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彼女を寂しい形で送り出したくなかった|Episode4

    彼女の転職の日は、少しずつ近づいていた。


    職場で会えば、まだ普通に話せる。


    廊下ですれ違えば、いつものように少しだけ言葉を交わせる。


    でも、その「いつものように」が、もうすぐ終わることは分かっていた。


    彼女は新しい場所へ行く。


    僕は今の職場に残る。


    それは、彼女にとって前に進むための選択だった。


    だから僕は、寂しいと思いながらも、引き止めるようなことはしなかった。


    むしろ、ちゃんと送り出さなければいけないと思っていた。


    ただ、ひとつ気になっていることがあった。


    彼女の送別会のことだった。


    数年働いてきた職場を離れる。


    それなりに悩みながら、迷いながら、それでも新しい場所へ進もうとしている。


    そんな彼女を、何もないまま送り出すのは、少し寂しすぎる気がした。


    ただ、彼女と僕は、同じ職場にいたとはいえ、同じ部署ではなかった。


    親しく話すことはあった。


    相談を受けることもあった。


    でも、送別会をどうするかを決める立場ではない。


    別の部署の人間が、勝手に動くのは違う。


    それくらいの分別は、僕にもあった。


    だから、気にはなっていたけれど、僕から大きく動くつもりはなかった。


    彼女の部署の人たちが動くなら、そこに参加させてもらえばいい。


    動かないなら、それは仕方がない。


    でも、やっぱりどこか引っかかっていた。


    彼女は明るい人だった。


    愚痴を言っても、最後には笑いに変えるような人だった。


    だから周りから見ると、きっと大丈夫そうに見えたのだと思う。


    でも僕は、泣いている彼女を見てしまっていた。


    仕事で悩み、疲れ、それでも笑おうとしていた彼女を見ていた。


    転職前に不安を抱えている言葉も聞いていた。


    だからこそ、何もなかったようにいなくなってしまうことが、どうしても寂しく感じた。


    そんな時、僕と同じように彼女のことを気にかけていた人がいた。

    彼女と近い場所で働いていた人だった。


    その人がある日、廊下ですれ違いざまに僕を呼び止め、小さく言った。


    『送別会をしてあげたいんです。どうにか企画できないですか?』


    僕はその人に、自分の考えを伝えた。


    送別会がないのは寂しいと思っている。


    でも、僕たちが主導して大きな会を開くのは、少し違う気がする。


    彼女の部署が動いて、そこに一緒に参加する形なら自然だと思う。


    そう話した。


    たぶん、それが職場としては一番正しかった。


    筋も通っている。


    立場も越えていない。


    でも、正しいだけでは、何も変わらないこともある。


    その人は、少し考えたあとで言った。


    大きな会ではなくてもいい。


    個人的に、彼女を送る場を作りたい。


    その言葉を聞いて、僕は迷わなかった。


    それなら、僕も参加したいと思った。


    彼女を盛大に送り出したかったわけではない。


    みんなの前で、何か特別なことをしたかったわけでもない。


    ただ、最後にちゃんと「お疲れさま」と言える時間がほしかった。


    この職場にいたことが、彼女にとって全部しんどいだけの記憶にならないように。


    少なくとも、最後に少しでも笑って帰れるように。


    そんな小さな場を作りたいと思った。


    僕は彼女に連絡した。


    迷惑でなければ、送別会をさせてもらいたい。


    都合のつきやすい日を教えてほしい。


    できるだけ軽く聞いたつもりだった。


    重くならないように。


    押しつけにならないように。


    あくまで、彼女が嫌でなければ、という形にしたかった。


    しばらくして、彼女から返事が来た。


    わざわざありがとう。


    嬉しい。


    その言葉を見た時、僕は少しほっとした。


    彼女にとって迷惑ではなかった。


    少なくとも、そう受け取ってくれた。


    それだけで十分だった。


    日程の話をした。


    曜日の話をした。


    誰を呼ぶかも聞いた。


    正直なところ、僕は少し悩んでいた。


    人を増やした方が、送別会らしくなるのかもしれない。


    でも、人が増えれば増えるほど、彼女は気を使う。


