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ショートショート作品/リリイの生きがい

    〈序〉この記事は「創作大賞2026」の応募作品です。ショート・ショート小説の為、文字数が少なすぎて、募集要項の規定の文字数に達さない為、この「#オールカテゴリ部門」で応募します。まずは、作品の「趣旨・あらすじ」から記します。言語を理解する能力を持つ犬が、その能力を活かし「盲導犬」となったゴールデンレトリバーの物語です。
    ・・・・・・以下本文・・・・・
     
    私は、財前家に暮らす、五才の女の子で、名前はリリイです。
     財前家の他の家族は、お父さんと、お母さんと、綾お姉ちゃんの三人で、私は、みんなが、大好きです。
    家族のみんなは、将来、私に「盲導犬」になって欲しいと思っているそうです
    何故、私は、自分が、そう思われている事を、知っているか?と言うと
    私「ラブラドールレトリバー」は、賢いと言われる「犬」の中でも、特に知能が高く、人の3歳児以上の知能が有ると言われています。
    私は5才だから、知能だけでみれば、3歳以上+5で、八歳以上だ。そのぐらいの子なら、かなり言葉が分かるでしょ?私は幼い頃から家族の中で、私だけが姿が違っている事が悲しかったから、少しでも、みんなに近付きたくて、会話を理解しようと一生懸命頑張っていたから、普通の八才の子よりは、高い言語力が有るようで 、夕食の際、みんなが見ているテレビ番組も、ドラマ・バラエティー・報道番組と、ジャンルを問わず、全て理解出来るから、そんな一家団欒の場で、自分の事が話題になれば、興味深く聞くから、みんなが、私を「あの子は素直で、頭が良く、勘の鋭い子だから、盲導犬に向いていると思うし、そんな誰かの役に立つ存在になって欲しい。その方があの子も、幸せに生きて行ける。」との意見が、「他者の為に生きるべし」との家訓を持つみんなの総意である事は、聞いていたし、その意向に沿う事で、みんなと家族として結束出来る気がして、私もそのつもりで励んできた。やがて、無事、盲導犬となった私は、桃井桂子さんという新しい主人に仕えることが決まったので、
     
    桃井家に行く前日、家族で、お別れ会を開いてくれた。普段より、少し豪華な夕食を採った後、お父さんが開けたワインの瓶とグラスを抱えて、自分の部屋に向かう、綾お姉ちゃんの姿が見えたので、私も、その後を追い、部屋に向かった。彼女が、一人で、部屋でお酒を飲む時は、いつも、私を部屋へ連れて、仕事や友人の愚痴を深夜まで私に語り聞かせ、話し疲れて寝るのが常だった。さすがに、お別れ会だった今夜は、愚痴は、聞かされないだろと、油断していたら、ふいに「あんた、本当は、言葉が、分かってるんでしょ?」と言われた。突然だったので、驚いていると、その「なんでわかったの~?」という驚きが、顔に出ていたのだろう「そりゃあ分かるわよ、だって、あんた、お父さんが、出したままにした新聞の側を行ったり来たりしながら、チラチラ覗いていたの、何度も見かけたから気付いたのよ。ああやって、少しずつ読んでたんでしょ?」と言ってニコニコしながら「次の家では、最初から、言葉が分かる事を、知って貰った方が良いかもね。」とアドバイスしてくれた。
    さて困ったぞ、どうやって、それを伝えよう?私は、言葉が理解出来るだけで、声は出せないから、話せない。
    翌朝、桃井家には、お父さんが車で送ってくれて、綾お姉ちゃんも付き添って来てくれた。桃井家に向かう途中、お父さんが、桂子さんの事について教えてくれた。桂子さんは、幼い頃、交通事故で目が見えなくなった方で、大きなお家に一人で住んでいるらしい。桃井家に着くと、家は、庭の広い立派なお屋敷だった。豪華な門の立派な呼び鈴を鳴らすと桂子さんは、嬉しそうに、広いお庭を、急ぎ足で歩み寄り「待ってたわ、あなたがリリイね。今日からよろしくね。」と丁寧にあいさつしてくれた。
    そうして桂子さんと初対面を済ますと、帰って行く綾お姉ちゃん達を玄関で、見送ると、お姉ちゃんは帰り際に、私をハグして、「頑張ってね、あの子の為に頑張って、あなたも幸せにね。」と言って帰って行くと、その直後、電話が鳴り、桂子さんが出て、相手と話しているのを、私は、彼女の足元で聞くと、明日の外出の打ち合わせをしていたが、彼女は、アラームをかけ忘れて、寝坊して起きてこないので、起こしに行き、枕元で、吠えて起こそうとしても、ただのイタズラだと思ったようで、「どうしたの?」と寝ぼけたままだった。夕べの電話では、朝七時に相手に電話する約束になっていたようだったので、彼女のパジャマを咥え、電話機の場所へ引いて行くと、
    ようやく、事態を理解し、あわてて電話したが、電話を終えた彼女は、私に「どうしてあなたは、7時に電話する事を知っていたの?きっと、夕べの話を聞いて、分かったのね。」と言ったので、それに、答えるように、軽く「ク~」と鳴いてみせると、「まぁ!素敵。あなた言葉が、分かるのね。」と、理解してくれた。
     
