が求める「占いの言葉」は違う。でもその奥にある渇望は同じだ。
    「私の見えない部分を、誰かに見ていてほしい」という、静かな叫び。

     私は、その叫びに応えたい。

     占いは、答えを出す行為ではない。答えを出す力を、その人の中に呼び起こす行為だ。

    「大丈夫、あなた自身を信じて」と伝えること。
    「あなたは愛されるべき存在だ」と思い出してもらうこと。

    それが私の仕事の、真髄だ。

     神主の孫として生まれ、ギャルとして生き、国際結婚をして離婚して、二度死にかけて、また生き直して、占い師になった。そして今、再婚して、まだ電話の前に座っている。

     電話に出る。

     声を視る。

     この仕事を、きっとまだ続ける。



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             【著者プロフィール】

    LUN(霊視占い師)
    霊視占い師歴23年・9万人の鑑定実績
    神主家系出身
    元ギャル→アパレル→国際結婚→離婚→占い師→再婚
    2度、死の淵に立って人生を悟った女。

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    霊視鑑定の実録、恋愛、人生のうまくいくコツなどの実践的なノーハウ、占い師になりたい人へのお役立ちを執筆中。 実は神主家系で霊感持ち。高卒で勉強嫌い。アパレルで働きながら毎晩クラブで夜遊び三昧の人生から現在は占い師歴23年、年間約6000件の鑑定実績。

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