    話したいことも話せなくなる。


    笑っていても、いつものように明るく振る舞ってしまうかもしれない。


    彼女は、人前で弱いところを見せるのが得意な人ではない。


    だから、人数は多くない方がいい気がした。


    彼女も、似たようなことを言った。


    色々な人を呼ぶと、気軽に話せなくなるかもしれない。


    その返事を見て、やっぱりそうだよなと思った。


    盛大であることが、彼女にとって嬉しいとは限らない。


    たくさん人が集まることが、温かいとは限らない。


    その人にとって安心できる人数がある。


    話しやすい空気がある。


    彼女に必要なのは、たぶんそういう場だった。


    だから、少人数でやることになった。


    彼女と、声をかけてくれた人と、僕。


    たったそれだけの送別会。


    でも、僕にはそのくらいがちょうどいい気がした。


    彼女が気を張りすぎずにいられる。


    仕事の話も、これからの話も、少しだけ本音で話せる。


    そんな時間になればいいと思った。


    店を探すことになった。


    苦手なものはあるか。


    食べたいものはあるか。


    そう聞くと、彼女は苦手な食べ物をいくつか挙げたあとで、食べたいものは「美味しいもの」と言った。


    その返事が、なんだか彼女らしかった。


    具体的なようで、具体的ではない。


    でも、重くならない。


    少し笑ってしまうような、いつもの彼女の返しだった。


    僕は、それで少し安心した。


    送別会という言葉には、どうしても寂しさがある。


    でも、彼女がいつもの調子で返してくれるだけで、その寂しさが少しやわらぐ気がした。


    その後も、少しだけ話は揺れた。


    新しく入ってくる人の歓迎会も考えた方がいいのではないか。


    全体で集まる方がいいのではないか。


    分けた方がいいのではないか。


    職場の人間関係や立場を考えると、簡単に決められないこともあった。


    彼女は、自分が去る側でありながら、残る人たちのことも気にしていた。


    新しく来る人が、周りとうまくやっていけるか。


    自分が抜けたあと、関係が悪くならないか。


    そんなことまで考えていた。


    自分の送別会の話をしているはずなのに、彼女は自分のことだけを考えていなかった。


    僕は、できるだけ彼女が気にしすぎなくていい形を考えた。


    大きなことは、職場の流れに任せればいい。


    僕たちは、僕たちで小さく送ればいい。


    それでいいのではないかと思った。


    やがて、日程が決まった。


    時間も決まった。


    店も決まった。


    僕は予約をした。


    予約が完了したことを彼女に伝えると、彼女は楽しみにしてくれた。


    その返事を見て、僕はまた少し安心した。


    これで、彼女を何もないまま送り出さずに済む。


    最後に、ちゃんと笑える時間を作れるかもしれない。


    それが嬉しかった。


    でも同時に、僕は自分に言い聞かせてもいた。


    これは彼女のための送別会だ。


    僕の寂しさを埋めるための時間ではない。


    彼女との距離を縮めるための口実でもない。


    彼女がこの職場を離れる前に、少しでも温かい時間を持てるようにするためのものだ。


    僕はその線を、何度も自分の中で引いた。


    それでも、やっぱり嬉しかった。


    でも、線の内側にいながら、嬉しさは止められない。

    それが正直なところだった。


    誰かのために動けることが嬉しい。

    その誰かが、彼女であることが嬉しい。


    その二つは、たぶん別の感情だったのに、僕の中では区別がつかなくなっていた。


    たった三人の送別会。


    職場全体から見れば、何でもない小さな予定だったと思う。


    でも僕にとっては、彼女がこの職場にいた時間を、ちゃんと見送るための大事な約束だった。


    彼女を引き止めることはできない。


    引き止めるつもりもない。


    でも、送り出すことはできる。


    寂しさを隠しながら、できるだけ明るく。


    自分の気持ちを押しつけないように。


    彼女が最後に笑って、この職場を離れられるように。


    そう思って、僕は送別会の日を待つことになった。


    次回
    彼女を送り出すはずが、背中を押されたのは僕だった|Episode5

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