    その日は、お隣の友達の家に行くだけだったので、私は留守番だった。彼女の帰りを待つ間、言葉が分かる犬なんて、気味悪いって嫌われないかな?と、不安だったが、その日、桂子さんは、プレゼントを用意してくれた。
    夜、帰ってきた彼女は「おみあげよ、」と、紙袋を私にかざし、その袋の中身を出し、説明してくれた。「これはね、今日会って来た友達と、幼い頃一緒に遊んだもので「発声機」という子供が、言葉を覚える為のオモチャよ、五十音の書かれたボタンをひとつずつ押して、最後に再生ボタンを押すと、機械か、それを読んでくれるのよ。」と説明してくれた。
    私が、こんな素敵なプレゼントを、貰えるなんて嬉しくて、
    さっそく試しに使ってみた「ありがとう」と、打ち、再生すると、 桂子さんは、「初めて使った言葉が「ありがとう」なんて、あなた素敵な子ね。」と言ってくれた。そんな桂子さんは、少し「おっちょこちょい」で、夕べも、ニュースを見ながら、寝てしまい、番組後半に放送された「天気予報」を見逃してしまったので、発声機で「今日は雨になる予報でしたよ。」と、伝え、傘を持つ事をアドバイスした。
    帰ってくると、桂子さんは「リリイどうもね。おかげで、濡れずに帰れたわ。有難う。」と言ってくれた。

    私は、言葉って、そんなふうに誰かを気遣ったり、感謝を伝えたりする為のもので、思いやりに満ちた美しい文化だと思うけど、最近の日本語から、
    そんな美しさが損なわれかけているように見えます
     
    たとえば、最近よく耳にする「モラハラ」ってパワーワードが私は気になります。
    自分を守る為なら、誰を蔑んでも良いの?
     
    そう言われたら、終わりって意識が、みんなに有って、そう言われない為なら、何が事実で、何が正しいか?なんて、いちいち考えても無駄って、
    みんなが保身の為に汲々と口を噤んでいる最近の風潮が私は悲しいです。
     言葉を作り、それを使って人を思いやるのが「人の本質」だった筈が、言葉に怯え、言葉に振り回されているようで、最近の人達は、どこか窮屈そうで、なんか気の毒です。
    この数年の間に言葉が「他者の為」のものから「自分の為」のものに変わってしまった様子が私は、悲しいです。
     

    #創作大賞2026
    #オールカテゴリ部門

     
     
    I・アシモフばりの、SFタッチの科学エッセイや文芸コラムを得意とするエッセイ・コラムライターで、 ただの道楽ライターです。 ここでは、電車や、バスの待ち時間や、仕事の空き時間等で、パパっと手軽にスマホで読める軽い読み物を意図したブログ記事を綴ってます。

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